ほうせんか7号多摩版
石川中裁判を支える会々報NO.7 2001年6月15日(土)発行連絡先;0426-64-5602田中
郵送住所;〒190-0022 立川市錦町2-4-22 加藤方 
 郵便口座00150-7-15453 石川中裁判を支える会
多摩版編集部mail:f-hiroko@abox7.so-net.ne.jp
ホームページhttp://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/nezu/index.html
http://www.din.or.jp/~okidentt/nezusan.htm・http://lovepeace.org/ks-m/peace/mokuji.html


多摩中での大きな成果を全国に!!
                             編集部
ほうせんか6号でお知らせいたしました通り、昨年9月、当時の多摩中前島校長によって申請された「指導力不足教員等」の判定について「認定せず」を勝ち取りました。元々根津さんを陥れるために仕組まれたことですが、教委側のでっち上げによって厳しい状況になっていました。まさに土俵際、ぎりぎりのところで踏ん張っている根津さんと支える会に対して多くの方の後押しがあって、うっちゃることができたというわけです。
こうした多摩中の闘いの成果を全国の人に返していくために、編集部では、かかわってくださった様々な人々の姿や声を互いに伝え合い、交流しあっていければと考えました。
ほうせんか7号では、まだ数人に限られていますが、今後の号でも紹介していきたいと計画していますので、読者の皆様もぜひ「声」をお寄せください。
                     
北海道から、おめでとう 八木田 糸(北海道)


「都教委・市教委の挫折」なんと清々しい思いでしょうか。
彼らの唯一の武器「権力」をもってしても企みが果たせない程、真実の力は強いということ、いかなる権力に対しても本気で闘えば勝てるということを、身をもって証明して下さった根津さん、そして支援者の皆さんに改めて敬意と大きな拍手を送らせていただきます。
 この春は、増田都子さんも「長期懲罰研修」から現場復帰が叶ったようで、ほんとにうれしいことです。
 本命の闘いはこれからですが、ゆるぎない土台ができたのですから、意を強くしてまたがんばっていきましょう。
 今年は春が早いようで北海道のさくらも1ヶ月早く開花のニュースが届いています。近くの公園のさくらも今年は特別な思いで眺められそうです。おからだ、お大切に。


ほうせんか7号(多摩版)内容ご案内
・ 北海道からおめでとう        八木田 糸・・・・・・・・・・・1
・ 多摩中問題にかかわってきて  中島ゆり 工藤英三 遠藤良子・・・・・2
・ 日本中からの声(電子署名より      編集部・・・・・・・・・・・5
・ こんな総会・集会にした       古荘斗糸子・・・・・・・・・・・7
・ 減給処分に対し不服申し立てる     根津公子・・・・・・・・・・10


多摩中問題にかかわってきて

根津さんの問題は私の問題
中島ゆり
 根津さんと知り合ったのは、2001年1月のとある集会であった。私は彼女と二言、三言しか話をしていないが、そのなかで、全く何気なく、「男女平等教育」に関心があるという話を私が一方的にした。そのとき、私は根津さんが石川中裁判をおこしていることも、なにも根津さんのことを知らなかった。ただ、一中学校教員であることのみ知っていた。
 根津さんが、「男女平等」の視点から、「『従軍慰安婦』問題」「同性愛者」について授業で扱い、一連の騒動となったのは、私が彼女と話をしてからすぐのことである。それが、あのときのあの教員であったのだということに気づいたのは、5月に入ってからだったが、本当にショックであった。それは、なにより、私の発したことばに責任を感じたからである。実際に、根津さんが私のことばに影響を受けたかどうかは関係ない。気軽に、ある意味「純粋」に、「男女平等教育」が大事だと話せるような社会ではなかったことに衝撃を覚えた。そして、このような社会では、私が気軽に話したことによって、第2、第3の根津さんを生み出しかねない、と青ざめた。しかし、同時に、そんなことで責任を感じなくてはいけないなんておかしな話だ、と複雑な心境でもある。


根津さんの事件は、男女平等教育問題から、徐々に指導力不足教員問題へと移っていき、いまや前者の問題はどこかに消え去ってしまった感がある。しかしながら、「男女平等教育」をおこなった根津さんに対する文句が、周りの人間や教育委員会によって即、「却下」されなかったことは本当に大きな問題であったと考えている。根津さんのおこなった男女平等教育の「内容」がまずかった、という人もいるかもしれない。しかしそうであれば、「正しい男女平等教育」とは何なのだろうか。それは誰が決めるのだろうか。私は彼女の運動が一方的に吟味されるような仕組みに今でも危機感をもっている。


ともあれ、根津さんが学校に残れることが決まって本当に嬉しい。支援者の皆さんには、いろいろな考えをもった、いろいろな立場の、いろいろな人がいると思う。皆さんやがどのように考えて参加しているか詳しくは知らないが、何かを変える力とは、このようないろいろな人に支えられているのだと、実感することができた。私自身は、責任と危機感から、力のひとつになろうと考えた。根津さんの問題は、今でも私の問題であるのだ。

「ちらし」 くばり の弁

工藤 英三(日野市)
 私は、多摩中の根津公子教諭のことで、彼女に対する攻撃の不当を訴える「ちらし」配りに参加した。学校前の路上で一度、京王線桜ケ丘駅頭で三〜四度。
彼女に対する攻撃は、校長と教育委員会が「ぐる」になって、陰湿な嫌がらせをし、脅しをしかけ、隷従を強いる国家的不当労働行為であった。いわれなき事情聴取、乱発される職務命令、授業監視、保護者をつかっての締め付け、そして生徒に教師の言動に関してスパイ的活動をさせる、というもの。
彼女に教師としての誇りと喜びを覚える労働の時間があっただろうか。


権力者は、目的のためには手段を選ばない。例え、その作戦が誤りだったと分かっても、メンツ維持のために引き戻れない。官僚は謝ることをしない。
前任校、八王子の石川中時代での「学習指導要領」逸脱という攻撃に対し、裁判で争っている彼女を、多摩に迎え打つための役者を準備していたのであろうか。
「そんなこと嘘」と普通は思うだろう。だが、校長も教育委員会も、根津教諭に、そして「なんか変じゃないか」と駆けつけた私たちに、いま流行のはずの「説明責任」に一切、応じなかった。応じれば、私は「ちらし」くばりをする必要がなかったのだ。


 かくして私は、根津教諭への権力者の攻撃の理不尽さを訴える「ちらし」くばりに立ち上がる。毎日報じられる出来事、見てごらん。与党の政治家、高級官僚、その裏にいる金持ちの階級いわゆる政・官・財。別の見方では立法・司法・行政。彼らの腐敗・堕落・横暴。しかし、おもてに表れるのは内部告発などでやっと、氷山の一角。
中谷防衛庁長官が、「自衛隊は軍隊」と憲法違反を宣言する(5月16日、衆院特別委)も咎める三権の長はいない。恣意的法治国家。法のもとの平等どころか、権力者の都合で左右されるだけの法。彼らはこの体制への批判を許さない。子ども達に真実を示す教育を許さない。根津教諭への攻撃はその一端。
私は「ちらし」をくばるだけ。その内容は素晴らしい。静かな言葉で論理的に事実が並べられる。いつしか私は、訴えの主人公になっている。かくて私は手ざわりのいい紙質の「ちらし」を、熱いハートで、ちょっとはにかみながら人々に手渡した。1時間に50枚〜100枚と。

キーワードは「保護者」
                  遠藤良子 国立市民

 私は前に、根津さん裁判を傍聴した時のことを書かせていただいた記憶がある。その時は、「ついに根津さんが裁判で自分の正当性を主張しなければならない時代になってしまったのか」というような事を書いた気がする。


 根津さんが八王子にいた時から知っている私としては、裁判が何程の効果があるかわからないし、姶めた以上勝つまでやるとなると、いつ終わるかわからないだろうという事もあり、「裁判に使う時聞とエネルギーとお金を子どもたちと授業と平和運動に向けられたらどんなにいいだろう」とも思った。でも、教員という職業を持つ人が、その質と内容を変えずに仕事を続けるためには、社会的に堂々と自分の正当性を訴える事で自分の立場を守り主張する必要もあるだろうと思い、支援していきたいと思った。


 そして多摩中問題である。そういう根津さんの異動先となった多摩中は、最初からそのつもりで身構えていたのであろう、市教委、校長一体となって、根津いびり・いやがらせを始めた。そしてそれに乗ったのか、乗せられたのか、一部の保護者が根津さんの教育内容に文句をつけ始めた。根津さんは、それまで何があってもいつも、生徒・保護者からの厚い信頼を得てきた。そしてそれが彼女の教育に対する信念を確かなものにしてきたのであろうと私は思ってきた。ところが、その根津さんに対して「糾弾保護者会」が開かれたときき、これは只事ではないと感じた。「デヅチあげられる。ほっといたらヤラレテしまう」と直感した。国立ではそれで多くの教員が去ってしまった。「同じ事を許すまい!」という思いで私は運動に積極的に関わり出した。


 そしてやはり、国立でも見られたような「保護者の声」という名のいかがわしい誹謗中傷が根津さん排除の「根拠」となっている事を知り、そういう時だからこそ、そこに惑わされずに根津さんらしく仕事を続け、支援者は原則的な運動を続け、必ずいるであろう根津さんを信頼し期待している子どもと保護者に向けて、根津さんの姿勢を発信し続ける事が問われていると思った。
しかし毎日通う職場がそんな状態で、根津さんはさぞかし行きたくないだろうと思うと安易に「頑張れ」とは言えないのだとも考えた。


ほんとに苦しい時期を根津さんはよく耐え、闘い 持ちこたえてくれたと思う。私などは無責任に外で言いたい事をいい、やりたい事をやって運動していればよいが、根津さんはそうはいかない。学校の中での一挙手一投足が監視され因縁をつけられる事となる。職場での闘いというのは半端じゃないと思う。ことに女性にとっての職場の闘いは女性差別も重なりしんどい事になりがちだ。男女平等教育に取り組む根津さんにとっては、日々の闘いがまさしく、家庭科を教える女性教員として、自分の生きざまを問われる闘いとしてあったのではないだろうか。


 今私の住む、国立市の学校現場は、「保護者」という立場の多くの女性達に対して、学校・管理職側に立つのか、子どもの側に立つのかを迫っている。そして管理職側に立つ女性達(母親達)も「子どものため」だと思っているからややこしい。私から見れば、調子のいい数育委員会学校指導課や校長・教頭にある事ない事吹き込まれて、「利用されている」としか思えないが、彼女達はそうは思っていない。ここが肝心なところだ。父や夫の下で、とりあえず力の強い者(男・権力)の側にいれば何とかなるという幻想を頼りに生きてきた女性たちはそれを学校に当てはめたとき校長の言う通りにしておいた方がいいと考えるのは容易な事だから、そして権力の側にいる男たちは、言う事をきく女を大事にする。日常の女性差別はこういう時に役に立つのだ。普段は社会的に正当に評価されない女たちは、自分でも「社会に役に立つ事がある、学校の役に立つ」と思わされた時、俄然力を発揮する。そこでやおら、「PTAは学校のお手伝い。落ち葉はきに、監視見回りに、お役にたつのがPTA」という事になる。このボランティア精神は、実にやっかいである。「こんなにいい事をしてるのに、何がいけないの?何で反対されるの?」となってしまう。そもそも PTAとは何か?等という面倒な事は自分の考える事じゃないと思ってしまっているから、話が通じない。こうやって日本という国は、女をたぶらかして持ち上げて、侵略戦争に乗り出していったのではないだろうか。


有事法制が現実の日程に上っている今、あらゆる階層の女性たちが、自分の身の振り方を問われている時代なのだと思う。そういう時にこそ闘う根津さんの存在価値は大きい。女性がいかに生きるべきか、教育とは何かを、共に問いながら、共通の敵に向かって歩み続けたい。

全国からの声 
―電子署名を集めて―


             
電子署名文まとめ 福島博子
今年2月に「根津さんの処分をとめよう」緊急署名実行委員会(6団体の呼びかけからなる)は緊急要請書(要望趣旨は下欄参照)を都教委に提出しました。そこには、いわゆる署名のほかに、電子署名というものを加えてもらいました。いくつかのホームページなどで「電子署名」を集めているのを知っていましたが、今回、集めたのは、ホームページではなくメールアドレスに直送という形でした。


ホームパージの仕組みなどを知っていれば事後処理も楽にできるのでしょうが、パソコン初心者の担当者にはこつこつと自分のアドレスに送ってもらう以外できません。少々、手間ではありましたが、しかし、全国から集まった248名分を読んでいくと、心が熱くなってきました。一言を書いて直送して下さる方も多く、その一言によって担当者も根津さんも励まされましたし、また、都教委の中の心ある人にはきっと胸にこたえたことでしょう。
以下、賛同の声のほんの一部をご紹介させていただきます。(氏名削除、地名のみ表示)

○あなた方のしたこと、していること、しようとしていることは、東京という一地方だけでなく、世界中の人々のまなざしの中にあります。この時にあなた方の名前はその決断と共に記録され、必ず歴史的評価の対象とされます。そのときにあなた方の名前が汚点として歴史に記憶されないために、公正で人権に配慮した判断に基づいて、根津さんに対するこれ以上の人権侵害のないように強く望みます。        (愛媛県 新居浜)


○ジェンダーに敏感な視点を育てる教育はこれからもっとも必要となってくる問題です。根津さんのような教員こそが、これからの道を切り開いてくれる教員だと思います。危惧されているようなことがもしも実行されるなら、東京の教育は死んだといわなくてはなりません。

                              (国分寺)
○ 真実を語り伝えることを強制という暴力によって制限し、それでも真実を語ろうとする者に「危ない人」というレッテルを貼り付ける。さらに抵抗する者は「処罰」し、やがてどんな卑劣な手を使ってでも「排除」する。あなた方がやろうとしているのは、こういうことです。人々に話せば、「それは戦前のことですか」という質問が帰ってきます。根津公子教諭に対する「指導力不足等教員」の申請を今すぐ却下してください。(大阪)


東京都教育庁 教育長 横山洋吉 様
【要望趣旨】
2001年9月、多摩市立多摩中学校長は、同校教諭根津公子さんに対して「指導力不足等教員」の申請をした旨通告しました。この申請を、多摩市教委が上申し、貴教育委員会が受理しました。それから4カ月経過しましたが、根津さんの授業実践の何が問題なのか、未だに合理的な説明は一切なされていません。この長い期間、当事者は精神的に圧迫を受け、人権を脅かされてきました。
貴教育委員会は、速やかに「申請は却下」という判定結果を出すべきである、と強く要望します。
2002年2月「根津さんの処分をとめよう」緊急署名実行委員会


○根津さんがやったことが「指導力不足等教員」と認定されてしまうようでは教師は独自な発想で教育活動に取り組むことなどできなくなってしまうでしょうね。
 新学習指導要領では、まさに、カリキュラムに縛られない、地域の特色を生かした、子どもたちの思いに基づいた教育をやりなさいと言っています。
 根津さんの授業は、それに当てはめれば何ら支障のないものだ
 と思われます。
 校長の判断で「指導力不足等教員」にされてしまうのでは、誰も創造的な仕事をしなくなるでしょうね。
                           (横浜市)
○「教員の指導力不足を客観的、合理的に立証することなど不可能です。自由で余裕のある(人員などで)教育環境をこそ整備する中で、自然に教員相互に、そして何よりも児童・生徒との相互作用を通して、向上していくといったこと以外に、教育の質の向上はありません。理想論だといわれても、それ以外のさまざまな管理的手法でなされる試みは、教育の質の向上とは関係ないものとなりがちです。賢明な判断を要請します。」
                             (茨城県龍ヶ崎市)
○ 「根津先生は非国民ではありません。権力にひれ伏して日本の将来を自分の頭で考えていないのはどちらですか?」               (北海道)
○わが千葉学校労働者合同組合の書記長で、教育委員会と公安警察によってでっち上げ逮捕され、不当解雇された渡壁隆志さん同様、根津処分攻撃は、戦時教育体制へ歯向かう学校労働者への見せしめ弾圧です。不当処分策動へ満腔の怒りと共に闘いぬく連帯の気持ちを送ります。   (千葉)
○大至急、根津先生に教わった生徒さんと対話してください。根津先生が偏向教師なのかどうかということを決める権利はあなたがた都教委ではなくまず生徒さんです。
生徒さんたちの意見を無視して勝手な処分をすることは断じて許しません。根津先生を勝手に処分することであなたがたはますます生徒さんや良識ある納税者の笑いものになることでしょう。根津先生が従軍慰安婦や同性愛を授業にとりあげることは国際基準でいうとあたりまえのことです。
わたしはむしろあなたがたが根津先生に学べと言いたい。いくら考えても処分されるのは根津先生の有益な授業を妨害しているあなた方の方です。
これ以上、本音で生徒に接することのきる指導能力ある根津先生の授業妨害をしないでく
ださい。
さもないとあなたがたに辞任してもらうようわたしは考えなければなりません。
根津先生をやめるよう画策する暇あるなら少しでも現場で生徒と対話してください。
優秀な教員の指導の足を引っ張る都教委っていったい何なのですか。
わたしはいま潰れそうな職場に勤務していてそれでも毎月給与から税金払っています。あなたがたが優秀な教員への「いじめ」をするために税金払っているとしたら本当に腹が立ちますし教員失格どころか「国賊」「人間失格」ですね。
根津先生に「人権教育」してもらったらいかが?            (新宿区)

(電子メールの一言は2002年6月12日20時までに連絡を取れた方のみ掲載しています)
         

こんな総会・集会にしたい
――支える会・一年間の活動を活かすために――  

石川中裁判を支える会事務局の一人 古荘斗糸子
<総会に期待する>
一人一人が行動したこと、そこで見たこと、そして自分の思いをことばにするきっかけに
支える会、1年間の記録を総会に出します。実にたくさんの人たちが多摩中学校、多摩市教育委員会、東京都教育委員会に足を運び、話し合いを求め、「質問書」「要請書」「抗議文」を提出し、根津さんに強行された"事情聴取"や"弁明の機会"の実施が正当であるかどうかを監視し、そこで見たことをまわりに伝え、行動が広がりました。さらに都庁前や桜ヶ丘駅前でのチラシ配り、多摩市教委に請願を出して傍聴、多摩市議会の傍聴、そして支える会の会議や「1・12集会実行委員会」や「緊急署名実行委員会」などの会議への参加に、たくさんの人たちが遠くから駆けつけ、日程をやりくりし、ある人は休暇を取って、時には朝早く、また夜遅くまで関わりました。また、周囲の人に何が起こっているのかを伝えて集会への参加を誘い、緊急署名集めに奔走しました。直接、足を運べなかった人たちは電話、FAX、メールなどで自分の思いを行政や更に新しい仲間に伝えました。それらの熱気を思い返すたびに、1年間、行動してきて本当に良かった、と思えるのは、関わったみんなの共通の喜びにちがいありません。
どうして継続できたか、という質問を時々受けます。それは、行動した一人一人が見た通りのことを伝え合った、これが出発点でした。"密室"を開いて、見た事への驚きと怒りが原動力となり、「とにかく来て!」と呼びかけ合い、広がりました。その内容を、とりあえず2つに分けてみます。@根津さんの闘いが、どんな風に私たちを惹きつけたか。A私たちが、どんな工夫をして行動し続けたか。
私が抱いてきた"思い"の一端を言えば、次の通りです。@根津さんの教育活動が、徹底して子どもの側から組まれてきたことが、多くの人たちの共感を呼びました。そしてその教育活動をやり通すための、彼女自身の闘いがありました。更にその闘いの"用意周到さ、注意深さ、慎重さと緻密さ、原則性そしてゆるぎなさ"に、私たちは共感し、触発され、自分たちも闘い始めたのでした。
そしてA. *誇張、でっち上げ、虚偽、弾圧としか見えない事実でも、できるだけ客観的、冷静に、みんなが"見"て、白日の下にさらすこと。*一発勝負で終わらせず、次回の行動の可能性を願い、実現させること。*予断、偏見、推測をもって感情的に行動しないこと。どんなに怒っても、怒りが深いほど礼儀を尽くし、事実に即して"思い"を伝えること。
昨年4月23日、市教委が根津さんに対して、事情聴取を行う旨を伝えたことを知って驚いた私たちは、真相を質しに市教委を訪れ、続いて多摩中学校長を訪れました。この校長訪問は、話し合いが10分間持てた最初で最後の機会でした。校長は「校長、教頭、根津さんしか知らないことを何で知っているんだ!」と憤慨しました。その後私たちは、何度か市教委との話し合いを持ってきましたが、私たちの質問に対して市教委は、「根津さんからお聞きになって知っているでしょう」と、しばしば明確な解答を避けられました。しかし私たちは、*情報を根津さんから聞くのはもちろんのこと、行政側の"言い分"も"説明"も十分求め、耳を傾け、行政の"良識""公平性"を忍耐強く期待して要求し続けました。
*私たちの側は代表制を取らないこと。市教委との話し合いは、しばしば厳しい人数制限を条件にされました。しかし、いつも"代表"以外にも何人かが必ず参加してきたことは、とても重要なことでした。市教委との話し合いの相手に"選ばれた代表"より、よっぽど手ごわい存在だったに違いありません。代表制は、たやすく運動や組織の中の意識を分断することに利用されやすいからです。
*こうして関わった多くの人たちが、最初は根津さんの闘いから学び、次第に互いに学び合って自らの"当事者意識"を高めてきたことが、継続して来れた理由の1つではないでしょうか。

総会では、ほんの数人が語り、「ほうせんか」にも数人が書くでしょう。それを聞いたり読んだりした他の多くの人たちが、「自分ならもっとこうだった!」と言いたくてウズウズし、欲求不満になる、としたら総会の成功だと言えないでしょうか。
 
<集会に期待する>
学校をひらく……日頃、学校で経験して感じた"悔しい思い"または"願い"を、ことばにするきっかけに
西沢博史さんのお話は、子どもの学習権や基本的人権が侵されようとするとき、それを守るための闘いは、教師の任務である、という観点でされるでしょう。まさに、根津さんの活動そのものを指した内容になるでしょう。
一方、ほとんどの学校は、子どもの権利や子どもの側に立った教師の自主性を抑圧する存在になってしまっているのが現実です。この問題にどう取り組んだらいいのでしょうか。
集会で、西原さんの基調講演を聴き、それを契機にして具体的に掘り下げるのは、私たち一人一人の課題です。今回の集会は、その入り口かもしれません。
学校の差別・選別・抑圧、教師の権力性と、具体的にどう闘うのか。
日頃、生徒、親、先生、それぞれの立場で、あるいは間接的に市民の立場で、学校に対して"経験"したことを、ことばにすること、から問題を浮き彫りにできないでしょうか。たてまえ論や、一般論ではなく、体や心が直接、経験したことを語ることが、今の学校を開くために、とても必要だと感じています。そして、ホンネを言い始めたら、誰しも山ほど言いたいことがあるのではないでしょうか。
きっかけに、私自身の、ほんの1例をあげます。娘が小学生の時、「くだらない宿題をやらされるくらいなら、バツをうけた方がマシだ」といって校庭を走らされていたことを、ずっとあとで聞きました。確かに、出された宿題は、彼女にとって貴重な時間の浪費としか思えない苦役のようでした。同時に彼女が担任からイジメられていた事実もあとで知りました。私も教師でした。教師の指示・命令の質が問われることなく、子どもに対して問答無用な権力的関係を、私は重大な問題だと、ずっと思っていたのですが、実は、自分の子どもも守れない親だったのでした。
 教師と子どもの間の信頼関係をどう築くか、学校に関わるすべての人にとっての大きな課題です。一方で、今の日本では、ほとんどの学校は否応なしに子どもを選別し、時には排除します。この点に鋭いメスを入れたのが30年前の「オール3評価」の実践でした。(註;公立中学校の評価方法は五段階相対評価といって、5と1は全体の人数の7%、4と2は24%、3が38%という割合が決まっています。これは競争によって他人を追い抜いてしか、いい成績が取れず、力を合わせてみんなで向上することは不可能な仕組みになっています。)
この実践を、私たちはどう引き継ぐべきだったのか、なぜできなかったのか、という思いが残っています。

多摩中問題に引き戻します。最初、「市民の苦情があって…」が理由で、根津さんが事情聴取への呼び出しがかけられ、私たちは「根津さんの教育活動は、ゼッタイちがう!ちがう!どんな落とし穴があるのだ?」と、空恐ろしく、叫びたい気持ちで動き始めました。焦燥感と怒りで、度を失いかけていたのは、恐らく私だけではなかったと思います。しかし、根津さんを初め、関わり始めた多くの教師や、もと教師たちが、自らの教育実践の不十分さや誤りを克服し、向上をめざす道は、力ずくで矯正を強制されるのではなく、仲間どおし、子どもや保護者・市民との連携で自浄力を育て合って行ってきた、という経験に基づいた自負心による強い主張をもって市教委との話し合いは始まりました。
次第に市教委の言う理由は「保護者からの1通の手紙」、に変わっていき、しかも未だにその存在も内容も不明のまま、校長が子どもや親に「根津さんは、従軍慰安婦の授業などと、指導要領にないことをやっている。ひどいだろ?」と根津さんを誹謗した事実だけが明らかになっています。
 学校に不満や苦情があったとき、私たちの周囲にも、当事者どおしの地道な話し合いを飛び越えて校長や教育委員会にチクる例を聞くことがあります。それだけ現場は信頼されていないのが実情なのでしょう。しかし、この実態を利用して権力が強権をもって制裁を行うのは当然とされ、一方でますます、権力を握った者の判断の正当性は不問にされます。
 こうした"解決の仕方"に対して、"別の解決の仕方"を、私たちは作れるでしょうか。職場の民主化による自らの労働の自主管理。地域の民主化による下からのチェック機能。などを求めるのは、絵に描いたユートピアにすぎないでしょうか。
 権力を握った者の指示・命令・言動の正当性を、どこがチェックするのでしょうか。多摩中学校長の言動について、市教委も都教委もチェック機能を持たないことに驚いた私たちは、多摩市教育委員会定例会に対して、2度の請願を出して、判断を促しました。ここでも私たちは失望したのです。いつの間に校長は、「不可侵」の存在になったのでしょうか?!主権在民とは、下が上を、市民が議会を、地方が国の政策をチェックする権利のことを指すはずです。学校と教師の権力性に対して、私たちがきちんと闘ってこなかった、自らの労働の質の問題と加害性に、組合も含めて向き合ってこなかったことのツケが今、恐ろしい形で顕れてきた、という気がしてなりません。
この際、学校に対して一人一人が経験したことを、具体的に洗い出す作業から、始められないでしょうか。

子どもの教育権を、どのようなやり方で回復するか。夢と希望への勇気を持てる集会にしたい
 今回の総会と集会が、夢と希望をつなげる場の始まりになれば、と願っています。
総会当日だけで行うには、あまりにも私たちの課題は大きいので、支える会では総括の予備討論をする会議を、次のように計画しています。どうぞ、たくさんのご参加をお願いします。


総会前の石川中裁判を支える会会議
6月20日(木)19:00〜 立川中央公民館(立川駅南口徒歩10分 tel 042-524-2773)
6月27日(木)19:00〜 立川中央公民館( 〃         〃       )


最後に。私の好きなトルコの詩人ナジム・ヒクメットは、獄中で拷問や虐殺やヒロシマの詩や愛の詩をたくさん書いた人ですが、彼のことば「学ぶとは、ともに希望を語ること(だったかな?うろ覚えです。)」を思い起こして終わります。

                   
減給処分に対し不服申し立てる

 
根津公子


 減給処分に対して5月10日、東京都人事委員会に不服申し立てをしました。
減給処分は、昨年9月「指導力不足等教員」の申請のために、校長・教育委員会が授業観察を行ったその授業観察の後に、校長や指導主事主導の協議会へ出席することを校長は私に命令しましたが、私が従わなかったことを理由にして行われたものです。ですからこの減給処分は、「指導力不足等教員」に仕立てることに失敗した都教委が、腹いせに行ったものです。
 不服申し立ては、東京都人事委員会事務局に「審査請求書兼代理人選任届出書」(代理人とは法廷などで弁護をしてくれる人)と「請求の理由書」を提出することで完了しました。事務局の方は提出した書類を見て、「代理人は、通常1人ですが、この件には3人もつくのですか」とおっしゃっていましたので、私は、「あまりに不当な処分なので力を入れますから」とこちらの姿勢を伝えておきました。代理人は、石川中裁判でお世話になっている萱野・和久田両弁護士に加え、宮里邦雄弁護士が入ってくださいました。
事務局の方の話では、およそ1ヶ月で東京都教育委員会からの反論書が出るとのことでした。そしてその後、公開口頭審理になるまでしばらくは、書面だけのやり取りが続くとのことです。94年に不服申し立てをした時には、すぐに公開口頭審理が始まりましたから、以前とは随分進め方が変わったようです。公開口頭審理に入りましたら、皆さん、お忙しい中恐縮ですが、傍聴をまたよろしくお願い致します。(都庁舎の中で行われ、傍聴はどなたでも参加できます。年齢制限もありません。もちろん無料です。)
 「請求の理由」は次のことを列記・主張しました。
@ もともと何ら問題にされるべきものではない正当な授業に対し、生徒・保護者を煽って「苦情」を作り出し、それに絡んで出した職務命令は校長の職権濫用であり、違法不当なものである。
A 上記のようなやり方はまた、教育基本法10条が禁止している不当支配にあたる。
B (処分書の根拠を地方公務員法32条・職務命令違反と同33条・信用失墜行為としていることについて)教育委員会関係者・校長・教頭しか出席しない協議会への不参加は、信用失墜行為に当たらず、地方公務員法33条違反に該当しない。
C 本件処分の本質は、研修センターに送ることを諦めたその代替として強行したことにある。
D したがって、請求人(根津)はこの職務命令に従う義務はなく、本件処分は取り消されるべきである。

不服審査請求の性質上、形の上では減給処分についての審査請求です。しかし、この減給処分の理由となった「協議会への不参加」問題はこの一年間の「指導力不足等教員」攻撃のなかで起こされたことですから、この攻撃の実態を明らかにしていきます。
特に、前多摩中校長の行為が校長としてあるまじき行為であったことについてきちんと明らかにしていきたいと考えています。
前島校長は、家庭科の学習指導要領を見せ、「男女共生・従軍慰安婦なんて載っていないだろう。根津先生は学習指導要領を逸脱している。家庭科ではないことをしている」「根津先生は嘘をついた。保身のために子どもを利用した」「教科書を使わないから保護者から苦情が出た」等々、子どもや保護者にこのような嘘・デマあるいは誤った私見を公式見解のように吹聴し、保護者や子どもの中に根津に対する根拠のない「不信」を煽りました。また、「根津教諭に関する件で来校した方で校長の事前承認にない方の校地への立入りを禁止します。学校長」(A4版)の張り紙を玄関に掲示するなど、私の人権を侵害しました。こうした前島校長の常軌を逸した行為が「校長の職務」にあたるのか、「子どもの教育権を保障すること」なのかを追及していきたいと考えています。
更に、前島校長を背後で操っていた多摩市教育委員会と東京都教育委員会の責任を明らかにしていく予定です。攻撃が始まったばかりの昨年3月初めの時点ですでに、「(根津を学校)現場から外したい」と発言した石川元市教育長の言葉は個人の発言に止まりません。「お上に楯突く教員は切りたい。やめさせたい」という多摩市教育委員会の組織としての意思だったはずです。
こうして、前島校長の行為を問題にし、更に、背後で操っていた市・都教委の行為を白日の下に晒し、子どもに対する教育権の保障という点において「不適格はどちらなのか」「信用失墜行為をしたのはどちらなのか」を問うていきたいと思っています。       
現在の文部行政は、かつて「忠君愛国」を叩き込み、戦争に協力する子どもたちをつくったと同じことをもっと巧妙にやってのけようとしています。
「できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいい」これは教育課程審議会の会長だった三浦朱門のことばです。教育課程審議会の答申を受けて学習指導要領は作られるのですから、ここに文部科学省の姿勢が凝縮されていると私は思います。
新学習指導要領実施に対しては、目玉であったはずの「ゆとり」に疑問の声が殺到し、「学力低下」が懸念され、あわてた文部科学省は補習などということを付け焼刃的に言っています。そこでは、子どものことなど考えていないことははっきりしているのではないかと思います。「忠君愛国」と「実直」…。「実直な精神を求めるのは何のためか」「誰のためか」そしてそのために「どんな教員を求めるか」あるいは「どんな教員を切るか」ははっきりしています。
だからこそ私は、私が受けた数々の人権侵害について謝罪させ、私の人権を回復したいのです。教育を国家の具にする動きにストップをかけ、教育を子どもたち・私たちに取り戻す闘いにしていきたいと思います。皆さん、引き続きご支援くださいますようお願い申し上げます。
新年度になって2ヵ月半、私は元気に毎日を過ごしています。


別件で    「非開示」に対して「開示」の答申が出る
昨年5月に多摩市教育委員会に私の個人情報の開示請求(2件)をしたところ市教委は「非開示」決定を出しました。そこで6月に不服申し立てをしたところ、先月、市情報公開・個人情報保護審査会の答申が市教委宛てに出ました。2件のうち1件(「2001・4・1〜2001・5・2に多摩中学校長が市教委にあげた根津に関する報告書すべて」)については「実施機関が適切な形で開示すべき」というものです。これで開示されたものが私に送付されるのかと思い、事務局に問い合わせましたら、そうでは
   ありませんでした。「6月の教育委員会定例会で諮られ教育委員会の判断が出る」とのことです。教育委員会定例会は6月25日(火)14:00〜ということですが、多摩市の教育委員会は定例会というのに突然直前になって日時の変更がありますので、傍聴してくださる方は確かめてください。
(多摩市役所042−375−8111)


お知らせ
7月6日は「石川中裁判を支える会」の総会です。是非みなさん、おいでください。会員でなくても総会には意見をいえますし、総会終了後は早稲田大学の西原博史さんの講演があります。
西原さんは、根津さんの意見書を書いてくれた方の一人です。子どもの権利条約、子どもの側から教育基本法を位置付け、解説してくださいます。是非皆さんご出席よろしくお願いします。


7月6日16時から総会 18時から集会(講演)

八王子クリエイトホール