第2回日の丸君が代問題を語り合う会の記録
(青字は資料黒字は発言)
三輪和雄氏の講演の要旨

日本世論の会の紹介
会員数3000人。右翼ではなく、新保守主義である。

新保守は より急進、戦闘性を持つ。政策は小さい政府を良しとする。政府の干渉を阻止、官僚の力を弱める。個人の自立に期待し市民運動方式を取る。「志民運動」は三輪氏の造語。

我々の骨子は「常識」を重視する。常識とは慣習よりもっと土着的。また現実主義。また民主主義でもある。

民主主義はマイナス面はあるがシステムとして最高と考える。民主主義は手段であって目的ではない。
民主主義とは多数決で物事を決める事である。
日本には民主主義がなじまない体質がある。「死票」(むだ票)という感覚、認識では民主主義理解できない。私は都知事選で美濃部にノーを言った誇りを持っている。

アメリカは健全な国と思う。「テロ」の後星条旗が飛ぶように売れた。日本で同じ事が起きては日の丸が売れるか。そうはならない。うらやましかった。

日本はそうならない世界の基準で見れば普通でない。世界基準の当たり前の国を目指したい。
テロがあれば日の丸が飛ぶように売れるような。

外国の教科書を読んだ。どの国も初等中等、会社の社史の乗り。国に誇りを持たせるように書かれている。

 アメリカは侵略の歴史を持っている。テキサス、ハワイなどその例。それが教科書の中ではフロンティアスピリットの現れとなっている。日本への原爆投下も肯定的に書かれている。
イギリスアヘン戦争で香港を取った。淡々と書かれている。総督が去るとき香港の民主主義を憂えた。これが教科書の世界の水準である。

 この国の民主主義は根本的なところでおかしい。アメリカが日本を守ったから、これまでやってこれたのは。日本は冷戦下のアメリカの政策のショウウインドウだった。
憲法9条は日本の防衛はアメリカがやるよという意味。
冷戦が終わって日本のアメリカに対する価値は変わった。

日本のダウ1989年が一番高かった。ベルリンの壁の直後。冷戦で一番 いい思いをしてきたのは日本。
それ以後アメリカから自立しなくてはならなくなった。それまではおんぶにだっこだった。
90年に入ってあらゆる混乱が始まった。金持ちの親が死んだようなもの。
経済の問題だけではなく、国の方向が決まってないからそうなる。

 オウムが出たのもアイデンティティーがないから。我々日本世論の会が延びているのもその為だ。
 その流れの中で日の丸君が代問題が出てきた。そういう時代状況の中で。民族としてのアイデンティティーが欲しいという気持ちが高まった。

49対50でも決まったら多数決に従う。 民主主義は妥協すれば民主主義でなくなる。

第1回における世論の会の主張(複数個人の発言)
文末カッコ内は第2回における三輪氏のコメント

 @ 国家や人の集団が強制力を持ち、何らかの強制をすることは社会秩序を保つためにやむを得ない。法律、規則を守ることが求められ「上からの命令」に従うことは当然である。ある程度の「自由への規制」があってもやむを得ない。

 A 人の集団にはシンボルとなる旗や歌が必要であり、日本の国旗国歌は日の丸君が代が適切である。

 B 反対している人は日の丸君が代が嫌いだから反対しているのであり、シンボルの必要性は認めている。

 C 公務員たる者は規則に従わなければならない。だから学校において日の丸君が代に反対したり批判すべきでない。(ただし私的な場における個人としての批判は自由だ)

 D 日の丸君が代が現状で「強制」されているとは思えない。罰せられるのは常軌を逸した行動を取った教員だけである。君が代のとき座っているだけで罰せられるのか。

 E「強制」に反対するのなら校旗校歌の「強制」にも反対すべきだ。
(会社で社歌を歌うのなら国歌にも立つべきだ個人の家に日の丸立てろと言うのが強制であって、学校内は強制とは言わない)

 F 国立のピースリボンの例(意思表示だけで実力行使を伴っていない)も処分を受けて当然である。権力とはそういうものである。

 G 子どもたちの歌う自由は保障されなくて良いのか。
 
 H 民主主義は(どの様な場合でも)多数決に従わなければならない。多数決の結果に不満であれば、自分が多数を獲得して決定を覆せばよい。

 I 教員は教室においては権力者であり、子どもたちに対して大きな影響力を持っているのであるから、特定のイデオロギーを示す(押しつける)べきではない。

 J 日の丸君が代に反対している者は、外国から日本の悪口を言われたら喜ぶような人である。
 K 反天皇である人は愛国心を持ち得ない。愛国心はその国の歴史を認めるところから来ており、天皇は日本の歴史そのものである。 

 (谷沢英一の言った言葉に、世界の左翼は愛国者だが日本の左翼は日本自体が嫌いだというものがある。外国は時代により支配者が違っており、人により歴史のある部分が嫌いだが、日本の歴史はどこまでいっても天皇が出てくる。反天皇だと丸ごとこの国を愛せない。)

第1回 強制反対派の主張(意思統一されたものではなく個々人の発言)


 @ 国家に権力は必要だが、権力によって人権が抑圧されることがあってはならない。

 A 民主主義は、多数決で決めて良いことと、決めるべきではないことがある。思想信条の自由に抵触する事は決めるべきではない。

 B 日の丸君が代に反対する事と、その強制に反対することは違う。その違いを理解して欲しい。日の丸君が代の好き嫌いで反対しているのではなく、強制が民主主義に反しているから反対している。「強制」とは、従わないと罰せられるということである。

 C 「強制」に反対しているものは全て共産主義者だと思われているが、そうではない。

 D 子どもたちが学校の主権者である。社会に出たときに自分たちで考えて決めていくことが出来るよう、学校はその勉強の場である。意識有る教員は思想の対立がある問題を教えるとき、両方の考えを対等に示して子どもたちに考えさせるようにしている。

 E 中学生の年齢になれば、日の丸君が代の問題に、意見の対立があるという事ぐらいはある程度は知っている。
 全ての情報が示された中で、子どもたちが論議し、子どもたちの論議による決定が尊重されるべきだが、教育委員会、校長は議論をさせることを拒む。

 F 意識有る教員は男女の差別とか、障害者を差別するとか、異質なものを排除していく事にも反対だ。人権を尊重するような社会が必要だと教えている。日の丸君が代だけに反対しているのではない。

 G 教員組合の原点は戦前の教育を反省し、子どもを再び戦場へ送るなという考えから始まった。そのような信念を持ち発言する教員が校長などから圧力を受け、辞めていったり、黙ってしまう例が多い。

 H 日の丸君が代は、指導要領で決められているというが、最初は無かった。変えられて行った。

 I職員会議では日の丸君が代を卒業式で使わないと決めたのに、校長だけがそれに反対し、強行する例が多い。

 J 国立のピースリボンのように教員が意思表示をしたという理由だけで処分を受ける例がある。

 K 職員会議で日の丸君が代に反対の発言をしてもその事では処分は出ていないが、言質を教育委員会がチェックし目を付けられ、昇給を止められるなど差別がある。

 L 公務員だから(給料をもらっているのだから)教員は命令に従えと言われるが、給料をもらっているからこそ、責任ある教育を行う意味で強制に反対している。

私の補足

1  私は、日の丸が嫌いだから反対しているのではなく、旗や歌を強制することは民主主義に反すると考えるから反対しています。別の旗でも歌でも強制が有れば反対します。
 ただ、それらのシンボルが推進、あるいは「強制」され、それに反対したいと思う人が現れるのは、そのシンボルに何らかの「意味」がある(あるいはあると感じる)からだと思います。
 私自身は、日の丸君が代の持つ現在も続く歴史的問題を踏まえた上で、国民的な議論が尽くされ、その上で、それでも国民がこれを受け入れるのであれば、それは良いと思います。その場合でも「強制」はゆるされない。しかし、未だにその議論がなされていないと思います。

2、三輪さんは私からの質問に答えられ「民主主義を認めるからには多数決を認めざるを得ない。民主主義は少数派になった人は我慢するしかしようがない。少数派になった者はその瞬間から多数派になるべく運動をやってゆけば良い。 ということであれば、民主主義は99.99%以上多数決で決めていい。」とおっしゃいました。
 これは日の丸君が代問題の根底にある問題だと考えますので、討議の中でも時間を費やしました。再度以下の例を示します。

 例1 町内会で地域の神社や寺院の祭礼 に対し寄付を求めたり、協力することを、多数決で決議する。

 例2 国会で多数を占めた政党の支持宗教団体の宗教をその国の国教とする。国民にその宗教への帰依を強いる。

 民主主義は、多数決で決めて良いことと、決めるべきではないことをわきまえることから始まると考えます。少数派の人権が侵されたり、思想信条の自由に抵触することを多数決で決めるべきではないのです。
 多数党でも例2のような法律は作ってはならないのです。
 誰が多数、権力をとっても少数が抑圧される事のないシステム、コンセンサスを持つ事、民度の高まりが必要だと思います。
 そうでなければ、常に多数の側、権力の側に付いてうまく立ち回る者が良い目を見、社会の理不尽を指摘して改善しようとする者は常に虐げられることになりかねません。
 残念ながら、日本の(日本だけではない)「民主主義」の現状は、多数を取ったものが良い目を見る状況だと思います。
 議員の多くは国家、社会を良くしようとする姿勢を持たず(公約では美味しいことを言ったとしても)、地域や同業など仲間内の利益代表として立候補し、選挙民は社会全体に取って何が良いか、ではなく、自分に取ってどっちが得かという観点で投票しています。その為に、改めるべき社会問題を改善出来ない状況があると思います。


 
三輪1,の場合は深刻なおとがめはない。

田中 とも限らない、地域で孤立させられる例ある。

三輪 個人が強くあるか、出来なければ妥協すべきだ。

田中 だからこのようなことは多数決で決めるべきではないと言っている。

三輪 気分的には不愉快であっても公権力の行使ではない。町会の決議なってそれまでだ。

田中 従わなければ逮捕されることはないが実際に被害を被る。

三輪 決めたいやつもいる。

田中 だからそこに集まった人が、ここでこんな事を町会で決めるべきではないと言うことを知っているべきだ、というのがわたしの考えだ。

三輪 社員旅行をしようとなって行き先がばらばらだと収集がつかない。

田中 それは違うことだ。それは決めることだ。個人の人権を侵したり思想信条の自由を犯すわけではなくて、ひとつの行動を決めなければならないこと。

三輪 ウーロン茶は絶対いやだというやつがいるかもしれない。

田中 実際にある。モルモン教の人はお茶をのめないから、待ってくれということになる。
私達は宗教上の理由でお茶を飲めないからミネラルウオーターにしてくれということになる。
この場合はお茶が良いかどうかを多数決で決めるべきでない。

3「日の丸に反対をしている人達は外国から日本の悪口を言われると喜ぶかも知れない、朝日新聞のようなマスコミでも日本人としての意識を持たないことがもてはやされている。」
 この誤解は、前回の討論の中である程度解けたのではないかと期待しています。日の丸の強制に反対している人は日本を嫌いな人ではない。私もイチローが活躍すれば嬉しい。中には例外もいるかも知れないが日本の社会を良いものにしようとする気持ちで行動しています。その為に社会の改めるべき悪いところを指摘しています。
 また国に対する誇りは「神話」を根拠に持つのではなく、私たちが国民として取る、誇りうる行動によって持つべきだと思います。

 

4 「反天皇であるかぎりサヨクは愛国心を持ち得ない。愛国心はその国の歴史を認めるところから来ており、天皇は日本の歴史そのものである。」
 私はこのように考える人を右翼と定義すると思っていました。
 三輪さんが言われる「一人だけ天皇という尊い者を頂いて、その下に他は全部平等を徹底する」という考えも理解は出来ます。現に王室が存在している国がある事も知っています。
 しかし、時にそれを悪用する者が現れ「尊い者の意思」として国民を扇動し、民主主義を否定する危険があるので賛成出来ません。私は天皇個人が嫌いなのではなく、「身分の違いの存在」が必要ないと思っています。
 愛国心とは領土や天皇を愛する事ではなく、立場や思想やあらゆる「違い」を越え、全ての人を愛し、その為に、自分を犠牲にしてでも行動しようとする心だと思います。

5 日の丸を引き下ろすなどの「実力行使」を伴わない「強制」の例として、北九州で係争中の「こころの裁判」を示します。
 1996年提訴 原告十数名の教員(別々の学校)は君が代斉唱時、校長から起立して歌うことを職務命令として命じられ、これに従わなかったとして戒告などの処分を受けています。

三輪 1地域の場合暴力的おとがめ無い。 多少の我慢は仕方がない。

教員 そろえることがいいことではない。双方が気持ちよくやれるか。
分かってもらえないなら出て行け。相手を同じ気持ちにさせることが「分かる 」ではない

三輪 慎重でタイムリミットがないと何も進まない。

教員 慎重が良い、ではなく、解り合える会話が出来るか。子どもたちとも分かり合う瞬間がある。

三輪 こういう教員だったらいなくて良い、となる。

教育現場では使い分けて欲しい。職員会議では言うべき。職場で100%の言論の自由はない。しようがなう。

国家権力が権力を行使するのは正当性がある。

例2は?
三輪 こんな馬鹿なこと起きない。それでも起きたらしようがない。選挙でそうならないように努力をする。

田中 こんなことを決めないように同意を(民度の高まり)を持つべきだと言っている。

三輪 それも独裁だ

田中 独裁とはしたくないことを相手にさせることだ。

三輪 民主主義は独裁をゆるす可能性は常にある。だからそうならないように運動する。

日本の健全な時代は明治から大正 後進国的だったが夢があった。田中は原理主義者だ

いつも強い側に付く奴が出るがしょうがない。 民主主義で負けたものは冷や飯を食うのは仕方がない。

田中 そこが違う 。違いを認め合おうと言っている

三輪 言挙げをする以上リアクションはある。強くなって欲しい。あまり大げさに考えるな。

韓国のような大統領を選挙で応援した者が良い目を見るような状況は良いと言ってるわけではない。

教員 教員が教壇で命が大事だと言うとすでにその教員の思想がある。戦争は挙国一致。戦争は暴力。日の丸で統合する国のやり方が存在している。と思う。

三輪 光も影も歴史にある。それを全部とらえてシンボルがある。

教員 私は私のアイデンティティーでしゃべる。シンボルは必要ない。自分の言葉でしゃべらなければ子どもは聞かない。

三輪 差があってはいけない。子どもは教員を選べない。だからガイドラインがある。幅を持たせすぎれば不公平。収まるべきところに収まる。現政権の文部省。それが民主主義。大学なら選べるからよい。

質問
五、以下の質問へのお答えをお願いします。
@ 国民には、国家権力、政治家、役人、は時に不正、過ちを犯す性格を持っている、という認識を持ち、それを監視し、正す責任があると思いますが如何ですか。

三輪 もちろん同意。しかし悪法も法。我々は国家権力を作る側。国立の市長監視している。政府による北朝鮮の米支援国を拉致問題が解決しないのにすべきでないと批判している。

A 現在子どもたちは、大人や教師を尊敬しなくなっています。これは私たち大人が尊敬に値する生き方、価値観を子どもたちに示していないからだと思います。子どもたちにどのような人間像を期待していますか。
 子どもたちに社会の秩序を守る姿勢を養うことは大切ですが、同時に社会の理不尽を見抜き、批判し正す力を養う必要があると思いますが如何ですか。

三輪 大人の理想は、自立した人間。社会が悪いからで責任転嫁しない。問題意識を持つこと必要。

B 公務員には、自分に出された命令が国民の利益に反する事を知った場合、それを指摘し、命令に抗する責任があると思いますが如何ですか。

三輪 指摘する自由はあるが、命令には従うべき。常識で判断。製薬会社の例。基本的に同意。
常識がある。

C 教育委員会、校長は、日の丸君が代の実施に異議を唱える教員と、真正面から議論をせず、「これは命令だから従え」を繰り返します。
 信念に基づいて推進しているのであれば、その意義を教員や、生徒に納得させようとするはずだと思います。彼らは真に日本の社会の事を考えて行動していると思いますか。
 また、このような議論を排した上意下達の状況を子どもたちに示すことは、権力の行う理不尽を正す姿勢を育てないことになると思いますが如何ですか。

三輪 自由主義史観の会報でも出てた。校長は逃げ腰だ。堂々と言うべきだ。以下の3つのケースだろう。意に添わないが言わざるを得ない。全く不勉強。言いたいが言うと話がこじれる。

田中 3人教員がここにいる。校長は理由をいうか。

教員 校長は理由など言わない。命令だと言うのみ。職員会議で反対意見を言ったから給料を上げないと校長に言われ冷遇されている例がある。

田中 私も校長、教委に会ったが言わない。これが教育か。

同じ校長でも法制化の後変わった。学校現場が変わっている。

校長との関係が悪くなり職場が暗くなる。教員が生き生きできない。

三輪 会議の中で反対発言した事を理由に差別があるならそれはおかしい。

教員  会議の中で反対発言した事を理由に賃金差別が現実にある

三輪 それが本当なら言ってくれ。決まったら立って欲しい。それが民主主義。

ある程度上意下達はやむを得ない。

強制が成り立っているのは文部省の意向だけではなく世論がそれを支えている。
アメリカは教室に星条旗がある。違和感ない。(日本には議論があるアメリカにはない)

日の丸君が代だからいやなのか、国旗がいらないのか、強制が反対なのか、一致してないではないか。

教員 人によって違う。そういう議論がかっては出来た。今はそれすら出来ない。

三輪 個人の家に立てろとは言っていない。学校はある種、強制を前提に成り立っている。強制力を必要とするのは権力。権力の象徴だ。権力の象徴たる機関に、その共同体の象徴があってしかるべきである。

教員 教育は中立であるべきだ。

三輪 違う中立であれば国語は日本語出なくて良い。決まっているのだから公権力だ。

教員 指導要領の内容はおおざっぱにしか決められていない。

三輪  皆さんは権力を悪と考えている。権力は正当性を持っている。権力の正当性を認識する為には共同体の一員であるという自覚を持つことは絶対に必要だ。

田中 権力は時に民衆に悪を行うことを認識し、それをさせないことが民主主義だ。

三輪 個人に日の丸立てろはおきない。アメリカがうらやましい。

田中 楽観的だ、おきる可能性があると思っている。

沖電気では首切り安易にするなという世論が踏み絵によって短時間に変わった。急に変わるのが日本人だ。いじめが始まった。日の丸にそれと同質のものを感じるからこだわっている。

前回三輪さんは、今時日本がどこと戦争するんだと言われたが、可能性が高まっている。弾を運ぶだけだと言っても相手から見ればすでに戦争している。

三輪 一旦火急の時アメリカがまとまるのがうらやましい。バラバラの国から見れば。アメリカは皆の衆の国だ、皆の衆が殺されたからこうなっている。ブッシュがころされても、リスクをしょった公務員だからこうならない。
ビンラディンは虎の尾を踏んだ。右翼の中には白人帝国主義の終焉だざまあみろと言うものもいるが私は違う。報復しなければこれは収まらない。一回やったやつはおとがめがなければ又やる。

D 民主主義は多数決で決まる、とおっしゃいましたが。校長は職員会議の多数決による決定を無視して日の丸を強行している状況が法制化以前から有ります。これはおっしゃるところの多数決の理念に反しませんか。
 組織の中では地位の高い者は低い者の多数決、多数意見を尊重しなくて良いという事でしょうか。
 私立学校の場合は、経営者の理念や判断が優先する事はあってもやむを得ないと思いますが、公立の学校においてこれがなされると民主主義、多数決の概念が壊れてしまいませんか。

(答え 飛ばす)

E また、上部の決定に従っているということであれば、校長の上部機関である、文部科学省は現場教員や国民の多数意見、多数決を考慮していると思われますか。
 文部省は以前から日の丸君が代の実施によって国民を「指導」しようとしているように思います。国民の意向によらずこれを「指導」する権限のある機関だと思われますか。

F 「国民の多くが日の丸君が代を国旗国歌として認めている」との世論調査の結果が出ています。
 しかし、「全ての学校で日の丸君が代実施の義務化すること」としての是非を問へば、これに賛成する人は減少すると思いますが如何ですか。
 さらに、「対面式」の式を排してでも日の丸君が代の実施を義務化することの是非という形で問へば、もっと結果は変わると思いますが如何ですか。

(ここまで飛ばす)

G 子どもを指導する能力の優れた教員が、日の丸君が代に反対したという理由で現場から排除される現状があります。一方、指導力が足りずいじめに対処しなかったり、行き過ぎた体罰を行ったり、セクハラを行う教員が放置されていたり、前者に比べはるかに軽い処分がなされています。この状況は子どもたちのため、国民の利益に反すると思いますがいかがですか。

三輪  日の丸君が代に反対しているものが優れているとは思わない。義務教育の中で反対すれば、他が優れていても大失格だと思う。排除されてもしかたがない。タクシーの運転手、人格が優れていても暴走運転すれば首になってもしかたがない。

H 中学生の年齢の子どもに、教員が仮に「偏った」(本人は正しいと信じている)教育を行った場合、それを受け入れる子どもも、反発する子どももいます。「偏っている」教育を行った場合でも、何も社会的な問題提起を出来ない教員より、はるかに社会の成り行きに責任を持つ子どもを育てることになると思いますが如何ですか。子どもには社会問題には目を向けさせ、考えさせるべきではないとお考えですか。日本を嫌いな子どもを育てていると思いますか。

I 日の丸君が代に反対する人は批判ばかりして国のこと(社会のこと)を考えない人達だと思いますか。あるいは、他国の利益の為に行動している人だと思いますか。

三輪  主観の思いこみだ。皇国史観の権化のような教員が出たら受け入れるか、ということだ。

田中 例えそういう人でも受け入れるべきだと私は言っている。

三輪  学校によって差が出る。バラバラになる。それはまずい。義務教育によって差を狭めねばならない。

教員  なぜ狭める必要があるのか。

三輪  教師の色が染まる。生徒は教師を選べない。

田中 ビデオ教育するような事で良いのか。

三輪 教育とはそれに近い方がよい。教員に全人格をゆだねているわけではない。とんでもない教員にぶつかたらどうするか。完璧でない人間に裁量を与えすぎてはならない。これが今の多数派だ。

教員 良いかどうかは子どもが判断する。

三輪 子どもは白紙だから判断出来ない。

田中 子どもはだれから人格を学ぶのか。テレビか

三輪 親とか。

教員  子どもは必死で生きている。

三輪  とんでもない子どもも多いのも事実だ。

教員 子どもが「悪いこと」をした際に、ただ叱るのではなく、やったことの理由を子どもに聞けるかどうかが大切だ。

(録音ここまで2時間30分)