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ジャパンタイムス2006年7月7日

 

教員が賃金カット、転勤、監視で攻撃される。

「君が代」の批判者、処分にもひるまず。

ワシントンポスト アンソニーファイオラ記者

 今年の立川第二中学校の入学式で君が代が演奏されたとき、根津公子(穏やかな語り口だが、確固とした意志の感じられる家庭科の教師)は起立せず、周りの人が歌っている間、口を閉ざしていた。

 平和主義者を自認する根津公子は1999年に政府が戦争中の歌「君が代」を国歌と決めて以来、同じ行動を続けていると言う。

 この歌はかって、天皇の軍隊が出兵するとき、「天皇の御代、永遠であれ」と歌った、その歌だから反対している。

 以前は、彼女の抗議行動は何人かの生徒や保護者からいやな目で見られていただけだった。しかし 2003年8月、都教委が国歌に敬意を示せと通達を出した。それ以来根津(54才)は繰り返しの転勤命令や賃金カットなどの処分を受けている。

 彼女は立川中の事件の直後の5月、一ヶ月の停職処分を受けた。

当局は、教員生活34年の彼女に、さらに不起立をするなら、免職もあり得ると警告している。

この都教委の反応は東京都や他の地域の教育行政が日本人であることの誇りを強要していることに影響されている。

 この考えはナショナリストを自認してはばからない石原慎太郎都知事に愛国心教育の方法として強く支持されている。

 都教委の強行な支配は目に見えた効果を上げている。2004年の卒業式では198人の教員が起立を拒否した。賃金カット、研修などが繰り返された結果、今年は根津の他9人の教員が抵抗しただけだった。

「彼らは私たち、ナショナリズムに反対する平和主義者を社会から排除しようとしています。」「私たちは沈黙させられてきています。」と根津は言う。

 この都教委の行動は日本のナショナリズム高揚に懸念する東アジア諸国の批判の的になっている。

しかし、これは日本での愛国心、特に若者が祖国をどのように見るかについての思想のせめぎ合いの一部でもある。

「今こそ、子供たちが日本という国に誇りを持てるようにする時です。」と中山ひとみ立川市議会議員(48)は言う。立川第二中学校を今年卒業した息子を持つ中山さんは、根津さんの授業監査を要求した。「ほとんどの国はそれをしているのになぜ私たちだけがしてはならないのか」と中山は言う。

 あからさまな愛国主義を表明することについては戦後の何十年間か物議を醸してきた。

しかし世論は変わりつつある。

国会は「君が代」を取り入れた。太陽の旗、日の丸が国旗であるとも宣言した。

このときまで日本は法的には国旗国歌を制定していなかった。

終戦60周年のとき、ナショナリストの政治指導者達は日本は世界に対しもっと強い役割を担うべきだと主張し、社会の注目を集めた。

1990年代の不景気の後、日本は世界第二位の経済大国としてふさわしい影響力を持つべきだという世論の高まりがあった。

国際テロの驚異と北朝鮮の核兵器所有の懸念を理由に、自民党員達は国際的に軍事的に関わりうる日本のあり方を主張した。

彼らは、戦後アメリカによって作られ、、軍事力を所持、行使する権利を放棄させられた憲法を改正するべきだと主張している。

この改正は国が自衛隊を正式に日本の軍隊と呼ぶことを認めることになる。

しかし、弱体化していく日本の平和主義者達はナショナリズムの高揚だけではなく、軍国主義をたたえる風潮が高まることを恐れている。

8月15日の終戦記念日、205,000人が東京の靖国神社(ナショナリストのシンボルであり、戦死者と共にA級戦犯も祀られている)に参拝した。

その週末、毎日新聞が1058人に対して行った世論調査の結果を発表した。そのわずか43%が戦争中の日本の行いは「はっきり悪かった」としており、他は戦争は避け得なかった、あるいは分からないとしている。

 これに対し若い人の回答はさらに低い。20才から30才までの36%が「はっきり悪かった」と考えている。

 こうした考え方は、若い人たちに戦争犯罪について次第に教えなくなった教育の結果だと、専門家達は言う。

いまだに歴史の授業でホロコーストについてしっかり取り上げているドイツと違い、日本の中学で最も使われている歴史の教科書は古代史に重点を置いている。

 根津の闘いは全国的なニュースになっている。彼女は保守派からは忌み嫌われる一方、平和主義団体や教員組合から支援されている。

都教委の官僚達は彼らが根津の権利を踏みにじっているという主張を否定する。

しかし、教育委員会の根津に対する行為は不可解なものだ。

根津は5年の間に4回も家から2時間もかかる学校へ転勤させられた。

根津はこの転勤を不当として裁判を起こしており、その一つは敗訴し、少なくともあと4つは係争中である。

賃金カットと転勤に加え、彼女は現在、他の教員がその場にいるときだけ授業を許されている。

しかし、彼女は自分の姿勢を変えるつもりはないと言う。

「権威に対し疑問を持つ自由が戦争中のように押しつぶされています。」と彼女は言葉を選び静かに言った。

「でも私は日本がアジアの隣国を侵略した時に歌われた、その同じ歌に対し、決して起立するつもりはありません。」