@ 集会講演の小森 陽一さん
A 賛同人追加報告
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@ 1・12集会講演の小森陽一さんについての問い合わせが亀子新聞にきています。
小森さんは11月に学者などのアピール『東京都教育委員会は多摩中学校教諭 根津公子さんを「指導力不足教員」に認定するな』の呼びかけ人もされています。亀子新聞増刊号でも触れました、「人事考課黒書 私も読みました@A」という小森さんの文章がありますので、参考までお送りします。Aは講演の内容も含まれるかと思いますので、続きは会場でお聞き下さい。
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小森陽一さん プロフィール) 1953年生まれ。東京大学教授。著書『漱石を読み直す』『小森陽一、ニホン語 に出会う』『歴史教科書何が問題か』など多数。夏目漱石など日本近代文学の研究者として知られるが、この間「日の丸・君が代」や教科書問題で積極的に発言、行動する。ポスト団塊世代の学者・研究者の中心的存在として活躍。
人事考課『黒書』 私も読みました @
「人事考課の影響について」というところを拝見して、何よりも強く感じたのはこの制度は今の教師たちを生徒から顔を背ける方向にもっていく役割、影響をわずか一年間でも与えたんだなということです。ある人がこうかいています。「自分が立てた目標にとらわれたり、硬直的になったり、評価されることを気にして防衛的になったり、責任を転嫁するようになったり、静かに遅効性の毒のように教育を殺しつつあるこの恐ろしい制度を絶対に止めさせて欲しい。」かなりこれは的確に全体を見渡して人事考課の果たしている役割を実感として捉えていらっしゃると思いました。
この人事考課制度は、謳い文句としては双方向的なしくみなのだというふうに言っているわけですが、実際の自己申告書などを見ても、これは全くの嘘だというふうに思いますね。もし自己申告する人がより高い業績評価を校長からもらおうとすれば、当然その学校長の学校経営方針に即した形で、自己申告書を各項目にわたって出すわけですね。そうなるともうその瞬間から、現実の生徒たちの現状に即してどういうふうに学校を変えていくのかという問題関心が切り捨てられてしまう。つまり校長のほうを向いてしまうわけです。教育委員会から独自の学校経営方針を出せといわれた校長から、一人一人の教師をばらばらにしてそこに上意下達的に落としていく。そしてまたそういう校長への忠誠度で業績が評価されていくというシステムなのだなということを非常に強く感じました。
これは一種のファショ的なシステムだと思います。それはたとえば教科での集団としての合意を裏切ったりとか、一人だけ良い格好したりとか、というような疑心暗鬼を教職員の中に生み出していわば集団の中での合意から教師一人一人が互いに不信感を抱きながら離脱していく。その結果集団的な合意がいわば無効化されていく、あるいは無意味になっていく。いままで学校の中で培われてきたさまざままレベルの教師の民主的な合意の信頼関係というのを、一番根っこのところから分断し断ち切り不信感を醸成する、おそらくそれが「これが導入されてから学校の雰囲気がよくなくなった。」という多数の意見に反映しているのではないでしょうか。
それからもう一つは、今、都立高校に限らず全ての学校がどういう状況に置かれているのか、それをどういうふうに作り直していくのかということにとって一番大切なのは、学校自体をどうつくっていくのかっていうことです。今までの既成の枠組みの連続性の中でやっていくのではなくて今の子どもたちの置かれている現状ですよね。現状というのは特に高校生でいえば、若年労働力が完全に日本の産業の空洞化とともになくなってしまったわけですから、進路を思い描けと言ってもかなり無理なところがあるわけですよ。たしかに所謂受験知を求めているような進学校だったらまだ、今までのままもっていくけれども最早それではいけない。本当に学校で学んだことがどうやって自分がこのあとの日本社会をサバイバルしていくために、活用できるのか。活用できなかったら勉強しないし、本当に活用できるんだってわかれば勉強していくと。今までのままの「お勉強」っていうものをやっても意味がない。けれども学校全体としてそういうものを本当に生徒たちに与えていけるかということにはなってないわけですよね。ですからその意味で、教科の中においても果たして今の自分たちの学校の現状に則して、どういう知を、しかも生徒たちのニーズに合った、しかも生徒たちを「これを学べば役に立つんだ」ということを説得できるような、そいいうものをもう一回見いだして行かなきゃいけない。
しかもそれは一つの教科でできるわけじゃないから、教科ごとに連携していかなければいけない。少なくとも英語と国語と、あるいは数学と国語だって、つまり数学や理科の問題の言葉をどう理解するのかだってそれは言語能力ですから。そういう今まで行われていなかったような、それぞれの教科を枠をうち破ったような形で学校をどうつくるのか。それはもちろん養護の先生を入れて、保健室でどういう話がされているのかということを、担任集団と議論する定期会議を月一回もつとか、そういうことも含めて学校を教師集団としてどうつくっていくのかっていうとところにしか、再生の道はないわけですよね。そういう一番大事なところを徹底分断していくという制度だろうと思うんです。
三番目に、これまで曲がりなりにも教師と生徒たちが一緒になって、討論しながら何かを決めていくっていう民主主義の訓練の場であった学校っていうものを、そうではなくてすべてが上意下達で決まっていくのだという場に変えていく。そして組織の中にいる者は何よりも決まった事に対する従順さと、それを決めた主体、上の主体に対する忠誠さという、一種の軍隊的な発想と言ってもいいでしょうかね、そういうものがまず教師のところに導入されて、民主主義の訓練場としての学校というものが解体されようとしている。で、その代わりにいわば消費者としての保護者や生徒が選ぶ、魅力ある商品をマネージメントとして提出できるような、そういう学校の商品化ですね。民主主義の訓練の場から商品という路線が引かれている中でのやり方ではないかと思います。
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《賛同人》小森陽一、杉本祐作、山本信子、十倉 桂、山川 暁、真島富二、和田幸子、長尾すみ江、滝口直行、佐久間む津美、鈴木康子、神田久仁子、太田喜久子、田中営子、青木洋子、村上禎子、村上芳夫、田原 肇、阿部裕行、高市裕子、二宮展雄、唐仁原 久、石毛理美子、清水洋子、黒須康則、小山七積、片岡一英、木村雅英、松井雅子、上田恵弘、田中哲朗、新井康子、古荘斗糸子、遠藤良子、加藤克子、福島博子、谷島光治、田中 等、中地弘志、中川信明、田畑和子、坂本史子、松本 薫、中森圭子、石下直子、羽成 純、大河原礼三、生川昭芳、京極紀子、近 正美、高木 正、北村小夜、清水れい子、穂鷹守、増井潤一郎、古荘 暉、入江一恵、中村英之、鹿山幸江、石川逸子、井上悦子 石岡洋子、米山良江、内山裕子、吉沼紀子、黒崎律子、滋田央子、加藤賀津子、風浦リウマ、菅原百合子、田中弥須子、菅野広志(豪国)、菅野和子(豪国)加藤昭仁、竹内 薫、赤石千衣子、足立妙子、伊賀正浩、磯野宏之、稲邑恭子、井前弘幸、林 炳澤(イム ピョンテク)、内田由貴子、大嶋 薫、大畑 豊、大山早苗、小野寺麻里、片桐 真、川見一仁、北村充美智留、北山清喜、熊谷伸一郎、桑野 功、古賀清敬、古賀ルリ子、小林ちよみ、酒井雅巳、榊原隆子、笹岡正俊、佐藤和弘、佐藤秀夫、佐野通夫、重松朋宏、嶋崎英知、島津豊幸、白木文代、杉山百合子、炭谷 昇、瀬川 均、高木秀泰、竹村泰子、田崎敏孝、俵 義文、寺尾光身、土井桂子、富永信哉、中島ゆり、中村明美、浪本勝年、西浦昭英、仁平龍雄、野村修身、長谷川 淳、花房恵美子、花房和夫、濱本正彦、濱本正仁、早川芳夫、樋口ダイジ、福田秀志、星野正樹、細島睦夫、前田 朗、前田年昭、牧原由美子、松浦弘幸、松田 勲、三島伸之、村雲 孝、安岡正彦、弓山正路、吉池俊子、渡部秀清、外山喜久男、角張光子、嘉登由紀子、佐藤梅子、坂井悦子、羽田ゆみ子、牧江寿子、西山 勲、石川正浩、工藤英三、入江冨美子、船波恵子、古川雅基、庄村有太、上原好一、内田由貴子、小野哲朗、溝淵清彦、石澤利己、 林 大記、日色無人、 趙 博(チョウ バク)金 栄、(キム ヨン) 、富塚 広志、根元敦子、外山理佳、野田隆三郎、高梨洋子、* * * *、 みつはし ひさお、青柳行信、鄭 貴美(チョン ギミ)山田真、金田誠一、東 由香子、大坊美知、田中英子、栗山澄子、増田多知子、広川昂臣、広川二女、中村淑子、早津洋子、早津邦夫、鈴鹿尚夫、田村浅男、鍋島洋子、藤井裕子、斉藤美津子、白井篤子、深谷賢子、川島幸子、福島進、秋山英子、秋山良一、宇佐川富子、金谷フミエ、斎藤義子、高木千恵子、本多克巳、牧野一恵、福井 洋、金子 潔、西川隋一、吉田和雄、石川 求、野副達司、吉田淳一、金子恵子、西原美枝子、
2002・1・5現在
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☆1・12緊急集会まであとわずかです。多くのかたのご参加をお待ちしています。会場でおあいしましょう!(亀子)