檄文

 全国の教員の皆様へ
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東京都教育委員会は卒業式の君が代斉唱の際の不起立を理由に50名を超える教員に減給などの懲戒処分をしました。
 
私が指摘するまでもなく、この問題は「君が代」という「国歌」が好きか嫌いかという小さな問題ではなく、日本の民主主義の根幹に関わる問題です。
起立しなかった教員は起立しなければ、自分に懲戒処分が下されることを十分知った上で、多くの人から注視される苦痛に耐え、それを貫きました。
 それは、教育者としての良心に勇気を奮い起こして従ったものであり、賞賛されこそすれ、罰せられるべきものであろうはずがありません。
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  日の丸君が代の強制が求めている「愛国心」は母なる山河を愛する心ではなく、日本に住む全ての人々を愛する心でもなく、国家権力、権威に従順である「心」です。
「愛国心」は愛という言葉とは裏腹に、アメリカの9.11以降の使われ方、戦時中の日本での使われ方を見ても、実態は、「団結」するために敵を憎む心です。
 「人類愛」とは根本的に異なっています。

強制する側の「愛国心」が民主主義と相反しないものであるならば、納得いくまでの議論があってしかるべきです。
しかし、「公務員なのだから命令に従え」と常に議論は拒否されてきました。

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公務員であっても、命令には従うべき命令と、その命令が正しいかどうか検証し議論しなければならない命令があり、区別されなければなりません。
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シンボルや権威への従順を強制し、批判させない「踏み絵」の手法は昔から全体主義の体制を確立し維持する方法として使われて来ました。
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 日本の軍国主義でも、ナチスドイツでも、そして北朝鮮でも。
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「踏み絵」が機能すると権力の暴走を国民が批判によって止めることが困難になります。

その結果、ごく一部の権力者の利益の為に大多数の国民が犠牲になる事態を招きます。

国民にとってなんら必要のない戦争を引き起こし、多数の犠牲者を出すことがその最たる例です。

これが歴史の中で繰り返されてきたことを知るからこそ、それに容易に繋がる事態を止めようとする人が日の丸君が代の強制という「踏み絵」に反対しています。

「踏み絵」は突きつけられたものには踏み絵と分かります。そして踏む理由の言い訳が用意されています。

「踏み絵を踏んでも自分の良心まで売り渡したわけではない」

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しかし、それを踏むことで良心の根底の部分が壊されます。
それが踏ませる側のねらいです。


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今日本では言論を理由に殺されることはありません。 日の丸君が代に反対しただけでは殺されることも投獄されることもありません。

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しかし、わずか60年前は批判しただけで殺されたのです。

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そして、現在の「殺されない状況は」なんとなくそう変わったのではなく、民主主義を構築する為に、命を賭して権力と闘った人たちが存在した結果です。

私たちはこの事実を忘れてはならない。

 現在の状況が悪化すれば、いつかナショナリズムが異常に高揚し、全体主義の時代が再来しないという保障はありません。





言うまでもなく、この問題の責任を一部の勇気を振り絞って耐えている
教員に押しつけてはならない。

全員でなくても、せめて10%か20%の教員が起立を拒否すれば懲戒処分は容易に出すことは出来ず、社会全体の議論が起こり、解決に向かいます。
現状は、自分に言い訳をして逃げる人が多いために事態が悪化し続け、いつかさらに悪い形で逃げた人の首をも絞めることになります。

この問題には全ての良心を持つ教員に責任があり、さらには
民主主義を標榜する全ての政党
労働組合
市民団体
そして私たち市民国民一人一人に責任があります。

全ての教員の皆様、国民に勇気ある行動を呼びかけます。


教員の皆さんはその先頭で、勇気と誇りを持って闘って頂きたいと思います。

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誇り高く

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誇り高く生きることを子供達に語ろう
誇り高く闘うことを私達が示そう
民主主義の大切さを子供達に語ろう 
平和への思いを、私達が示そう

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100年前の人権ひどかった
闘った人がいたから今がある
今日はむなしく思えたとしても
100年あとが今よりいいように

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誇り高く生きることを子供達に語ろう
誇り高く闘うことを私達が示そう
民主主義の大切さを子供達に語ろう 
平和への思いを、私達が示そう


2005年4月4日    田中哲朗