2007年1月3日

マリーの家でコンサート
今回初めて日本語の原稿を使い英語のコンサートを試みました。
英語の原稿だと読んでしまうので自然でなくなると考えました。
結果は好評でした。

皆さんにクラシックCD「門前のトレモロ」を差し上げました。

ブルーマウンテンの市長、Jim Angelさん。労働組合運動を長く続けて来た人だそうです。

ブルーマウンテンは仙台市と姉妹都市なので仙台に行ったそうです。

カトゥーンバの町

夏の国に行ったはずでしたが、寒い日が多くまいりました。

Tシャツで過ごした日もありましたが、セーターにダウンジャケットまで着た日もありました。

シドニーから1時間くらいのところ海辺の別荘町、カトンガで2泊しました。

マリーの友人ジェフ(左端)が夏の間借りている別荘。

右へスカーレット、アラン、ルース、シャローン、マリー、マーク、

座っている黒人の子はジェフとシャローン(連れ合い)が休暇の間南アフリカから呼んでいるトゥーソー。その隣は友達の近所の別荘の子。

ジェフはテレビのプロデューサー。マリーとメディアの仕事で知り合い20年の付き合い。

行った次の朝ジェフが釣りに連れて行ってくれた。

ジェフとアラン

ボートから釣る。ブリムという鯛の仲間やフラットヘッドというコチの仲間、その他が釣れたが、魚ごとに一定の大きさ以下ものは逃がす決まりになっており、持ち帰ることが出来る大きさのものは私が釣ったブリムだけだった。それも入れていた網がスクリューで破れて逃げてしまった。

釣り好きのジェフは私を「釣りの同志」(コモレイド オブ フィッシング)と呼んだ。

釣果が無いことをわびていたが、私は「我々は仏教徒釣り師だから殺生をしないですむ釣果ゼロでもハッピーなのだ」と言った。

カメラを持っていって釣った魚の写真、そばに来るペリカン、シーイーグルという鳥などの写真を撮ればよかった。

乗ってきた車がある向こう岸には小さいエンジンボートで渡る、こちら側には車の通る道はない。

いたるところに自生しているカキ(この殻で足を切る人が多く危険、私も少し指を切った)をえさに釣ってみようとしたが、身が小さく柔らかすぎ、針にかからず使えなかった。

ここではクラシックのコンサートをした。

BGM(バックグランドミュージック)として弾くから懇談していて欲しいと言って始めたが

BGMは通じず「ウオール ペーパー ミュージック」(壁紙音楽?)と言っていた。

近所の別荘の子供達とも交流しました。

カトゥーンバのあるブルーマウンテン地区(ユーカリの葉などから出る物質で遠くの山並みが青く見えることが由来らしい)は世界遺産。

マリーの家から徒歩で観光スポットにいける。

有名な「スリーシスターズ」

妻の買った観光案内の本の表紙がこれだった。すごいと思ったが、実物は周りの風景に比べて小さく、マリーは「スモールスリーシスターズ」と言って笑っていた。

マリーとマークの家は20何年か前に中古、500万円で買った。思っていたよりでかい。

独立したバスルームとキッチン、また庭には「離れ」(物置?だが住める)があり、我々の他、マークの姉 スカーレットと夫のアラン、(イングランド在住、二人は建築の仕事を退職して1年の予定で旅行中。ここに滞在して3ヶ月。このあとベトナムに行く。) 妹のルース、(イングランド在住、グラフィックデザイナイー)マークの学生時代からの友達のピーター(メルボルン在住。画家、テレビのスタジオセット制作者)と妻のローズ(クロスワードの制作者)合計7名がいたが狭くない。

ピーター

1000平米以上の敷地には大きな木が沢山あり、いろんな鳥が飛んでくる。あまり手入れをしておらず、ジャングルの趣。

左からローズ、ルース

みんなお茶やコーヒーが好きで「A cup of tea?」としょっちゅう聞いてくる。

替わりばんこに得意料理を作った。

この日はローズが作ったベトナムカレー。

美味かった。

我々が大量に作ったざるそばはあっという間に無くなった。

マークとマリーには私の家で何回か食べさせて(つゆだけ飲むのではない、つゆに浸ける、と教えた)彼らが喜ぶことは知っていた。

餃子、(これも大量に作った)親子どんぶりも好評だった。

娘のモーガンはビデオの編集を手伝ってくれている。夫のアングスとボンダイビーチにて。

 

近代的なビルの中に100年以上前の建物が沢山残っている。多くはサンドストーン(砂岩?)で出来ているという。

シドニーのタウンホール。

趣ぶちこわしの広告の例もある。

マークもマリーも、冬休み中だったこともあり、活動家仲間を集めることが出来ず、(というかその気がなさそう)完璧にバカンスモード。

交流したのはもっぱら家族と友人。

ライブ2回では29日の座り込みまで変更して行ったにしては、遊んでばかりで少し後ろめたい気もしたが、

しかし、英語原稿なしでコンサートをする自信がついたのは大きな収穫だった。

・・・・・ことにしよう。

それにしてもみんな気の良い人たちで、よくもてなしてくれました。ありがとうございました。

2007年1月7日