石川中裁判を支える会・会報

ほうせんか6号

2002/3/31  発行

連絡先
0426-64-5602田中
042-592-3806 古荘
042-524-9863加藤
0422-44-0364谷島
郵送先 〒190-0022
立川市錦町2-4-22加藤方


  http://www.din.or.jp/~okidentt/nezusan.htm
http://lovepeace.org/ks-m/peace/mokuji.html
http://wwwl.jca.apc.org/anti-hinokimi/nezu/index.html

振込口座 石川中裁判を支える会00150-7-15453


第5回石川中裁判(2002/1/24)開かれる


 高嶋伸欣教授が意見書を提出して下さいました


 2002/1/24 第5回裁判後の集会



第5回石川中裁判は、2002年1月24日(木)午前11時から東京地方裁判所・八王子支部401号法廷で開かれました。
この日、原告の根津さん側は、かねてから快諾を得ていた琉球大学教育学部・高嶋伸欣教授に意見書(論文で専門的・学術的見解を証言すること)を提出していただきました。

                       

次回(第6回)裁判も傍聴を

 
第6回石川中裁判 4月11日(木)午後1時

東京地方裁判所八王子支部・401号法廷  JR八王子から徒歩10分・京王八王子から徒歩6分 

高嶋教科書訴訟

横浜教科書訴訟第二家永訴訟


高嶋教授は、1965年から30年以上に渡って、教科書検定制度が憲法違反であるとして教科書裁判を闘ってきた(元)東京教育大学家永三郎教授の教え子の一人です。
 高嶋教授は、東南アジアの旧日本軍の戦跡を訪ね学ぶ旅「マレー半島戦争追体験の旅」を30回に亙って主宰され、日本人の戦争責任認識を深く掘り下げる活動の先頭に立ってこられました。また、筑波大学付属高校教員時代には現場の教師として、実践的で魅力ある教科書執筆にも携わってこられました。しかし、1994年度からの教育課程用の検定で文部省は、高嶋教授の「新高校現代社会」(一橋出版)に対し、@福沢諭吉の「脱亜論」の部分、A昭和天皇死去の際の報道の部分、B湾岸戦争と情報コントロール(メディア操作)の部分、C自衛隊の掃海艇派遣の部分、の4ヶ所の削除を要求してきました。検定意見に納得できなかった高嶋氏は教科書執筆を断念せざるを得ませんでした。高嶋教授は、1993年6月、居住地の横浜で「違憲、違法な検定意見で執筆を断念させられ、精神的苦痛を受けた」として国家賠償を求める民事訴訟を起こしました。これが、高嶋教科書訴訟または横浜教科書訴訟といわれ、実質的には第2の家永訴訟といわれているものです。そして、1998年4月22日、横浜地裁で一審の判決が出ました。判決は、「教科書検定制度が憲法違反であるという点は認めないが、検定には行き過ぎがあった」という内容で、一部、高嶋教授の主張が認められた形となりました。高嶋教授は控訴し、現在は第2審が東京高裁で争われています。

高嶋意見書(その1)を読んで    
松井雅子



裁判所の姿勢は、早く終えようとするいいかげんさが消え、提出される意見書も丁寧に検討しようとする姿に変わってきました。そのような時に高嶋先生のおよそ4800字におよぶ長文の意見書の存在は大きいです。
上から命令される「日の丸・君が代」を何がなんでも忠実に押し付けようとする校長の姿は、まさにオウム真理教そのものと、私もあの頃切実に思ったものでした。それが処分の対象になったと聞いたときは、何ともやりきれなさで一杯でした。でも私のやりきれない思いは当然なんだ。高嶋先生の意見書には、被告・八王子市教育委員会の不当な論理が教育学の観点から3点に分けて指摘され、胸のすく思いがしました。
第1 点目、「学習指導要領に逸脱していると被告側がいうが、文部科学省は、学習指導要領は最低基準と明示している。故に、さらに高度な内容を指導しても逸脱しているとはいえない」と、先生は、被告側の論法の不当性を鋭く指摘してくださいました。
第2 点目、「 学習指導要領の上位の(学校教育法36条)には(公正な判断力を養う)と記載されているから、「日の丸・君が代」において(尊重する態度)しか認めない学習指導要領の見解は間違っている」と、先生は指摘してくださり、私の考えは間違っていないと嬉しく思いました。そして、先生が筑波大学付属高校教諭時代、生徒達に指導された活発な討論をあげ、「成績評価権をもつ教師が最初から一定の考えのみを正しいと指導したら生徒は、教師の考えに固定されてしまう。多様な価値基準が存在し、多面的な意見や感想を比較検討する作業をとおして判断力は養われていく。」といわれます。私は「指示待ち人間にならないで」とよく子ども達に言ったものです。 それでいて「これをしなさい。あれはしてはいけない。」とこと細かに指示して、反省の繰り返しでしたが、指導の仕方によってはこんなに「公正な判断力」が高まるものかと参考になりました。 又「文部科学省は新聞等に報道された事実は、教科書に記載出来るという。故に広く報道された、根津教諭の『考えましょう。』という教育が処分になったことは、教科書に記述しても良いといえる。司法の審判だけではなく、教科書にのせて正義感の強い中学生の審判を受けさせたい。」との主張に教科書の深い存在価値に目が開かれる思いがしました。
第3 点目、「検定制度に合格している大阪書籍版の小学校6年生の教科書では、沖縄本島で米兵が少女に暴行した事件を含む沖縄基地問題、原子力発電所の是非、自衛隊の海外派兵は合憲か違憲か等をあげ、小学生の思考力を高めている。中学校は、小学校教育の基礎の上にたっていると学校教育法は明記しているのだから、中学校卒業時に『考えましょう』と指導する根津教諭への処分は不当といえる。」との先生の主張に被告側はどう解答できるのでしょうか。尚、先生の意見書はお分けるすることが出来ます。ご希望の方は事務局までお申し出下さい。

マーレー半島南部戦争追体験の旅
       
高嶋教授主宰・東南アジアの旧日本軍の戦跡を訪ね学ぶ旅に参加して 
                                
 八王子 齋藤義子

                   
今から13年ほど前、1989年3月の春休みにマレーシア&シンガポールに出かけて行きました。もちろん根津さんに誘われてです。根津さんが中心でやっていた、八王子教職員組合平和教育部会で広島や沖縄への体験学習にも参加してきました。盛りだくさんの事前学習や超過密なスケジュールで定評だった根津さんの誘いだったので、ついて行けるかどうか不安もありました。でも、それ以上に現地に立って体で感じてくることや、そこで暮らす人から学ぶことの大事さを実感してきたのでいくことにしたわけです。
この考える旅のリーダーが高嶋伸欣さんでした。(岩波ブックレットNO.99 旅しよう東南アジアへー戦争の傷跡から学ぶー)この旅が成功するために、住民達の厳しい視線や「今更何しにきた」という怒りを、絆に変えていく地道な活動を何年間もかけて積み上げてこられたのでした。なにせ、日本人墓地の墓石がぶん投げられたり、ヒロシマ原爆投下に万歳をする人々の絵が戦争紀念館に飾られていたりしていたのですから。(後年行った時には、外されていました。) この旅の一行には、ヒロシマの沼田鈴子さんも参加されていたのです。「世界にノーモアヒロシマを広めていくためには、東南アジアでの日本軍による虐殺の事実を学び伝えていかなければ」と話されていたのが印象的でした。思った通り、事前学習の資料は、量といい、緻密さといい、質といい半端ではありませんでした。そして現地では次から次に林の中に分け入って虐殺現場や、そこに建てられている殉難華僑慰霊碑に線香を手向け、現地の方
の話を聞き、移動のバスの中でも早口に、日本軍の虐殺史を資料に基づいて説明するバイタリティの高嶋さんに圧倒され続けました。
シンガポールやマレーシアには様々な民族が共生していました。中国人、インド人、マレー人、その他・・・。民族の違いで、宗教、服装、住居、生活様式等も、それぞれに違っています。違いを認めた上で暮らし合っている異文化共生がとても味わい深く思いました。 子どもらが遊んでいました。色とりどりの民族衣装を着て女の人が庭を掃いていました。牛やアヒルがゆっくり道を、横切っていきます。油にまみれて働いている人も見えます。「人民はみんな同じだなー」なんてとても懐かしくも感じました。
でも、こうしたゆっくりとした営みをこんな遠いところにまでやってきて、一挙に破壊し、多くの中国系住民を、抗日ゲリラと決めつけて、虐殺していった日本の行為 は、深い傷跡としてしっかり残ってもいました。軍刀で刻まれた傷跡が痛々しい体が、日本の東南アジア侵略を詳しく記した教科書が、日本占領時期死難人民紀念碑と刻まれた華僑大虐殺の犠牲者の墓である血債の塔が事実を語り伝えていました。地図から消えてしまった村のあったことも、真珠湾攻撃の1時間前にマレー半島コタバルで開戦していたことも、この井戸や沼池に惨殺して投げ込んだことも、何もかもしらなすぎたことに愕然としてしまいました。アジア太平洋戦争という認識を改めて実感し、「日本製品は買いたくない」「原爆投下は、神の救い」といわせてしまう日本の有り様を問われた旅でした。でも「明日のため、不忘可許、子供達に事実を伝えてください」と私達を励ます笑顔に救われ勇気をもらった旅でもありました。高嶋さん、 あのときもお世話になりました。


今までの石川中裁判の流れ
2002,3現在


裁判番号==平成13年(ワ)題443号 裁判名==損害賠償請求事件                                                                                                          
裁判官  廣田民生氏・鈴木秀行氏・山田直之氏
第1回   2001年4月12日          傍聴者60名
原告・根津さん側弁護人 和久田修氏・萱野一樹氏
原告・根津さん訴状提出 及び、第1回本人意見陳述(ほうせんかNO2参照)


訴状の主な内容
1999年8月30日、八王子市教育委員会が、根津さんに出した訓告処分は不当である。
教師の授業内容自体を捉えて処分することは、教育行政の違法な支配・介入である。
憲法10条・個人の尊厳、憲法21条・表現の自由、憲法23条・学問の自由、憲法26条・教育を受ける権利・教育の義務、及び、教育基本法1条・教育の目的、教育基本法10条・教育行政、違反に当たる。
被告・八王子市代表者 黒須隆一氏     被告弁護人・ 木下健治氏
 
第2回   2001年5月31日           傍聴者58名
被告・八王子市側の主張(訴状に答えたもの)
@、訓告処分は処分ではない。
A、事実関係の中で、『秋山校長は原告に対し、(19日=すでに授業が終わっていた日)「……このような授業は止めてくれ」と指示した……』と主張する。
B、原告の使用したプリントは、中学校学習指導要領から逸脱している。

第3回   2001年8月23日            傍聴者47名
原告・根津さん側の主張


@ 新潟大学法学部・成島隆教授に意見書を提出して頂く。(2001/8/1)甲第10号証  
意見書の趣旨は『日本国憲法、及び準憲法としての性格を持つ教育基本法の趣旨からすると、平和で自由で民主的な社会が成立するためには教育の力が重要であり、そのためには、教師の教育活動の自由が必要である。校長が教員の具体的教育活動に対して職務命令を発することは、憲法、教育基本法、学校教育法に照らし違法である。学習指導要領とは、教育基本法→学校教育法→学校教育法施行規則という「法令規制の連鎖」によって文部科学大臣によって出される告示である。学習指導要領には法的拘束力はなく、その内容自体も「教育課程の枠外にあたる大綱的」なものでなければならぬ。根津さんの授業は現行の指導要領の「大綱的基準」の範囲内にあることは明白であり、処分は違法である』


A第2回の公判で八王子市側が主張した『事実関係』つまり『校長の嘘の部分について』………このことに絞って根津さんは、第2回目の意見陳述(ほうせんかNO3参照)
被告・八王子市側の反論
  紙面にして数枚程度の準備書面で、なんら論説的なものではない。「本件プリントに基づく指導は、学習指導要領に逸脱……」と主張。

第4回  2001年11月8日       傍聴者35名   警備法廷
被告・八王子市側の主張のあらまし


@、「学習指導要領は法的拘束力があり、指導要領を受けた中学校指導書によると、愛国心を育てるために国旗・国歌を尊重する態度を育てると書いてあるのだから(日の丸・君が代)は学校で教え強制してよい。学習指導要領に基づく国旗・国歌の指導は、憲法第13条、第19条、第26条、並びに、教育基本法第1条、第10条に基づいて、人格の完成を目指し、平和的な国家および社会の形成者としての国民を育成することを目的として行っているものである。原告の授業は、これらの目的からみると、適切でない」と主張。証拠として、学習指導要領と、国旗・国歌の指導について書いてある文部省発行の新聞の写しを提出。


A、また、被告・八王子市側は、事実関係で『うそ』をついていたことを認めた。……『訂正する』というかたちで……。
これにより裁判は『事実関係の争い』は無くなり、単なる損害賠償請求事件ではなく、『憲法の表現の自由・学問の自由を問い、教育基本法の基本精神を問う』裁判であることがはっきりしてきました。裁判所が、正義に基づいた裁判をするかどうか、注目してください。

第5回  2002年1月24日       傍聴者40名   警備法廷
原告側 高嶋伸欣教授の意見書提出


 意見書からの抜粋
 ……このことは、少なくとも高校段階では1990年代から、教科書が主たる教材ではあってもそれ以前の絶対的なものから相対的なものに、性格を転換することが、文部省自身によっても容認されていただけでなく、2000年代の新教育課程は高校だけでなく、小・中学校も同時に考えることを中心とした学習、思考力育成を重視する学習へ転換をめざすものであることを、文部科学省は明確に提示してきている。条件が整い次第に、ここで例示したような記述が中学校高学年向けの教科書に登場することになるのは当然の成りゆきでもある。


 この点でも、根津教諭が3年生の最後の授業で「考えましょう、と生徒に呼びかけ」たのは、社会情況の変化に対応した学校教育の新しい役割を的確に読み取った上での、創意工夫の妙を発揮したきわめて適切な授業展開であったと評価される。その一方で、前述の和田参事の場合は、こうした社会の時代の変化にほとんど対応できないまま旧態依然の認識をもって根津教諭への公権力の行使に主導的役割を果たしたとすれば、その責任は重大である。この点で見る限り、同参事が現場教師に対する指導的立場にあることに関して、その資質と能力などの適格性についても疑問が生じざるを得ない。
                        (以上 文責編集部)


傍聴者の声

…………ほうせんか種蒔け 遠くへはじけよ………

愛しのTシャツ 3        東京  (M・F)
 

9・11以降、世界の20世紀文明がガラガラと音を立てて崩れていくのを唖然として見ているような状態の毎日が続く中で根津さんの第5回裁判があった。今回、提出された琉球大学高嶋教授の意見書を事前に読む機会があった私は、教授の教育に対する真摯で探究的な実践と、それに裏付けられた説得的で実証的な意見書に、久しぶりに心が満たされ勇気付けられていた。そしてその影響か、私が根津裁判を支援するようになって抱えたTシャツ問題を、やはり大切にしようと考えた。そこで、私たちがアピールしたいこと『強制反対・日の丸・君が代』『OBJECTION・HINOMARU・KIMIGAYO』をプリントした「ニテール・カルダンTシャツ工房」のTシャツを着て行った。


401号法廷前の廊下に着くと、早速、「法廷」と書かれた腕章をつけた背広姿の男性が様子を見に来た。前回も姿を見せた男性職員で、トランシーバーを持っていた。続いて、もうひとりの若い男性がきた。掲示物に土屋靖明と書かれている担当の書記官だった。土屋書記官は、「あのですねぇ」と言い始めた。我々Tシャツ工房の販売部長の友人と私は、このTシャツをどうして着てはいけないのか理由をちゃんと聞こうと決めていた。私たちは、「法廷の権威と秩序は尊重されなければならない。が、私たちの表現の自由も尊重されなければならない。前回も騒いだりしなかったし今回もそんなつもりはない。どうしていけないのか、理由を知りたい。裁判長に聞いてほしい。文書で答えを要求する。お願いします。」というようなことを繰り返した。私たちがしつこく食い下がるので、気弱そうな感じの土屋書記官は困っていた。が、結局、土屋書記官は奥に聞きに行ってくれた。その間に傍聴者はどんどん集まってきた。すらりとした女性が白のTシャツを買ってくれた。(この日,この後、彼女と喫茶店でおしゃべりした。実にさわやかでおおらかな女性だった。)やがて自衛隊員が着るバッタ色の警備服を着た専門の職員が、廊下の向こうにちらちら姿を見せ始めた。脅しと圧力のつもりだろう。しかし、一人一人は、なぜかみんな目を伏せている。10分くらい前だっただろうか、土屋書記官ともうひとりの職員が戻ってきて、「@Tシャツを着て法廷に入ってはいけない。裁判所の判断である。A文書では答えない。B前例がない」ということを私たちに伝えた。前回同様、理由を言ってはもらえなかった。

私たちの居る廊下には『傍聴についての注意』と書いたものが掲げられている。そのどこにも、Tシャツはいけないとは書いてない。しかし、11時、開廷の時間だった。時間を遅らせることはできない。前回、『着ていたら法廷を延期する』という圧力的通告があった、と漏れ聞いていたから、私たちは、上着を着たり、ショールを羽織ったりして入廷した。中に入ると、警備の中年の男が「マフラーをとりなさい」と言った。「とってください」でも「とっていただけますか」でもなく……。(アルジガイバルト、・・マデイバル……。)誰かが、小声で「とりなさいじゃねぇだろ」と言っていた。が、みんな一斉に取った。さらにその男は、マスクの人の顔面を指差し「花粉症ですか?」と聞いた。その人は、頷いた。(ああ、私たちは、悲しいくらいいい子だった!)後ろには、ずらりと警備の男たちが立っていた。あの時、私だけだったのだろうか、警備の男たちを鉄格子と感じ「私たちは檻の中に居る」と思ったのは……。私は、心の中で自分に言い聞かせていた。「まず、認識しろ、この現実を」と。


開廷……舞台の上の裁判官たちと、右と左のそで下の弁護士さんたちとでボソボソと次の日取りを決めていたということしかわかりませんでした…残念…数分後閉廷。
 「なんだ、もう終わりか」という感じで、ぼーっと座っている傍聴者に「閉廷です」と催促するバッタ服。何度も催促し、私達を押し出すと、ガチャリ、法廷の鍵は閉められた。
 私達は、今回も、Tシャツの上に上着を羽織ったし、騒いで法廷の秩序を乱したりはしていない。裁判所側の言う注意をきわめて従順に守った。にもかかわらず警備法廷とはどういうことか? Tシャツを覆った段階で警備員が引き上げたのならわかる。しかし、そうではない。Tシャツを覆ったにもかかわらず、警備法廷なのはなぜか? 理由を聞く必要がある。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


私はこうしています  根津支援・勝手連の活動紹介 1


♪♪♪   こんにちは 草の実会です!  ♪♪♪   舛田 妙子


皆さんは、朝日新聞の「ひととき」欄を御存知でしょうか? 戦後間もない時期に新設された、"女性専用"の投書コーナーです。1955年、ここへの投稿がきっかけとなって誕生した「草の実会」は、『戦争は絶対反対』という柱のもと、一人一人が自主的に集まってできました。女性への不当な差別の歴史を背負い、戦争下での犠牲をも強いられた女たちは、噴き出る思いを持ち寄って、それぞれの持つ知性や感性を互いに放電し蓄電し合いながら、平等で平和な社会を目指して活動をはじめました。1本の指揮棒に従って動きがちな集団の多い中、会長も役員もいないこの会の行動は常に会員の意思が起点であり、必要があれば何回でも話し合うことで厳しい時代を乗り越えてきました。
 子どもの手を引いて会合に参加する母親がたくさんいたそうです。その子どものひとりが、あの『非戦』を出版された坂本龍一さんです。今の彼に多くの影響を与えた母親が草の実の会員であることを我が子に伝えましたら、「草の実って、すごいね!」。(どういう意味で、すごいのでしょう?)ともあれ、素直にうれしいことです。
 60年安保闘争はもちろんのこと、日本がおかしな方向に傾く危険を感じた時は必ず、草の実会は行動を起こしました。それは今も続いています。


今、多くの会員は老齢期に入り、それぞれに故障を抱えながらも世情が引退を許しません。若い人たちにたくさんの事を伝えていかなくてはならない生き証人なのです。中心となって活動しているのは70〜80代の方々なので、飛び回ることは難しくなっていますが、まだまだ精神力が旺盛。なにより平和の大切さと歴史の真実をからだと心で知っている、貴重な人材の宝庫と言えるでしょう。


私は2000年の夏、毎年8月15日に行われる「草の実会8.15反戦デモ」に初めて参加して、彼女たちのものすごさに圧倒され、会員になりました。俗に言う活動家の"業界用語"はビラにも横断幕にもプラカードにもありませんし、大声で叫ぶこともなく、静々とゆっくり歩くのです。先頭には、スピーカー車が1台ゆっくりと、周りの人々に語りかけるように呼びかけながら進みます。なにしろ平均年齢が70代ですから、ジグザグなどやるわけありませんけど、ひとりひとりが危機感を持って歩いている姿は、迫力がありました。昔は5月3日にもやっていたそうです。


 もうひとつすごいのが、機関誌の発行です。68〜80ページの内容はすべて会員の寄稿によるもので、編集、校正、割りつけにいたるまで、会員が当番制でこなしているのです。発足以来月1回の発行を続け、今は手が足りないので2ヶ月に1回に減らして、充実した内容になっています。最新号は、462号です。新会員のわたしにも寄稿しなさいと勧めてくださったので、根津公子教諭のおかれている状況を書き始めました。300名余りの会員(誌友)が読んでくださるので、反応もすぐに現れて「石川中裁判を支える会」の会員になってくれる方も出始め、「文化人アピール」にも賛同団体になることが了承されました。『今、中学校では・・・』という連載なので、根津公子教諭の事だけではなく、息子の通う中学校の話や元中学校教師の座談会など、近頃の中学校事情を書かせてもらっています。身近に中学校生がいない会員の方々に好評で、今6回目を執筆中です(まるで作家気分)。これからも裁判の進捗状況や、多摩市教委、都教委の有様、中学、高校の卒業式入学式ルポなど、書いていく予定です。これがわたしに出来る根津公子教諭支援行動です。


もし、購読を希望してくださる時は連絡ください。会員になれば寄稿もできます。また、戦争をくぐりぬけてきたおばあちゃんたちの貴重な話を聞きたい方は、どしどし問い合わせてください。

連絡先:八王子市東中野543−2 舛田妙子   TEL:0426−75−0908

私たちはこうしている 勝手連の活動

 
原稿募集しています  

事務局まで

石川中裁判を支える会・2002年度年会費納入のお願い日頃、「石川中裁判を支える」にご支援をいただきありがとうございます。4月になり会計年度が新しくなりました。昨年春に会員の手続きをされた方は、本年度文の会費2000円をお振込みくださいますようお願い申し上げます。振込先 石川中裁判を支える会 00150-7-15453


《書物紹介》 ……ミサイルの代わりに…………

もしも、25年間、権力が人びとの頭上に降らせていたのがミサイルではなく書物であったなら、……もしも、人びとの足もとに埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったなら、数百万のアフガン人が死と難民への道を辿らずにすんだでしょう。(モフセン・マフマルバフ著・アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ・現代企画室より)★「八○年代の教科書問題」 高嶋伸欣 新日本出版    ★「教科書はこう書き直された」 高嶋伸欣 講談社★「写真記録・東南アジア第5巻・マレーシア、シンガポール」 高嶋伸欣 ほるぷ出版  ★「教育勅語と学校教育」 高嶋伸欣 岩波書店★「福沢諭吉のアジア認識」 安川寿之輔  高文研   ……高嶋教科書訴訟でポイントになっている福沢諭吉の「脱アジア論」とは……
★「お眠り私の魂」 朔立木  光文社
   ……フィクションにしてはあまりにもリアルな権力に汚染された裁判官の実態……
★「裁判官を信じるな!」柳原三佳・松永憲生・寺島和史   宝島社
   ……読みやすい文庫本……だけど、本当なのと思っちゃうョ…… 

戻る