根津公子さんは、強制異動させられた東京都多摩市立多摩中学校で、都教委・市教委・管理職・地域の保守系議員などから前代未聞の差別的扱いを受けています。「石川中裁判を支える会」は、攻撃は同じものと捉え全面支援しています。そのために、ほうせんか・「赤紙版」を発行することにしました。ご理解・ご支援よろしくお願いします。
2000年4月着任時から
「教育委員会に逆らう困った先生」という噂が、根津を報じる新聞記事とともに学区を流れたそうだ(子どもの話)。また、根津は子どもから何の脈絡もなく、「非国民」と呼ばれることがあった。
2月下旬から3月にかけて
卒業式実行委員会の担当の一人であった根津が、今まで当たり前にしてきたように「どんな卒業式にしたい」と実行委員会の場で生徒に訊いたところ、
@「根津は日の丸・君が代をやらせないために生徒に訊いたのだ」と虚偽の事実をつくり出して問題だとし、
Aまた、3年3学期の家庭科で男女共生をテーマに行った「従軍慰安婦」「同性愛者」の授業も問題だとして、保護者から苦情があがったという。
校長が根津をたびたび校長室に呼び反省を迫った。根津は、苦情を寄せた保護者の生の声を聞きたい、話し合いたいと再三、校長に要請してきたが、「要はやったかどうかなんだ」(教頭)と恫喝され、話し合いは拒否されてきた。苦情の中身についてもここに記した以上のことは一切明らかにされていないので、根津は、反省のしようもない。以後あがる「苦情」や「要望」についても、すべてこのパターンであった。
この頃、校長は子どもや保護者に家庭科の学習指導要領を見せ、「男女共生、従軍慰安婦なんて、家庭科の指導要領のどこにも載ってない。根津先生は学習指導要領を逸脱している。家庭科と称して家庭科ではないことをしている」と説明している。また、市教育長は、「ちょうど今、苦情が上がってきている。もっと、苦情が上がれば…。なんとかして現場を外せないかと考えているんだが」と口外している。
3月15日
市教委・野中指導主事が2年C組の授業を観に来た。授業後、子どもたちが3グループほど、校長室に質問に行ったとのこと。(このことについて翌日、「生徒に話したのか」と根津は校長に詰問されるのだが、生徒のことに配慮して否定したことが後に校長によって悪用され、根津は「嘘をついた」と宣伝されることになる。)
3月16日
市議会予算委員会で学区に住む2人の議員が「教材の選択〜不適切なものを使って」「主義主張を押し付ける〜洗脳する」と発言している。
4月21日から
4月21日、市教委による事情聴取の通知を校長より渡された。理由は一切知らされない。
たくさんの市民が連日、市教委、校長に事情聴取の理由を質しに出向いてくれた。
25日、理由を知らされないまま根津は事情聴取に応じた。聴取されたことは、
@「従軍慰安婦の授業は家庭科の学習指導要領との関係で説明せよ」
A「『君たちのおじいちゃんは人殺しだ』と授業で言ったのか」
B「年間指導計画について校長から書き直しと再提出を再三命じられたにもかかわらず、応じなかったのではないか、という内容だった
(Aのような発言をするはずがない。Bについても校長から言われたことはない。勝手に虚偽の事実が捏造されていることをここでも実感した)。聴取は一度で終わらず、次回に持ち越しになったが、市教委は初めから根津を罪人扱いする姿勢だったことと、事情聴取の理由を5月2日になってはじめて「市民から一通の手紙が教育長宛寄せられたから」と答えたものの、手紙の内容さえ知らされないため、根津は危険を感じたので事情聴取の公平性を要求した。そのため、事情聴取は現在まで中断している。
6月1日
市議会で教育委員会原田指導室長は、「(根津には)教育公務員の適格性に拘わる(問題がある)」と答弁した。(少なくともこの時点までは、「指導力不足」ではなく、「指導力不足等」で処することを考えていたということだ。)
6月半ばから
1日の議会答弁から見て都研修センター送りも近いと判断し、6月16日、多摩島嶼教職員組合で事実を知らせるビラを戸別配布した。それに対し、保護者から苦情の手紙が寄せられたとして、職員の了解を得ないまま22日には校長主催の全校緊急保護者会。「3月15日、保身のために根津は嘘をつき子どもを利用した。今回ビラをまき、再び子どもの心を傷つけた」(校長説明)という根津糾弾会で、歪曲された「事実」について根津がそれを訂正しても聴いてもらえる雰囲気ではなかった。
7月2日、17日には、元2C、3年の保護者会が開かれた。根津は「保護者と直接話し合せてほしい」と申し出たが、出席を許されなかった。そして、当事者不在の保護者会で決定したという「質問・要望」書を根津は校長から渡された。
この「要望」に沿って、次の展開を見ることになる。
7月10日から9月20日
「保護者の要請があり指導主事による授業参観」(職務命令書)が連日行われた。「保護者の要請」とは元2C保護者会からのものだが、1年生の授業も観ている。市教委、都教委、校長・教頭で、多い時は8人にのぼった。
校長から「授業改善命令書」を9月6日、14日の2回渡された。14日は受け取りを拒否したら、自宅にFax送信してきた。
また、6月からは頻繁に職務命令書が乱発された。その職務命令は@職員会議で確認したことと異なることを根津だけに命令したり、A嘘が使われたりしているものなので、根津は7月23日校長に質問書を出し、文書回答を求めているが、未だ回答はない。
9月20日
「指導力不足として、あげます。通告します」と校長が根津に言った。
指導力不足教員として校長は根津を市教委にあげた
1 通告
9月20日10時46分、学年会(=同学年担当教員の会議)をしているところに、校長・教頭が入ってきた。「ちょっと、失礼します」とは言ったものの、それは口先だけの異様な雰囲気を呈して私の横に立ち、何かを読み上げ始めた。私が席を立つと二人は1メートルと離れずについてきて、なおも読み上げた。終わると足早に去っていった。「…指導力不足としてあげる…通告する」。
これであの人たちの半年、いや1年半に及ぶ仕事は成就できたのか…。そして、私にはとうとう来るべき時が来た。それがいま。
そんなことが頭を去来しながら、私は学年会をしている応接室に戻り、形ばかりは学年会に参加して、頭の中では今日やるべきことは何かを考えていた。予測した事態には冷静に対処できるものである。
校長が読み上げた通告は次のとおり(テープ再生)。
「これまで授業観察を行い、その結果を踏まえて9月6日と13日に授業改善を指示しました。また都教委の指導主事の指示を受けるように指示しましたが、あなたはこれを拒否しました。本日の授業で改善が見られませんでした。そのため私は、あなたを指導力不足として申請することにします。以上通告します。」(注:指導力不足として申請する時に本人に通告することが「要綱」に書かれている)
この日1校時、3Cの教室で授業をしていると、授業開始から10〜15分経った頃、まずは教頭が走って、続いて校長、市教委・都教委指導主事全部で6人(?)が入ってきた。騒々しい入り方に子どもたちは気を取られ、授業を中断せねばならなかった。
時間割では家庭科は2校時なのだが、他の教員の都合で今日は1,2校時が交換されていたのだ。校長はおそらく走ってくる直前にそのことに気づいたのだろう。時間割の訂正は隠していたものではなく、職員室の所定の場所に訂正が朱書きされているものであった。
20日、この日に「指導力不足」の烙印を押すためには、この授業を参観したという証拠を残さねばならなかったのではないか。教育長が任期途中にして20日付けで都教委に戻ることになっていたのを突如9月末日に延期したこと等考え合わせると、タイムスケジュールからして、どうしてもこの日のうちに処理せねばならなかったのではないのか、などと思ってみたりした。
2 授業監視の理由に整合性がない
@授業監視(参観)をする理由を校長は9月4日付け職務命令書で、「保護者からの要請があり」としている。「その一点だけが理由か」と校長に確認すると「そうだ」と言った。
Aでは、その保護者の要求とはどういうものであったか。
「元2C保護者会からの質問・要望」書に次のように記されている。
「・授業内容に関しては指導要領に沿っているのか否か、また内容が家庭科の授業として適当なのかどうかの判断は、素人ではわからない部分もあるので、校長先生や教頭先生は勿論、教育委員会にも授業参観をしていただき、きちんと根津先生を指導をしてもらいたい。また、どのような内容を取り扱うのか把握していただきたい。」
「親としては全体保護者会でも要望したように、特に3年3学期の授業に関しては昨年度のような内容は取り扱ってほしくありません。その約束は守ってもらえるのでしょうか。全体保護者会で『考え直す』とおしゃっていたが、大丈夫でしょうか。もう1度先生に『やらない』という確認を取らせていただきたい。」
この要望を見ると、保護者にはまず昨年度の3年3学期の授業、すなわち、「従軍慰安婦」や「同性愛者」を扱った「男女共生」の授業をしないでほしい、という前提がある。
そのことから類推すると、他の授業だって学習指導要領に沿っているか等あやしいので、授業参観を要望する、というものだ。
B「従軍慰安婦」のことは家庭科で取り上げてはいけないのかについて
6月4日、校長・教頭は私に「従軍慰安婦の授業はしないように」と言った。私が質していくと、「家庭科の中で男女共生社会をやる時に従軍慰安婦に触れるのは構わないが、1時間も2時間も触れるのはだめだ」。「では、何分だったらいいのか教えてください」と質問すると、「どれだけならいいとは言えない」と。
2月頃、保護者や子どもに「男女共生、従軍慰安婦なんて、家庭科の指導要領のどこにも載ってない。学習指導要領を逸脱している」と言ったこととはかなりの違いがある。少なくとも「男女共生」「従軍慰安婦」等を取り上げることを言葉の上では否定しなくなった。
事情聴取の中で私に、「従軍慰安婦の授業を家庭科の学習指導要領の関連性で説明せよ」と迫った市教委も、組合からの質問に対し、「従軍慰安婦も同性愛者も取り上げて構わない」とある時点から言いかえた。
各方面からの忠告によって、彼らはこの授業を否定することは自分たちに不利になるということを悟ったのだろう。
Cならば、保護者の「従軍慰安婦の授業はするな」という要望に対して、校長は本来ならば保護者に対して啓発をしなければいけない任を負っているのではないか。また、誤った要望が根底にあっての授業参観(監視)の要望は、これもまた成立しないのではないか。そう思い私は、7月23日に校長に出した質問書でこの点も質問しているが、回答は拒否されたままだ。
7月からの授業監視には正当な根拠がなく、したがってこれは「不当労働行為」と呼ぶべきものである。
3.「指導力不足等」ではなく「指導力不足」としたのは?
「授業改善命令書に書いてあることで『指導力不足』とされるなら、私たち全員があげられてしまうよね」「指導力不足の烙印は教員としての全人格否定だ」「こんな時代だから、校長の経営方針に反対するからと『等』であげられるのなら、まだ、すっきりするでしょ?」。同僚たちの声。私もまったくそう思う。
2月段階では、市教委・校長は、「従軍慰安婦問題を授業で取り上げたこと」と「どんな卒業式にしたいかを生徒に訊いたこと」を問題にし、偏向教育すなわち「指導力不足等」にしようとしたのだろが、結局うまく進められず、4月には事情聴取で事由を探し、またもや「等」にしようとしたのだろうが、それもうまくは進められなかった。6月1日の市議会答弁でも教育委員会原田指導室長は、「適格性」、すなわち「等」で処すことを考えていたことがわかる。ここまでは、「等」での処置を考えてきた。ところが、緊急全校保護者会の勢いを得て7月初めに元2C、3年生保護者会の「要望」が上がってからはそれを利用して、「指導力不足」とすることができると踏んだのだろう。それからは、密室での授業観察。私一人に対してあちらは、ほとんど複数人。多い時には8人。私がひとり言う事実は、簡単に「虚偽」とされてしまう状況をつくり出した。
「等」では面倒な問題が派生するだろうところ、「等」がないことによって、事由を個人の資質の問題にすりかえることができるのだ。校長・教育委員会にとってなんとも喜ばしいことに違いない。
4.これから…?!
今日は22日。通告から2日。どういう日程でどうことが運ぶのかは知らされていない。昨年11月に改訂された東京都の「指導力不足等に係る教員の取り扱いに関する要綱」を見ると次のように記してある。
「人事部長は、〜申請及び業績評価における教育委員会評価に基づき、東京都教育庁人事部、指導部及び仮称東京都教職員研修センターの関係部課長等で構成する判定会の審議を経て指導力不足等教員を決定し、申請者に通知する。」
また、指導力不足等に決定されると、「指導力ステップアップ研修実施要綱」が適用されるのだが、そこには次のような記述がある。
「長期コース、通所コース、短期コースの3種類とする」「長期コースの研修は、センターにおいては週あたり4日以内とし、週1日以上は所属校で研修する」。
研修センターは、かつて国労の組合員を首切りするその直前に収容した「人材活用センター」を真似ているようなところだそうな。 (9.22記す)
(追伸)連日、市民や市教組で市教委・都教委・校長に抗議と要請行動に取り組んでいます。しかし、9月28日都教委は、市教委を通じて校長からの申請書を受け取ったことを明らかにしました。質問・要請・抗議の手紙・電話・Faxsなどを下記までお願いします。
東京都教育庁
163-8001 新宿区西新宿2−8−1 都庁第2本庁舎 Tel 03-5320-6721
教育長 横山洋吉 Faxs 03-5388-1725
人事部長 斉藤尚也
多摩市教育委員会
206-0011 多摩市関戸6−12−1 多摩市役所 Tel 042-375-8111
教育長(代理 ) Faxs 024-337-7620
室長 原田美知子
多摩中学校
206-0011 多摩市関戸3−19−1 Tel 042-375-7023
前島校長 ・肥後教頭 Faxs 042-337-7646
根津さんと共に闘っている「多摩市 教育の自由を考える市民集会実行委員会」の皆さんが署名活動をされています。9月末日現在で1000名を越す署名が集められたとのことです。活動の様子を寄稿していただきました。
多摩市の根津先生が教育長の離任間際の9月20日に校長から「指導力不足教員」の通告を受けた。
一年半前の赴任時から、他の先生とは異なる、校長・教頭による日常的な監視があった。 が、本年四月には、授業で「従軍慰安婦」や同性愛について言及した事を「事情聴取」と称して市教委から呼ばれ、「支える会」やわれわれの執拗な市教委や学校への訪問などにより、市教委側の勇み足として押し返した。
にもかかわらず、五月以降は、PTA・保護者会・生徒を巻きこんで、根津先生への不信感を一部の保護者と生徒に与えた。七月からは、都や市の教委の厳しい授業参観を継続的に実施し、授業内容でなく今度は生徒への指導方法について重箱の隅をつついて執拗に指摘事項を考え出し、根津先生には「指導力不足教員」の烙印を押した。研修所行きが心配される。
一方、われわれは、9月から平和教育の授業に対する不当な支配介入や教員への差別・中傷・処分などをやめ、こどもの学ぶ権利を保障することを要求する要望書の署名活動を開始し、現在までに1000名以上の署名を集めた。
以下に会員からの生の声の一部を紹介する。
(Sさん) 何か「おかしい」「へんだなあ」と感じた時に、胸のあたりがザワザワっとして、私に信号を送ります。何とも言えない圧力によって、ことが進むのを黙って見過ごす訳にはいかないのが私の性分です。損得や利害から発せられた信号では動きたくないのです。
ピースリボン(レインボーリボン)を教師が付けることを禁止され、教壇に立てなくなるまでに発展するのは何故でしょうか。子どもたちに「それ、何のリボン?」と訪ねられその由来を説明し、考える機会を提供することは、教師として当然だと思います。「教育の自由を考える市民集会実行委員会」には、思慮深い人、実行力のある人、組織の嫌いな人、等々、様々なメンバーがいます。口角アワを飛ばし激論を交わしながら、集会を開き、ビラをつくり、署名をとり、教育委員会と渡り合う運動を続けています。「教育の自由」がどこの学校からも奪われない為に「単純・感動」の私も運動の輪に参加しています。
(Tさん) 「これは私にかけられた攻撃である」とも言えるのだが、なんだろう、どうにも重苦しいのは
…。実際のところ、他者に中身をゆだねざるを得ないからか。自分の流儀で事態に相対する、という訳にもいかず、間接的な立場での言動がはがゆい。それと、学校という「場」での問題か。正直、そもそも斜めに構えてしか、その場とはつきあえない気分は拭えない。なーんて、勝手なことを思う一方
…とは言っても、悪化する社会状況とそれに当然連動する多摩市の現況にコミットしないとさらにどんどんヤバくなるのも確かなことで
…。つまるところ、重っ苦しいのは己の気持ちの揺れ動きが原因か。で、足取り重く、また会議へと向かう。