教員20人君が代問題で処分
ジャパンタイムス2008年4月1日
日本語訳は下に
教員20人君が代問題で処分
20人の公立校教員が、3月の卒業式において国歌斉唱の際起立の命令に背いたとして処分されたと東京都教育委員会が語った。
処分は10%の給与カット、1ヶ月から6ヶ月の停職、さらに臨時教員への雇用更新拒否に及んでいる。
都教委は金曜日の委員会で処分を決めた。
都教委は、教員と生徒は入学式、卒業式の君が代に起立し斉唱するとする、2003年10月の都教委通達以来、処分を続けている。
これまでに約400人の教員が処分されている。
障害のある児童の支援校、都立南大沢学園の家庭科教師根津公子は2003年8月からの命令違反により解雇されることが予想されていた。
しかし結果は6ヶ月の停職だった。
「民主的な社会では一つだけの考え方を押しつけるべきではない」と根津は言う。
日の丸君が代の歴史を教えずに子供達に歌うことを強制することは教育ではない、と根津は付け加えた。
根津はここ数年、君が代に対する不起立で数回の処分を受けている。
処分は毎回より厳しいものになっていた。
「私は今年は解雇されるだろうと思っていました。」
彼女は不起立だけではなく「日の丸君が代強制反対」と印刷したトレーナーを学校で着たことでも処分されている。
社会的な支援が、都教委による解雇を阻止したと根津は考えている。
この2ヶ月、根津や抵抗している教員達、支援者達は解雇通知を出させないため積極的に闘ってきた。
記者会見の際、根津は「多くの人が共に行動を起こせば物事は変えることが可能なのだと思います。何度不起立をしても、解雇はされないことが今日証明されたと思います。」と語った。
ジャパンタイムス2008年4月6日
OPINION
読者の声
国旗を侮辱するくらいなら家にいろ
4月1日の記事「君が代問題で20人の教員が処分」について。
重要な公的行事に置いて、特に生徒が出席している場において国旗に向き合わないことは、国家、国民の愛国心に悪意を示す侮辱的でわがままな行動だと思う。
そういうたぐいの人は出席しない方が良い。言い換えれば自主的に欠席すべきだ。
重要な公共行事は自分が使えている国を侮辱する場ではないというのが私の意見だ。
東京 ウィルソン ハーツ
ジャパンタイムス2008年4月13日
OPINION
読者の声
教員には抗議する権利がある
ウィルソン ハーツ氏の、3月の卒業式で君が代斉唱時に起立する命令に違反した教員に対する「国旗を侮辱するくらいなら家にいろ」という4月6日付けの批判はこの議論のニュアンスを理解していないと思う。
「君が代」は第2次世界大戦前中、日本が取った極右の姿勢による残虐行為を連想させる。
抗議は「君が代」が象徴しているものに対するものである。
これらの教員は当局により批判され(彼らの体面を保つために)しばしば罰せられている。当局によって示される「左翼」や「理想主義者」と侮辱的な感覚でレッテルを貼られた教員に対する偏見は明らかである。
小泉純一郎の様に総理大臣が靖国神社を参拝すると人々は喝采を送る。
彼は信念を示し、そして参拝によって起こる、中国などの国の憤りを無視する姿勢を示しそうとしていると思われる。
靖国神社には戦争犯罪人が合祀されている。
彼らと同じ戦争犯罪人達は南京大虐殺を行ったのである。
彼らと同じ戦争犯罪人達は君が代に合わせて行進したのである。
もっと分かりやすく言うなら、もしドイツ人達がナチの時代と同じ感情と意味で「Detschland uber alles」(世界に冠たる我がドイツ)を歌うなら大問題になるだろう。
今日なお、「世界に冠たる我がドイツ」はナチを連想させる。
今日なお、「世界に冠たる我がドイツ」はファシストの帝国主義的主張として良く知られている。
ドイツ政府はこれらの事実を和らげようとしてきたのである。
一方、「君が代」は世界にはあまり良く理解されてはいない。
抗議の声は大きくない。
しかし日本国内には、「君が代」は「忌まわしい過去」を肯定させようとしているものだと感じている人たちがいるのである。
シドニー ダリー マクギャリー
愛国心の本当の意味
私は4月6日の ウィルソン ハーツ氏の愛国心に関する単純で非難すべき考え方にぎょっとしてしまった。
彼のうすっぺらなものの見方は、国旗国歌に対するこの国の長年に亘る苦悩に満ちた論争の複雑さに対する、認識の欠如を示している。
ハーツ氏は、ダグラスマッカーサーが嫌い根絶しようとしたものと同じ、日本の有害なナショナリズムを復活させようとしているかのようである。
本当の愛国心の持つ意味に対し率直であろうではないか。
それは国家権力に対し盲目的に従順であることでしかない。
「良かろうが悪かろうが自分の国」という自己陶酔的な精神状態、社会的な集団主義のようなものでしかない。
真の愛国心は個々人の良心によって作り出されるものである。
マーク トウェインは「愛国心とは自分の国と政府を常に支持することだ。ただし支持するだけの価値がある時に。」と言った。
日本の人々は感情的なナショナリズムに対しきわめて健全な懸念を持っている。
ポツダム宣言が「無責任な軍国主義」と適切に記述している、太平洋戦争の前の政権は「日本国民を、惑わし、欺いた(deceived
and misled)」。そして日の丸はその象徴だった。
日本の裁判所は(最近では沖縄で)訴えを起こした人たちに対し「天皇の軍隊」によって違法行為が行われたことを認めている。
ハーツ氏が知っていようがいまいが日本人は、
国旗を自分の体に巻き付けて、愛国心のマントを気取るやからは(国を心から愛していると言い張るのだが)祖国に繰り返し、苦しみと悲しみをもたらす連中だということを、その悲惨な経験から学んでいる。
もし日本人が真に愛国的でありうるならば、日本が自由で民主的な国家であり国際社会における責任あるメンバーであることによるべきである。
残念ながら未だに多くの日本人は日の丸で無責任な軍国主義を連想してしまうのだ。
彼らがあらゆる種類の愛国心に反対するのには正当な理由があるのだ。
彼らがこのような社会的もくろみに反対するのは、祖国を愛していないからなのではない。
彼らが、真の愛国心は強制すべきものでも、強制できるものでもないことを知っているからなのである。
神奈川県横浜 チャールス ウィルト
象徴ではなく市民を尊重すべき
ウィルソン ウィルソン ハーツ氏の君が代斉唱時に起立せず処分された教員に対する意見には心が痛む。
抗議している教員が欠席したとしてもその理由は説明されるべきなのだし、私には彼らを公的行事から排除することで何も解決したことにはならないと思う。
さらに気がかりなのは、ウィルソン ハーツ氏は、ある模様の描かれた布と、歌詞と音楽が組み合わさったもの(日の丸君が代)が市民の意見より尊重されるべきだということを、自由な社会において主張しているという事だ。
教員達に社会に対して意見を述べさせず、
言うことをきかせようとして彼らを非難し、
非常に危険な先例を作る。
とくに、戦争の時代の歴史認識について合意が出来てない国家においては
これらのことに誰も同意する必要はない。
個人的にはこれら、日本のあの歴史上の有様に対する想いを公衆の面前で表明した(この場合は静かにおとなしく国歌演奏の間席に座っていることで)教員を処分することは、遙かに悪いメッセージを生徒達に送ることになると思う。
東京 ティモシー ジョーンズ
言論の自由が危機に
「国旗を侮辱するくらいなら家にいろ」と投稿した人は東京やその他の日本の地区の教員が闘っている理由を全く理解していない。
この問題は旗を「侮辱する」という問題ではない。
旗それ自身は本質的重要性のない単なる物質である。
これは日本政府が、ナショナリズムとナショナリズムの象徴である日の丸と天皇への、盲目的忠誠心を復活させようとする計画の手段として、教員に理不尽にも強制した問題である。
これは非常に危険であり憲法違反の行為である。日本はかってこれを行い「大日本帝国」第二次世界大戦へと進んでいった。
東京都は憲法で保障されている教員と生徒の言論の自由を完全に無視し、教員を停職や減給などで違法に処罰しているのである。
北九州福岡 バレット バルバンズ