私がギターを弾き始めたわけ

 中学校の1年生のころだったと思う、私の叔父から釣り竿をもらった。6本継ぎの竹の投げ竿だった。その長さで中学生の私でも重りを70mほども飛ばせた。私は7才の時父を亡くした。叔父は娘しかいなかったせいもあってか、私に彼の趣味の弓道や釣りを教え、かわいがってくれた。

 友達数人と遠賀川に釣りに行った.。多分、糸ウナギくらいしか釣れなかったのだと思う。夕方になって誰かが「夜釣りならきっと良い魚が釣れる」と言い出した。帰途についたのは夜の9時頃だったろうか。交番の前に親たちが集まっていた。釣りに行ったまま子どもたちが帰らないと騒ぎになっていたのだった。母はいきなり私の釣り竿を折り始めた。普段は静かな母の剣幕に押されて私は見ているしかなかった。しかし竿の一番手元の部分は太すぎて母は折ることが出来なかった。

 残った釣り竿にはリールが付いていた。釣り糸を竿の先端に縛りつけリールを巻いて糸を強く張り、指ではじくと音がした。指で糸の途中を押さえてはじくと音の高さが変わった。ドレミ・・と音階が弾けた。何か知っているメロディーを探りながら弾いて遊んだ。

 学校の帰り、質屋の軒先にギターがぶら下がっていた。母に欲しいと言った。買ってくれるとは思っていなかった。父が炭坑の事故で死んだ後、母は炭坑の寮のまかないをして私と姉を育てた。裕福であるはずもないが、私は経済的理由で惨めな思いもした記憶はない。母が苦労してやりくりしていたのだと思う。貧しいことは分かってたが欲しいと言った。母は黙って買ってくれた。

 ギターに付いていた「古賀30日間ギター独習」という教則本が最初のテキストになった。しかし系統的に練習する力もなく、遊びを抜けきれなかった。本来張力の弱いナイロン弦を張るクラシックギターにスチール弦を張ったそのギターは、弦の張力に負けてネックが曲がり始め、1年ほどで壊れてしまった。

 国立高専の3年の時、寮の隣室は5年生だった。ギター部の人だった。彼の練習がいつも聞こえていた。音がたくさん聞こえる曲だった為に私は2人以上で合奏しているのだろうと思っていた。

 ドアが開いているとき通りかかり、彼がその曲を一人で弾いている事が分かった。「アルハンブラの想い出」という曲だった。あの曲が弾けるようになるなら他はどうでもいいと思った。次の日楽器屋に行った。7000円のヤマハを700円、10回の月賦で買うことにした。こんどは系統立った練習をした。

 今もそのギターは物置にしまってある。「アルハンブラの想い出」はギター教室の生徒さんが体験レッスンに来たときに聴かせる曲である。

                                                   2003.3.19

英訳

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