去る3月31日、都教育委員会は、卒業式の「君が代不起立」を理由に根津さんに 停職3ヶ月の処分を下しました。これは言うまでもなく処分を受けた根津さんが気の
毒であるかどうかなどというレベルを遙かに超えた重大な社会問題です。 都教委に しても、石原都知事にしても、欧米先進国に対してこの処分について胸を張って説明
できるのでしょうか。とうてい民主主義の先進国とは認めて貰えないと思います。
私が残念というより腹が立つのは、本来根津さんの処分は教員組合が守らねばなら ない。いや、「守る」のではなく教員組合が率先して
日の丸君が代の強制に反対し 闘わなければならない。もちろん、全ての民主主義を守ろうとする市民がこの問題に 立ち向かわなければならない問題です。
残念ながら、日の丸君が代に反対している人の中にも「天皇制が嫌いだ、だから日の丸君が代も反対だ」程度の認識の人も多いと思います。
「日の丸君が代強制」は、不正義を許さないと思う、人間としての良心を捨てて、 権力に従順になれ、と迫られている「踏み絵」であり、人の「精神」の根底に関わる
問題です。
私は沖電気の「踏み絵」で恐怖の職場が出来る過程を見た経験からこれを 指摘してきました。沖電気の「ラジオ体操」は、個々の労働条件の改悪阻止より重大だったのにそれを
阻止しなかった為に最悪の職場になり、労働者は全くの無権利状態になった。
教育基本法改悪反対が叫ばれていますが、私は、日の丸君が代の強制を阻止できな くて、ましては、君が代斉唱時に「起立」している人達に、どんな法律の改悪も、さ
らには憲法の改悪をも阻止できるわけがないと思います。
厳しい言い方をすれば、 日の丸君が代問題に真剣に取り組まない人は、政府の法 案などに反対していたとしても、心の底から人格をかけて反対しているとは私には思
えません。 ましてや、君が代の際起立している人達に憲法改悪など阻止できるわけがないと思います。
日の丸君が代の強制を不当だと思っている教員が全員「不起立」すれば権力は処分 できない。それでも処分をすれば、大きな社会問題になり、いまだにほとんどなされ
ていない、十分な知識と情報の上での社会全体の議論を喚起することが出来きる。その行動を組織するのが、本来の教員組合のやくめのはずです。
教員組合はかって学校教育が戦争に加担した反省が組織理念の根底にあると聞きます。それ故に、教員組合が持つ社会的意義は、教員に対してのみではなく、日本の平
和に及ぶものであり、だからこそ、それを理解する人が教員組合の運動に連帯しよう としてきたのだと思います。
しかし、残念ながら、現在は「自分たちの利益を守る」ことが組織の目的になって しまっているように見えます。
沖電気の労組がそうであったように、(「自分の利益を守る」ためなら組合よりも 会社のいいなりになった方がいい)根本の原則を優先出来ない組合組織は結局は弱体化が進み、「自分たちの利益を守る」ことすらも出来ない組織になってしまうと思いま
す。
根津さんは転勤先と元の中学で「門前闘争」を続けています。物心体3面の御支援 を私からもお願いします。