2003年4月29日

はるばる大分から国労闘争団の勇者赤峰さん。ビデオプレスの佐々木さん松原さん。ご参加ありがとうございました。ともに頑張りましょう。

午後から参加された川井さん森原さんと通りすがりのお坊さん、ごめんなさい。やはりデジカメが故障でした。今修理に出しています。

以下は赤峰さんが書いて下さった文章です。

沖電気の門前に日本社会の実態が見える
始めての門前訪問


 4月29日に、「沖電気株式会社」の正門に足を運んでみました。会社見学に出向いた訳ではありません。この会社から不当に解雇されて以降、21年間も門前に立ち歌い続けている一人の「闘士・田中哲朗」さんに会いに来たのです。


 沖電気のある高尾駅は、東京駅から中央線快速列車に乗って1時間30分ほどかかります。東京の地理にうとい私ですが、東京は以外に広く、高尾は遠いと感じました。


 高尾駅から徒歩5分ほどで沖電気の正門に着きました。10時からの門前抗議行動には、まだ20分ほど時間がありました。指定席(田中さんの)には、まだ誰も来ていないことを確認した私は、沖電気の敷地をぐるりとまわってみようと思いたちました。その思いは歩き始めてすぐに「あきらめ」に変わりました。とにかく沖電気会社の敷地は、広くて広大なものでした。


 正門に戻ってしばらくすると、10時きっかりに、ギターを背負った田中さんが、バイクに乗って登場しました。握手を交わし二言三言会話をしている間に、田中さんの奥さんが車で到着しました。門前行動グッツ(立て看板・イス・日よけパラソル・スピーカー等)をテキパキと下ろし、あっという間に、門前行動の準備完了です。その間、守衛が一度、「ここは会社の敷地ですので出てください」と看板を外しました。すでにお互いの「あいさつ」みたいなもので、田中さんが「じゃましないでよ」と、一言いって準備完了です。

門前で能面の顔になる人々


 田中さんと世の中について、あ−だ、こ−だと語り合っていると、ビデオプレスの松原・佐々木さんの登場です。田中さんが入れてくれたおいしいコ−ヒ−をいただきながら、いろんな話しを聞かせていただきました。私にも議論や会議の場はたくさんありますが、この日、沖電気の門前で3人の『人間』に囲まれてのお話は、久方ぶりの楽しい一時でした。


 当日が休日と言うこともあり、社員の出入りは少なくいつもの雰囲気ではないとのことですが、それでも社員専用のスポーツ施設でテニス・野球を楽しむ人たちや休日出勤する社員など、決して少なくない人々の出入りがありました。


 飛行機の時間もあり、3時までの座り込みにお付き合いすることができない私に、田中さんは二曲の歌を聞かせてくれました。もちろん会社や世間に対してしっかり訴えるための門前行動としての歌です。道行く人は、一瞬立ち止まり、怪訝そうな顔をして通り過ぎていきます。


 しかし、沖電気から出入りする人々の対応は明らかにちがっています。総ての会社関係者たちは、そこに「田中哲朗という存在はいない」とでも言うように、決して目を向けず、ましてや立ち止まることなどなく、「完全無視」して通りすぎます。固く無表情を装うその姿に会社の飽くなき不当な意志を感じずにはいられませんでした。入社して数年の若い人などの表情から、見事に押しつけられた戸惑いが感じられます。


 21年間、門前に立ち続けた「鉄の意志」に対する会社権力の対応は「無視」という姑息な手段でしか対抗できないということが、沖電気の門前で毎日繰り返されています。表現の仕方に問題があるかもしれませんが「見事に日本社会の実態を実感できる現場」と言えます。
一人でも闘い続ける決意がなければ・・・


田中さんの話の中で私の心に残っている言葉が二つあります。一つは「私と同じ立場で闘う仲間が後3人いたら・・・」、二つ目は「立場(左右・党派)で人間性は判断できない・・・」


 「3人いたら」の話しは、300人もいる国労原告団に取っては痛い話しです。一人で闘う決意が持てない者が集団を作っても「烏合の衆と変わらない」との提言だと受け止めました。


 「立場で」の話しは、左翼や革新を標榜し平和や民主主義を声高に語る者ほど平気で変節・転向し、何食わぬ顔して生きていることに対する怒りからだと思いました。


 2月に続いて大分の地で、5月31日〜6月2日まで4会場で「田中哲朗コンサート」が開催されることに、私は、なんとも言えない不思議を感じています。田中さんが、21年間のどこかの場面で闘いをやめていたら・・・もしくは、私がやめていたら・・・はたまた国労組織がここまで変質しなければ・・・「人らしくいきよう−国労冬物語」が作成されていなければ・・・


 人との出会いとは「不思議なものだ」と、つくづく感じました。しかし、この出会いを作った時代や情勢には、怒りを持って向き合い、「それ」との闘いの中で出会った人々には、心から感謝しつつ、与えられた人生を生きていこうと「沖電気の門前」で決意を新たにした私です。