ところで、テレビドラマに登場する裁判は決まって長いやりとりがありますが、現実の裁判は、特に初めの数回は、開始後1〜2分の書類の交換だけで終わり、というようなこともしばしばです。ですから、くれぐれも、時間に遅れないようにしてください。
今回は、冒頭に本人の陳述がある予定ですので、特に時間に注意して早めにいらしてください。また、終了後に、弁護士さんの報告・解説や本人からの報告があります。弁護士さんの解説を聞いて、「ああ、なるほど」ということがたくさんありますのでお聞き逃しのないように是非ご参加ください。
石川中教育裁判について
○授業を問題にしたのは 1999年2月 ○処分日 1999年8月30日
○石川中から多摩中に異動 2000年4月1日 ○提訴 2001年2月20日
○裁判支援集会 3月16日
○第1回公判 4月12日午前10時東京地裁八王子支部
○カンパをお願いします 郵便振込先 古荘斗糸子 00150―1―1929
○会員募集中 年会費2000円 連絡先にて受付中
八王子市教育委員会は今年度の卒業式で、「舞台の正面に日の丸をはれ」、「八王子市の旗を掲げろ」、と校長達に有無を言わせない強い口調で指示したと言われています。
八王子で教員生活を長く続けた校長の中には、いままでそれなりに学校事情を考え、少々妥協していた校長もいました。しかし今年は校長の言い分を一切認めず、「教育委員会のいう通りにしろ」と教育委員会は強い姿勢を打ち出してきたといわれています。
根津さんは問題になっているプリントを授業で使う前に校長に見せ指導を仰いでいます。これに対して校長はなんの異議も挟みませんでした。
この事は石川中の教員ほとんどが知っています。私は石川中教員代表として校長と何度も交渉をして校長ともその事は確認しています。ところが根津さんの授業に対する報告書を校長は市教委に出す時、この事実を隠そうとしたのです。
私は「その報告書が事実に基づいているか知りたいので見せてくれ」と校長にせまりました。
校長は「根津さんを陥れるような事は絶対しない。私を信じてくれ」。私もごまかされそうになりました。まさかうそを書くとは思いませんでしたので。
しかし一抹の不安があったので2日間粘り、ついにその報告書を提示させる事ができたのです。その報告書を見て愕然としました。今でもあの報告書が教育委員会にいっていたらと思うとぞっとします。根津さんは今確実に教壇にはたっていないと思うからです。
それほどでたらめで怖いものでものでした。根津さんが事前にプリントを校長に見せた事など一言も書かれていないどころか、勝手に授業で使ったようにかかれていたのです。
当然書き直しをせまりました。そしてやっと書き直させる事が出来たのです。書きなおさせるのにも1日かかったと記憶しています。
報告 金谷フミエさんから寄稿 初めに、度肝を抜かれた八王子駅前通りの20台もの右翼の街宣車。
以前、同じ場所で見かけた20数台に次ぐものだった。集会の1時間以上前から、大音量で個人攻撃を続けている。住所や実名をあげての騒ぎに本当に驚いてしまった。
こんなことが許されていいのだろうか。夕方の混雑する時間帯に駅前通りを占領しているというのに、何の取締りもなく、やりたい放題というのは、どう考えても納得がいかない。一方でピースリボンを着けただけで処分される状況と、この右翼への無放置と、まったく日本は何という国になってしまったのだろう。
しかし、集会が始まると、次々にやってくる人たちで会場はいっぱいになった。年輩の方の多いのに驚かされる。中にちらほらと若い人たちの姿が心強い。座席も資料も足りなくなった。人が大勢集るだけでも、何だか元気が出てくる。
まずは、根津さんが石川中で同学年を組んできた同僚だった方のお話。「根津さんじゃなかったら、私はこういうところには来ない人間なんです」と言う彼は、「私たちの学年の目標は、考える子どもを育てる、だった。根津さんのやった授業は、その一環だった」ときっぱりと言った。
萱野弁護士から、国旗国歌法制化以後の初の本格訴訟であり、おそらく長い裁判になるだろうが、全力で取り組む、との心強い挨拶。憲法23条学問の自由、26条で教育の自由が保障されている。第1に、教育の自由への侵害、第2に、プリントの内容そのものの正当性、第3に、処分の手続きの問題、第4に職員会議の内容については、通常生徒にも伝えることがあり、秘密を漏らしたというようなものではない、との4点を中心に主張していきたいとのこと。 この裁判を元気よく明るく闘っていきたいと、お子さんの入学式での経験も踏まえて話された。
田中哲朗さんの語りと歌は心に響いた。日の丸は踏絵である。踏絵は、やっていることは簡単でも一歩踏み出すと、権力に対抗できなくなってしまい、最初突きつけられた時はやらなかったであろうこともやってしまう。
教員に、解雇されることは勧めない。解雇されない範囲で自分を貫きうる行動はあるだろう。私自身は、クビになることでかえって自由になった。自分の身のまわりでやれることをやろう。
日の丸が小・中全校で実施され、屋上から室内へ、三脚から壇上正面へ、君が代奏楽から「国歌斉唱」へ、フロアー形式から壇上へと、年ごとに強制の強まる現場にいると、ひしひしと身に迫る言葉だった
。状況が厳しいからこそ、今自分がいるこの場を大切にして、今自分にできることを真剣に追求していかねばと思った。
永山高校卒業生の話も国立二小保護者の話も元気よく明快で共感を覚えた。「茶髪・ミニスカート・ピアスの高校生が、日の丸・君が代のことなんかわかるはずがない」「偏差値45だから大学進学は無理」「お前のアタマで四大(4年制大学のこと)は無理」といった決めつけの中で、状況を切り拓いてきたこと、こういう高校生たちがいることに、希望を感じる。
「卒業式・入学式は一体誰のものか、もう一度考えてほしい」。管理職に、行政担当者に、ぜひ思い出してほしいことばである。
国立の保護者の方は自分の頭で考える子どもを育てる教育が潰されようとしていくことを、親として黙っていられない、今の世の中が大きく変わっていくことを大人として黙っていられない、と話された。
行政の人々には人権意識がない。「何で日の丸を揚げたんですか。」と子どもたちが聞いたことが問題とされ、校長が報告書をあげた。現在人権救済の申し立てをしている。もし、子どもたちの言動に何か問題があったとしたら、その場で諭すのが教育者なのに、それをしないで報告書をあげたことが許せない。
70台もの右翼の街宣車に、最初はとても恐かったが、今は慣れて、季節ものという感じになってきた。PTA役員会でもだんだん理解者が増えてきた。クリスチャンの音楽の先生が今、君が代のピアノを弾かされそうになっていることを何とかしたい。
たくさんの報告で、時間に追われ、交流し合う時間がなくなったのは残念だったが、こんなにもたくさんの人たちが、それぞれの場で、それぞれに闘い続けている。しかも、ひどい状況の中で、ユーモアさえ持って、したたかに闘い続けていることに感銘を受けた。
校長や来賓だけが壇上で、子どもたちや保護者・教職員はフロアーでなどと、冗談で言っていたら、神奈川では実際に行われたそうで笑ってしまった。客観的には笑ってしまうような陳腐なやり方が、堂々とまかり通ってしまう現状は、本当はとても残念な、在ってはならないことなのだけれど、私たちの側も時には笑い飛ばしてしまうくらいの明るさとしたたかさを持ち続けねばと思った。
子どもが自分で考えて
行動したことを、権力は必ず
教員の扇動だというけれど、全く
違うということがよく分かった。
本当のことを知れば、小学生も
(国立)、中学生も(石川中)、
高校生も(永山高校)みんな
自ら行動を始めるのだ
ということが実証された
集会だった。 おうぼうな
参加者の声 しきょういを
こらしめて
やろう
根津さんの教育への姿勢がよく分かる集会だった。
「よく考えて、自分で判断する人間」
同じ言葉を文部省も言えば、都教委も
言う。いろいろな学校の研究のテーマにも
この言葉はなっている。
でも、いいかげんなところでお茶を濁して
いるのが「普通の学校」なのだ。用意周到に
お膳立てされた研究会が終わればテーマも
どこかに行ってしまう。子どもの身には
つかない研究だ。根津さんは、テーマを毎日の
教育実践に生かしている。テーマが子どもの
中で生きている。行政はそれを扇動という。(H)
お願い
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∇裁判費用着手金および今後の費用のカンパを、ご自分の財政の許す方には、お願いできたらありがたいです。
郵便振込先・番号 古荘斗糸子・00150−1−192951