ほうせんか、はじけて多摩に飛ぶ02年3月31日石川中裁判を支える会発行0426-64-5602田中
ほうせんか多摩版no.6 

教委「指導力不足」認定失敗・腹いせ減給処分!!
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100年に亘る闘いの一地点…私たちの勝利と腹いせ処分

根津公子


2002年になってからの経緯


2.5 「7月9月都・市教委が授業参観に来た際の職務命令違反(@指導案を提出しなかったことA協議会へ出席しなかったこと)を文書で教委にあげる」と校長から通告される。

2.8 市教委による事情聴取、第1回。時間切れで次回を設定することを確認して終わる。萱野弁護士が代理人として同行。

2.12 朝、校長から告げられ、2時間後には市教委が多摩中に乗り込んで、事情聴取(第2回)を強行。急のことで、私は記録が手元になく、内容には応じられず。代理人外しのための設定か。.

2.18 事情聴取第3回。月曜日の午後は、私は東京教組女性部常任委員会に参加
  するため「職務専念義務免除」を校長・市教委から許可されている。その日に事情聴取を設定してきたので、事情聴取に先立ちこのことを質問したら、原田室長は、「事情聴取を拒否しましたのでこれをもって事情聴取を打ち切ります。都教委へあげます。」と手に持っていた文書を読み上げた。初めから「事情聴取拒否」のシナリオができていたのか。

2.21 都教委事情聴取。15日に渡された都教委からの事務連絡(出張命令)の文書には、「代理人の同伴は認めない」とあり、変更を求めたが、応ぜず。当日、指定された時刻より早くに行き、萱野弁護士が理由を問い質すと、都教委は答えもせず、その途中に「事情聴取を拒否しました」と通告して立ち去った。

2・26 多摩市定例教育委員会。北川委員は、「指導力不足の申請から5ヶ月、子どもたちのことを第一に考えれば、授業も普通に行われているのだし、申請そのものを吟味すべきと個人的には思う。」という趣旨のことを発言した。

3.20 都教委が処分をするから22日に来い、という事務連絡を校長より渡される。法 
事のため日時の変更を申し出る。27日に変更される。

3.25 市教委室長が多摩中に来て、私は校長と二人から「指
  導力不足等教員の認定はしない」の通知を聞かされた。

3.27 都教委、懲戒処分を発令。「減給1/10、3月」


指導力不足等教員の非認定について


この日、修了式が終わってしばらくすると私は校長から呼び出された。校長室には原田室長がいたので、テープレコーダーを取りに職員室に戻り、その後二人に応じた。校長室に入ると校長も室長も立っている。私がソファーに腰を下ろすと「立ちなさい」。私は「座って聞きますからどうぞ。」と応じない。「立ってください」「いいえ」の繰り返し。権力を持つ者はいつも権力を振るいたくなるらしい。進展はないと踏んだ室長は、「では、立たないので」と言い校長に眼で合図する。校長は、「はい」「多摩市教育長より私宛にこういう通知がきました。」と言って次の文書を読み上げた。

『指導力不足等教員の申請の審査結果並びに今後の教育活動の改善について(通知) 

上記について東京都教育庁人事部より指導力不足等教員の取扱に関する規則、指導力不足等教員の決定手続き等の要綱に基づき審議した結果が参りましたので、通知します。併せて今後の教育活動における改善点も通知します。本人への周知方、お願いします。

 1対象者 多摩中学校教諭 根津公子

2審査結果 指導力不足等教員と決定しない 

3判定理由 対象者は指導方法や指導内容、生徒の理解とそのあり方についてさまざまな課題があるが、教員としての資質、能力の欠如によって引き起こされたという事実を証明できるだけの十分な判断資料が揃っていない。

4その他 上記対象者について、今回、指導力不足教員の決定には至らないが、申請書及びこれまでの授業観察等の結果から今後の教育活動を行う上で改善を要する課題があると判断されるため、市教育委員会及び市立多摩中学校長において適切な指導を行うように通知する。


以上のことを受けて多摩市教育委員会から今後の教育活動の改善点を別紙にて示し
ました。今後の教育活動が改善されますようご指導願います。』


原田室長が後を続け、「今後の教育活動における改善点についての通知を教育長名で根津公子さんにあげますので、これを読まさせていただきます。」として、通知を読み上げた。


改善通知なるものは「(1)学習指導要領に則して3年間を見通した年間計画を作成し、教科書を使用して基礎基本の内容について指導を行うこと」にはじまり、14項目の改善点が列記してある。(1)をあげるのは、私の授業が学習指導要領に則していないということではないか。とすれば、なぜ指導力不足等の認定をしないのか、学習指導要領違反で処分をしないのか。改善通知は、指導力不足と認定できなかった今に及んでなお、あたかも私に非があるかのように取り繕おうとしている。そしてまたも、この通知を楯に、私への干渉を続けようとするのか。事実に基づかないこうした記述は名誉毀損であり人権侵害だ。指導力不足と認定できなかったのだからこの件にかかわって教育委員会・校長は私に対し、これ以上何もできないはずである。彼らがすべきことは、この1年私に対して行ってきた数々の人権侵害についての謝罪である。


 9月、多摩市教育長は「私の在任中(9.30)には片付ける」と、また都教委は11月初めに「11月中には結論を出す」と豪語していた。こうした中で私を「指導力不足等教員」に認定できなかったのは、理不尽なことを許さなかったたくさんの人たちの力であった。全国から注目されてしまった都教委は、あまりにも露骨な人権侵害・教育破壊を断念せざるを得なくなったのだ。私たちみんなの勝利です。ご支援ありがとうございました。そしてこのことは、今後、都教委が「指導力不足等教員」をつくることへの一定の歯止めとなると思う。

腹いせ処分懲戒処分書「減給1/10の3月」


3月27日、処分書を受け取りに行く。11時40分に人事部長室で処分書の交付を行うので11時30分までに28階打ち合せコーナーS−3に来い、という職務命令書に従って、11時30分都教育庁28階に向かった。エレベーターを降りると、またまた人間バリケード。中には一歩も入れない。「根津ですが、入れないのですか」と訊くと、警備についている国正係長が「どうぞ、どうぞ」と幅50cmあるかないかの道を作らせた。「こんな、体がくっつくほどのところを通るのはいやです」。「じゃあ、もう少し開けて」と係長は指示する。道幅は70cmくらいになったか。でも、なぜ、この間を通らなくちゃいけないのか。これじゃまるで犯罪人の扱いではないか。そう思ったので、退かない理由を質し、退いてほしいと要求したが、一切応じようとしない。そうこうするうちに新井課長、前島校長、原田多摩市教委室長が出てきた。新井課長はわめくのみ。解決しようとはしない。前島校長は「入りなさい。職務命令です。」「3回言って入らなかったら、職務命令違反です。職務命令違反をとりますよ」と。私を心配して駆けつけた人たち(60人以上の方が駆けつけてくださいました。ありがとうございました。)も問い質したが、彼らは一切無視をする。泣いて訴える中学生をも無視する。よくぞ、こんな冷酷なことができるものぞ。あなた方に心はないのか、と思わずにはいられなかった。続けて校長は、「11時43分、職務命令違反です」「すぐに学校に戻りなさい」と言って、新井課長らとともに奥に入っていった。しばらく、私はその場で他の人たちの発言を聞いたりしていたが、私を呼んでおいて中に入れないばかりか、職務命令違反とはなんてことだ。余計に腹が立ち、発令をするという人事部長室に進もうとした。しかし、職員が私の行く手を阻む。間をすり抜けてようやく教育庁に入ることができたが、数人が私についてきた。

人事部長室に入ると、上の席から、中村人事部長、新井課長、井出管理指導主事、そして2人の職員がいる。向かい合うようにして、校長、私、原田市教委室長が入った。みんな棒立ちになっている。校長と室長は「立会人」として、ここにいるとか。立ち会いならぬ棒立ちではないか、などとつまらぬことが頭に浮かび、苦笑。例にならって、私に「お立ちください」と催促をする。「なぜ?」―「発令だからお立ちください」。「だから、その理由を教えてください」。返事はするものではないと思っているのか、部長は、「辞令を読み上げます」と言って、処分発令書を読み上げた。そして、辞令を部長の手から受け取れという。「ここにおいてください。私、取りますから」。
時計は12時を廻っていた。私は校長に、「食事を外でとってから学校に戻ります。いいですね。」と確認すると、「だめだ」「1時半までに学校に戻りなさい。食事は学校でするように」と言う。職員の健康管理は校長の職務のはずではなかったか。

「男女共生・従軍慰安婦の授業」に対する保護者の苦情に始まった本件が、最後は職務命令違反云々の問題になってしまった。別件逮捕のようだ。

処分理由は、前3回処分を受けたにもかかわらず、今回また、9.4〜6の協議会に出席しなかったことだと書いてある。前3回を加算するなんて許されるはずはない。二重処分ではないか。都教委は私を指導力不足等教員に仕立て上げたかったのにそれが成就できなかったものだから、その腹いせで、こんなに重い処分をしてきたのだ。権力の濫用はなはだしい。
この職務命令の正当性を立証せずに、職務命令を一人歩きさせ、違反したから処分ということだが、それは、指導力不足等教員の申請に至るまでの一連の校長の行為を隠ぺいするものである。校長の人権侵害行為をあたかも正当な職務であったかの印象を持たせるための工作である。9月20日に校長が私に「指導力不足としてあげる」と通告した時、都・市教委は校長室に詰めていた。これは、校長だけの判断で申請を決したのではなく、教委が関わっていたことを物語っているのだし、遡って昨年3月市教育長は、「(根津について)今苦情が上がってきている。もう少し多く、あるいは大きくなれば現場から外すことができる」と発言しているのだ。校長の行為を隠ぺいすることによって、教委の行為を隠ぺいしようとしているのは明々白々。
だいたい、処分を発令するに当たって、市・都教委は事情聴取を行っていない。事情聴取の機会を形だけ作って、私がそれに応じようとしたらその機会を奪ったのだ。そして、本来ならばそこで行うべき校長の発した職務命令の妥当性の検証をしていない。子どもたちの教育を受ける権利を保障するために職員が教育活動を十分できるよう働くことが校長の職務であるはずなのに、保護者から苦情が上がった時、話し合い解決する場をつくるのが校長の職務のはずなのにそれを放棄し、嘘やデマを使って子どもや保護者、私を、学校全体を混乱に陥れた校長の行為を、都教委には教育基本法10条に立ち、政治的意図を排して検証してもらいたい。 

いま、・・・そしてこれから


 懲戒処分はあまりにひどい。しかし、都教委の本当の狙いは、理をもって闘う私たちの力を前に達成できなかった。私たちの勝利なのだ。私はここに希望を見出す。今この状態を戦中というのではないかと思える政治状況の中で、このまま日本はどこに行ってしまうんだろう、私たちの生活はどうなってしまうのだろうと不安が先行し、ともすると希望が見出せなくなる。日本中、ほとんどの人が希望を持ててはいないだろう。諦めから享楽に走っているのではないか。私(たち)は1年間の闘いを通じ、ひとの本当の優しさをたくさん頂いた。そして優しさがエネルギーとなって都教委の本当の狙いをストップさせたのだ。きっちり闘うことで道は拓ける。そう確信させる闘いであった。

 岡村達雄さん(関西大学)が最近出された「日本近代公教育の支配装置―教員処分体制の形成と展開をめぐって」(社会評論社)を読むと、指導力不足教員・不適格教員つくりが今に始まったことではないことがよくわかる。学制を敷いてすぐに教員は「国家のエージェントとして位置づけられ」「品行不正」の教員は処分する手続きが定められていった。「裁判において民権運動を国事犯ではなく常時犯として裁くことによって、世論を操作し、政府に対峙するものこそ『不品行』なのだという合意形成を図ってい」ったという。(詳細な資料と事例が紹介されているので、ぜひ読んでほしい。)

私が教員になって30年が経つが、これほどまでに教育が国家の具にされたことは未だない。それほど今は暗黒な時代なのだが、暗黒な時代と多少ともマシな時代とは繰り返しやってくる。暗黒な時代にはともすると先が見えなくなるのだけれど、先を切り開くのは私たち民衆の力なのだ。また今が、教育を私たちの手にするための100年に亘る闘いの一地点にあるのだと、この本を読んで改めて思った。
 今後、処分撤回の闘いをする中で、今回の処分の不当性を明らかにし、教育を問う作業をしていきたいと考えています。

多摩中問題−1月以降、3カ月の記録(前号に引き続いて)
3つ目の新たなワナを仕掛け、超スピードで事を進めた校長、市教委、都教委
古荘斗糸子(石川中裁判を支える会事務局の一人)

 1年間に3つものワナ!


A(最初のワナ)
は、昨年2月に、校長が子どもたちや保護者に「男女共生や従軍慰安婦は、学習指導要領のどこに書いている?根津先生は、学習指導要領を逸脱した授業をしている。」と話して始まりました。こうして保護者の苦情は作り上げられ、後に「不可解な一通の手紙」の出現となって、4月、赴任してきたばかりの原田室長が事情聴取を行いました。しかし、さすがに学習指導要領逸脱に該当させることはできず、Aのやり方は頓挫。

B(2番目のワナ)は、校長の話をもとに、6月、糾弾保護者会が開かれ、授業監視、職務命令の乱発、授業改善命令のあげく、校長は9月、「指導力不足等教員」の申請をあげました。それに対して私たちは、市教委、都教委、校長に向けてさまざまな要請行動を組み続けました。(AとBの攻撃に対して私たちが取り組んできたことの詳細は、前号「9ヶ月の記録」をお読みください)


「指導力不足」申請後の4カ月間、都教委は何をしたのでしょう?


この間、実に多くの市民が、都教委に対して「何の理由も根拠もない。まして緊急性もない。公平に判断してほしい」などの声を寄せ、11月14日、私たちとの4回目の話し合いで新井人事部職員課長は「公平性、客観性を担保する。緊急性があるかどうかを含めて判断をくだす。」と回答するに至りました。12月に学者・文化人からのアピールが出され、私たちは「根津さんの処分をとめよう!1/12緊急集会」を200名を優に超える参加者をもって成功させ、その集会の中で指導力不足申請には何の根拠もないことを立証しました。また同時に「根津さんの指導力不足認定を速やかに却下」することを求める緊急要望署名に取り組み、わずか1カ月足らずで4千名を超える署名を都教委に届けました。

3月25日、「指導力不足には至らない」という結果を都教委が出すに至ったのは、あまりにも当然のことです。とはいえ、校長がデッチ上げと職権乱用によって申請するに至った責任、さらに都教委が結論を半年間も異常に長引かせ、いわれのない苦痛と屈辱感を根津さんに味わわせた責任は重大です。さらに、香川善平多摩市教育長は、根津さんに対して「教育活動の改善点について」という通知を事細かに出しました。一体、これはどんな権限でどんな法的根拠で出せるのでしょうか。多摩市教委3月定例会で、多摩市教育センターに関する条例と処理規則が採択されました。ここの仕事の中には「教職員の研修」も含まれています。

2月、校長が3つ目の新しい攻撃を始めた


C(3つ目のワナ) 12月末から、校長は新しいネタを探していたようでした。「農薬の授業」がダメなら「洗剤の授業」でというわけです。2月5日、校長は根津さんを呼んで些細ないくつかの質問をし、あっという間に「服務事故」報告を市教委にあげ、超スピードで事は進められました。私たちは、翌日6日、校長への「質問・要請書」を出して説明を求めましたが、相変わらず,「あなた達とは会うつもりはない」を繰り返すのみ。

ついで市教委は、根津さんに対する事情聴取を3回にわたって実施。事実上、代理人が同席できないような強引な日程の決め方に対して私たちは抗議し、正当な手続き、公正な内容の説明を求めて、連日のように市教委を訪れました。18日、市教委は3回目の事情聴取を、市民の目には抜き打ちとしか見えない形で"実施"し、「根津さんが事情聴取を拒否した」かのような"虚偽"を作り上げて終わらせてしまいました。この間、話し合いを拒否していた市教委は、やっと私たちとの話し合いに2月25日に応じました。「根津さんが毎週、組合活動のための"職免"を認められている18日に、あえて事情聴取の日程を入れた理由は何か」という質問に対し、「公務が優先する。根津さんは、職免の手続きをちゃんとしていない。」用意周到な根津さんは、その辺の手続きをきちんとこなしています。原田室長がハッタリで言ったのか、校長のとぼけによるものか、ここにもネタ探しのワナを感じました。さらに「なぜ根津さんが事情聴取を拒否したと判断できたのか」という私たちの質問に原田室長は「態度が悪かったから」と、余りにもふざけた回答をし、唖然とした一場面もありました。

話は前後します。「服務事故」は市教委から都教委に上げられ、2月21日、都教委は根津さんへの事情聴取を組み、それに出席しようとした根津さんと代理人を、物々しい警備によって阻み、そこでも「根津さんが事情聴取を拒否した」という"虚偽"を作り上げました。その日、私たちは30名ほど、都教委の行動を見届けるためにその場に行き、「要請文」を渡して手続きの不当性を訴え、説明を要求し、過剰警備についての説明を求め、抗議をしました。さらに、根津さんが真相についての説明をし、続いて一人一人が自分の思いを訴え、バリケードを築いている警備員や教育庁の職員に対して「今日起こっている出来事を自分の感覚で考えてほしい。内部告発をすることはとても難しいだろうと思うが、考えておかしいと思ったら行動してほしい。期待しています」と結んでその場を離れ4時間余りの行動を終えました。

翌日22日は、署名提出のために新井課長とのアポを得ていましたが、前日のことがあったという理由で新井課長はキャンセルしてきました。しかし、私たちは新井課長との話し合いを、きちんと続けてきた、という事実をふまえて、予定通り会ってほしいとねばり強く依頼し、仲介をしてくれた執印都議の努力があって22日の会見は実現しました。ここで新井課長は、「指導力不足の判定と服務事故については連動せず、全く別のルートで行われる」と回答しました。

2月28日、都教委の判定会に向けて、都教委と市教委に「要請文」を出しました。

3月8日、都教委定例会には、処分について6件上がっていて,もちろん、根津さんの件が含まれているか、確かめる手だてもないまま、その後の経過を毎日、固唾をのんで待つしかありませんでした。


「指導力不足には至らず」を勝ち取る!しかし、一方で不当「減給処分」


3月27日10時、私たち11人は教育庁を訪れ、追加の「緊急署名」を渡しながら「今日の処分は、一体どういうことなのか」「指導力不足には至らず、という結論を、いつ出したのか」などいくつかの質問をしようとしましたが、対応に出た国正係長は、「アポなしで来られたら困る。署名を受け取るだけ」と言って質問には応じず、振り切るようにして中に入ってしまいました。

「号外・重大かつ緊急の呼びかけ」をFAXで出していました。当日は遠路はるばる参加した人も含め、60人余りの人が見守る中で、根津さんは指定された11時40分の10分前に、指定された場所に行こうとしました。ところが彼女が通ろうとする廊下の両側に並んだ警備員の列!「私を犯人扱いするのですか?」という彼女の問いに校長は答えようともせず、「入りなさい」というのみ。「警備は何のためですか。説明してください」と、参加者が口々に質問しても誰も答えようせず、泣いて訴える中学生の声も無視、ますますバリケードは厳しくなるばかり。根津さんはついにそのバリケードをかき分けて入るしかありませんでした。根津さんが受け取った「処分」は、当初、私たちが予想した以上に重い「減給10分の1(3カ月)」というものでした。根津さんは昼食の時間を保障されないまま、すぐさま職場復帰を命じられました。私たちは職場に戻る彼女を拍手を持って見送った後、次々に「要請文」や「メッセージカード」を国正係長に手渡し、教育長に確実に届けてほしいと訴えました。何人かが警備員や職員に対して自分の気持ちを述べ、心で感じてほしいと訴えました。その後、1階に移動して短時間の総括集会をし、私たちはこの不当な処分に対してこれからたくさんの行動すべき事を確認し、運動を広げる可能性と思いを確認し合って別れました。

校長が重箱の隅をほじくるようにしてやっと探し当てた「服務事故」の理由だけでは、さすがに重い処分の理由にはできず、職務命令違反に加え、8年前にさかのぼって根津さんに出された処分を列記して信用失墜行為としました。問題となった職務命令違反は、7月以来のでたらめな職務命令乱発の中の一部であり、根津さんは代理人とともにきちんと要請、釈明をしており、むしろ、職務命令の妥当性を、市教委・都教委が調査しなければならないはずです。しかし、今回の「職務命令違反」は、ますます校長の行為はアンタッチャブルで、校長に対して、どこもチェック機能を持たず、校長の言うことに逆らってはならないという見せしめの効果を狙ったとしか思えません。
市民の目によるチェックによって"虚偽"が明らかになった「根津さんが事情聴取を拒否した」「職免の手続きをしていない」などは、今回の処分根拠としてはほぼ使われませんでした。私たちは、密室で行われようとすることを、その都度その場に行って見守り、確かめ、"開く"努力を"継続"して取り組んできました。


抗議の声を届けて!!  〈腹いせ処分〉〈見せしめ処分〉を出した都教委、その原因を作り出した多摩市教委、多摩中校長に抗議の声を届けてください


2月21日の過剰警備についての疑問

抗議先:★ 東京都教育長 横山洋吉、人事部長 中村正彦、
新宿区西新宿2-8-1東京都教育庁Fax 03-5388-1735
★ 多摩市教育委員会 香川善平教育委員長 原田美知子指導室長 
多摩市関戸6−12−1 Fax 042-337-7620
★ 多摩市立多摩中学校 校長 前島俊寛 多摩市関戸3―19―1 Fax 042-337-7646


2月21日、都教委が呼び出した事情聴取に根津さんは出席しようとして阻まれました。(写真は左側廊下と右側廊下の様子)あの警備は、何のためだったのでしょうか。翌日22日、私たちは、総務部に対して、ア.当日の警備員日誌 イ.警備員に要請した内容が分かる文章の開示を、教育庁に対して、ウ.職員に指示した内容が分かる文章の開示を求めました。

この中で、イは口頭で行われたため文章は不存在。アとウは文章が開示されたものの、内容について不正確な点に不満を感じるものでした。こうした過剰な警備に税金が使われていることについて疑義をもちました。そこで広く呼びかけて監査請求をしようという動きを作りつつあります。関心をお持ちの方、ご参加ください。


次回の相談会は、4月6日(土)13:30〜国立福祉会館042―575―3221(バス国立―矢川または谷保線で国立高校前徒歩5分 古荘まで連絡ください。ファックスで地図を送ります)


多摩市教育委員会・定例会のあり方を変えていこう


教育委員会定例会の実態=話し合いもない、中身のない委員会

3月24日の教育委員会定例会は、たった3人の委員で行われました。そこに私たちは2本の請願を出しました。一本は育てる会(支える会の前身)の「多摩中前島俊寛校長の市民に対してのあるまじき行為に関して、多摩市教委の強力な指導を求める要請」。そしてもう一本は根津さんの「多摩中学校前島俊寛校長の校長職としての適格性を疑う学校運営に関し、多摩市教育委員会の調査と強力な指導を求める請願」です。2本の請願は一括審議にされ、教育長の発言「教育委員会はこの件に関しまして事情聴取・観察などを踏まえ適切に対応してまいりました」の後、事情聴取・観察の中身について何の質問も出ないまま、わずか4分で不採択に終わりました。教育長は、いつ校長に対して事情聴取を行い、どんな観察を行い、その結果どうだったのか、私たちに説明をすべきです。校長に対して、私たちは何度も「質問状」「要請文」「抗議文」などを提出して説明を求め、話し合いを求め、アポを依頼してきました。校長は私たちに「会って話すことはない。出ていけ。出ていかないと警察を呼ぶぞ!」などの威嚇をしたり、無断で写真を撮ったり、一度も誠意ある態度を示しませんでした。毎回痛感することですが、多摩市教育委員会は請願者に趣旨説明の機会を与えるべきです。

 この日、地区協が主幹制度に伴う制度の変更をしないことを求める請願を出していたことと重なって、傍聴者は40名ほど。私たちは、開始時間の1時間以上前に市教委の総務部に行き、傍聴者は10名を優に超えるだろうから、マイクを用意するなり他の方法でも傍聴者全員が聞ける態勢を取ってほしいと要求しました。結局、会場のドアを開けて、傍聴にもれた廊下の人たちにも聞こえるように配慮がされましたが、傍聴者10名の枠は、余りにも時代錯誤です。こうした形式的な教育委員会を活性化させるために私たちは以下の提案を致します。

@ 請願者に主旨説明の機会を与える

A 傍聴人数制限を止めて開かれた定例会にする

B 市民の質問に対して説明責任を明確にする

最後にお詫びを

「石川中裁判を支える会」は、裁判支援と並行して、多摩中で起こった一年間の闘いを、多くの皆さんに参加を呼びかけながら取り組んできました。最初は試行錯誤で、呼びかけできる範囲も狭く、おそらく、多くの方が人づてに伝え合い、広げてくださいました。


昨秋から事務局を作り、「支える会・事務局通信」を20号までと「号外」を2回、出して行動への参加を呼びかけました。しかし、お詫びしなければならないのは、私たちがFAXをお持ちだと分かる方々にしかお送りできなかったことです。情報の不公平を生じさせてきたことに、とても心を痛めながら、連日の行動に追われ、ここまで来てしまいました。


今後ともFAX通信として行動の呼びかけをお伝えする事があると思います。今までお送りできなかった方の中で、「事務局通信」による行動呼びかけをFAXやメールで送ってほしい方、または郵送か電話で行動呼びかけを伝えてほしい方は、どうぞご一報ください。

根津さん処分を止めよう」緊急署名経過
小山 七積(多摩市民)

多摩市では2月市長逮捕以来、文字どおり無政的な雰囲気が充満している。ベールが取
り払われ、骨組みが露出したような状態といえばいいだろうか。


「指導力不足」をはねかえした1・12緊急集会


 私たちは「指導力不足の判定は2001年中ではないか、そうでなければ緊急性があるからと年度途中の9月27日に申請した根拠が失われてしまう」と考えていた。それゆえ昨年、12月末までに判定結果が出されなかったことは「指導力不足」の判定を断念させる可能性が残されていると判断していた。だからこそ「1〜3月に集中的な行動が必要とされている」と考え、その踏み切り台として1月の集会が準備された。

「根津さん処分をとめよう」1.12緊急集会には多摩市内外から二百数十名の参加があった。
 集会は、小森陽一さんの講演「『日の丸・君が代』法制化から根津処分攻撃」からから始まった。小森さんは「憲法改悪の直接の前提となる教育基本法の改悪の切迫性、人事考課制度導入による教員の管理職への従属化、教員と生徒の関係の破壊、そのような石原・横山の教育行政は学校から民主主義を一掃することになる。」「根津さんの『生徒との関係を重視し、ひとりでも、ものを言っていく』という姿勢がターゲットになった」と指摘した。

  根津さんからの報告、萱野弁護士の力強い「根津さんを絶対に教育現場から追い出させない」という発言のあと、石川中裁判を支える会の最年少会員が「質問コーナー」の対談者として、根津さんに根掘り葉掘りの質問を浴びせ、根津さんが丁寧にそれに答えることによって市教委・校長らを通して流布されるデマや誤解を解いていった。

続いて「支援者シンポジウム」 支える会の古荘さんは「学校の中で自分を失わず、権力的な手法にも屈することなく発言を続け、子どもたちに『事実』を伝えようとする根津さんを都教委・市議委がいたぶり、また公然と押し潰そうとしている、これに対し市民が注目し続け、声をあげ、確かな記録をしていくことが大切」と語った。国立の遠藤さんからは、国立で続けられている攻撃、都教委・市教委による「正常化運動」が美談の捏造(教員の入替えで学級崩壊が克服された、などのデマ)を通して遂行される学校支配と保護者勤員が報告され、多摩市教委の処分準備過程と共通性が指摘された。さらに3名の「支援者」から10ヶ月の取組みがそれぞれの視点から語られました。集会場のフロアには校長の「職務命令」の実物など一年の闘いの足跡を示す資料展示コーナーも設けられ参加者から好評を得た。


緊急署名スタ一卜


 都教委に対してストレートに「指導力不足」申請の却下をもとめる署名に取組んだ。先に市教委に出していた「従軍慰安婦」問題をメインにした署名に比較して「指導力不足」という馴染みにくく抽象的な内容で、駅頭で署名していてきつい面もあった。

 第1回の署名提出日は2月22日、都庁内で小集会を持った後、都教委の新井課長との10分間の会見もおこなわれた。都教委は1月の地教行法の施行にともない「指導力不足」の要綱を補強して規則に格上げした。内容は「1年の研修後免職できること、判定が簡略化されたなど」であった。

会見で私たちは、「現に指導力不足の申請内容となっている事案をその判定期間中に、同時に懲戒の手続きにかけることをまったくの不正義であり、違法だ」との主張をぶつけた。それに対して「この2月にはじまった服務事故の手続きと指導力不足は別の手続きで、矛盾しない。今回の根津さんの判定は旧要綱で行われる」などが新井課長の見解だった。この日の提出署名は2877名分だった。


都教委・市教委の挫折


 この後、第5次集約分(総数4330)を3月27日に提出するまで、3回にわたり国政服務係長とのやり取りがありましたが、最後に「指導力不足の判走はすべて終了した」と述べるまで、判定会の実施については明らかにしませんでした。市教委の定例会では、アイマイながら2月までは、判定が出ていないことが示唆されてきました。
都・市教委にとって決定的なマイナスポイン卜だったのは「保議者の苦情」と「生徒の授業態度」ではないかと私は考えています。前者について都教委は早い段階で、これを採用しないと述べています。後者についても「緊急保護者会」後の一時的な問題にすぎませんでした。

 市教委の情報開示で、昨年11月に複数の手紙が市教委に届いたことになっていますが、その「真正」性が疑わしく、証拠としての客観性に耐えなかったのではないでしょうか。更に市教委は12月には、6月の「緊急保護者会」(根津さん糾弾保護者会)のテープ起こしが「指導力不足『等』」の根拠になると強調し始めました。緊急保護者会での公表を予想しない言いっぱなし、その場の雰囲気に左右され発言内容・発言者も片寄ってしまっていて、証拠としての客観性を持てるはずもありません。

 私たちは、昨年10月から毎月の市教委定例会に請願を提出し、多摩中学で起こったことの実態解明と「指導力不足」申請の欺瞞を明らかにしてきました。教育委員のひとりは、「生徒達のためという目的からすると、授業も引き続きおこなわれており、申請の内容を吟味することも必要」との趣旨の意見述べるに至っていました。
 こうして、3月25日「指導力不足には至らない」の判定を勝ち取るわけですが、この間、なによりも苛酷な攻撃と日常的な監視に耐えて、根津さん自身が教室に立ち続け、生徒の信頼をかちえてきたことが、「指導力不足」の判定を許さなかったのだと思っています。
 

小山さん達、多摩のグループは根津さんの所属校多摩中がある多摩市の住民として根津さんの支援をして来られました。根津さんの足元からの支援は大きな力になりました。多摩のグループが中心になり毎週のように桜ヶ丘駅前に立ってビラ配布や署名活動を行ってきました。多摩市教委の傍聴や請願行動なども行ってきました。根津さん自身の闘いとともに、こうした地元の活動、支える会の活動、全国の皆様の支援が相伴って今回の勝利判定を勝ち取ることができたのです。深謝!!(ほうせんか編集部)

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