北野さん尋問調書

北野さんに対する仕事差別、賃金差別、席をライトテーブルの前にする、おみやげを北野さんにだけ渡さないなどのいやがらせの例が語られている。

北野さんは私がリーダーだったマンドリンクラブのサブリーダーであり、部員に対して会社からクラブを辞めるよう説得がされたこと、

また、私が配転命令を受け、解雇される危険が高まったとき、争議を支援している人たちが集まり私を守ろうとしたこと、

また北野さんは弁理士の資格を持つので、私が出願した特許の件数が多く価値があることなどが語られている。

速記録 平成3年7月11日 第5回口頭弁論

事件番号 平成2年 ネ 第1445号 



証  人

氏    名


北 野  好人



控訴代理人 (山下)

    あなたは沖電気、披控訴人会社に在職していたことがありますか。

         はい、あります。

     沖電気に入社したのは、いつごろでしょうか。

        一九七三年の四月です。

     そのときにいた職場はどこですか。

         開発本部の磁気記録研究室です。

    一九七八年に沖電気で指名解雇がありましたが、その当時の職場はどこでし
                               たか。

   情報研究所の認識方式研究室です。


あなたは、一九七八年の指名解雇が行われた際、どのような行動をとりまし

たか。


  指名解雇に反対する行動をとりました。


具体的にはどんなことをされたんですか。


   職場大会等で、指名解雇をすべきでないという発言をしました。


それはかなり積極的に行ったということですか。


   はい。指名解雇をした後は、指名解雇された人たちを支援するために、
    ビラを門の外で配りました。


就業時間前に門前で、解雇を撤回するようにというようなビラをまいたとい

うことですか。

    はい。そのような行動をとったということで、会社から何か差別されたことがあり
ますか。

   はい、あります。

どのようなことで差別されましたか。

   賃金における差別を受けました。


賃金の差別というのは、具体的にはどういうことになりますか。

       定期昇給及び一時金において、指名解雇前と指名解雇後で、かなりは

        っきりと悪い査定がつくようになりました。

    それはどのようにして分かるんですか。

       私の貸金明細書と、あと組合が出しているそういう資料がございます
       ので、その資料を突き合わせて計算す右と分かります。

甲第四九号証を示す

     この資料はどうされたものですか。   私が作成いたしました。

これを説明していただけますか。


   賃金は、本給と職能給と職種給と家族給の四つの構成からなっており
   まして、査定がつく部分は本給と職能給です。山に指名解雇前の一九
  七八年四月の定期昇給における昇給を書いておりまして、似に指名解
   雇後の一九七九年四月の昇給を比較して書いてございます。
先程のお話だと、本給と職能給のところに査定が入っているということにな

りますか。

    はい。


一九七八年四月、.本給四〇〇〇円アップになっていますが、これはどう見た

らよろしいんですか。

   これは四〇〇〇円プラマイ一〇〇〇円、プラマイ一〇〇〇円というの
   は査定の裁量がある幅なんですが、そういう意味で四〇〇〇円上がり
   ましたので、標準的な査定がつきました。

一九七八年四月の本給の昇給は標準であったと。

    はい。

比較して、一九七九年四月を説明してください。
  一九七九年は、本給のほうは標準で四六〇〇円で、プラマイ二八〇〇

   円というマイナス査定がつくんですが、私は限度ぎりぎりのマイナス

   一八〇〇円の査定、すなわち二八〇〇円しか本給が昇給しませんでし

    た。

最大限マイナスの査定を受けたということになりますか。

    はい。

四〇〇〇円プラスマイナス一〇〇〇円の査定の方と、四六〇〇円プラスマイ

ナス一.八〇〇円の査定の方、これは先程言われた組合の資料で出てくるわけ

ですか。

   はい、出てくると思います」

それで検討すると、一九七八年四月は標準の査定だけれども、一九七九年の

四月は最大限のマイナス査定がされたということになるわけですね。

    はい。

職能給はどうでしょうか。

   職能給については、一九七八年は六級七号から五級一号に上がりまし

   て、標準的な上がり方だと思います。

一九七九年は。

   五級一号で、全く上がりませんでした。

これは、通常は毎年上がるものなんですか。
   通常は、級が上がるかどうか分かりませんが、号については大体一号

   アップするというのが極めて標準的でして、このときは一号上がりま

   せんで、多分私が入社以来初めて上がらなかったと。全く同格だったわけですね。

    はい。


その査定幅のある本給、職能給の昇給のところでは、一九七八年までは標準
だったけれども、一九七九年は最大限査定が落とされたということになりま
すね。


   特に昇給の場合には、組合と会社が協定しまして、査定の限度がある
   んですが、その限度を目一杯、極めて劣るよりもっと悪いと。

限度ぎりぎりのマイナス査定をされたということになりますね。

    はい。

一九七八年以前の昇給はどうだったでしょうか。

   ほぼ標準だったと思います。

一九七九年四月の、最大限マイナス査定がされた以降はいかがですか。

   ずっと最大限マイナスだったと思います。   はい、出てくると思います。

それで検討すると、一九七八年四月は標準の査定だけれども、一九七九年の

四月は最大限のマイナス査定がされたということになるわけですね。

    はい。

職能給はどうでしょうか。

   職能給については、一九七八年は六級七号から五級一号に上がりまし

   て、標準的な上がり方だと思います。

一九七九年は。

   五級一号で、全く上がりませんでした。

これは、通常は毎年上がるものなんですか。


   通常は、扱が上がるかどうか分かりませんが、号については大体一号

   アップするというのが極めて標準的でして、このときは一号上がりま

   せんで、多分私が入社以来初めて上がらなかったと。ずっとそれだけのマイナス査定が続いたということですか。

    はい。

BとCを説明してください。


  Bは指名解雇前の一九七八年六月の賞与で、これは標準でした。Cは
  指名解雇後の一九七九年六月の賞与で、これも協定にある最大限のマ
   イナスの査定がつきました。


一九七八年の下期の賞与というのは、ここに書いてあります一九七九年六月
に支給されるということですね。

    はい。

指名解雇後の一時金ですね。

    はい。
そこで最大限マイナスの査定になったということになるわけですか。

    はい。この最大限のマイナス査定か標準かということも、やはり組合の資料を見れ

ば分かることなんですね。

   はい、分かります。

それに基づいて計算されて、指名解雇前は標準であったのが、指名解雇後、
極端に最大限のマイナス査定がついたということになりますか。

    はい。


ところで、あなたはこれを差別だというふうにおっしゃるんですが、どうし

て差別だというふうにお考えになるんですか。

   一九七八年から一九七九年にかけては、特に病気にもかかっておりま

   せんし、特に目立った失敗もしていないと思いますので、指名解雇の

   ときにおける私の行動を判断して、会、社がこういうふうにつけたので

    はないかと思います。

ビラまきをしたり、指名解雇に反対したりという行動で差別をされたと、最大限のマイナス査定を受けたということ以外に、理由は考えられないという

ことですね。

   はい、考えられません。


特に上司から、君はこういうことだったんでマイナス査定になったというよ
うなことで、指摘されたり注意を受けたりしたことはありますか。

    それはありません。

賃金以外に、仕事の面などで差別を受けたことはありますか。


   はい。指名解雇後はそうでもなかったんですが、一九八〇年ぐらいか
   らだんだんメインの仕事から外されまして、仕事をほされているよう

    な感じになってきました。


その仕事をほされたというのは、どういう理由でほされたかということは。


   研究開発をしていますので、何人かチームを組んでやるわけですが、
   私だけはチームを組まないでもいいような仕事に回されまして、かつ   基本的に、仕事を急いでやる必要がない、成果を急いで上げる必要が

    ないような仕事になりました。

先程、新江さんの証言でも出たんですが、一人でやればすむような仕事をさ
せられるようになったと。あなたもそういうことなんですか。

    はい。

普通は大体チームを組んでするのが主流な仕事ですか。


   はい。一人でやれることというのは非常に限られておりますので、大

   体何人か組まないと、ちゃんとした成果は上がらないと思います。

しかも、特に仕事の期限などを決められて課題を与えられると、そういうこ

とではなかったんですか。

   そういうのは研究開発テーマを与えられるのが普通のやり方です。

普通はそういうふうにやるけれども、あなたの場合はそうではなかったと。

    ありませんでした。

報告書なども通常は出すというふうに伺っておりますが。

   報告書についても、だんだん求められなくなりました。

報告書を出す必要もなくなってきたということですか。

    はい。

実験室へ行くようなことがあるんですか、仕事の場合。

   私の所属している研究室でも当然実験室を持っているんですが、私が

   実験室に行くことはごく普通の行動としてあるわけですけれども、一

   九八〇年ぐらいから仕事をほされているなというふうに感じたときに、

   あるとき、実験室に行くなと直属の上司に言われました。

それはなぜ、行くなというふうに言われたんですか。

   実験室というのは職制がおりませんので、比較的そういう職制の目の

   届かない場所ですので、そこにおける私と他の職員、職場の仲間との

   交流を妨げることが目的だったんじゃないかなと思います。

あなたは当時、例えば指名解雇に引き続き反対して、いろいろな活動をされ

たとか、当時、ラジオ体操が行われていたようですけれども、そういうもの

には参加しないとか、いわば会社に対して批判的な姿勢をとっていたという
ことはあったんですか。

   批判的な姿勢をとっておりました。


そういうことが仕事をほされた原因になっているというふうにお考えになっ

ていたわけですか。

   そうとしか考えられません。

人間関係などの面で、差別的なことを受けたことがありますか。

   はい。職場の仲間が、指名解雇直後はそうでもなかったんですけれど

   も、だんだんとよそよそしい態度をと・つて、まともな口をきいてくれ

    なくなりました。

例えばあなたがあいさつをしたときなんかは、相手はどうするんですか。   なんとなく変な顔をして、余り返事をしないと。

話しかけても答えてくれないということがあるんですか。

    はい。

そのほかに何かありますか。

   座席なんですけれども、通常会社の座席は、課長がいて、係長から大

   体年功序列で偉い順に並ぶことが普通になっているんですが、私は年

   功からすると係長の次だったと思うんですけれども、次にもかかわら

   ず末席と申しますか、一番若い人が座るような席になりました。しか

   も私の前の席は普通の人の席ではなくて、作業をするようなライトテ

  ーブルというのがあるんですが、そういう作業をするような席になり
    ました。

席は、上司がいて、その両脇にずっと向かい合って並んでいるわけですね。

    はい。それぞれ年功序列で並んでいるんですか。

   大体年功序列で並ぶのが暗黙の習慣になっていました。

それがあなたが一番下というか、一番若い人が座るべきところへ座らされた

と。


  はい。


その席の配置はだれがするんですか。

   それは職長だと思います。

係長だとか課長が決めると。

    はい。

通常は、その席の前は人がいるわけですね。

   通常席の前は人がいますから、いろいろ話すことができるわけです。

ところが、あなたの前は人がいないということになっているんですか。

    はい。ほかに何かありますか。

   例えば、職場の人が旅行をするとお土産を配るわけですけれども、そ

   のときにわざと私の席を外してお土産を配ると、そういうことをされ

    ました。

それはだれがするんですか。

   全体的にそういうことをして、接触を保つのをやめようというような

   意思があったんだと思います。

それはだれが旅行に行ってもそうなんですか。特定の個人がそうするだけじゃ
ないんですか。

   人によりますけれども、そういうことをする人もいれば、そういうこ

    とをしない人もいるわけです。

そういうことをする人が結構多いわけですか。

   結局、そういうことをする人が多くなりました。

新入社員の歓迎会なんかに、出席を断られたということもあるんですか。

   新人の歓迎会があったんですが、それは研究所で主催してやる歓迎会
   だったんですけれども、そのときに私は出席を希望したんですが、断

    られました。

あなたの職場以外で、沖電気で指名解雇に反対していた人が何人かいますね。


    はい。

そのような方々が、あなたと同じような差別を受けたというようなことは聞

いていますか。

   いろいろ各自程度が違いますけれども、そういう差別を受けたという

   話は聞いております。

例えば先程の、旅行へ行ったときのお土産を配ってもらえないというような

話も聞いたことがありますか。

   そういう細かい話はなかなか分かりません。

あなたに対して先程、職場の人たちか口をきかなくなり始めたということに

ついて、会社側が何かそれに関与しているというようなことで聞いたことが

ありますか。

   先程申し上げましたように、職場のみんなは口を聞いてくれなくなっ

   たんですけれども、隣の職場で普通に口をきいてくれる人がおりまし

   て、今田さんという方の話ですが、今田さんが直属の上司から、おま

   えは北野と口をきいているからいけないんだと言われたと。直属の上

   司は佐久田室長です。

あなたは控訴人とはどういう関係ですか。

   控訴人と一緒にマンドリンクラブのサブリーダーとして活動しており

    ました。

田中さんはマンドリンクラブの。

   リーダーです。あなたがサブリーダーですか。

    はい。

会社がマンドリンクラブに介入してきたというようなことがありましたか。

   はい、あります。マンドリンクラブのメンバーで増田という方がいる

   んですが、増田さんが、直属の上司の石野課長という人なんですけれ

   ども、その方からマンドリンクラブをやめるようにという説得を受け

   まして、マンドリンクラブを退部していきました。

それは本人の意思ではなくやめたということですか。

    課長に説得されたということです。

ほかにマンドリンクラブをやめた人がおりますか。

   はい。武田さんとか中野さんという方がいたんですけれども、その方

    も同じような理由でやめていきました。

それはどうしてそういうことになるんでしょうか。   

田中さんとか私とか、会社の指名解雇に反対しているメンバーがリー

   ダーとしているクラブですので、そういうクラブに入れておくことを

   会社は好ましく思わなかったんだと思います。

田中さんに対しては配転命令が出されたんですね。

    はい。

一九八〇年に組合の役員選挙がありましたね。

    はい。

このときにあなたはどういう行動をとりましたか。

    田中さんの応援として活動いたしました。

このときの選挙の.特徴についてお話しいただけますか。

   会社側の応援にほとんどすべての人が駆り出されました。通常役員選

    挙というのは応援する人がいるわけですけれども、それを組合の人と
   か、組合活動に比較的熱心な人が応援すると.いうことが多いわけです
   けれども、その選挙では、私のように立場をはっきりしている人以外

   は、すべて会社側の応援団として順繰りに応援をさせられました。

それは従前はなかったようなことなんですか。

   はい、極めて異様な風景でした。


なぜ、そういう異様な状況が展開されたんですか。


   やはり会社側として、各人に応援を依頼して、各人が応援を承諾する

   ということは、会社に忠誠を誓う組合的な意味合いがあったんだと思

    います。

配転命令が田中さんに出されたことをご存じですね。

    はい。

それについてあなたは、どういう理由で配転命令が出されたというふうに思

いますか。

   役員選挙で田中さんが立候補して、かなり会社を批判する言動をとり   ましたので、会社としては八王子の事業所から追い出したいんだなと

   いうふうに思いました。


控訴人に対しての配転命令が出されて、何かあなた方は行動されましたか。


   田中さんをみんなで支援しようということで、一〇人から二〇人の人

   が集まって話し合いました。

その集まった方々は、田中さんがなぜ配転命令を受けたかということについ

ては、あなたと同じような認識だったわけですか。


   はい。当然会社にかなり本質的な批判をしておりましたので、その批

   判に対して、会社は田中さんを追い出したいんだという認識において

    は、完全に.一致しておりました。

皆さん、共通していたと。

    はい。

配転命令が出されて、そのままでは、場合によっては解雇されてしまうかもしれないということで、解雇されないようにするために何か行動をとったこ

とがあhソますか。

   田中さんを支援している人たちはいるんだということを示すために、

   会社のお昼休みなんですが、休憩所みたいなところがありまして、そ
   こに十何人かが必ず集まるようにしまして、そこで昼を田中さんを囲
   んで過ごすというようなことをしました。

デモンストレーションをしたと。

    はい。

そのねらいは。

    田中さんが孤立していないと。田中さんの配転を強制的にすれば、そ

   れは我々はいかんと言うんだぞというごとを示すために、示唆的な行

    動をしました。

先程も伺いましたけれども、批判をするというだけでなくて、会社にこれ以上先に進ませないということのねらいがあったんですね。

   配転は撤回させるということです。

あなたは沖電気を辞めましたね。

    はい。

それは、いつ辞めましたか。

   一九八一年の九月です。

なぜ、辞めたんでしょうか。


  一九八〇年ぐらいから仕事がほされてなくなっておりましたので、こ
   のまま会社にいても全く先の望みがございませんので、辞めました。

辞めるときに上司に何か言いましたか。


   辞めるときには、直属の上司の小谷部長と話合いを持ちまして、その

   中で、仕事をほされたというのは私にとってはけしからんと思ってお

   りましたので、仕事をほしたという事実を小谷部長にただしました。

   その結果小谷部長は、君の仕事をほしたということは認めるというふ
   うにおっしゃいました。

事実は認めたわけですか。

    はい。

理由については特に言わなかったんですか。
        理由については言いませんでした。

    沖電気を辞めて、その後あなたはどのような仕事に就いたんですか。

        弁理士の資格を取りまして、今、特許事務所をやっております。

甲第五〇号証を示す

     その資料はどういう資料でしょうか。

        特許関係のデータベースで、パトリスどいうデータベースがあるんで

       すが、そのデータベースに対して、田中さんが発明者の出願をすべて

        ピックアップしたものです。

あなたが仕事の関係で引き出したわけですね。

    はい。

それを見ると、どういうことが分かるんですか。


   田中さんが合計九件の出願をしていることが分かります。そのうちの

   二件が登録されていることが分かります。


田中さんの九件の出願という件数は、あなたも当時沖電気におられたのでお分かりかと思いますが、
一般の従業員に比べて多いほうでしょうか、少ないほうでしょうか。

   多いほうです。

かなり多いほうですか。

    はい。

この特許を出願するということは、その従業員のいる企業にとってはどうい

う意味があるんでしょうか。

   沖電気は、特に開発をどんどんしていかなければいけない会社ですの

   で、そういう意味では、新製品とか、こういう特許的なアイデアを出

   して出願するということは非常に求められていると。出願をしまして、

   特許が取れれば、それは自分の実施権も確保されますし、他社が同じ

   ようなことをすれば、実施料としてお金を取ることができます。

そうすると、会社にとっては非常にメリットがあるということですか。

   はい、メリットがあります。

特許が取れればいいんですが、取れないで出願のままで終わってしまったと

いう場合にはどうなりますか。

   出願のままで終わってしまった場合でも、先願主義と申しまして、先

   に出願したほうが勝ちのシステムですので、後からほかの会社が同じ

   ような内容を出しても、特許を取ることができません。ほかの人の特

   許を阻止するという防衛的な意味があります。

できるだけ出願をしておくということは、会社にとって有利になるというこ

とですか。

   はい、そう思います。


沖電気で当時、あなたが在職中ということで結構ですが、特許の出願は奨励

されていたんでしょうか。

   奨励されておりました。


特許の出願の件数が多いかどうかということが、査定の対象になっていまし

たか。


   特許の出撤の件数が多いかどうかということが、査定の一つの項目に

    なっておりました。


それは文書か何かにあるんですか。それともだれからか聞いたんですか。

   上司がつね日ごろ言っていることです。


上司が、出願を多くすれば査定が良くなるというような趣旨のことを言うわけですか。

   そうダイレクトに言わないんですけれども、出願を奨励しております

    ので。

査定の項目であるということは言っていると。


   はい。


田中さんが九件の特許の出願をしているということから見て、田中さんが特

許を考える、そういうことを考える能力を持っているかどうかということに

ついては判断できますか。

   内容もちょ っと見させていただいたんですけれども、そういう意味で

   はそれぞれ優れた発明だと思いますので、そういう開発能力があると、

    いろいろな新しい物事を考え出す能力があると思いました。

それは件数だけじゃなくて、−申請された特許の内容を検討しても、そういう

ことが言えるということですか。 

    はい。


そういう能力というものは、沖電気にいた場合、どういう職場でそういう能
力が生かせるというふうに考えますか。


   研究開発とか生産技術とか、そういう技術的な仕事がありましたけれ
   ども、そういう職場で生かせると思います。


SEなどの仕事では、そういう能力は十分に生かせると思いますか。


   SEというのは、基本的には、できたものを売るのが商売ですので、
   会社としてはそういう能力はSEには求めないと思います。


八王子の事業所ですね、八王子工場の中において、今出ているような特許を
発案する能力を生かすような職場というのは、あったというふうに考えてお

りますか。


   はい。総務課とか」 そういうところを除きまして、すべての職場がそ
   ういう発明能力が求められている職場だと思います。

田中さんの能力を生かそうと思えば、八王子工場でも十分使うことができた

だろうということになりますか。

          はい。

披控訴代理人

    田中さんの本件の.配転が発令されて、あなたを初め一〇人か二〇人ぐらいの

     方が昼休みに、励ますということで一緒になって過ごしたというふうに先程

     おっしゃいましたね。

          はい。

     その中で、この配転は一応指定されたSEの職場へ行って、それからまだ争

     っていけばいいじゃないかというような意見を言った人もおりましたか。

          はい、おりました。

     何がなんでも配転は絶対だめだという人と、いや、やっぱり一応現地へ行っ

     たほうがいいんじゃないかと、こういった人がいたんですね。   討議ではございませんので。

何人かおりましたか、そういう方が。

   少なかったと思います。

あなたはどうだったですか。

   私は、配転を受けるべきではないと。受ける理由がございませんので。

あくまでも、それが解雇になっても、処分を受けても、受けるべきではない

と、そういう立場だったですか。

   それは処分をするかどうかというのは、基本的に配転をされたことに

   対して受けるべきかどうかというふうに私どもは考えておりましたの

    で、処分は.会社はしないと思っておりましたので。

それなのに一応は行くべきだという人もいたんですね。

   行くべきだというよりも、処分を受けるんだったら行くべきだという

    ことです。

あなたは、その点については、あくまでも行くべきでないという立場だと。

   処分を受けるかどうかということと、配転を受けるべきかどうかとい

   う話は別だと思うんですけれども。

あなたは、沖電気が整理解雇をやったということで、いろいろ反対の行動を
おとりになつたというんですね。

    はい。

ビラまきはおやりになったんですか。

    はい、やりました。

ほかには何をおやりになったんですか。

   支援活動です。一般的な。

それはどんなことをおやりになったんですか。

    例えば、カンパを集めるとか。

ビラまきしているのは、会社は分かるんですね。

    はい。

カンパをやっているのも、会社には分かるんですか。

   分かります。

どんな形でカンパをやるんですか。

   門の外ですけれども、門の前に立っております。

それであなたが、カンパをお願いしますというふうなことをやられたわけで

すか。

    はい。

ほかにはどんなことをおやりになったんですか。

    あとは争議の支援です。

争議の支援で、会社にいろいろ分かることというのは、ほかにあったんですか。

 

   分かることは、今言ったビラをまいたり、カンパを集めたりすることだと思います。

その程度ですか。

    はい。

整理解雇の事件があった後、あなたはどういう仕事をしていらっしゃったん
ですか、具体的に言うと。


   認識方式ですから、音声認識の方式のやり方です。

それは実験装置かなんかで、いろいろ作業するんですか。その作業する中身

は何ですか。

   認識方式を頭の中で考えて、プログラムを組んで、それを試したりと

    か、そういうことです。

それは具体的に論文かなんかに書いていくんですか。

   開発をしますから、自分が考えた、こういう方式でうまくいくかどう

   かということを試すと。ソフト的に試せますので、プログラムで。

それを機械の中に打ち込んでいくとか何かやるんですか。

   プログラムを組むんです。

組み終わったら、文章に打ち出して報告するというようなことなんですか。

    そういうこともありlます。

あなたの上司に対して、自分が与えられた今の仕事の中身を報告するとかの

方法その他は、どんなふうにしてやるんですか。

    こういう認識方式について検討していると。こういうことではどうだ

    ろうかとか、ああいうことはどうなのかということを・・・・。

それを報告書みたいなものにまとめて、上司のほうに提出するんですか。

    はい。

整理解雇のときに、そういう仕事をしておられたんですね。

   整理解雇のときは、先程申し上げました、もう少し違う仕事です。

何をやっておられましたか。

   実験的な仕事を。

具体的に言うと何の仕事ですか。

   ソフトを組んでプログラムを動かしたりとか、そういう仕事です。

今の研究に変わったのはいつなんですか。


   一九八〇年です。

そのころからそういう仕事に変わったというんですか。

    はい。


いつから仕事がだんだんなくなったというか、はされたというのはいつごろ

からの話なんですか。

   一九八〇年ぐらいからの話です。

今言った、実験の仕事から外されたときから、、なんとなく仕事を取り上げら

れたというか、ほされたみたいに感ずると、こういうことですか。

    そうです。

控訴代理人 (中川)

甲第五〇号証を示す


    四ページを示します。下の 「継続有り」 という最終行から上に五行目の 「最
    終処分」 というところで、「未審査請求取下」 というふうな記載があるんで
    すけれども、この記載があるような特許の出願であっても、後から出された
    同じような出願を阻止するという効果はあるんですね。


       もちろんございます。これは出願をして、その後審査請求をしないと、
       審査をしないんですが、その審査をしないまま、特許の場合は七年を
       経過したので、審査請求しなかったということで取下げという処分を
       受けておりますけれども、そういうほかの出願を排除する効果を持っ
        ています。それは上から三行目に 「特開昭」 五六の一五五というふう
       に書いてありますけれども、昭和五六年に出願の内容が公開されてお
       りますので、刊行物として出ていますので、そのような刊行物に書いたものは特許としないというのは特許法の原則ですので、それはある
      と。

東京高等裁判所第一四民事部

              裁 判 所 速 記 官 津田千鶴