石川中裁判を支える会・会報NO8 2002/8/25日発行
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石川中裁判を支える会



第7回石川中裁判(2002/6/27)では……19ページにのぼる陳述書を提出

根津さん、事実経過を陳述



 いつも傍聴に来てくださっている皆様、ありがとうございます。
 さて、今回(第7回)も、法廷は数分で終わってしまいました。が、実は、根津公子さんは、この訴訟を起こすにいたった事実経過を19ページにも上る陳述書にして、裁判所に提出していたのです。そういうことは、開廷中のあの数分間のやりとりではわからないものなのですね。


 この陳述書を読みますと、1999年2月段階では、民主的な職員会議と創造的な教育が行われていた石川中学校に、東京都教育委員会や八王子市教育委員会をも乗り越えて、ある政治的意図をもった力が働いたと感じざるを得ません。当事の八王子市議会議員の中でも最も右翼的な高木順一議員と市教委の和田信行学校教育部付主幹の策謀がはっきりわかります。本来ならば、教育委員会や校長はこのような政治的介入に対して、それを跳ね除けることこそが使命でありましょう。にもかかわらず、傀儡としてしかふるまえませんでした。この根津さんへの人権侵害行為は、今日の東京都各地で日常的になってしまった民主的創造的教員弾圧の始まりともいえるでしょう。


 ここには、陳述書の全文を掲載できません。本人に要約してもらったものを載せます。全文をご希望の方は1部100円です。事務局までお申し出ください。


東京地方裁判所八王子支部民事3部合議係 御中
2002年6月25日
原告 根津 公子

陳 述 書(2) 要約


 本件について事実経過を陳述します


(1)授業を始めるにあたって秋山校長に申し出る(一部)
のちに訓告処分を受けることになったプリントを教材として使おうと考え、1999年2月15日(月)、秋山校長にそのプリントを見せ、「今週は3年生最後の授業です。明日からこのプリントを使って生き方の問題について話をします」「誤りはないつもりですが、もしこのプリントに事実誤認がありましたら指摘してください。誤りがあれば直します。指摘がなければ授業を行います」と言いました。続けて、「話の中で、子どもから『今年は日の丸どうなるの。校長先生はどうするのか(=揚げるのかどうか)』という質問が上がると思いますが、出たら生徒たちに答えてくれますか」と聞きました。すると秋山校長は『答えない』と言うので、「それなら校長が職員会議で『実施する』と言っている事実を話します。問題ないですね」と確認しました。秋山校長は、「事実を言うことに問題はありません。良識に沿ってしてくださいね」と言うので、私は「もちろん良識に沿って話します。明日から授業をしますので、よく読んでいただいて、事実に誤りがあったら指摘をお願いします」と再度念を押しました。


(2)授業の展開(一部)
翌16日(火)、秋山校長からは何の指摘もなかったので、私は承諾されたものと受け取り、3年2組の授業を1校時に行い、19日(金)午前中で7クラスすべてを終えました。


(3)全クラスの授業が終了したところで秋山校長からクレームがつく(一部)
2月20日(土)秋山校長が「このプリントは授業で使わないように」と言いました。私は、すでに3年生すべてのクラスで授業を終えたこと、このプリントは事前に校長の判断を仰いだが、校長から指摘はなく承認されたものだと言い、続けて、「どこが問題なのか、どこが事実に反しているのか」を聞きました。秋山校長は、「この部分(『入学・卒業式に日の丸を掲揚せよ、君が代を斉唱させよと、教育委員会から指導された全国の校長のことばと同じに聞こえませんか』)が問題だ。学習指導要領に逸脱している」と答えました。
(4)報告書をめぐって、同僚たちが校長に意見する (略)


(5)保護者の反応  (略)
(6)市議会議員高木氏の策動  (略)
(7)職員会議で   (略)
(8)市教委事情聴取   (略)
(9)石川中での「日の丸・君が代」(一部)

  
 ここで、石川中学校の卒業式での「日の丸・君が代」の取扱と生徒たちの様子に言及します。授業で訴えたかったことは「指示待ち人間にならないで」ということであって、「日の丸・君が代」についてではありませんから、ここで論じる必要はないのですが、市教委が焦点にしているのはこの点なので触れざるを得ません。


「日の丸掲揚・国歌斉唱」をするか否かについては、この年も2月18日の職員会議において、儀式的行事委員会(=校務分掌の一つにある教員の委員会で、起案・運営に当たる)が提出した「日の丸はいかなる場所にもいかなる時間にも掲揚しない」という原案を22対2で可決していました。「君が代」については過去何年間か誰からも提案がなかったので、原案に含まれては来なかったという経緯があります。原案可決を受けて、また、生徒や保護者から寄せられている要望や意見を踏まえて、3年職員は「日の丸・君が代」の取扱について、3月10日(水)の学年会で

「@子どもの気持ちを大事にしてほしい 

Aだから混乱を起こさないように 

B職員会議の決定どおりに校長は行動してほしい」

と秋山校長に要求することを決定し、以降、毎日3年職員が交代であるいは全員で秋山校長に要請しました。


秋山校長は3年職員の要請に耳を貸さず、卒業式前日の3月18日(木)に「三脚で日の丸を、奏楽で君が代を実施する」旨、生徒に伝えました。秋山校長が自分たちの気持ちを大事にしてくれていないと思った生徒たちは卒業式の準備が終わると三々五々校長室を訪ね、「私たちの卒業式です。私たちがつくってきた卒業式です。日の丸・君が代で壊さないでください」と訴え続けました。


(10)再び、保護者の反応   (略)
(11)再び、高木議員の市議会質問(一部)


3月26日(金)、1999年第1回市議会定例会一般質問に立った高木議員は、「今回行われた家庭科教師による教育は重大な問題だと認識しており、何らかの処分がされるべきだと考えております。市教育委員会としては、今後どのように対処していくつもりか」と質問しました。これに対し和田主幹は、「中学校家庭科の範囲を逸脱し、問題点も多いものと捉え、厳重に対処してまいりたい」「東京都教育委員会多摩教育事務所とも十分に連携をとりながら対応しているところであります。東京都教育委員会としましても事態の重要性から、八王子市教育委員会と連携、協力し、問題の解決のために全力で努力していきたいと力強い対応をいただいている」と答弁しました。また高木議員は以下に示すようなご自分の推測を事実であるかのごとくに、そしてまた、特定の生徒の人権を侵害する発言を行いました。石川中の教育活動が「異常と思える光景」なのは、ひとり私に原因があるという脈絡での発言でした。「私も石川中学の卒業式に……参加させていただきました。そこには異常と思えるような光景がありました。これほどとは思いませんでした」「マインド・コントロールの総仕上げとして卒業式があった。…」などと発言したのです。


(12)市議会で「東京都教育委員会に処分を求める」と発言した和田主幹(一部)
 6月15日の第2回市議会定例会で和田主幹は、「この教師の指導につきましては、極めて不適切な指導を行ったものと認識しておりまして東京都教育委員会には厳重な処分がなされるよう強く今後も求めていきたい」
(13)「訓告」受け取りとそこでのやりとり(一部)


 8月30日、訓告書を受け取った後、私は用意していた質問書を和田参事に渡し、回答を求めました。
一つ目の質問、「都教委が根津を懲戒処分にしなかったのは、『学習指導要領を逸脱した』という認識に至らなかった、指導要領の範囲内と認識したということですか」と私が聞いたことに対し、和田参事は、「そうだ。市教委はプリントが『指導要領に逸脱している』と考えたが、都教委は資料(プリント)そのものを判断して、処分するには至らない、と判断した。学校長に事前に見せているので、それについては判断しなかった」と答えました。さらに私は、「都教委が『処分には至らない』と判断した後、市教委にはそれまでの『指導要領を逸脱している』との見解に変化はありましたか」と聞きました。和田参事は、「市教委も、現在は『処分するには至らない』と思っている」と回答しました。「では、和田さん個人の見解はどうか」と聞いたら、和田参事は「逸脱したと思っている」との回答でした。


 質問を続けました。「教育の基本は子どもたちが事実を知り、たくさんの見方・考え方があることも知り、それを基に自ら考え行動できる、あるいは、将来的にできることにあるはずです。日の丸・君が代とて例外ではありません。和田参事のように、この問題だけは初めから尊重=賛成として1つの価値観だけで指導するのは、『真理と平和を希求する人間の育成』に反すると考えますが、市教委の教育観をお聞かせください」と私が質問すると、和田参事は、「一つのものを押しつけるのはよくない。でも、国旗・国歌は学習指導要領で実施するものとする、と大前提がある。意義を教えるためには一つのものを押しつけることが必要だ。それをしないのは、公教育に立つ教員として失格だ」と言いました。


(14)市教委の指示で職務命令発令(一部)


 ここからは訓告発令後のことについて陳述します。処分とは無関係のことと思われるでしょうが、市教委、とりわけ和田参事の狙っていたことが明確になると思いますので続けます。


 10月4日(月)、秋山校長から3つの職務命令(@自作のプリントは使用2日前に提出するA指導計画を出すB授業参観をする)が出ました。秋山校長の独自の判断ではなく、市教委・和田参事の指示であったことが後日明らかになりました。


(15)職員会議で校長に批判集中(略)
(16)中間テスト延期と授業参観をめぐる生徒の受け止め方(一部)
 (テストは2日延期、子どもから校長に疑問が上がる。3年生の授業を参観に来た校長に子どもたちは反発)
(17)保護者の受け止め方(略)
(18)職員会議で(略)
(19)プリントの記述が訓告に相当することについての和田参事の発言  (略)
(20)処分の不当性についての私の主張(略)


石川中裁判における争点の整理      

(三人の憲法学者の意見書から見て)



 八王子市は、根津さんの行為は、家庭科教員として不適切であり、教育公務員全体の信用を傷つけたから訓告処分に値すると主張している。つまり、文部科学省の出す「学習指導要領」を受けて、それを教育委員会が学校で実地させるべく校長を指導するのは、公務員の当然の法関係であり、それをオウム真理教のマインドコントロールと同視し、批判する行為は地方公務員法の「信用失墜」行為にあたるというわけである。


 確かに通常の公務員であれば、上からの命令に従うことは義務であり、文部科学省の告示である学習指導要領に、「国旗・国歌」を尊重するような態度を育てるとかかれている以上、校長は教育委員会にしたがって、儀式に「国旗・国歌」を導入し、教員も「国旗・国歌を尊重する」ように子ども達を指導しなければならないだろう。
しかし、教育は通常の行政とは異なり、将来の市民を育成する場なのである。ここで教員は、単に行政の命令に従う存在であってはならず、将来の民主社会を担う子どもの「教育を受ける権利」を保障するために活動することを求められる。教員がその目的を果たすために、日本国憲法はどのような権限を教員に与えているのか、これが、わたしたちの訴訟における最大の論点である。


 この問題に答えるために、わたしたちが要請した三人の憲法学者は、それぞれ別個の切り口からアプローチしている。成嶋意見書は、「教育を受ける権利」から教員による「教育の自由」を導き出す。教育は私的な領域から生まれてきたのであり、権力がそれを統制することは、戦前の教育に陥る危険性がある。したがって、日本国憲法と教育基本法は、公権力による教育内容についての介入は違法であり、教員の側に「自由」を保障したのだ、と主張する。西原意見書は、こどもの思想・良心の形成のための機関として教員を位置づけ、子どもが自律的な人間に成長するためには、そのための専門職である教員の側に第一次的裁量権を認めるべきだとする。さらに、「国旗・国歌を尊重する態度を育てる」よう指導するという学習指導要領は、文字通りに運用されるならば、思想・良心の自由を規定した憲法19条に違反するのであり、これが意味をもつとするならば、子どもが自発的に考える力を掴むためのきっかけとなる場合に限られる。根津さんのような行動は、まさにそこをねらったものであり、その職務権限を適切に行使したものであると評価される。棟居意見書は、学校の役割を「知識の伝達」と「批判的思考力の涵養」に分類し、根津さんの行為は「批判的思考力の涵養」という目的からすれば許容されるものであると主張している。


 以上の検討からすると、主要な論点は以下の二つであろうと考えられる。まず第一に教育委員会の授業内容への介入がどこまで許されるか、である。もし、すべての教員の授業を教育委員会が監督してよいとするならば、民主主義社会の理念とは矛盾してくるだろう。権力によって監督される教員に、民主主義の担い手を形成することは難しいだろうからである。したがって、公権力の介入をどこまで限定的に理解できるかどうかが、勝利のための鍵となる。


 第二に、学習指導要領の「国旗・国歌」条項の合法性である。思想・良心の自由を保障する日本国憲法にあって、この条項の合憲性を主張することは、難しいのではないかと考えられる。だからこそ八王子市は論点をずらすべく、行政の命令体系とオウム真理教のマインドコントロールを混同している、とか、根津さんの行為は「学習指導要領」の個々の条項ではなく、その「全体に逸脱する」という主張をしているのだと考えられる。


 次回の弁論で、八王子市はこちら側の主張に全面的に反論を加えることを予定している。反論としてどのようなものが出てくるか不明だが、こちらの提示した論点に対して説得力のある反論を展開してもらいたいと思う。      


                                 

傍聴記                 横浜市    小園泰丈


根津さん! 一人でもたたかって下さい 


 私は40年ほど前に、国語科の教員をやっていました。65年にその職を離れました。私立の中学・高校の男子校でした。生徒の顔を見るのもいや、同僚の教員たちの顔を全く見たくなくなったものです。根津さんの努力を聞くと、ああ、なるほどと納得することはたくさんあります。しかし、どう転んでも、職業としての「先生」は身につきませんでした。そのころ、「君が代」のメロディは音楽の先生が弾いていました。私たちは口を閉じたままでした。「日の丸」の騒ぎはありませんでした。私は「君が代」も「日の丸」も受け付けません。


 私の姉・妹には「教員」と呼ばれる人間が五・六人います。その姉・妹と教育について話をすることはありません。しようという気にならないのです。旧制の中学二年で敗戦を迎えた私は、まず「先生」たち、そしてすべての大人たちが視野の外に去っていました。たまたま、数学と物理の二教科が好きで、それだけは勉強しました。この二教科の教員は、熱心に教えてくれました。土曜日が休日になって喜ぶような最近の「先生」とは違っていました。土曜日が休日になることを喜ぶのも分からないではありませんが、文部科学省と先生たちが休日を喜ぶことには、私は賛成しません。生徒の学力がどうなるかと考えるとびっくりです。私の孫は、数学と理科が嫌いだと言って平気です。大人は子どもを愚かにするように慣れすぎているかと思います。その報いはやがて私たち大人にもわかるはずです。40年を過ぎた元教員の感想です。


 「国家」に収奪されない頭の鍛え方はあるはずです。70歳になっても、考えることはたくさんあります。


石川中裁判を支える会第1回 総会・集会 開かれる


 2002年7月6日(土)、石川中裁判を支える会の第1回総会と総会後集会が、八王子クリエイトホールで開かれました。総会では、今までの石川中裁判の報告と、根津さんの現任校・多摩中における根津さんに対する多摩市教委・都教委の人権攻撃と反撃などについて報告されました。続いての集会では、田中哲朗さんの歌のあと、萱野一樹弁護士と早稲田大学の西原博史教授に講演をしていただきました。 参加者からの感想です。



    7月6日の集会に参加して       加藤賀津子(葛飾区住人)

  集会には、しっかりと果敢に闘ってきた人達の達成感といったようなものが流れていて、実にさわやかな喜びの感じられる、充実した心楽しい集いでした。


  減給三か月という不当な処分という結果とはなったものの、相手方の根津さんを陥れようと仕掛けてくる罠を次から次へと外し、教育行政や校長側の不当性や卑怯な手段を明らかにし、公教育の有り様を問い、教育をする側(教師)の権利と受ける側(子どもたち)の権利をきちんと主張して、実質的な勝利を勝ち取った根津さんをはじめみなさんの闘いぶりに、その勇気と努力に感嘆しています。あちら側も、攻撃された教師ばかりか彼女と協力して闘ってくる大勢の(教師たちを含めた)市民たちの力に恐れ入っているのに違いありません。


根津さん、そして支える会のみなさん、本当にお疲れ様でした。行動にも何も参加できなかった私などには推し量ることのできないご苦労やご苦心があったことでしょう。この闘いは、市民運動の共有の財産となるでしょうし、今後の闘いの大いなる参考になることでしょう。何より闘う勇気と元気を頂けました。こうした闘いをしていただいたことに、心より感謝しております。


  それにしても、今の日本の教育がドンドン変な方向にいっているのに大変不安を覚えます。不登校の子ども達の膨大な数、少年犯罪の多出、子どもたちの自殺など・・・、これではとても幸せな子ども時代を過ごしているとは思えません。教育行政の当局者側は、これまでの日本の教育の反省さえせずに、現場の教師たちに責任転嫁をするばかりか、教育と真摯に取り組んでいる真っ当な教師に対して個人攻撃をし、真っ当な教育を蹂躙して、いったい何を考えているのでしょうか。


 先日、コスタリカの話を聞きました。「日本と同じ非戦非武装の憲法を持った中南米の国ですが、憲法成立以来の国の歩みが全く違っています。


 コスタリカでは、平和を維持し、つくっていくために、最も力を入れているのが教育です。小学校の低学年から大学まで、家庭から友人、社会、国、外交まで、学年に合わせて、段階を踏まえた平和教育がしっかりとなされているとのこと。報告者の女性弁護士(2回訪れている)が言うには、「平和をつくっていくには、それなりのしたたかさが必要だし、方法も必要だから、子どものうちからしっかりと学んでいく必要があるということなのよね」と。実にうらやましく思いました。どうかみなさんも、コスタリカの話を聞いて下さい。今一度、根津さんと支える会の友人たちそれに葛飾から参加していった友人たちに心より感謝をいたします。
                   



         講演から考えたこと―集会に参加して       金子 眞一

 講師の西原 博史氏の「『教育の中立性』を掲げることによって、根津先生の教育方針の正当性は裁判闘争の中で充分に立証できる」という主旨について、質問をさせていただきました。


 私の問いのひとつは、「教育に中立がある」のかということでした。集会のテーマも「中立性」ということで、あたかも「教育に中立がある」かのような幻想を振りまくのはいかがなものだろうか、明治維新政府以降、国家が産業の進展に沿うように、または先取りする形で、経済界の意向を反映しての人材確保のために行われてきたのが、とりわけ公教育ではなかったかということでした。 

     
 これに対し、西原氏から「教育の中立はあり得ない」という見解が述べられました。しかし、同時に、現在、学校の卒業式等祭事(行事)の日の丸・君が代の強制に対して、裁判では、「教育の中立」が武器になるという主旨のようだったと思います。それは、「戦後、伝習館高校事件がそうであったように、『教え子を再び戦場に送ってはならない』との反省にたった教職員組合の教育への姿勢が、権力側からは『偏向教育』になるという論で攻撃が行われたことがあった。しかし、今度は、権力の強制こそが『偏向教育』であるとしてとして、それを『逆手』に使うことができる」というようなお答えだった思います。基本的には過去・現在の状況分析と今後、子ども達が主体的に物事を考えることができる教育力が必要とされているという見解は、浅学の私でも充分、理解できました。しかし、「教育の中立」が手段であって目的ではないとして、たとえ裁判で勝利しても、むしろ勝利すれば支援者も含め、「教育の中立」という幻想に埋没し、「教育の真のあり方」を問うことが難しくなるのではないかと危惧感を抱きます。


 また、質問の2点目は、西原氏の「校長権限の肥大化のなかで、教職員は物言えない状況に陥り、ただただ従順な子どもたちを育てていくことで、有事法制と結びついていく」という展開は、このままでは論理の飛躍がありすぎるのではないか、ということでした。


 それに対して、西原氏には時間の許す限り丁寧にお答えいただきました。氏は、現在の産業構造の中で、「ゆとり教育」に隠された危うさを指摘していました。「公教育は崩壊させられようとしている。知識集約型産業の担い手の育成は極端に言えば私学に任され、物言わぬ従順な人間の育成は『ゆとり教育』としての公教育が担う。しかし、日本が経済成長をしていた時期なら、『従順な労働者』の働き口も十分あったが、先の見えない社会の中で就職が保障されるわけもない中で希望も持てない子ども達が『従順』でいられるわけがない。歪みが際立つ社会の到来を前提にした教育は成り立たない、崩壊する」という西原氏の見識は、充分、納得させていただきました。本来ならここで、わたしたち「庶民」が「公教育のあり方」を討論し、方向性を少しでも共有できることが議論できればよかったかなあとも思います。


 いま、現在進行する日の丸・君が代問題が、教職員の不適格教員の踏み絵にされ、そこを説き明かす時間があればと思いました。講演の後、小グループに分かれ、充分な意見交換を行う企画もあればいいなと思いました。また次回に期待しています。




《書籍紹介》

空からミサイルを落とす代わりに書物を……(ガンダハール)モフセン・マフマルバフ監督

『日中戦争・哀しい兵隊−父の記憶をたどる旅』   加藤克子 れんが書房新社著者は、石川中裁判を支える会の会員。長年、地元で立川基地反対の"定点闘争"をしてきた作者であるからこそ(少ない時には4人のデモ敢行)見えてくる父親の日中戦争と、今日の多摩の「日の丸・君が代・強制」風景の酷似。説得的である。

『日の丸がある風景』    池添徳明   日本評論社著者も、石川中裁判を支える会の会員。「日の丸・君が代・強制」の嵐が学校を押しつぶし地方議会の議場にまで怒涛のごとく押し寄せる2002年夏からわずか1年半前、このルポの出版された2001年1月には、まだ、『日本の民主主義の行方は?』 という問いを発することができた…。

『サヨナラ、学校化社会』    上野千鶴子 太郎次郎社明快・痛快・読後爽快……。上野学入門書?★ 『司法修習生が見た裁判のウラ側』司法の現実に驚いた53期修習生の会 現代人文社やっぱりね、ひどい「いじめの社会」だ。でも、著者たちのようにオブジェクションしている若者もいる。

『私はそうは思わない』   佐野洋子  ちくま文庫なぁんだ「自分で考え判断する」って、こういう感覚だったんだ。気楽にいこうぜー。

★ 戦車は止まった 市民の力―1972年相模原の100日 (絵本)    文 にしおけんじ  絵 やまだひろみ   アゴラさがみはら出版  立ち上がれば、立ち上がれば………。立ち上がらなければ、なにもできない。

『させられる教育―思考途絶する教師たちー』  野田正彰   岩波書店「したい教育」を許さず教員を徹底的に管理しようとする教育行政が教員の心を壊していく様を報告する。


よろしくおねがいしまぁーす 事務局から
会費を
  2002年度・会員更新手続きどうもありがとうございました。更新手続きが未だの方は、継続の振り込みをお忘れなくお願いします。御自分の更新がいつだったか分からなくなった方は、遠慮なく事務局にお問い合わせください。およそ半数の方の手続きが未だのようです。「会員になってみようかなぁ」と迷っている方、ぜひどうぞ。併せて、夏季カンパも、お願いできればありがたいです。振込用紙を同封させていただきました。
傍聴を
第8回 石川中裁判は 2002年9月12日(木)午後2時から 東京地方裁判所・八王子支部 401号法廷です  (JR八王子から7分・京王八王子から5分) できれば30分前に法廷前廊下にお集りください
石川中裁判を支える会の例会にお出かけくださいどどなたでも参加できます。
毎月第A木曜日午後7時から 立川中央公民館(立川駅から10分)です場所が変更することもありますので詳しくは事務局に確かめてください ご意見・アイディア・お知恵をお貸しください