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<ハンギョレ21 2006年06月29日 第616号>
公子センセイ、日の丸とたたかう


強制命令に不起立で抵抗して懲戒をうけたある日本女教師の闘争…「戦争の象徴を教えることはできない」不当な停職・転勤命令に一人示威中
□東京=ファンジャヘ 専門委員jahyeh@hanmail.net


 梅雨を前にして暑い日ざしが容赦なしにふりそそぐ6月初め、東京都立川市の立川第二中学校。固く閉まった校門の前にさびしく毅然とした「一人示威」が続けられている。根津公子(55)。ちょうど2か月前までは、この学校で家庭科目を教える人気教師だった。閉められた校門を後ろにして一人がんばらなければならない理由は、通学自転車のハンドルの籠に入れてあるプラカードが物語っていた。

2004年3月の後350余名が懲戒を受け


 「日の丸の前で起立しなかったとして3か月間停職させたのは不当です。学校はただ一つの思考だけを強要するところではありません。なぜ君が代の意味と歴史を生徒に教えないのですか?」

 東京都教育委員会(都教委)が2003年に出した「10・23通達」以後、各学校の入学式と卒業式前には必ず校長から各教師に「職務命令書」がおろされる。そしてこれが日の丸掲揚時に起立しない教師に対する懲戒の根拠として作用しはじめた。「10・23通達」は2004年3月から起立拒否教師の処分を開始し、今まで350余名の教師が懲戒を受けた。はじめには警告が与えられるが、回を重ねるほどに減給2か月、6か月、停職1か月、3か月と強度をまして行く。


 ところで、根津公子教師の場合、最初から6か月減給処分を受けた。そのうえに昨年の入学式と今年の卒業式の時それぞれ1か月と停職3か月処分が加えられた。20歳の時から始めて35年教壇に立ってきた根津教師の履歴は一言で「懲戒まみれ」となり、ついに都教委指定の「要注意人物」となった理由は何か。


 ちょうど1994年に起こったある事件のためだった。東京都八王子中学校に勤務して4年目になった年。校長が職員会議の決定を無視して日の丸を掲揚したのが禍のもとだった。生徒たちもまた大勢が反発してたちあがった。
「日の丸掲揚ができなくしよう」「言葉ではだめだ。日の丸を引きずりおろすんだ!」


 生徒たちは力の限り叫んだ。その時、生徒らの反発にはおかまいなしに一方的に掲揚された日の丸掲揚台の前に駆け寄っていった人がまさに根津教師だった。みんなの前で「静かに」そして「堂々と」日の丸を下ろした。


当時、生徒らの反発はこの学校で根津教師が耕しつづけた平和教育の結果だった。周辺の学校まで噂になるほどに日の丸・君が代問題に対する生徒たちの理解度が高く、彼ら自ら反対の声を高くしたのだった。このような状況の中で出た「日の丸強制命令」が災いして彼女は「減給1か月」の処分を受けた。またこれを契機に都教委は「10.23通達」以後、根津教師が反抗するたびに強度を増した懲戒を下しているのだ。はなはだしくは生徒たちに与えた資料に日の丸の「ひ」の字が入っていても訓告(注意)処分を下したりする。


「先生、ガンバレ!」放課後生徒たちの応援


 それだけではない。本来、公立学校は一つの学校に3〜7年勤務したら転勤するようになっている。ところが石原都知事に忠実で評判の都教委は、自分らに目障りな根津教師を1年で他の学校に転勤させてしまった。すでに他の学校に発令がおろされた根津教師は、一週間の半分は現立川第一中学校前で、そして残りは転勤が確定した新しい学校の校門の前に行き、毎日のように日の丸処分の不当性を訴える「一人示威」を続けている。


 放課後、閉められていた校門が開かれ、生徒たちがつぎつぎ群れになって出てくる。根津に挨拶を送る生徒たち。「センセイ、ガンバレ!」「先生、まだ復職できないの?」根津教師周辺に生徒たちが集まってきて、先生はあたかも授業を終えて帰る生徒たちと校門前で特別放課後授業でも行なうような、自然な雰囲気を作り出した。
授業時間で充分に理解できなかったことを質問する生徒、学級のことを報告する生徒、先生の自転車の側に行って日の丸について聞く生徒たち。彼らは根津教師に対して、皆同じように「私たちが理解しやすいように説明してくれて、多くの経験を聞かせてくれるから、最高!」だと異口同音に言った。


  このように生徒たちに人気があり、認める教師が、都教委の指導下に、校長を始めとして地域の右翼勢力まで「不適格教員」と攻撃を受け、日の丸問題で不当な処分を受けなければならないのだ。日本軍慰安婦問題や日の丸・君が代の歴史を教えようとすれば「授業監察」を行い「指導力不足」という烙印を押して学校に来られなくするために、教師の間で「収容所」と呼ばれる研修センターに入れようと必死になるありさま。

 これはまさに「日本国石原東京都の日の丸・君が代強制教育委員会」の現在のあり方だ。このような現実にあっても根津教師は淡々と話す。「教師である以上、自分に問題があると考えることはできませんよ。戦争の象徴である日の丸を強要することに服従することはできません。解雇が目前に見えて、だんだんと近づいて来るのを感じるけれど、間違った事は間違いだと言って争う姿も生徒に見せてやらなければなりません。これも教育の一つですからね。」


決定権のない小中学校教師はもっと劣悪
日本で日の丸・君が代の強要が正しいと考える教員はほとんどいない。ただ教職員会が決定権を持たない小学校と大部分の中学校は学校内の権力関係によって発言ができないのだ。

しかし、高等学校では処分教師に対して支持・支援してくれる同僚教師たちがおり、共に連帯することができる雰囲気だ。教師たちの中でも今の日の丸・君が代強制がどんなに恐ろしい結果をもたらすのかについての自覚の程度はそれぞれ異なる。
しかし350余名に達する「日の丸の前での起立拒否」のために処分を受けた教師たちとともに根津教師が「処分まみれ」を自認しながら不断に抵抗する理由はただ一つだ。まさに教師が率先して生徒たちを戦場に送った「60年前の日本のような道を再び歩むことになるかも知れない」という恐さと冷静な自覚のためだ。
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卒業式の日、虚をついた知恵
「司会者の権限」で東京都教育委の統制を迂回暴露した井黒豊
東京都教育委員会(都教委)の「10・23通達」以後、入学式・卒業式時には全教師に下される職務命令書には「国歌斉唱時は国旗を見つめ、必ず国歌を斉唱しなければならない」という項目がある。


 そして入学式と卒業式の2週前までに都教委にきっちりとした細部計画を建て報告書を提出するようになった。番号を明記した教師の座席配置表、日の丸掲揚時の国旗の正確な位置、そして受付及び警備担当教師が誰なのか、国歌斉唱は式順のどのあたりに行なうことになるのか等、細々した内容を含んでいなければならない。


 東京足立区のある都立高等学校の数学教師井黒豊(46)が事を起こしたのは校長から職務命令が下ろされた後で挙行された今年3月5日の卒業式の時だった。彼に司会をさせたのは学校の立場から見ると禍根であった。井黒教師は職務命令に「虚をつく」方法はないものかと考え抜いた。今年になり、生徒と保護者まで「適切に指導すること」を項目に入れ、教師に強制することに対して何かが必要だという判断だった。「だいたい適切な指導とは何だ」と聞いても校長と管理職教員は答えを避けた。ただ「(国歌斉唱時に生徒と父母に向かって立つなとか歌うなと言ってはならない」とだけ言った。都教委の「操り人形」である校長と管理職教員に問うてみても通じるわけがなかった。


 司会を受け持った井黒は円滑な(?)進行のために台本をあらかじめ準備して、式典の案内放送でいきなり「事件放送」をやったのだ。それが日の丸・君が代よりもまず先に場内に鳴り渡った。


 「都教委から下ろされた指導内容についてご案内いたします。わたくしたち公務員には憲法98条と99条にあるように、『最高法規である憲法の尊重とその援護の義務』があります。これに従い、3年前までは式典で『人間には一人ひとり内心(良心)の自由があり、これを侵害することはできない』という趣旨の説明をして、学校の卒業式で皆さんに何かを強制することはできないことを確認いたしました。

しかし2003年10月、都教委で当時の教育長であり現在東京都の副知事になった横山洋吉の名前で全校に通達が下ろされ、その後にも数次の通達と校長の強い指導がありました。現在は校長から各教師に職務命令が下され、命令に従わなければ処分があるかもしれないという強力な指導のもと卒業式が執り行われています。特に国歌斉唱の時は日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱することが指示されました。今年はわたしたちだけではなく生徒の皆さんにも同じことが要求されています。このような指導を受けたところ、今日の卒業式では皆さんに『内心の自由』があるという言葉も、『強制しない』という言葉もここで確認することは不可能です。都教委の学習指導要領に基づいた指導事項に対してご案内をいたしました。」


 これに対し、この日列席した公明党のある国会議員が司会者に対する非難の文を自分のホームページに載せた。「日の丸掲揚、君が代斉唱に対してとんでもないことに内心の自由を云々した」というものだ。


 これによって井黒先生は「卒業証書授与式の司会者として参加者に『適切でない』個人的な見解に関して発言」「校長及び副校長等が全部で5回命じたのに発言をやめなかった」「教育公務員として教職の信用を失墜させ、教職全体の不名誉となるもの」として「同法33条違反として、今後このようなことがないよう文書をもって厳しく訓告(注意)処分する」という内容で、都教委から「文書訓戒」という処分を受けた。


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なぜ日の丸・君が代を拒否するのか
第2次世界大戦動員の道具……1999年国旗・国歌法で法制化
□ナムジュンヨン記者 fandg@hani.co.kr


 日本の市民社会は日の丸(日章旗)と君が代を過去の侵略主義の象徴と規定して反対している。第2次世界大戦当時、日本政府はこのような国家的象徴物を動員して鼓吹した愛国心で日本とアジア民衆を戦争に駆り立てたからだ。だから日本の進歩的な市民は日の丸の前で礼儀を表せず、君が代も歌わない。君が代は「天皇の統治する国は千年、八千年まで、砂利の小石が大きな盤石になり苔がむすまで」という内容をもっている。

 しかし自民党と政府は1999年、市民団体の反対の中で国旗・国歌法を制定し日の丸と君が代を法制化した。日の丸と君が代がそれぞれ日本の国旗と国歌になったのだ。東京都教育委員会はさらに一歩進んでこれを拒否する教師らを懲戒することを開始した。東京都教委が2003年出した「10.23通達」は「国旗は舞台正面に掲揚し、教職員は立って国旗に向かって国歌を斉唱しなければならないという内容をもっている。