社長 澤村紫光
発言のポイント、
会社は、毎年株主総会をビデオで撮影している。
1996年9月、私の友人が上司に呼び出された。
上司は「会社に、株主総会のビデオを見せられた。田中はどうしてあんなに激しい発言をするんだろう」と言った。
私が、この友人に対する差別を取り上げ、厳しい追及を行っていることをさしているのである。
多分、なんとか追求を止めさせてくれという圧力だったのだろう。
( この友人は苦学の末、弁理士の資格を取得している。沖電気のような技術系の企業にとって特許出願に必要なこの資格は喉から手が出るほど欲しい資格である。沖電気で彼の他にこの資格を持っているものは当時1名しかいなかった。
にも関わらず、彼には全く仕事が与えられていない状況が20年にわたって続いていたのである。
会社は仕事を与えない差別を不当だと指摘されると、「仕事をする能力がないので仕事を与えられない」と言い訳をする。この言い訳を許さない、分かりやすい例として彼に対する差別を取り上げてきた。資格を持っているから差別すべきでない、持ってないものには差別をして良いと言っているのではないことは分かって頂けると思う。)
会社は総会のビデオを撮っている理由を「議事録を作る為だ」と主張している。議事録作成に無関係な者に見せて良いはずがない。私は、「株主に対する映像権の侵害だ」と追求している。
知らないとする社長に対し「この馬鹿者が!」と怒鳴りつけている。社長たるものが「知らない」で済む問題ではないからである。
「怒鳴りつけなくても良いではないか、えげつない」と思われる方もあると思う。
しかし、これまで、どれほど多くの人が上司からのいじめに、悲しい、悔しい、情けない思いをしてきたか。
係長は課長にへつらい、課長は部長にペコペコし、部長は事業部長に胡麻をする。そういう体制の中のいじめである。
その体制のトップたる社長を怒鳴りつけることは、差別を受けてきた人の悔しさを思い知らせる意味を持たせているつもりである。
私は語気は強めても、筋の通らないことは一切主張していない。その場のがれの会社の発言と比較して頂きたい。
この総会の後、私の友人に対する差別が緩和された。補助的な仕事ではあるが与えられたのである。えげつない人たちにはえげつない方法が効果を上げることがある例だろう。
また、会社には株主が総会の状況を撮影、録音、録画する事を妨害する資格がないことは、この不当な行為の露見により、さらに確固としたものになったと言わざるを得ない。