憲法の守り方

外交官2名が犠牲になってしまった。「テロに屈するな」という詭弁を弄して自衛隊を派遣すれば犠牲は日本国内でも、それも大きな規模で生じる危険がたかい。

自衛隊ではなく、救助隊のような文民を派遣すればよいだけのこと。なぜそれが出来ない。

追加2003年12月1日

 ここに示すことは私が考え出したことではなく、憲法それ自身に書かれていることで、それを読めば誰でも考え得ることです。しかし、護憲を掲げている政党、政治家がこれを声高に主張しているのを私は聞いたことがない。私が知らないだけかも知れないが、少なくとも私の所にその声が届くほどのキャンペーンを張ってはいない。

 テレビ討論の中で(今回の選挙の直前)小泉首相から

 「護憲と言うが、自衛隊が軍隊ではないとあなたは思っているのか。憲法が実情と合わなくなっているのだから変えるのは自然だ。」

 と土井元社民党委員長は言われて反論しなかった。せっかくこの考え違いをはっきり指摘できるチャンスなのに黙った。不思議でしかたがなかった。

 北朝鮮問題を背景に「他国から攻撃されたらどうする。自国を自国で守るのは当然だ。」というキャンペーンに有効な反論を私は政治家、政党から聞いていない。

 憲法前文には、

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、」云々

と示されている。すなわち、自分の国さえ豊かであればよい、と考えるのではなく、他国のことを真剣に心配し、行動することで他国との信頼関係を築こう。自国を心配して助けてくれる国を攻撃したいと思う人はいない。この考えを実践することで日本の平和を守ろう。と書かれている。

しかし、現実には日本はそれをしていない。

今「国際貢献」という名の下に自衛隊をイラクに派遣しようとしている。アルカイダからの東京テロの予告があるにもかかわらず。(非常に危険だと思う)

なぜ、自衛隊という人殺しの訓練をし、人を殺す道具を持った集団を派遣するのではなく、医師団、建築チーム、消防士、農業、工業技術者等、人を助ける道具と技術を持った集団を派遣しようとしないのか。

それも、申し訳程度の半端な量や質ではなく。自衛隊を派遣した際に費やす予算に匹敵する量や質でするならば、世界のだれもが、これこそ国際貢献との認識を持つことは疑いないものである。

自衛隊の軍事費は世界三位とも二位とも言われる事実は以外と知られていない。

北朝鮮はおろか、ドイツ、イギリスより多くの予算をついやしているのである。

数兆円にも及ぶこの莫大な金と労力を国際救助隊を作ることに費やせば素晴らしいものが出来はずである。

なぜ、こんないわば分かり切ったことを、これまで革新政治家、政党が声を大にして主張してこなかったか。不思議である。

自衛隊という存在に憲法を合わせるのではなく、明らかに違憲である自衛隊を、憲法の理念を体現した国際救助隊に変えることが日本の平和を守る方法である。

2003年11月24日
日本国憲法前文

憲法九条