陳  述  書

一、私の経歴            

 1、私は一九七〇年三月に山形大学電子工学科を卒業しました。


 2、私は一九七〇年四月に沖電気工業株式会社に入社し、一九八七年十二月に退職するまで、約十七年間在籍いたしました。


 3、入社当時配属された職場は、職場の名称は後に何度か変わったので当時の名称ではないかしれませんが、技術一課という名称だったと思います。


 4、在職中の仕事の内容はICのパタン設計、テストプログラム、などでした。回路設計も経験しました。


 5、パタン設計を行った機種としましては、PMOSタイプでダイナミックランダムアクセスメモリーなど、NMOSタイプで変調復調回路、マイクロコンピューターなど、4000シリーズと同じCMOSタイプでリードオンリーメモリーなどであります。
そのほかCMOSのパタン設計に関しましては、他の人が設計した物のパタンチェックなどの経験があります。


 6、回路設計の機種としましては表示装置セブンセグメントのデコーダードライバーの回路や、シフトレジスターなどを設計しました。


二、職場の状況。

 1、一九七八年に行われた指名解雇の時、始めは首切りに反対した労働組合も首切りを認めてしまい、そのあと職場の雰囲気変わって行きました。


 2、争議の支援を続ける人が会社から差別を受けるようになりました。


 3、会社に忠誠を誓うかどうかの踏み絵として、ラジオ体操などが行われ、それを拒んだ人が差別される事がありました。


 4、一九八〇年に行われた組合役員選挙は、会社が推薦する候補者を職制を中心とした会社ぐるみで当選させようとする動きがありました。私はこの選挙で、田中さん達会社を批判する候補者の応援をしました。会社ぐるみの運動がある中で勝つ可能ははまったくなかったけれども、会社の中に憲法で保障されているはずの思想信条の自由がない状況があり、この選挙に立候補して闘う事は、そういう状況と闘うという意味だったと思います。

三、私に対する差別。

 1、私自身はビラを配るといった、積極的な形での争議支援はしませんでしたが、ビラは必ず受け取りましたし、カンパもしておりました。

 2、ラジオ体操は一度もしませんでした。


 3、私自身も指名解雇の後、会社から差別されたと思っています。差別された理由は仕事とは関係のない会社の要求に応じなかった事、具体的にはラジオ体操に最後まで参加しなかった、そういった事が理由だと思っています。


 4、指名解雇のあとしばらくして賃金の査定が悪くなりました、当時の上司の鎌田課長に説明を求めましたが、納得のいく説明はしてもらえませんでした。


 5、仕事もメインから外されて行きました。それまではICの設計を行っていたのですが。次第に設計の仕事がもらえなくなりました。かわりに他社のICの解析とか、特許の文献の要約とかをさせられました。他の人は忙しい状況の中で、これらの仕事はICの設計をやめてまでしなければならないほどの必要性のあるものとは思えないものでした。提出した報告書について質問をされた事もありません。私は仕事差別をされたと思っています。


 6、職場の人も以前仲の良かった人も口をきかなくなっていきました。しかし、口をきけなくなった人の中にも本心では私に対して悪い感情を持ってはいない事がそぶりで分かる人も何人かいました。言い換えれば、私に悪い感情を持っていない人でも、私に話かける事が、はばかられる状況が作られていたという事です。


 7、勿論いやな思いもしました。田中さんと同じ時計課にいた相原とは、指名解雇のあった後も二人でスキーに行くなど仲が良かったのですが、彼が出張でヨーロッパ旅行をした後しばらくして、彼の私に対する態度が急変してしまいました。彼は、指名解雇が行われようとした時は、これに反対して職制に食ってかかるような事もありました。指名解雇後も、会社に批判的な考えを持っていました。ところがしばらく後で、上司の穴田部長、加茂係長に説得されて態度を変えたという事です。ヨーロッパの旅行は出張という名目になっていますが、転向したほうびだという噂でした。
   ある時、実験室で彼が使い終わった電源を借りようとしましたところ、彼はかすまいとし、非常に乱暴な口のきき方をしました。年長者である私を呼び捨てにするありさまで、彼の態度があまり無礼なので、思わずかれの胸ぐらをつかんでしまったほどでした。相原は他の、会社に服従しない人にもつらくあたっていたようです。また相原のように率先して嫌がらせを行う者がほかにも何人かいました。


 8、総務課の御手洗課長についてこんな思い出があります。トイレの入り口のところに何かのカンバンが置いてあり、それに誰かが落書をしていたのです。そのカンバンの前で、御手洗課長と行き会ったのですが彼は私に向かって、「これは大宮が描いたんじゃないのか。」といいました。何の根拠があるわけもなく、そんな事を言われて不愉快な思いをしました。

四、田中哲朗さんとの関係

 1、田中さんとは職場が近い事もあり良く知っていました。田中さんが解雇された当時

は、同じLSI設計部の所属でありました。
 2、一九八〇年の組合役員選挙の時は田中さん達を応援する行動を取りました。
 3、田中さんが解雇される前の何年間かは田中さんが仕事をほされていた状況も見ています。田中さんが製図台で英語の本を読んでいたのを見ておりました。私も同じような状況に置かれた経験の上で思うのですが、田中さんが仕事をほされていた事実は間違いないと思います。

五、田中さんの配転の業務上の必要性についてIC技術者としての考え

 1、会社は田中さんの配転の理由を4000シリーズのSEが必要だった事であり、4000シリーズのSEはパタン設計の経験が必要だと主張しているそうですが、私は自分の経験からそうは思いません。ICのパタン設計は設計ルールに従って回路図をパタンに書いていく作業ですが、その作業によってSEとして客から受ける質問などに答える知識はつかないと思います。パタン設計に要求されるのは作図の能力です。私は規模の大きなワンチップマイクロコンピューターをパターン設計した経験があります。このような大きな規模の物になりますと、設計した私自身でもその機能を部分的には把握出来ても全体が把握出来ていない場合もあります。それでもパターンを設計する事にはさしつかえがなく、パターン設計とはそういったものなのです。

 2、私は4000シリーズを使って回路を組んだ経験があります。その際、必要なデーターはカタログに書いてあります。もし使っている4000シリーズにトラブルが起きた場合でも、パターンがどうなっているかと考える事は有り得ません。例えば、ラッチアップが起きてしまうとか、入力信号に「ヒゲ」という信号の変化時の遅れ等により生じる本来期待していない信号があって誤動作が起きてしまうような場合でも、4000シリーズが組み込まれている回路の問題だと考えて対応を取ります。すなわち電源とか入力にノイズが乗っていないかとか、ヒゲがなぜ発生するかなどの、使われている回路の点検を行います。パターンに問題があるのではないかと考える事は有り得ません。これは社外の4000シリーズの客でも同じはずです。客がパターンがどうなっているかと聞いてくる事は有り得ません。電圧は何Vまで上げられるかとか、スピードはどうかとかいったカタログの内容か、あるいはどうやればラッチアップが起きなくなるのかといった、回路設計に関する内容です。ICのSEに適しているのは「パターン屋」ではなく、「回路屋」だというのは常識だと思います。会社が4000シリーズのSEはパタン設計の経験が必要だ、とか回路が簡単だから客の質問はパタンに関する事だというのは、嘘だと思います。

 3、パターン設計者は普通自分が設計したICの評価をしますが、入力、出力の特性などカタログに示されている内容の範囲内のものであります。このような測定の経験も4000シリーズのSEに「パターン屋」が「回路屋」より適している理由になりません。

 4、パターン設計者は自分が設計したICの試作をラインに依頼しますが、プロセス技術の中身を知っているわけではありません。測定技術にしても品質保証にしてもその内容や事情を回路設計者より知っているという事もありません。

 5、また会社はCMOSLSIの設計経験がある田中さんに4000Bシリーズのパターン設計をする能力がなかったと主張しているそうですが、これもパターン設計の経験のある者にはすぐ分かる嘘だと思います。CMOSのパターン設計は規模が大きい程難易度が増します。使用電圧が違えば設計の基準が変わりますので、それを守って設計すればよいだけです。もしCMOSの設計経験しかない人がタイプの違うNMOSとかあるいはさらに構造が異なっているバイポーラ型のICをいきなり設計する事になれば、例え規模が小さい機種でも設計能力を付ける為には学習が必要ですが、同じ機種でそれまでの経験した機種より規模の小さな4000シリーズのようなICの設計に設計基準が異なっているという理由で、てこずる人はいないと思います。

六、田中さんに対する配転についての思い

 1、このような状況や私自身の体験から考えて、田中さんに対する配転は、組合役員選挙に立候補するなどして会社のやりかたを批判していた田中さんに対してみせしめとして出された物であり、会社が主張している理由はこじつけだと思います。  

 2、一九七八年に指名解雇が行われた後、争議を行う人やそれを支援する人への対応を総務課の課長や係長が異常に熱心に行っていました。特に後に課長になった御手洗係長は目立ちました。田中さんへの配転はこの人の「勇み足」だと私は思っています。田中さんは政治的な活動を行う団体である党派などにも属していないので、党派に属している人に処分をした場合より反撃が無いと考えたのではないかと思います。また党派に属していない田中さんが、組合役員選挙などで先頭に立って会社を批判する事は、党派の人が同じ事をする以上に職場への影響が大きいと考え、八王子工場からみせしめとして追い出したかったのだと思います。

一九九一年   月    日

住所                        

生年月日 昭和    年    月    日

氏名    大 宮 清 秀