陳  述  書


一、経歴
 1、私は一九六九年四月に沖電気工業株式会社に入社し、一九八一年十二月に同社   を退社しました。
 2、職場名は技術部応用技術課、ユニット課などでありました。仕事の内容はプラ   ズマディスプレイの周辺回路設計、周辺回路部品の信頼性評価などを行いました。
 3、私は指名解雇反対運動の支援者としてビラの配付を行いました。
 4、一九八〇年の組合役員選挙において、原告等を応援しました。

二、職場の状況
 1、指名解雇が行われた直後の頃はそうではありませんでしたが、次第に、ラジオ体操をしないとか、ビラを受け取り続けていると、差別されるという状況になりました。私はビラを配っている側でしたが、職場で他の人に手渡そうとすると、「いらないよ」と言われるようになりました。ビラの内容に関心がないのではなく、受け取ると会社から睨まれるから受け取らないのだと、わかりました。

三、私に対する差別
 1、当時陸上部に所属しておりました。部長より退部を示唆されました。
 2、会社の行事などには一切声がかからず、参加させてもらえませんでした。例えば、職場のミーティングについても、私には連絡がなく、突然職場の他の人が誰もいなくなって不審に思っていると、私をはずしてミーティングをやっていた、という事がありました。
 3、職場では他の人に口をきいてもらえなくなりました。
 4、以前はエレクトロニクスショーに出品する作品を作れば、作った人が会場に行って客に説明するのが慣例になっていましたが、私が出品する作品を作っても会場に行けと言われなくなりました。
 5、一九七九年四月の賃金査定で、最低がつけられました。

四、業務上の必要性について。
 1、配転の理由はIC4000シリーズの販売強化の為だという事ですが、特にICの設計者がSEとして行く必要があるとは思えません。
 2、ユーザーが4000シリーズについて知りたい項目は、使用電圧は何Vとか、クロックの周波数限界、セットアップタイム、ホールドタイム、伝播遅延時間使用温度範囲等々で、データーブックでこと足りると思います。

五、田中さんの配転、解雇について思う事。
 1、以上私自身が体験してきた状況からも、当時会社は、会社を批判する人間をなんらかの形で排除しようとしていたと言えます。
 2、田中さんは組合の選挙に立候補して指名解雇後の会社のやりかたを批判しましたから、会社に対立する象徴的な存在になり、会社は田中さんを追い出したかったのだと思います。

一九九二年一月  日

住  所

生年月日

氏  名                           印