陳  述  書


一、経歴


 1、私は一九六九年4月、沖電気工業株式会社、八王子工場に入社しました。
   退職したのは一九九〇年九月です。


 2、入社時の職場名は集積回路技術課技術第二係だったと思います。


 3、仕事の内容はバイポーラ型ICの試作でした。


 4、その後、バイポーラ型ICの設計、及びCMOS型ICの設計、さらに同一基盤上にバイポーラ型ICとCMOSタイプのICを構成するバイCMOSと呼ばれるタイプのICの設計を行ってきました。


 5、一九七八年の指名解雇には反対の立場での発言を行い、労働組合の役員が先頭になって行った、職制追及などにも参加しました。


 6、指名解雇争議を支援する立場を取り、また、ラジオ体操には参加しませんでした。


 7、一九八〇年の組合役員選挙では原告達の運動員として活動しました。

二、原告との関係


 1、原告とは同期入社であり、原告が部長をしていたマンドリンクラブに所属していたこともあり、よく知っています。     
三、職場の状況


 1、指名解雇の後、指名解雇に反対する人や解雇撤回闘争を支援する人やラジオ体操に参加しない人が会社から露骨に差別されるようになりました。


 2、一九八〇年以降、組合の役員選挙は、特定の候補者を職場全体が応援するようになりました。例えば、昼休みに職場で候補者の激励会が行われるようになりました。候補者が挨拶をし、皆が拍手をし、候補者に花束が渡されました。私には激励会が行われるという事すら知らされませんでした。


四、私に対する差別


 1、賃金の査定は指名解雇以前は五日ほど欠勤した年に一度だけ「劣る」をつけられた事がありましたが、その他は普通かせいぜい「やや劣る」でした。ところが、指名解雇後に「劣る」にされて以来、退職するまでの十二年間、連続して「劣る」でした。


 2、人間関係についても職場の人が口をきかなくなったり、指名解雇の数年後からは、忘年会や新入社員歓迎会にさそわれなくなりました。


 3、御手洗総務課長について次のような事がありました。一九八一年頃、私は昼休  みに毎日のようにバトミントンをしていました。相手は、名前は忘れましたが、自動車課の入社して2年目くらいの若い人でした。ある日、御手洗課長が来て、仲間に入れてくれと言いました。彼が以前から私を快く思ってない事は彼の態度で分かっていましたので、変だなと思いましたが一緒にバトミントンをしました。ところが次の日にこの、自動車課の人に、バトミントンをしようと言うと断られ、それ以後一度も一緒にしようとしてくれませんでした。理由は言って貰えませんでしたが、御手洗課長に何か言われたとしか思えない状況でした。


五、業務上の必要性について


 1、私はバイポーラ型ICとCMOSタイプのICの両方の設計経験があります。

 2、私もICのSEと接触した経験がありますが、私の知る限りではICのSEがトラブルに対応して、測定等の直接的な作業をする事はなく、設計を担当した部  所が行うのが普通であり、また、4000シリーズのような汎用品の場合、その応用例を客の技術者から要求されるとは思えません。私が田中さんから聞いた、会社の主張する4000シリーズのSEの業務内容には疑問があります。


 3、また、会社は4000シリーズの回路が簡単だからパターンに関して客が質問していると主張しているそうですが、どのような質問をするのか想像がつかないくらい考えづらい事です。


六、ICのパターン設計について。


 1、私は、原告から、ICのパタン設計でどれくらいミスが出るものかという質問を受けましたが、ミスは誰にもおこる可能性があり、LSI設計部全体としてもミスが多い時期があり、指名解雇の後しばらくして第三者による検図が行われ、の後継続しているほどであります。


七、ICのプロット図について。


 1、私は一九八七年三月頃、LSI設計部のプロットアウト装置の状況について調べてくれるよう原告に頼まれました。原告が設計したLSIのプロット図を証拠  として提出するように原告が求めているのに、沖電気は忙しくてプロットアウトする余裕がない事、企業秘密だから提供する事が出来ないと主張しているから実情を調べて欲しいと言う頼みでした。


 2、原告が在職していた一九八一年ごろと比べると、一九八七年頃はプロットアウト能力は大きくなっていました。一九八一年には2台しかなかった高速プロッターが8台になっておりました。作業はプロットアウトを含むCAD作業を専門に  行う部所が設計者の以来を受けて行います。かなり規模の大きなLSIでも依頼すれば次の日にはプロット図を受け取れる状況でした。遅くとも2日後には貰える状況でしたから、忙しくて出せないという事は在り得ないと思います。


 3、企業秘密だから出せないという事についても。それほど秘密にするような内容ではなかったと思います。原告が設計したLSIはアルミゲートと呼ばれるタイプのもので、一九八七年頃には、すでに時代遅れのタイプになっていました。プロット図は誰かが社外に持ち出そうとすれば、可能な状況でした。持ち出されないようにプロット図を管理する事もまったくされていませんでした。


八、田中さんに対して出された配転命令について。

  
 1、私は田中さんと職場が近かったので、田中さんがラジオ体操の時間に席に座っている頃、仕事をほされて英語の文献を訳していた事を見て知っています。

 それから組合役員選挙に田中さんが立候補してその後に配転命令が出された時、私は会社が田中さんを解雇したがっている事を感じました。なぜなら、以前にも沖電気は溝口さんという人に配転命令を出して解雇していますし、他の労働事件にも同じような事があるからです。会社が田中さんに配転命令を出した本当の理由は田中さんが組合の役員選挙に出たからだと思います。これは、会社に都合の悪い人には配転命令を出してみせしめにし、逆らえば解雇するやり方だと思います。

九、以上、私がここに記した事は間違いない事を述べると共に、許されますならば、 法廷で、証人として証言する事を希望します。

一九九二年一月   日

住    所

生年月日

氏    名  山崎 勇                      印

    陳  述  書

 先に提出しました陳述書の中で、述べていなかった事について、付け加えて述べた いと思います。

一、ICのパターン設計者の年齢について。
 1、会社は原告の年齢がパターン設計者としての限界に達していた事を配転の理由   としてあげているそうですが、それは事実ではないと思います。
 2、私は一昨年退職するまでパターン設計を続けており、その年齢は三十九才でし   たから、原告に配転命令が出された三十三才より、六年長く続けていた事にな   ります。
 3、私が退職する時点で、他にも当時の原告の年齢より高い年齢でICのパターン   設計を行っている人がおりました。私の記憶にある人を以下に記します。
   深沢正一氏、は私が退職する一年前に退職しましたが、それまでバイCMOS

   のパターン設計を行っていました。退職した時の年齢は四十五才だったと思い   ます。この人は原告より三才年長であり、原告が解雇された時点では三十六才   でパターン設計を行っていたと思います。
   片桐晴義氏、は現在四十才で在職しバイCMOSのパターン設計を続けている   と思います。
    (以上甲四五号証P二九)
   宮下時男氏、は原告より二才年長であり、現在四十六才で在職しバイポーラ型   LSIのパターン設計を続けていると思います。
    (甲四五号証P二八)
   阿部文雄氏、は現在四十一才で在職しCMOSのパターン設計を続けていると   思います。
   天満康司氏、は現在四十才で在職しCMOSのパターン設計を続けていると思   います。
    (以上甲四五号証P二四)

二、4000Bシリーズに関する原告のパターン設計能力について。
 1、会社は4000Bシリーズが高耐圧である事を理由に、特別高度な設計能力が   要求され、原告にはその能力がなかったと主張しているとの事ですが、これは   パターン設計の実情を知る者には、すぐに嘘だと分かる主張です。
 2、私は甲第九号証の一及び二を見ました。4000Aシリーズよりも4000B   シリーズのほうが高耐圧の設計ルールになっている事は分かりますが、特別高   度な設計能力が要求されるとは思いません。
   使用電圧が異なる事についてのパターン設計は、それぞれ設計をする上で守る   べき寸法やルールを記した「設計基準」がもうけられており、それに従って設   計をすればよく、使用電圧の違いや、設計基準の違いは設計の難易度に関係あ   りません。
 3、私は蛍光表示管用のICを二機種パターン設計しました。これはバイCMOS   と呼ばれる、同一基盤上にバイポーラ型とCMOS型のICを構成するICで   した。その一方は、バイポーラの部分に、70V以上もの電圧がかかるもので

   あり、もう一方はCMOSの部分に4000Bと同じ18Vがかかるものでし   た。どちらも高電圧に対する設計上の配慮をしなければなりませんが、それは   それぞれ、設計基準で決められおり、それを守って設計すればよいのです。4   000Bシリーズも決められた設計基準を守って設計すればよいのです。
 4、一般にICのパターン設計は規模が大きくなるほど難しくなります。4000   Bシリーズよりはるかに規模の大きなICの設計を経験して来た原告に400   0Bシリーズのような小規模のICの設計が困難であるという事はありえない   事だと思います。


一九九二年 三月   日

住    所

生年月日

氏    名     山崎 勇                   印