なぜ私が日の丸問題にこだわるか。

沖電気の職場で一番自由な空気があり会社の首切り合理化に一番抵抗したのは八王子工場でした。

 ところが、首切り合理化の後、ビラの受け取りラジオ体操などの踏み絵を使った締め付けが、八王子工場に対し、徹底的に行われました。

そして一年後には沖電気で一番差別やいじめの激しい職場に変わりました。

 これはかっては日の丸に最も反対していた沖縄が文部省、教育委員会の締め付けの中で、日本中で一番日の丸を揚げる地域に変わった事とにています。

 私は、日の丸君が代の強制は、権力に従順な教師であるか、親であるか、生徒であるか、と突きつけられた踏み絵だと思うのです。

 日本の社会に沖電気で起きたと同じ変化を起こさせてはならない。

わずか一年の間で、踏み絵を踏まされることで、

差別やいじめ、密告の横行する恐怖の職場に変わった沖電気と同じ変化を起こさせてはならないと思います。

企業で解雇されて闘う立場の私が、日の丸の問題に強い関心をもつのは以上の理由です。

踏み絵の効果
踏み絵は突きつけられた人には踏み絵だと分かります。

その形態は歌を歌うとか、お辞儀をするだとか簡単なものです。

しかし最初の踏み絵を踏むと次のより厳しい踏み絵が用意されそれを拒否できません。

また踏む言い訳が用意されています。

「踏み絵を踏んでも、だれかを裏切るわけではない、自分の良心まで売り渡したわけではない。」

ビラの受け取りを止めた人はより積極的に手足を動かさねばならないラジオ体操(始業時間前なので法的には強制出来ない)を拒否できませんでした。

次には組合役員選挙の際、会社側候補者の運動員をするという踏み絵を殆どの人が踏まされました。

さらには、私の友人の一人は職場の親睦会から除名されました。その際その職場では彼を除名することに同意する署名がまわされ、彼以外の全員が署名しました。

彼は職場の幹事からその署名を見せられました。その中には彼の友人の署名もあったそうで。

その署名は震える字で書かれていた、嫌々書かされた友人のつらさが分かりかわいそうだったそうです。

これは、より攻撃的な踏み絵です。

このように踏み絵は一度踏むと、さらに厳しい踏み絵が突きつけられ途中からそれを拒否することが非常に困難であるという特徴があります。

究極の踏み絵が人を殺すことだと思います。

戦時のように状況が整えば人はそれを踏むと想像できます。

2005年4月5日