多摩中版発行;石川中裁判を支える会 連絡先;0426-64-5602田中
ほうせんか5号 

多摩版 内容案内

@「指導力不足等教員」の申請その後 (根津公子)…1
A都教委「意見を聴取する会」テープ起こしをして(松井雅子)…4
B多摩中問題―9ヵ月の記録(古荘斗糸子)…5
C多摩から−署名と請願(こやま=多摩市民)…9
D学者・文化人アピール、賛同人一覧、賛同募集案内…11
E第2次教科書裁判原告の意見表明(高嶋伸欣)…14
F1・12集会の案内…14

 「指導力不足等教員」の申請その後
                               根津公子
9月27日都教委が申請を受理
前号では校長が私に「指導力不足(等)教員として申請をする」と通告した(9.20)というところまでを報告しました。その後を報告します。

25日午後から26日までの間に校長からの申請書を受理した市教委は、待ってましたとばかりに、翌27日には都教委へあげた。授業観察は、20日以降25日に1回あった(申請に足りないものがあって、1日追加したのか…?)ものの、その後は行われていない。
7月および9月の授業監視のはじめに校長が「保護者から要求があったので教育委員会に要請して授業参観を行う」と私に通告した際彼は、"授業参観"ということばを使った。そして、途中から"授業観察"ということばを使うようになった。校長にとっては「指導力不足教員の申請」(=要綱には"等"がつくのだが、校長は一貫して"指導力不足"と言っている)のために、"授業観察"が必要だったのだ。


一方、要求した保護者のほうはと言えば、「学習指導要領に沿っているのか否か、また内容が家庭科の授業として適当なのかどうかの判断」をし、「指導をしてもらいたい」、ということであったはずだ。とすれば、申請後も「根津が授業を担当するかぎり心配だから授業参観をしてもらいたい」ということではなかったのか?辻褄が合わない。


そもそも、保護者の要求は校長に利用されたに過ぎないのではないか?もっと言えば、6月22日の緊急全校保護者会も、この申請のために校長には必要だった。苦情が起きたから、解決のために保護者会を開いたのではない。その後に起きたいくつかの出来事などから、そのことが今私には断言できる。私の出席を認めなかった7月2・17日の保護者会で、"授業参観"要求に賛成した(とされる)人たちは、皆が皆、校長と同じように、「根津の教員生命を切ってやる」という気持ちであったのだろうか…?お一人おひとりにはそんなつもりはなくとも、「ノー」を言わなかった、ただそれだけのことが、根津排除に加担することになったのではないか…?そんなことが頭の中を去来した。


都教委は「(被申請者の)意見を聴取する場」を設定
「指導力不足教員」(2001年度から「指導力不足等教員」に改訂)の要綱ができてこのかた、どの人も弁明や意見を聴取されることなく、研修センターに送られたそうだが、私には都合4回こうした場が設定された。初めてのケースだと言う。


1回目は10月2日。当日朝になって校長から、「都教委が『弁明の機会を与える』と言って来た。受けますか、拒否しますか」と言われた。毎度の事ながら、なんという言い方か!と思いながら、「きょうの今日では無理です。代理人の同伴を認めるよう、都教委に聞いてほしい」と、別の日の設定を要求したら、「拒否ですね」と校長。校長とやりあっても仕方ないので話は切り上げ、私の所属する多摩教組の執行部の一人に同伴してもらった。せっかく同伴してもらったのに、都教委は、「法定(ママ)代理人ならともかく、組合の付き添いはだめだ」と言った。朝、法的代理人である弁護士同伴を要求したが、その要求を受け付けなかったのは校長および市教委であった。「弁護士を同伴することについて都教委へ聞いてほしい」と私は要求したのに、それを拒否しはねつけた市教委と校長。墓穴を掘らされる結果となった都教委は、「弁護士同伴で再度開く」とするしかなく、それを確認して、この日は終わる。


2回目、10月4日。代理人の萱野弁護士に同伴してもらった。都教委は、「校長の申請理由には@授業の進め方が悪いA保護者や生徒から苦情があがった、とある。これについて弁明するように」と言う。それに対し萱野弁護士は、「具体的に告知がされなければ弁明のしようがない」と都教委の進め方を斬った。説得力ある話の内容に加え、迫力満点だった。萱野さんの話に、都教委の面々は二の句が告げない様子。次回を設定するしかなかった。(4ページ以下のテープ起こし参照)


3回目、10月22日。都教委が前回記録をとっていなかったことに対して事前に萱野さんが追及した結果、今回都教委はテープレコーダーによる記録は用意した。しかし、書面の議事録は拒否した。「こちらが要求したから今回はテープでとることになったが、前回はそれさえなかったではないか。記録を残そうともしない、形だけの弁明の機会だ」と萱野さんが追及すると、新井課長は、「前回も記録しました」と負け惜しみか、見え見えの嘘を言い放った。都・市教委側は他に4人同席していたのだが、彼の「威厳」を失墜させる明らかな嘘にも全員揃って能面のような顔を保っている。御家大事のこの姿に、権力を持つものの組織ぐるみの悪事の温床を見る思いがした。
さて私は、@授業の進め方が悪いA保護者や生徒から苦情があがったことについて、弁明書を用意して臨んでいた。ところが、今度は、聴取される内容が変わっていた。B「年間指導計画、学習指導案の提出を拒んだのはなぜかC授業で指導した内容(「農産物と農薬」)と家庭科の学習指導要領との関係を述べよD生徒が授業をボイコットしたことについてどう思うか、というものであった。
前回、「職務命令拒否云々は問わないのか」と私が聞いたら、「問わない」と言っていたのに、今回は登場させてきた。「保護者の苦情」については、今回は「問わない」に変わった。都教委の、弁明を求める内容に一貫性がないのは、彼らはいまだ、認定の理由を探しているということなのか? 私は用意していった@Aについて細かく、具体的に述べた。苦情は校長の嘘やデマによって引き起こされ拡大されたのだと、そしてすべてはそこに始まったのだと。


4回目、11月2日。B〜Dについて述べた。Cを弁明するにあたって、私の授業を観察した森指導主事が進行役だったので訊いた。「この質問の前提として、そちらには、この授業は学習指導要領に沿ってないということがあるのでしょう。森さんは私の授業をご覧になっていて、これは沿っていないんじゃないかと思われたところがあるんでしょ。先にそれを指摘してください」。すると、森氏は「特に内容的にはそうは思わなかった」と言う。


そして、それ以降
第4回意見を聴取する場(=当初、都教委は"弁明の機会"と言っていたが、途中から「聴取の場」と言い換えた。名称変更は、"弁明"する対象を示すよう萱野弁護士が指摘したことと関係するのかもしれない)での都教委の話では、翌週にでも判定会議を開き結論を出すような口ぶりであった。それからだいぶ時間が経過した。決め手に困っているのかもしれない。しかし…、彼らの目的は、石川前多摩市教育長の3月発言(=「現場を外したい」)にあることは確かである。
「根津(先生)の授業は学習指導要領に逸脱している。あれは家庭科ではない」と前島校長が保護者や子どもたちに話し、また、保護者の苦情」が寄せられたと校長から聞かされてからは、すでに10ヶ月が経った。
石川中時代、「日の丸・君が代」でされた3回の処分では、校長が嘘やデマを使うようなことはなかった。しかし、今回私にかけられたこの攻撃は、


@ 校長が嘘やデマを保護者にばら撒き、保護者の「苦情」をかき立て、それを利用する。「子どもを巻き込むな」と相手を非難するが、実際は、巻き込んでいるのは彼ら自身である。
A 校長・教育委員会は、校長側保護者の声ばかりを拾い上げ、そうでない保護者の声は聞くことを拒む。
B 議員が介入し、地域が動く。


今までとは様相を異にする。新たな治安維持法下に突入したことを実感する。隣の国立市、また、北九州や千葉の教員に掛けられた攻撃と類似している。これが古今を問わず、権力のやり口なのだ。
この間、私はすさまじい攻撃を体験する一方、我こととして怒り、心配し、行動される方々の心をたくさんいただいた。何ものにも替えがたい贈りものである。
「♪♪誇り高く生きること 子どもたちに伝えよう  誇り高く生きること子どもたちと語ろう♪♪」 八王子の沖電気株式会社を20年前に解雇され、闘い生きてきた田中哲朗さんの歌の一曲である。私は、こうありたいと思って教員をしてきた。そして、だから、今までそうしてきたようにこれからも、理不尽なことに対しては当然ものを申していくつもりです。


都教委主催「根津さんの意見を聴取する会」
テープ起こしをして(松井雅子)
根津さんの勤務校の前島校長が東京都教育委員会に根津さんを指導力不足教師として申請したが、萱野弁護士同席の元に弁明の機会をかちとることができた。 これは根津さん本人はもとより見城さんをはじめ組合の力が大きいと思う。


10月4日、根津さんと萱野弁護士が、新井課長、原田室長などを相手にバンバン追求する様はすばらしい。その時の1時間程のテープおこしをしながら、まるでスリラー小説でも読んでいるように胸がどきどきしたものだ。その時の様子を限られた紙面に省略しながらまとめてみた。
出だしから教育委員会の姿勢は話にならない。「テープはとるな」と言う。自分達の行動が正々堂々としたものではないと自覚しているからテープをとってもらっては困るのだろうか。(結局、テープにとったのだが)
「今、指導力不足等(とう)と言われましたが、前島校長は指導力不足としてあげたと言われました。どちらが正しいのでしょうか」(根津さん)
と迫る根津さんに対して


「指導力不足等です」(都教委)
等(とう)を消して申請することによって何とか指導力不足を強調したいとする前島校長の腹の底が見えすいている。
「校長は、今までたくさん嘘を言っています。嘘にもとずいた職務命令も出ています。保護者からの苦情があったということですが、授業の何についての苦情ですか?授業のやり方についてですか?」
と詰め寄る根津さんに対して教育委員会側はただ沈黙。そこで萱野弁護士が


「不利益処分を予定して判定する時に、指導力不足教員として申請されているならばその理由を特定してほしい。理由がはっきりと告知されて、初めて弁明ができる。漠然とした内容では弁明のしようがない。たとえばこの人が窃盗をしたから裁かねばならないという時、いつ何処で誰からいくら盗んだと特定しなけれいけない。漠然とこの人は窃盗をしましたから処罰してくださいでは裁判にならない。多摩中に赴任してから長い経過がありますから、生徒の理解と掌握が不十分と言うならどの事実をさしているのか明確に示してほしい。保護者からの苦情が多いというならどういう内容の苦情なのか具体的に示してほしい。告知が無いのに弁明はできない」
長―い沈黙、空白が入る。そして苦しまぎれに教育委員会側は
「校長から改善してほしいと出ているわけですから」
「理由をここで全部挙げなさいと言われても収拾がつきませんよ」
と曖昧な返事。それに対して萱野弁護士がぐいぐい迫る。


「後になってから『あれも有った』『これも有った』と処分の理由をあげられても弁解、防御のしようがない。特定の理由が出されないのでは告知と弁明の機会を与える意味が全く無い。告知を下さい」
「こちらが弁解を先に聞いておきたい。今日はこちらは話を聞く立場なんです。その上で基本的な内容についてどういうふうにやるかということもあるわけですから。これではお話しないで入り口論だけで終わってしまう」(都教委)
「それはそちらがきちんと出さないからですよ。処分を出す側が準備をすることでしょう。保護者からの苦情が多いというのではそういう教師はいっぱいいますよ。どこの誰がいつ、どのような内容の苦情を言ったのか特定されれば一つ一つ弁明していきます。それが無いのに弁明できません」(萱野弁護士)
「入り口論で終わるなら弁明はしなかったとなりますよ」と都教委は脅してくる。でも萱野弁護士は、ひるむ様子もなく追求しつづける。


「そうは行きませんよ。告知もしないで弁明しろというのは、弁明を保証していないことになる。小学生でもわかる。これでは正当ではない。」(萱野弁護士)
「今日は提示できません。」(都教委)
「これで 打ち切りにしてその上で出てきた決定が不利益ならば、こちらは地裁,高裁で徹底的に争いますからね」(萱野弁護士)
「憶測でステップアップ研修させられてはかないませ ん。」という根津さんの思いを萱野弁護士が十分に伝えてくださった。まだまだ闘いは続く。大勢の人々の結束をさらに固めていきたい。



<多摩中問題―9ヵ月の記録>
大勢の市民が校長、市教委、都教委の動きに注目してきました。

古荘斗糸子(石川中裁判を支える会事務局の1人)

「育てる会」と「支える会」ができるまで
1999年、八王子市立石川中で根津さんは、「指示待ち人間にならないで」というプリントを使った授業をしたということで八王子市教委から「訓告」処分を受けました。八王子市教委の和田参事(当時)が「日の丸・君が代の問題は、子供たちに考えたり、判断させる必要はない」と発言したことに驚いて集まった私たちは、「考え・判断する子どもたちを育てる学校教育を!市民の会(通称、育てる会)」を作りました。その後、根津さんが石川中問題を裁判に訴え、それを支援したいと思った私たちは「石川中裁判を支える会(通称、支える会)」を作りました。根津さんには、それ以前からのさまざまな実践がありますが、私は「育てる会」の時から彼女の問題に関わり始めました。


不可解な『一通の手紙』による『冤罪作り』は誰の手で?
2000年4月に根津さんが多摩市立多摩中に異動して1年後の、2001年の4月から現在までの9ヵ月間、多摩中問題がデツチ上げられようとしています。校長と多摩市教委は、"市民からの一通の手紙"によるといって事情聴取、授業監視、保護者会での糾弾会、"指導力不足"申請などをしてきました。
4月21日(土)に、多摩市教委が根津さんに対して「市民から苦情があったので事情聴取をする」を伝えたのを知って驚いた私たちは、初めは市教委に「事情聴取」の理由を質しに行き、次第に恐怖と怒りを感じ、そして自分の問題だと感じた多くの市民がもっと多くの人々に伝え、5月末までの1ヵ月半の間、入れ替わり立ち代わり連日のようにたくさんの人々が市教委を訪れて市教委の行動を見届けようとしました。多摩中の教頭が根津さんに「市教委にたくさん訪れる市民を何とかして!」と言ったそうですが、なぜ、密室で行おうとしているのか、却って多くの人は不審に思うだけでした。
私たち多くの市民は、教育委員会が"より良い教育のために、いつも心を砕き、日夜努力している"ことを期待していると思います。しかしこの1ヵ月半の間に私たちが見た市教委の行動は、一体何のための行動なのでしようか!
子どものことばに十分耳を傾け、人権や差別の問題を、子どもとともに自由に考える授業を根津さんは行いました。その"実践"を罪に陥れ、処分しようとする多摩市教委の強引なやり方は、教師や子どもが自由に考え、判断し、行動することを圧し殺し、上からの権力に従順に従う人間を作りあげようとしているのです!力でねじ伏せる(そしてねじ伏せられる)ことがまかり通る暴力的社会が、学校から作られていく恐ろしさをヒシヒシと感じた1ヵ月半でした!
私たちが話し合いを求めてアポをお願いしても居留守を使ったり、姿を見て逃げたり、職員が妨害して取りつがなかったりして、パイプを断とうとしました。そのような市教委の不誠実に対して私たち市民側は、最初から最後まで非暴力で礼儀正しく、冷静に粘り強く行動しました。それでも、私たちがあたかも妨害行為をしたかのような、あるいは根津さんが「事情聴取」を拒否したかのような"ワナ"を何度か感じて、そのツド背筋が寒くなる思いもしました。


問答無用の多摩市教委
☆4月23日、取るものもとりあえず市教委を訪問しました。翌24日も。教育長と話し合いたいと要請しましたが、教育長は1度も私たちとの話し合いに応じず、原田指導室長が対応しました。私たちは「事情聴取の理由」「事情聴取の適正な手続き」について質問し、「教育の現場で起こった問題は教育委員会の権力的な介入によらず、あくまでも現場で校長を含めた教員集団を中心に当事者どうしの話し合いによって解決すべきだ、そして教育委員会の最も重要な役割は、教育が不公平にならないための条件整備であり(教育基本法)、さらに教育に不当な権力の介入を許さない防波堤である」と主張しました。(現在、そのことが崩され続けていることに、私たちは危機感を持っています。)
 最初、市教委は「学校現場で校長と当事者どうしが話し合うよう、指導した。」「内容は言えないが、いろいろ話は来ている。」と言っていました。


☆4月27日、石川教育長は、多摩の市民グループとの話し合いの席で「事情聴取は、市民からの一通の手紙による」と回答。初めて『一通の手紙』の存在が言われました。しかし、未だにその内容は、明らかにされません。


☆私たちは、多摩中校長にも話し合いを求めましたが、一度、20分弱で打ち切られただけで、以後「根津さんの教育実践のどこが問題にされているのか」「市民の苦情とは何なのか」「校長は現場でどう解決しようとしたのか」「市教委と校長の言動の齟齬について」など、たくさんの疑問を残したまま、話し合いの場は実現していません。


☆話し合いの場が閉ざされた私たちは、根津さんの「事情聴取」のたびに、予定の15分前に行って、「話し合いの場を設定してほしい」「それが無理なら、事情聴取を傍聴させてほしい」という要請しましたが、その都度、私たちの要請は何人もの市教委の職員に阻まれてしまいました。そこで私たちは、何度も「要請書」「質問状」「抗議文」などを届けましたが、その殆どに回答をいただいていません。


☆5月28日、市教委は市議さんの口添えで、人数を4入に制限するという条件で、やっと話し合いの機会を作りました。私たちはその貴重な機会を大切にしたいと思い、4人を人選するという困難に取り組みました。集まった1入1入のいろんな思いを大切にし合えるには、誰かが誰かの思いを代行するということはできないし、してはいけないと私は思います。だから話し合いに出る4人を選ぶということは、私たちにはとても苦しいことでした。
 9月にも1度、市教委との話し合いを持つ機会がありましたが、この時も4人に絞る、という条件付きでした。私たちは、このやり方を日常化できません。もっと開かれた場で、市民それぞれが教育委員会や校長と水平の関係で話し合えなければ、一人一人を大切にする教育を築くことはできません。


☆ 市教委は「事情聴取」の公平性を担保できず、中断したままです。


☆6月、多摩市議会を私たちは何度か傍聴しました。ある議員の一般質問で、市教委が卒業生に根津さんの授業について聞き出し、ノートのコピーまで取ったという事実が指摘されました。子どもたちを巻き込んで利用しようとする市教委のやり方に対して「もっと子どもたちを大切にしてほしい!」と,怒りを通り越して悲しく、心寒く感じる1ヵ月半でした。


☆6月、多摩中の保護者会は「多摩中問題のチラシを配るな」などという無理難題を決議しました。誰もが自分の行動は自分の責任で決めなければいけませんから、誰かが根津さんに許可を得るなどということはとんでもないことです。それに根津さんがすべての人間の動きを把握し、規制することはできないし、してはいけないことです。
 私たちは市教委や校長に対して話し合いの場を礼儀正しく要請してきたし、これからも求め続けたいと思います。理由を示されずに拒絶されたのでは、自分たちで話し合いの場を工夫するしか道はありません。その工夫のひとつに、チラシ配りもあります。


☆7月から根津さんの授業監視が始まりました。そして校長の矢継ぎ早の"職務命令"の乱発!校長と市教委は何と不公平なことをするのだと、ぞっとしました。これは根津さんに対する陰湿なイジメにしか見えませんでした。


9月、校長が根津さんを「指導力不足教員」として申請
9月20日、校長が根津さんに「指導力不足教員」と申請すると通告。連休の前でした。(またしても連休前!)と思いました)
9月26日、連休が明けてすぐに私たちは都教委に話し合いを求めました。新井人事部職員課長が対応しました。「『申請』は、まだあがっていない。客観性を担保するために複数の目で判断する。」などという回答を得て、私たちはその足で市教委を訪問し、4人という制限付きでしたが、アポを取りました。ついで校長を訪問し、丁重に名前と用件を伝えて話し合いのアポをお願いしました。ところが非常に乱暴なことばで応対され、話している鼻先で事務員が「うるさいんだよ!」と怒鴫って私たちの肩を押し、ドアをパタン!閉めようとしました。その間に、教頭がカメラを持ち出してバシャバシャ私たちの写真を撮り始めました。あまりのすさまじい暴力に私たちは度肝を抜かれました。これは信じがたいことですが、何と学校の中で起こった出来事なのです!


☆都教委と3回の話し合いで私たちは、公平性、客観性を担保するという都教委のことばどおり、良識ある対処を要請してきました。特に、当事者、根津さんの言い分をきちんとした場で検討すること、複数の目で判断するならば、一方的な見解だけを受け入れるのではなく、多くの市民が根津さんを指導力不足とは断じて考えていない事実、彼女の教育を受けて来た多くの子どもたちや保護者の声を聞いてほしいこと、などを繰り返し要請してきました。都教委は、根津さんに対する「弁明の機会」を(何に対しての弁明か、弁明をどう扱うのか不明瞭なままでしたが)一応持ち、当然私たちはその内容について大きな関心を持っていましたから、傍聴したい、という意向を伝えようと多くの市民が集まりました。
一時期、都教委はなかなか会いたがりませんでした。私たちは繰り返し、質問状や「不十分かつ一方的な情報で判定しないでほしい」という要請書などを届けました。当事者である根津さんの釈明がまだまだ終わっていないのに、「『弁明の機会』はこれで最後」と言われたので、私たちは9入の判定委員に「事実を知って、公正な判断をしてください」と、今まで都教委に届けてきた数々の要請書など、分厚い一式を届けました。
本当なら、判定委員の方々、お一入お一入と膝をつき合わせて教育論議をしながら、事実関係を伝えられたら理想的だったと思います。しかし、その資料一式を届けた時の、人事部のけんもほろろでとりつくしまも無い態度には、東京都の教育を憂えないではいられませんでした。追い払われるようにして上の階の指導課に行き、一体どうしたら私たちの声を届けられるか教えてほしいと聞いて、やっと情報課に連れていっていただき、受け取っていただきました。


☆その後もう一回(4回目、11月14日)、都教委との話し合いが実現しました。そこで新井課長は、緊急性についてもそれらを含めて検討される、と回答し、私たちは都教委と判定会の良識ある行動を最後まで期待しています、と結びました。


☆それから1ヵ月以上経ちます。私たちは、都教委と判定会の良識と公平な判断を信じるなら、「認定されない」「申請は却下」という結論が出るものと確信しています。しかし今だに何の音沙汰もないことに、密室性を感じないわけにいきません。


☆1学期は多摩市教委と校長の行動に、そして2学期は主に都教委に対してたくさんの市民
が熱い眼で注目してきました。それぞれの行動記録を作成中です。詳しくご覧になりたい方は「支える会」にお申し出ください。



1・12緊急集会に、ご参加ください!


「根津さんがどうなるか」は、「子どもたちの環境がどうなるか」という重大な問題そのものです。1月12日、私たち(1/12実行委員会)は「緊急集会」を持ちます。この集会に対して、たくさんの方々が賛同をくださいました。それぞれの賛同者が、一人以上の参加者を伴ってご参加ください。できるだけ多くの方々の参加を切望しています。

多摩から―署名と請願―4283名の署名、ありがとう。


こやま(教育の自由を考える市民集会実行委員会)
多摩からは9月から開始した市教委への要望書とそれへの賛同署名と請願について報告します。
まず、要望書の趣旨は以下のようなものでした。
「学校での『男女共同参画』の授業・『従軍慰安婦』についての授業・平和教育に対する行政の不当な支配介入、および実践者である教員への差別・中傷・処分などがあってはなりません。子どもの学ぶ権利が保障されるべきです。教育委員会と学校管理者の反省と改善を求めます」
つぎに、請願は、この要望書の趣旨の上で根津さんに対する「指導力不足等教員の申請」(以下ではただ「申請」とします)の不当性を訴え、その手続きの停止、委員会の教育長らへの指揮監督責任を問うものでした。
 9月初旬から始めた要望書賛同署名ですが、12月まで4次にわたって多摩市教委へ提出、4283名に達しました。
 多摩中・校長による申請が根津さんに通告されたのが9月20日頃で、その直後の25日に第1次集約分(1135名)を提出しています。その時期はまた、前教育長石川武(この人物は現在、都教委で「主幹」制度推進の参事だそうです)が都教委へ帰任する時期とも重なっていました。石川は3月の「在任中に(処分)のケリをつける」という言葉通り(?)教育長辞任のタイミングに合わせて例の申請を校長に準備させていたのです。
 多摩の会では、要望書提出とともに石川教育長に会見をもとめたのですが、要望書の受けとりさえ拒み、「君たちとは話さない」と恨みがましい言葉をもらしていたのです。原田指導室長も受け取り拒否、「教育長宛でしょ」という対応でした。一方、学校教育部長とは立ち話で「早いよ」と、つまり申請が都教委に上がれば急テンポで「研修命令」が降りてくるようなニュアンスでした。
その後、都教委レベルでの「弁明」がもたれ、交渉も実現していくなど新たな局面を開いてきたわけですが、その頃はやはり重苦しい雰囲気もありました。
 私たちは、ほぼ毎週末、桜ヶ丘駅頭に出て署名を集め、「指導力不足等教員の申請」の不当性を訴えるビラまきをしました。
 署名の第2次集約分を提出するのと前後して10月25日冒頭の「教育長・指導室に対する指揮監督についての請願」を市教委に提出しました。この請願は、11月の定例会で「不採択」とされましたが、審議内容はまったく承認しようのないものでした。
私たちは重ねて、市役所職員に朝ビラ、市教委の「学校選択制度」説明会でのビラまきで事実を明らかにしていき、同時に教育委員に質問書という形で、「弁明」をもとめました。そして今回12月の市教委定例会には「前回請願審議の無効を確認する」請願を出しています。
 やはり、定例会の審議の中でボロが出てきているように感じています。


 11月定例会の審議、私たちの質問書に対する12月18日付「通知書」では、教育委員は「保護者からの手紙」「保護者会の内容」を直接の根拠にして申請を正当化していまず。しかし、形の上では「保護者から苦情(手紙など)」を受け取った校長が市教委に「授業親祭」の要請をして「授業観察」の結果として「改善命令」を出し、改善が見られなかったということで「研修」が必要だとして「指導力等不足」の申請がなされているはずです。彼らにとって「手紙」は、ことを知らされ、調査に乗り出す原因であったという建前をとる筈。もし教育委員の言うように「保護者との信頼関係」が「等」にあたるとするのであれば、その改善が見られないかを観察するためには、当該保護者と根津さんとの関係を調整する働きかけや仲介がなされることが必要なことでした。なぜか、それらは一切放棄されています。ここには原因であった筈のことが、いつか結論とされてしまう逆転が演じられているのではないでしょうか。
 「第三者」の関与(この可能性は市教委も認めている)や組織的な収集が疑問視される「手紙」や感情的な糾問会の様相を呈し、公表や記録を前提としないはずの「保護者会の記録」が直接、申請の根拠とされるでしょうか、当然充分ではありません。都教委は「保護者の苦情」は判定会の判断の材料としないと言明し、あくまで客観的な判断をするのだと言ってきました。
ここでは市教委と都教委の見解が乖離していることがわかります。
 そんなことで、私たちの請願が少しでも「真実のトビラ」を開く力になっていればと祈るような気持ちなのですが…。その「トビラ」を開かせるために、緊急集会を開催します。1月12日には、地元多摩でお待ちしています。ぜひいらしてください。
また、皆さんからのアドバイスもお寄せ下さい。




学者・文化人アピール
東京都教育委員会は、多摩中学校教諭根津公子さんを「指導力不足等教員」に認定するな


 呼びかけ人                                 
岡村達雄(関西大学)  小森陽一(東京大学)  高嶋伸欣(琉球大学)  
成嶋 隆(新潟大学) 西野瑠美子       西原博史(早稲田大学)  
                           2001年12月18日
 わたしたちは、東京都多摩市立多摩中学校教諭根津公子さんに対して、現在東京都教育委員会において進められている「指導力不足等」教員の判定の手続は、日本国憲法と教育基本法の理念を押し進めようとしている同教諭の教育実践への不当な介入であり、民主主義社会における教育行政のあるべき姿に照らして、非常に問題があると考えます。
 根津公子教諭は、担当教科の家庭科や特別活動を通じて、従軍慰安婦などの日本の戦後責任問題や、男女平等、同性愛差別、「日の丸・君が代」の強制による思想良心の自由の否定といった人権問題を、生徒たち自身に考えさせる教育実践を追求してきたことで、多くの教育関係者や生徒たちから高い評価を受けてきました。しかしながら、多摩市教育委員会は、今年4月から、男女共生・従軍慰安婦等の授業が「学習指導要領」に適合せず、教員として不適切であるという判断に基づき、処分を前提とする事情聴取を強行しようとしてきました。これに先立ち、多摩中学校の前島俊寛氏は、生徒や保護者に対し、これらのことは「学習指導要領に記述がない。学習指導要領逸脱だ」と説明し、根津教諭の教育実践を否定する発言を繰り返して、保護者らの根津教諭に対する不信感を醸成するという積極的役割を果たしてきました。その後も前島校長は一貫して職権を濫用し、虚偽の事実を流布し、根津教諭に対する不信の増幅ばかりを画策してきました。このようにして保護者の不信を掻き立てた中で、前島校長によって開かれた保護者会においては、同教諭に対して、これらの問題を授業で取り上げないよう要求がなされ、さらに保護者会の要求に基づき、東京都教育委員会と多摩市教委の指導主事によって授業観察が行われていきました。
 以上のように、4月以来、市教委、校長によって一貫して問題とされてきたのは、同教諭の授業内容であることは明白です。しかしながら、前島校長と多摩市教育長は、この経緯で行われた授業観察を理由に、根津教諭を「指導力不足等」教員として東京都教育委員会に申請しました。私たちはこの要綱を追認するものではありません。しかし、追認する立場に立っても、根津教諭の授業において甚だしい授業崩壊等の問題が生じているわけでなく、その「指導力」について、他の教員と比べて著しく能力に欠けている、ということは全く考えられません。したがって、一連の客観的事情から判断するならば、この手続は「指導力」を問題とするような外観をとりながらも、そこで問われている実質は、根津教諭が授業でとりあげてきた内容であると判断せざるをえません。さらに言えば、同教諭が前勤務校で「日の丸・君が代」の授業をするなどしたことへの報復であり、他の教員に対する見せしめであります。この行為は、戦後責任問題と人権問題について考えさせようとする教育活動に対する介入であり、教育基本法10条によって禁じられている「不当な支配」に該当します。問われるべきは前島校長であり、多摩市教育委員会であります。
 しかしながら東京都教育庁は、このような事情を認識しながら、多摩市側の申請に基づいて、根津教諭を「指導力不足等」教員として認定するための判定会を強行しようとしています。東京都はこの判定に係わり「意見を聴取する場」を設定したものの、根津教諭の代理人が要求するまで記録さえ取らないという、かたちだけの運営をしてきました。さらに根津教諭の何が「指導力不足等」として問題とされているか明確な理由を示していないだけでなく、その判断基準さえ明らかにしておりません。これは、憲法上保障されている手続的デュー・プロセスを無視するものであり、その判断は著しく偏ったものになると言わざるを得ません。
 こうした手続は、憲法と教育基本法の想定する平和な民主主義社会における教育の理念に照らして、非常に疑問があります。日本の植民地支配がもたらした戦後責任問題、また男女平等、思想信条の自由などの基本的人権に関する問題は、生徒・児童が、将来、平和な民主主義社会における市民として、自己の生を追求しながら多様な他者と共生していくために必要な知識であり、生徒・児童はそのような内容の教育を受ける権利を当然有すると考えられます。生徒・児童の権利に沿った教育実践を続ける教員に対して、法の適正手続を無視し、「指導力不足等」教員という烙印を押して教育現場から追放しようとする今回の手続は、 根津教諭一人の問題ではなく、民主主義社会における教育、さらに言えば、民主主義社会そのものの基盤を揺るがす事態だと考えられます。以上の理由から、わたしたちは、根津教諭に対する「指導力不足等」教員の認定の手続を即刻中止するよう求めます。

学者・文化人アピール賛同人一覧

(2001年12月26日現在116名、事務局集約)
青柳行信(教員・カトリック福岡正義と平和協議会) 安達和志(神奈川大学) 足立英郎(大阪電気通信大学) 新井史子(VAWW−NET) 飯塚和之(茨城大学) 池田祥子(短大)  石川 求(都立大学) 石川裕一郎(麻生大学) 石丸 朗 板垣竜太 市川須美子(独協大学)  伊藤 悟(成蹊高) 稲 正樹(亜細亜大学) 井上ひさし(作家・劇作家) 入江直子(神奈川大学) 岩崎 稔(東京外語大学) 岩永達郎(元明治大学、現農業者大学校) 浦田賢治(早稲田大学) 大野 威(岡山大学) 大門正克(横浜国立大学) 大島ふさ子 小野雅章(日本大学) 河かおる(学習院大学) 川合 章(埼玉大学) 川見一仁(東アジアシンポ) 鐘ヶ江晴彦(専修大学) 姜 尚中(東京大学) 北川善英(横浜国立大学) 北沢杏子(「性を語る会」代表、国連人口基金および国際協力事業団リプロヘルスIEC専門家派遣員) 喜田デシケイラ由美子(大学院博士課程) 木下智史(神戸学院大学) 工藤英三(元静岡大学・創価大学) 久保田貢(愛知県立大学) 倉本智明(聖和大学) 栗山次郎(九州工業大学) 呉 宏明(京都精華大学) 小島喜孝(東京農工大学) 小林 武(南山大学) 駒込 武(京都大学) 小松 浩(三重短大) コリン・コバヤシ(美術家、美術・社会批評) 斎藤 寛(秀明大学) 酒井直樹(大学教員) 阪口正二郎(一橋大学) 坂元ひろ子(一橋大学) 笹沼弘志(静岡大学) 佐藤秀夫(日本大学) 佐藤 学(東京大学) 佐野通夫(四国学院大学) 沢田 猛(石川県高校) 杉村昌昭(竜谷大学) 塩川千夏(成蹊高) 重松朋宏(国立市議会議員) 島崎英治(三鷹市議会議員) 宋 連玉(青山学院大学) 島津豊幸(前愛知大学) 菅原 真(成蹊高校) 関千恵子(ジャーナリスト) 関口三枝子(東アジアシンポ) 高林成子(東京都民) 竹森正孝(岐阜大学) 田崎敏孝(ノーモア南京の会) 只野雅人(一橋大学) 田中真人(同志社大学) 谷 和明(東京外語大学) 田村武夫(茨城大学) 塚田哲之(福井大学) 塚原佳世子 寺尾光身(元名古屋工業大学) 寺嶋容一郎(成蹊中・高) 暉峻淑子(埼玉大学) 中島 徹(中央学院大学) 中野敏男(東京外国語大学) 長峯信彦(愛知大学) 浪本勝年(立正大学) 成澤孝人(宇都宮大学) 西谷 修(東京外国語大学) 丹羽 徹(大阪経済法科大学) 野田正彰(京都女子大学) 野田隆三郎(岡山大学) 野村修身(工学博士) 長谷部弘(東北大学) 濱本正彦(日本の戦後責任を清算するため行動する北海道の会、Free Music Company) 播磨信義(神戸学院大学) 早尾貴紀(東北大院生) 林量俶(DCI日本支部副代表、埼玉大学) 林 浩治(新日本文学会) 針生一郎(新日本文学会) 半田たつ子(男女平等をすすめる教育全国ネットワーク・前日本女子大学) 平野千果子(武蔵大学) 福島 至(龍谷大学) 福島瑞穂(参議院議員、弁護士) 福田雅章(一橋大学大学院) 古川宣子(大東文化大学) 本 秀紀(名古屋大学) 森 治寿(日本大学) 前田 朗(東京造形大学) 牧 柾名(駿河台大学) 牧原憲夫(東京経済大学) 町田忠昭(中国人強制連行を考える会) 丸浜江里子(教科書ネット) 三橋博美(アムネスティ) 南野忠晴(大阪府立高校) 三原芳秋 村井敏邦(龍谷大学) 本橋哲也(都立大学) 森井 真(歴史研究者) 森川金寿(弁護士) 山口和秀(岡山大学) 山口啓二(元東京大学・名古屋大学) 山崎英壽(淑徳大学) 山本直美(高校講師) 李 孝徳(静岡文化芸術大学) 渡邊 洋(神戸学院大学) 渡部治子(東アジアシンポ) 渡部秀清




第2次賛同人を募っています。学者・文化人アピール


私たちは、「学者・文化人アピール 多摩中学校教諭根津公子さんを『指導力不足等教員』に認定するな」に取り組んでおります。年末で第一次締めきりとして提出しましたが、3月に向けて校長や行政側の新たな動きが予想されますので第2次の提出を予定しています。読者の中にもまだ賛同を忘れている方、皆様の周囲にいらっしゃるこの問題を知らなかった方に広めてより多くの賛同を集めて第2次提出にしたいと考えております。
ご賛同くださる方は、至急、支える会事務局または、以下の連絡先までご連絡ください。よろしくお願いします。
Fax 0426-54-3260 メールnya-nya@fa3.so-net.ne.jp f-hiroko@abox7.so-net.ne.jp
学者・文化人アピールに賛同します。(賛同人名は公表させていただきます)
 お名前(              ) 肩書き(              )
第2次教科書裁判原告、高嶋伸欣さん
都教委に多摩中問題で意見表明     01.11.29
東京都教育委員会
横山洋吉教育長殿
                            琉球大学教育学部教授
                                 高嶋伸欣

 前略、突然に失礼いたします。
 今般、多摩市立多摩中学校教諭根津公子氏に対し、貴教育委員会において「指導力不足等」教員としての判定の可否が検討されているとの情報に接し、他の教育関係者と共同で、判定(認定)に反対する意見表明を全国に向けて発信することといたしましたが、それとは別に私個人として約30年間の現場教師体験及び教科書執筆体験から、判定に反対する意見を以下の通りに表明いたしたく、とり急いでFAXにてお届けすることにした次第です。
 情報によれば、多摩市教育委員会及び貴委員会では、学習指導要領を根拠に、根津氏の授業内容に逸脱があったことなどを問題視されているとのことですが、上位の法規である学校教育法第36条では中学校における教育の目標に「公正な判断力を養うこと」と定めています。にもかかわらず、1990年代以降の学習指導要領では中学校において「判断力の育成」を目指すとの文言が欠落し、その一方で学習内容を狭く限定したままとなっています。この点で、学習指導要領は上位法規である学校教育法に反しており、"法的拘束力"の存在を主張するには無理があります。この他にも、学習指導要領に関しては事実に反する点など矛盾点が多数存在していますが、それらについてはこの件が裁判にでもなるのでしたらその折などに指摘させていただきます。
 ともあれ、教科書を読むだけの単調な授業を続けていたわけでもない根津氏を「指導力不足等」を根拠に、授業をさせないとするには無理がありすぎます。むしろ創意工夫をしている熱意ある教師とみなすことこそ教育委員会の役割ではないでしょうか。
 ちなみに、私は今夏話題となった扶桑社版中学校社会科教科書が、現在もなお多数の事実誤認及び事実無根の記述(約100か所)を含んでいることを資料としてまとめ、検定合格とした文部科学省や同教科書を採択した教育委員会と私立学校、そして執筆者たちの責任を、君たちはどう考えるかという高校生向け教材作りを進めています。同教材については、後日高校教科書執筆者に向けて、2001年夏の教科書問題を教科書に記述するよう要請する際の資料ともするつもりです。根津氏の件も、同様に高校生の学習教材とすることも考慮中です。
 慎重に適正な判断をされるよう要望いたします。乱筆ご容赦ください。 以上




1・12(土)2時「根津さん処分をとめよう」緊急集会にお集まりください!資料代500円
★所 やまばとホール(多摩市役所隣 旧多摩市関戸公民館)

京王・小田急永山駅徒歩15分 聖蹟桜ヶ丘7番バス10分

★集会への賛同も求めています。連絡先またはチラシ参照。

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