第3回日の丸君が代問題を語り合う会
記録
主催者挨拶

田中

 じゃあ始めたいと思います。今日はみなさんお忙しいところ日の丸君が代問題を語り合う会にお集まり下さいましてありがとうございます。私はこの会を主催しております田中といいます。

 私の素性についてご存じのない方はあそこに写真のついた資料がありますのでそれを読んで貰えば分かると思います。

 今日は、今遅れていらっしゃいますけれど、1,2回の時に講師としてお願いしました、日本世論の会の三輪和雄さん。今中央線の事故でちょっと遅れていらっしゃるようです。それから今回講師としてお願いしました、都議会議員の土屋たかゆきさん。今回都議会議員としての忙しい活動の時間をあけて頂いて講師としてお願いしました。

 この会の目的は、日の丸君が代の問題を建設的な立場でディスカッションしようというものでありまして、相手をやっつけて日頃持っている溜飲を下げようと言う、そういう会ではないので、まず最初にその辺をお含み置き頂きたいと思います。

 信念を持って社会運動に取り組んでいる人から見れば、自分の信念と違う行動を取っている人が悪人に見えるわけですけども、私がいつも思い起こします言葉は、悪を旗印に戦を起こす者はない、という言葉です。

これはいろいろの意味がありまして、戦争というものはみんな「正義の戦争」だという意味もありますし、もう一つは、

 運動というものはつまらない運動のように見えても、その人達の信念、正義感というものがある。だから自分と考え方が違っても、その内容をちゃんと聞けば、何らかの聞くべき何かがそこにある。

わたしはそういう風に思っています。

 日の丸君が代を推進している人達から見れば、反対している人達はいわゆる、日本に対する愛国心がない、そういう人達で、日本で社会主義革命をしようとしている人達だ、なんて考えている人達もいるわけですけれども、いま現実的にはこの日の丸君が代問題、教員の人がこれにかかわろうとすれば、ただではすまないという状況がありますから、おいそれとは出来ない。教育者としての信念がないと反対出来ないという状況があります。

 それを支援している人達の中にもいろいろ考え方はあるわけですけど、統一されてない部分はあるわけですけどもsそれでも、その人達は、日本の社会を良くしようと言うつもりで運動している、そういう風に思っています。

その辺のところは議論を進める中で分かって頂ければ嬉しいと思います。

 また私達日の丸君が代強制反対派から見ましても、推進をしている人達の考え方を知らない。その実態を知らない。そういうところは多いと思います。運動している立場からすれば、相手が言っている内容をちゃんと知らないで

 それを社会的にちゃんと批判できる事など出来るわけがない。だから相手が言っている論理展開の内容というものは自分なりに理解するべきだと思います。そうすれば相手の弱点も自分の弱点も、相手の強い部分も自分の相手に対して示す部分も分かるのだと思います。

 これまで2回三輪さんの話を聞きました。私はだいぶ勉強になったと思います。例えば三輪さんから指摘が会ったんですけど、日の丸君が代を反対している人達は、国家権力を悪だと見ている。そういう前提があるだろうと言われました。確かにそう言われればそんな気がします。文部省で決めた教育指導要領、これはお役人が決めたことなんだという前提があるわけなんですけど、それは私達国民が直接決めた規則ではないんですけど、三輪さんの言い方ですれば、これは国民から追認されているんだ。なぜならば選挙で選ばれた多数党が決めた内容に文句を言ってないのだから、だからそれは国民に追認されている。その正当性を認識すべきだと言われました。

これは、説得力あると思います。

 しかしですね、私は国家権力というのは、理想的なありかたというのは空気のような存在。ほんらいそれがあると言うことがよく分からないような状況が理想的だろう、そういう状況が一番平和なんだろう。今、現実的には国家権力を強く感じることが多いわけです。学校の中では日の丸君が代問題を理由にした処分があります。

 あるいは反対の意思を表明している教員に対する処分が日の丸君が代問題と連動して、直接にはその理由ではない形で起きている場合もあるわけですけども、そういう重たいものが現実にあちこちで起きているわけです。

 それぞれ個別の事案は深刻なものになっているわけで、権力が空気としての存在ではなくて、その人達、私達にとっては恐ろしいものだと実感しています。

 私は公務員といえども思想信条を理由とした弾圧を許していては、いつか国民が、全体が同じようなことを受ける。そういう可能性があると思っています。ですからこの日の丸君が代問題、たかが歌、たかが旗ではなくて、民主主義の根幹にかかわる重要な問題だと思っています。

 これは私の気持ちを言わせて貰ったんですけども、この会の進行を予めご説明しておきたいと思います。その前に資料の説明をします。

資料の説明

 ここに一番最初に書いてありますのは、ここに集まっている人はそんなことはないと思いますが、相手を攻撃することで自分の溜飲を下げようとするような人はここにいて欲しくないので、決して暴力的な言動で非難攻撃してほしくない。そういう前提で、もしこれが守れない人はこの時点でお引き取り願いたいと思います。

 論理的な展開をするなかでつい熱が入って声が大きくなる、それはやむを得ないと思いますけども、てめえぶん殴ってやるとか殺してやるとか発言した人はその時点で私が出て行って貰いますのでよろしくお願いしたいという風に思います。

 それから私の考え方が2枚目に書いてあります。愛国心の歌というのがあります。これは私の気持ちをまとめたものになっていると思います。

 3枚目は、1,2回目のディスカッションの内容をまとめました。白紙から議論するのではなく、こういう主張があったということで理解して頂いて議論して頂けると、無駄な部分が省けるんじゃないかと思います。

 最後の紙の中には日の丸君が代に関する資料がいくつか入っています。先進諸国の学校における国旗国歌の扱いは今日出席されています市野さんから貰ったデーターをそのまま写したようなものですけど、それから職員会議での発言を理由にした差別。

 前回三輪さんは発言をする自由は絶対に守られなければいけないわけで、それを理由にした差別があるのであれば、それは改善しなければならないというふうな発言をなさいましたので、実際そういう事が起きている例として示しました。

 この後、講師の土屋さんから講演して頂きまして、その後参加者の自己紹介。もし時間があれば、また参加者が問題ないというこであれば自己紹介して頂きたいと思います。

 それから私の方から土屋さんにここに書いてある形で質問して行きます。そうしながら皆さんがその討論の中に入って行く。そういう形にしていきたいと思います。

 それから今日ここで討議します内容は録音を取っています。後日のの内容はインターネットで公表しますのでご了承下さい。名前が出されるのは嫌だという方がいらっしゃいましたらそのへんは配慮して出します。

 ということでよろしいでしょうか。なにか会の進行についてご意見のある方は。

世論の会

 終了時間はいつ頃ですか。

田中

 ここを完全に出て行かなければいけないのは10時なんですけど、9時過ぎぐらいに終わるような感じで。

土屋

 うん、それぐらいがいいんじゃないですか、遠い人もいるし。

田中

 それぐらいでいいでしょうね。

世論の会

 9時ぐらいをめどに、あとはなりゆきで。

田中

 なりゆきで、なるべく終わらせようと。なかなか終わらない。今までの例だと。

 じゃあ土屋さんよろしくお願いします。

土屋たかゆき氏の講演

土屋

 どうも今日は有り難うございます。田中さんとはひょんなところで知り合いになりまして、ホームページなんか見さしていただいて面白い人だと興味を持ちまして、今日参加させて頂いたわけですけど、こういう会がもっと本当は持てると面白いと思うんですよね。

 こういう会はなかなか持つことが少なくて、賛成反対の人も一方的な事を言っておしまいということなんで、どっちみち、賛成反対にしても意見はかみ合わないんでしょうけど、多少相手の言っていることが理解できればいいと思うんですね。

 で、講演と言ってもですね、今日は雑談風にしようと思って来たんで、雑談風に話しますけど、どうも戦後の国旗国歌の問題にしても教育の問題にしてもですね、一つの悲劇があったと思うんですね。

 それは、田中さんが作ってくれた資料をざっと見たんですけど、たしかにアメリカとかそういうところでは強制はしないというところはあるんですけども、ただ少なくともアメリカの労働組合はですね、共産主義的な思想にかぶれたり社会主義的な思想にかぶれている労働組合はないんですよね。

 というときっと田中さんはですね、いや全部が社会主義者でもないし共産主義者でもないって言うんだけども、日教組なんかは彼らの運動のというか闘争の歴史を見るとね、完全に反米だし共産主義的だし社会主義的なんですよね。

 で、日教組の書記局がですね、かって作った、槇枝さんという人がですね、僕は知らないと自民党の文教部会で言ってましたけども、昔作った社会科の先生方へのパンフレットってあるんですね。それは新しく社会科の教師になった人達へっていう題だったと記憶してるんですけど、その中にはですね、社会科の教師の使命というのは社会主義革命の担い手を育てることだとちゃんと書いてあるんですよね。

 だから日教組は丹頂鶴と同じだって昔言われてたんですけども、トップだけがその、あまりそういう言葉好きじゃないんですけど、アカで、その左翼で、下は無色だということが言われていたんですけど、意外とそうではなくてですね、かなりの部分でそういう傾向があった人達が教育を支配していたと僕は思いますね。

 それは検証して、日教組の教員が全員が全員共産主義ないし社会主義的な国に日本をしようとは思ってはいなかっただろうけれども、少なくともいろんな闘争のなかでですね、彼らが主張してきたというのはまさにそうだったと思うんですね。そこの中でですね、彼らの主張というのは国家の否定なんですね。国家の否定と言うか、全部国家を否定しているわけじゃないんですけど、今までの日本の国の成り立ちを否定するところから出発しているんです。ですから、国家そのもの、アナーキストじゃないんで国家そのものは否定しないけれども、今の象徴天皇制を含むところの日本の国家体制は否定するというか、批判的なんですよね。

 だから、そこから発生するところの国旗国歌へのですね、非難があるわけで、これはアメリカの教職員組合なんかと因って立つところがかなり違うんですね。アメリカの国では共産主義者と言っただけでも準禁治産者扱いされてですね、相手にもされませんから、アメリカの共産党というのは全然市民権を得ていないみたいな、政治的にですよ。なかなかそれ以上の議席を得るとか、0,0何%の支持率ですからいてもいなくてもいいと。社会の構成の中でですよ、そういう人達がいるって言うのはある意味ではある意味ではアメリカの社会の健全性を示しているようなところがあるから、ま、そんな程度なんです。

 ところが日本はですね、社会党にしても第2党になったこともあるし、共産党もかなりの議席を持ってたことがあるんでその二つのですね、社会主義ないし共産主義を標榜するですね、政党に支持された労働組合が教育現場を押さえているというところにですね、いろんな問題点があるんですね。

 で、これは国旗国歌の問題意外でもね、例えば人権の問題にしても男女共生の問題にしてもですね、こういう人達がここに介入する事によってそうとうねじ曲げられているというのは事実なんですね。

 僕は正論の3月号に子どもの人権条例の批判を書いたんですけども、人権条約そのものはま、発展途上国の子どもたちのいわゆる少女売春だとか、それから貧困だとか飢餓だとか、こういうものを、の状態から子どもたちを救うという意図があってですね、非常に評価されるものなんだけれども、それをいつの間にかすり替えてしまってね、条約の読替をすることによってですね、変な条例の内容になっているわけですよね。

 ぼくは正論にも書いたんだけれども、審議会が2つあってですね、そこの審議会の出した答申なんていうのはですね、いつの間にか子どもたちの本当の意味の人権を養護する内容からかなら変わってしまってですね、例えば子どもが外から帰って来たと、汚い足で家に上がって来たと、当然親だから、親だからというか人間なら注意すると思うんだけれども、そうするとそういうことを注意する親というのは、子どもの遊ぶ権利を奪うものであるとかね、それから、それを放置している国っていうのは問題だっていう事なんですよ。

 で、これはですね、民主党の中でも子どもの人権条令を推進したいっていう連中がいるわけで、ぼくはそのプロジェクトチームの一員なんで、これ検証して書いたらですね、組合系の人間でもこれとんでもないと、土屋さんの言うとおりならと。まあ言うとおりなんですけど。言うとおりの事がもし答申に書いてあるんだったらね、そういう答申のもとでこういう条令が作られるのはおかしいということを言ってるんですよね。

 ですから日本の教育の悲劇というのは文部省が全部正しいとは僕は全然思わないですよ、それはある意味ではきっと田中さんとある意味近い考えもあるわけで、文部省と日教組が日本の教育を悪くしてきたと思っているんだけども、文部省を批判する勢力が健全なね、本当の意味の自由主義的な思想を持った教員グループでなくてですね、社会主義ないし共産主義が良いと、それから今国家というものは今否定されるべきだと、いうような人間が集まった教職員組合が批判してきたということにですね、問題を複雑にしている、あの、あれがあると思うんですね。

 で、僕は個人的な考えなんですけど、個人的な考えと言うか政治家の考えなんだけど、国旗国歌法案は何も、その、法制化する必要はないというのは、僕もそれには賛成してたんですよね。

 なぜかというと、慣習法という法律があるから、当然ですね国旗については日の丸であると、国歌については君が代だっていうことをいちいち述べなければいけないほどね、あの、事は必要ないと僕は思ったんだけども、しかしながら学校現場で例えば国旗国歌について教えようとすればですね、現場の先生がですね屁理屈を言うわけだ。

 どういう屁理屈かというと、法制化されてないから、実は国旗国歌については規定がないと、規定がないものについては国旗として教える事も出来ないし国歌としても教える事が出来ないという論法を取っている以上ですね、やむを得ないから法制化するというのが自民党を含めて公明党の皆さんもそういうあれがあったんだろうけども、そういう事だったんですよね。

 だから、あのー、日教組の先生方は憲法を守るということをよく言うんだけども、どうもも憲法のつまみ食いをしているとしか思えないんですよね。

 第9条については極めて声高に言うわけですよ。僕は、第9条については自衛隊は違憲だっていうのは僕の意見なんですね。だからちゃんと憲法を改正してですね、国軍を持つべきだというのは僕の持論なんです。これは学生時代から全く変わっていない。

 なんて言うとまたそれを捉えてね、土屋は好戦主義者なんていうことをですね、インターネットでよく書かれるんだけど、それ言ってるやつの感覚というかセンスを疑うんで、今の憲法の成立過程を全部調べて見ればね、今の第9条が吉田茂が衆議院の外交委員会かなんかで発言してますけども、いわゆる外交を主軸とした自衛権である、を想定したというのは間違いないわけで、それはその、今の自衛隊は合憲であるという理屈の法が極めて後で付けたね、後で付けた理屈になると思うんですよ。

 また今の憲法は硬性憲法だからなかなか解釈が難しいからですね、硬性憲法については解釈を拡大しなければならないというのは、学説の一つにあるけれど、僕はそれはおかしいと思う。ただ

田中  硬性憲法って?

土屋 憲法の改定がすごく難しいって

田中 ああ

土屋  軟性憲法と硬性憲法がある。

 だけどもですね、憲法を守ると言った以上、第一条の天皇から守って行かなきゃいけないんですね。ところが日教組の先生方っていうのは面白いもんでですね、元号は使っちゃいけない、ね、西暦を併記しなけりゃいけないとか、西暦元号の選択をしなければいけない、ね、それから天皇に対して敬愛の心を待たせるような教育はいけないとかね。

 憲法を守るって言うんなら今の日本国憲法の総体を守って行かければ憲法を守るって言う意味にならないんですよ。

 だから僕は、国旗国歌に対する批判があるというのは、北朝鮮じゃないんだから、当然、一つの国家意思のもとに国民一億2千万が動く必要は全然ないと思っているけども、しかしながらですね、主張、論理の展開をするときはですね、やはり一つの、なにか、貫かれていないと僕はいけないと思うんですね。

 ところが、教育を支配してきた組合先生っていうか、現場の先生方の多くはですね、指導者がそういう方向に持っていったからそうなのかも知れないけれども、憲法の問題についても天皇も、冷たいって言うかね、分かりやすく言えば冷たいような扱いしかしないし、それでいて第9条のところだけはね、やたら拡大をしてね、子どもを戦場に送りたくないなんていうことを言ってるていうね、矛盾があるわけですよ。

  だからこういう人達と国旗国歌の議論をして行くとですね、全く生産性のない議論になっていくわけですね。で、文部省のほうは、今度は強制を、僕は強制だとは思わないけども、押しつけようという姿勢になってくる可能性はあるんです。なぜかって言うと官僚だから。

 ところが、片一方の方は全く聞く耳を持たないんですよ。教育の現場を少なくとも少しは良くしようかという思いは無いわけだから。今の日本国の体制とというか、昔の古い言い方だったら国体というものを全然否定しているわけだから、天皇制を含めて。修正資本主義も。

 だから、そうなってくると全く対立するですね、政治的勢力がですね、文部省を政治的勢力と言っていいかどうか分かんないんだけども、2つの考え方が教育の現場に混在をするわけですよ。

 そうすると誰が迷惑をするかというと、僕は子どもたちが一番迷惑をすると思っているんですよね。

 ですから、日教組の加盟率もだんだん下がって来てですね、新教育者連盟なんかも福岡なんかでは数が多いんでですね、少し、時代とともに変わってくるのかなと思うんですけども、子どもをですね、自分たちの政治思想を持つのは僕は自由だと思うんですよ。先生方がですね、仮にアナーキストでどんな考え方を持っていてもね、これは容認をされるべきだと思うんですね。自由主義国ですから。ただそれは個人としての、例えば田中さんなら田中さんという人格の中でね自由だとおもうんですよね。

 例えば僕も最初は東武デパートというところに勤めたんですよ。で、夜は8時ぐらいまでお客様が帰るまでずっと待っているわけですよね。当然お客様が最後帰るまでですね、持ち場を離れないという職業的倫理観もあるし、それからいろんな相談に乗ったりものを売ったりいろいろあるわけですよね。

 だけどなかなか帰らないお客さんだとずっと付き合わなきゃいけないとかあるわけですよ。だからと言ってですね、

その時政治的に自分の考え方もあったからお客さんと政治的な話になることもあるけども、その時にですね、百貨店人としてのね、立場を乗り越えてですよ、自分は自民党の学生部にいてこういう考え方を持っているんで、憲法は改正すべきだ、なんて話は当然しないですよね。なぜかというと、そこは自分の勤めている職場だし、自分はそこの店員としてお客様に接している以上、その中で、その場は話していくというは、僕は、職業的な倫理観だと思うんですよね。

 ただ僕はその中で勤めてみてね、当然世の中の社会状況に興味があるから、自分はやっぱり普通の社会人としてやっていくよりは、政治の中に参加をして、その中で発言し行動した方がいいという判断があったんで、ま、親なんか反対しましたけど、政治家の秘書になって今政治家になっているんですけど、そういう選択というのが自由にあると思うんですよね。

 これがかつてのソビエト共産主義の全体主義の中みたいに絶対に職業選択の自由がほとんどなくてですね、その中でがんじがらめに拘束されているんじゃなくて、職業というのは選べるんですよね。37.57

(以上はできるだけ正確に起こしました。以下時間がなくすすまないので暫定的に代表的な言葉、意味だけを拾ったテープ起こしに切り替えます。本人の発言の真意と違う表現になっている可能性がありますのでご了承下さい。)

 学校の先生方が例えば日の丸反対君が代反対をそれを立法府の中で話すのは自由。教員として発言するのであれば職をとして発言すべきだ。

子どもたちの口を通して言わせる。子どもは判断ができるというすり替えをやる。子どもに特定の資料しか渡さない。

教材にセクハラの教材を作った教員がいる。たしかに子どもに受けた。覚えられるものだがアングラでやるべき内容。授業で使うべきでない。

その教員は、配ったが参考の資料として配っただけだとか。釈明、お詫びをせず保護者会の直前に逃げた。いきさつを中3の生徒に漏らした。校長から謝罪を強制されていると言った。

生徒は多感だ。子どもは判断力が大人より少ない。教頭のところに行って、教員を処分するのなら私達の中で自殺者が出ると言った。

だから不問になった。

国立2小の例。あれは子どもたちが自発的に言ったとされている。前の日に子どもたちに説明がされている。国旗国歌の闘争をやるのなら子どもたちを巻き込まないで学校の外でやる。いろんな方法がある。

立候補、政党の応援、監査請求。

世の中は多面的真理だ。

田中の人柄、幅広いというか寛容性、というか多面性がある。

法律を作ると言うことは何らかの権利が制限される。超法規的にはできない。

学校現場の多数決、とんでもない。

国旗国歌のアンケート賛成が多い。昭和62年、国旗国歌の指導強化についての調査60%が賛成。それが世論。

賛成している政党が多数を取っている。ルールーが気に入らないのならそういう状況を作り出す。

あらゆる職業上の制約はある。職業的倫理観と思想信条の自由は別。

私のポスターを貼っただけで町内会の役員になれなかった例がある。赤塚とか。そういうときはポスターをはずしてくれと言う。

政治宗教はそういう場に持ち込まない。肝心要のときそれを持ち込まないのは人間の知恵。

先生方は62.7ヶ月の退職金は保障されている。犯罪に近いことをやっても免職にならない。

民間会社で同じ事をやれば大変だ。

教員は保護されている以上自分の職業上のプライドを持つべきだ。国旗国歌の反対する考えは保障されるべきだからそういう人は議員に立候補すべきだ。そうとう努力しないと勝てない。

社民党から私を落とすために立候補した人で落選した。区議会議員にもどる。

教員が発言の制限がされていると思わない。

あとは質疑応答で話したい。

国旗国歌の論争。教育論争。教員は社会から隔絶している人がいる。純粋に平和を信じている人もいるが。国旗国歌に反対している人は天皇制にに反対。

日本の犯罪性だけを指摘していく。

アメリカやイギリスが世界でやってきたことを知っているはず。それを公平に出さない。日本だけが帝国主義ではなく全世界が帝国主義。

織田信長、僧侶を寺に閉じこめて火を掛けて殺した。豊臣秀吉。を批判できるのか。

その当時のルールだった。今から考えればおぞましいが。

日本が大陸に進出した背景。日本だけがわるいような。

ドイツは反省しているが日本はしていないと言うが、ナチスに責任転嫁している。

イタリーは戦前のままの国家を歌っている。ドイツは1,2をやめて3番歌っている。

イギリスはユニオンジャックの元どういうことをやってきたか。映画館では女王陛下が出てきてゴットセーブザクインが流されるた。

外国には国旗国歌の強制がないと言うが、外国には国内に共産主義的、社会主義的、左翼的な教員組合がない。

王制を否定するような教員組合が学校現場を押さえているわけでない。健全な批判がされている。

日本は違う。

反対の人はいいとこどり。本音を言わない。社会主義にしたいのを言わない。子どもの人権条令などゆがめる。

所沢高校、児童の権利手帳の中に打倒すべきは資本家などと書かれている。

子どもの扇動を大人がやってはいけない。

高校生に聞いてみると国旗国歌にみんな賛成だ。先生が歌っちゃいけないと言っているから歌わないと言っている。

産経新聞、中3の生徒の投書、歌わない自由があると教えられるが、歌わないことを強制されている。

ワールドカップ、日の丸で埋め尽くされるのが悔しいと左翼のホームページに書かれていた。

NHK天皇制肯定84%。ざまあみろと思った。

これが民意。これを否定するとなると、少数の法的根拠のない、文部省の決定を上回ることになる。これはテロと同じ。

何が何でも強制するつもりはないが、

教職員組合が目覚めるべきだ。

アウンサンスーチーの人権を守れというのなら、横田めぐみさんの人権も守れと言って欲しい。我々と共闘してください。

それだったら認める。

日教組の使節団は北朝鮮にしょっちゅう行って、金正日におべんちゃらを言っている。

美濃部良吉、北朝鮮に行って北朝鮮の空は青かったと言った。工業がないからだ。

本当の人権派が出て育つと良いが議論が50年すすまない。

国民は国家意識を自然に持つ。天皇制、国旗国歌も。

あとは質疑応答でお答えします。ありがとうございます。

1:00

田中

ではどうしましょうか。三輪さんの方から。

三輪

電車が事故りまして、遅れて恐縮です。私は過去2回この場でお話をさせていただいておりますんで質疑応答で答えたい。この場で初めての方いらっしゃる。

国旗国歌が問題になる事自体がおかしい。アメリカでは教室にもある。

法制には賛成ではない。反対する者がいるから法制化やむを得ない。賛成した。

過ちを犯した。民族の伝統、良いものだけではない。それが歴史。栄光の時も悲惨な時も引き受ける。だからこそシンボルだ。

侵略かどうかも意見分かれる。

アヘン戦争ときもイギリスのあの旗はあった。ベトナムも。

ドイツが反省していると言うがしてない。ナチスに対してのみ反省している。ビスマルクの帝国主義には反対していない。

ドイツは他国に軍を出している。反省すれば軍を出して良いのか。

いいとこどりだ。日教組的論理。

教員は教育のプロであり社会問題については一般社会人と同じ。

教員が教壇で意見を言えばオーソライズされる。職業の冒涜だ。社会問題、一社会人だ。教壇で語る事は許されない。

権力は腐敗する性質を持っていると思う。チェックは当然。権力のチェックと、反国家は違う。

後は質問を受けたい。

田中

ありがとうございました。

要した質問でやる前に聞きたい。天皇に対する考え方について。

三輪

一君万民の考え方ある。天皇は差別の象徴ではなく、天皇があるからみんな平等。戦前部落の人が天皇を評価したことがある。

私は天皇のために死ぬつもりなどない。

アメリカは天皇を羨ましがる。キングを決められない。

天皇は文化財として朱鷺より歴史を持っている。天皇を否定する理由は全くない。

王制の国は独裁がおきにくい。タイの例。天皇を否定しなければ行けない理由はない。

天皇のために死ぬつもりはない。そんな奴はほとんどいない。右翼のあんちゃんは口では言うかも知れないが逃げるだろう。

田中 土屋さんはどうですか。

土屋

今の天皇制が無理がない。アメリカが作ったにしては良くできている。普通に今の制度を守れば良い。

社会的同質性は必要だ。アメリカは星条旗。どっかで儀式が必要だ。日教組だって赤旗、戦場に子どもを送るな。スローガンで団結する。同じだ。

北海道で美智子妃殿下が被災地でお言葉を掛けた。名前まで言ってくれた。お見舞いに行くとおばあさんが喜んでくれる。代え難いものがある。ごく自然にやればよい。

田中

相当この良さを力を入れた守るべきものか。

土屋

自分の親父が飲んだくれだと言われれば子どもは親を尊敬するか。いいとこもあるという話もすべきだ。

普通に良さをしゃべればいい。

三輪

本来ならほっといていい。

戦国時代でも誰も天皇をつぶそうとしなかった。

戦後いろんな考え方が入って来て、功罪を言わなくては行けなくなった。

土屋

昭和天皇が言われた。天皇制だけ残って国民の心が離れたら意味ない。天皇制の支持率戦前と変わってない。緩やかなところで。

ネパールの王制への干渉、余計のお世話。

三輪

幅が大きい。

田中

あとで納得いくかた行かない方質問してくれ。

土屋

右翼と言っても左翼以上に違い幅がある。

かんながらの道のような人から幅がある。

田中

はい。

1番からやらないで8番からやりたい。現在日教組の姿勢はどうなっているのか。私は反米でない。中国の味方でもない、天安門許せない。北朝鮮の状態を肯定していない。

私が聞いた範囲では天安門事件を肯定するもの一人しかいない。社旗主義の国が正しいと思っている人が日の丸君が代に反対しているのではない。

上田

私も反権力と反国家ちがうと思う。私も天皇個人的に憎んでいない。絶対者がいると利用するものが現れる。どうするか。

三輪

現行憲法でも利用している。法律を通す際、御名御璽。どぎつい利用は出来ないだろう。

土屋

どんな制度でも国民がしっかりしていないと利用される。民主主義を成熟する方に力を入れるべき。

上田

残しておくといつか使われる。

三輪

天皇が口を挟んだのは2.26と終戦だけだ。言っていることは分かるが具体的イメージがわかない。

土屋

国民の風土に合ったものが出来る。八王子で鈴木宗男が当選すると思えない。大統領制でも危ない。国民の質が問題だ。全体主義的傾向に流れる率が下がるかどうか。

三輪

天皇が嫌いのものが理屈をつけている。

昔はすごい権限を持っていた。今は利用しようにも出来ない。

田中

明治憲法にしようとは思っていないのですね。

市野1:32

日の丸君が代が国旗国歌として適当かどうか。

私は天皇制大反対。偏向教育受けたわけでない。日教組でもない。私の後ろには誰もいない。学校では現代史まで行かなかった。自分で考えた。生まれながら身分の違う人がいるのはおかしい。

生まれながら別扱い。血筋で差別されることはおかしい。憲法の天皇の部分は帰るべき。

世の中では過激と思われるが生まれながら身分の違う人がいるのはおかしいというのは普通の考えだと思う。

200年前はほとんどの国が王制。今は29カ国人口比7%くらい。

おかしいと考えるのは普通の考え。近代的な感覚から常識。

もう一つは天皇の責任。天皇の名においていろんな事があったことは天皇自身も知っていた。南京事件。天皇に励まされて行った。

兵士は天皇は自決していると思って帰ってきた。まじめな人ほど。

79年、戦争責任について問われて「文学方面には詳しくないのでお答えできません」と答えた。シンパシー雲散霧消した。

原爆についても「戦争中だからしかたなかった」と答えた。戦争中でもあれはひどかったと言うべきだった。憤慨している。

平成天皇も何も言っていない。

日本の無責任のルーツ。しめった社会の理由。京都に住んで貰って文化財ならいい。。私は天皇を死刑にしようと思わない。一緒に暮らせればいい。天皇とも普通にしゃべれる世の中になればいい。

歌について調べた。訂正の事をやると。

イタリアの国歌戦前は国王行進曲。戦後19世紀に作られた歌に変わった。三色旗から王章が取られた。

ドイツ1番2番は歌わない。戦後3番だけ歌う。国旗ナチスの党旗が実質的国旗として使われた。戦後ワイマール時代のものに戻った。反省が不十分とも言える、してないともナチスにすべて押しつけたとも言えるが。

日本は3点セットそのまま。他はそれなりに変えた。

土屋1:42

イタリーの例は確認する。あの戦争は我が国だけが反省しなければならないか。蒋介石に物資を送っていたのはアメリカ。アメリカ日本帝国主義どうしのぶつかり合いだった。

大元帥としての責任は国民に対して天皇にあるが国民全部の責任だ。だまされたというが国民全部の責任。

反省をするなら

アメリカはニューメキシコを取った、だまくらかした。ハワイ侵略移民だけが議員も、フィリピンも。彼らの侵略の方がおかしい。

あの戦争は100対0で日本が悪かったか。

勝った方が正しいのか。戦争の真意は別にある。日本が開戦に追い込まれた理由を冷静に見るべき。アメリカが侵略したことはどう考えるのか。

その上で天皇の責任考えるべき。

オランダはインドネシアに何をしたか。所得の差は2万対1だった。

市野1:47

オランダ帝国主義時代に何をしたか旗歌変えてない。私も腹を立てている責任を明らかにすべき。それはそれぞれの国民がすべき私達のすべき事は私達のこと。あいつだって悪いことをした。は意味がない。

土屋

イギリス香港はイギリスが統治したから良くなった。

北朝鮮に反対だという運動をして欲しい。

三輪1:50

開戦責任と敗戦責任がごっちゃになっている。

市野

敗戦の責任なんて思わない。

三輪

敗戦責任ある。アメリカベトナムも開戦責任ない。どの国も開戦に責任はない。敗戦の責任がある。

市野

私は逆だ。敗戦の責任なんかない。あの戦争は帝国主義どうしの奪い合いの結果だと私も思う。20世紀の多少強い国同士が奪い合いをしていたのが現実だと思う。日本もそれに参加して東南アジアに行った。何がどうなってどういう前後関係があったということを世界中で討論してお互いにどう責任をとるかと考えるのは非現実的だ。そんなことは永久に出来ない。

私達は、私達の国がどういうことをして、どういう事なら責任取れるのかということをはっきりして。

三輪

日本だけが責任を取ってしまって謝ってしまったら国際政治の力学上非常におかしなものになる。謝った奴が全て悪いというのが国際政治の

田中1:52

ちょっと良いですか。

ディスカッションのメインテーマではないがそれが後ろに大きくあるんですよね。だから時間を割いて貰った。

三輪

これだけ言わしていただきたい。すごくお勉強していらっしゃるくせに目を付けていらっしゃらない。

例えば戦争から帰ってきた人が、なんで天皇はいけしゃあしゃあといるんだ、と、おっしゃいましたよね。

終戦直後天皇戦後行幸をやった。進駐軍は(天皇が)2,3発殴られることを覚悟であえて認めた。

津々浦々に行った。ところが国民から支持された歓迎された。これをどう考えるか。

市野

いろんな人がいたからだ。私がどう考えるか。

田中

日本の戦争責任が天皇なり国民にあることを見ることと、日本だけが悪かったかということは全然別のこと。

日の丸君が代に反対している人達は日本だけが悪かったと言っているのではないと思う。

土屋1:54

田中さん悪いんだけど。

永和記念館を推進しようとする人達。どんな紛争やけんかでも一方だけ悪くない。市野さんのおっしゃるのは分かる。うちの親父も同じ事を言っていた。何か批判するときに自分たちの国のことだけ我々は糾弾していくと、間違っているところはいけないと言っていくと、戦争についての国旗の使われ方とか糾弾するのはいいんだけど、世界中を巻き込んで第2次世界大戦はあったわけですから、その中でんその戦争の位置づけというのがあってね、僕は市野さんはあると思いますよ。それで国旗国歌は反省すべきだと思ってるんですよ。

世界の国で戦争に負けたから旗変えた国ない。中国我々から見ればどうかと思う教育やっている。あの国にとってはまとまるためにやむを得ない。あれだけの民族をまとめて行かなければならない。

世界中の国で戦争があって、それに対する反省があって国旗国歌を今まで全部改廃してるという例があるんなら、僕はそういう考え方もあるのかなと思うけども、そんな国ないじゃないですか。

アヘン戦争エリザベス謝ってない。日本は一方的に謝れば金を出せ、反省が足りないとなる。他はそうなってない。最初に謝罪すると力のバランスで損する。

三輪

7年の国会の謝罪決議。妄言。謝っても収まらない。賠償しろとなる。

市野

たいていの国は国の大本原理が替わると国旗国歌変わる。アフガン。

日の丸君が代。君が代戦前実質的に国家だった。戦後もつながった。

天皇は戦前と戦後は全く変わった。

戦前はある意味では相応しい。

戦後は天皇のあり方が変わった。国の権力の元が国民に移った。国のありよう仕組みが変わった。

君が代でもめるのは理由がある。戦前のものをそのまま引き継ごうとした。強引にしようとした。2割以上は違和感を持っている。

国歌は何のためにあるか。一体感、帰属意識持たせたいためにある。であれば、なるべく違和感を持つ人がない歌が良い。

天皇制を指すような歌ではないほうが良い。

文化は変わってはいないが国のありようが変わったのだから変えてしかるべき。

三輪

市野

もっと問題のない歌にすべき。

三輪

具体的にどんな歌があるか。

市野

戦後多く提案された。

緑の山河

桜、上を向いて歩こう。

外国の国歌はその国の風土などをたたえる歌がほとんどだ。

       2:08     録音終わり