私の考え
私は小学生の頃、運動会の「国旗掲揚」が好きでした。


君が代に合わせて揚がっていく日の丸を見ていると、敬虔な、謙虚な気持ちになり、胸に熱いものを感じました。

 しかし、今、学校で行われている日の丸の強制の実例を見ていると、これは権力に従順であれ、という「踏み絵」として使われていると思えてしかたがありません。

 大衆が権力に扇動され暴走することは歴史の中で繰り返されてきました。

権力を持った者が民衆を扇動して自分の征服欲や野望を実現しようとすることは、自由選挙の行われている民主主義の国でも起きています。

 国民が、真に自分の国の将来に責任を持とうとするならば、世界の平和を望むのであれば、自分の国の政府の言うことは全部正しいと信じるのではなく、それが正しいかどうか検証し、批判する能力と姿勢が求められます。

 相手が「上の者」であれ誰であれ、正しくないことを言ったりしたりしている相手には、正しくないと批判する勇気が必要です。

 かってのナチスが言っていたような、自分達は、優れた民族であるから、他の国を支配するべきだ、といった、他の人や、国との優劣を根拠とした「誇り」や「自尊心」を持ち、それにより「団結」することは、時として心地の良いものです。

 しかしこの考えによる行動によって、多くの人が悲惨な思いをし続けきたことを知るべきだと思います。

 人間は不完全なもので、必ず過ちを犯します。個人の犯す過ちは周囲の人に影響を与えるだけですが、権力を持ったものが過ちを犯した時、その被害は広く深刻なものになります。

 そこで人々がそれを正す事が出来るシステムが民主主義だと思います。

 多数決でものを決めさえすれば民主主義だと考えるのは正しくありません。それは時として数の暴力になります。

 自分さえ良ければ、自分達さえ良ければ、では無く、すべての人が、幸せであり得るように努めるのが民主主義だと思います。

 社会を構成する人すべてが幸せであらねばならないという前提の前に、それぞれが、その人なりに、社会の成り行きに責任を持とうとする、姿勢を持ち、力を持ったものが相手であっても、理不尽だと思った時にはそれを指摘し、お互いが納得するまで議論する勇気とエネルギーが本当の意味での民主主義を実現する上で不可欠だと思います。

 私には、日の丸の強制の具体的な事例を見ていると、これに反しているとしか思えないのです。

 卒業式などで日の丸を使いたくないと主張している教員にはそれぞれ理由があります。教員会議の場などでそれを明らかにして議論をしようとしても、教育委員会の指導を受けた校長は何が何でも日の丸を使おうとします。

 反対が強い場合は、誰も見ていないときに校長が日の丸を掲揚して写真を撮り、やったとして報告する例、や校長室で「掲揚」して「実績」を作る例などがあります。(いずれも八王子で実際にあった例。他の地域でも同様の報告は多数ある)

 誰も見ていないときに日の丸を掲揚することが、子どもたちの教育の為にされていることとはとうてい思えません。

 最近は、校長の権限が強化され、日の丸についての議論が拒否され、日の丸についての命令に従わない教員には処分(処罰)が行われています。

 これほどのこだわりを示している例は他には見られません。

 このことから「日の丸君が代を行う学校行事」こそがこれを推進している人の考える学校教育のありかたそのものを表していると考えざるを得ません。

 「厳粛さ」を子どもたちに教えたいという気持ちは理解できます。しかしそのやり方があまりにも民主主義のあり方に反しています。

 強制のありかたを見る限り、「強いものの命令には理不尽だと思っても従わなければひどい目に遭うぞ」、という例を子どもたちに示していると言われてもしかたない現状です。

 学校で続いているいじめの問題を助長しさえすれ、改める方向は向いていません。

 ものを考え判断し、相手が強いものであっても不正義と闘う、明日の日本を背負う力を子どもたちの中に育てることとは、明らかに逆行しています。

 

 自尊心、や謙虚さ、感謝する心などは、今の日本人に足りない部分かもしれません。

しかし権力が、「処分」という力ずくで「謙虚さ」を求めれば、実現するのは「謙虚」ではなく、「卑屈」だと思います。

 日本人はかっての戦争の責任を恥じて、卑屈になるべきだとは思いません。軍隊が残虐な行為をすることはいつの時代にもどこの国でも存在したはずです。


 しかし、事実は事実だと認め、それを繰り返さないことを誓うことは誰にとっても、どの国にとっても大切なことだと思います。(仮に、その「事実」が真実より多少悪く評価されているとしても)

 その上で、他の人や、他の国を大切に思う心と、日本という国に対する誇りや自尊心が、実際の行動に裏付けされて、人々の中にはぐくまれて行く事が望ましいと思います。

 この問題は、ある歌や旗を好きか嫌いか、という問題ではなく、日本が民主主義の社会としてありたいのか、それとも権力に無批判に従う従順な国民であるのかを国民に問うている重要な問題です。


田中哲朗

2001年2月22日