@要請ハガキ協力のお願い
A大阪の集会(講演 根津さん)のお知らせ
B「日の丸・君が代」強制反対ホットライン ホームページから 野田正彰さんの講演記録転載
@ 1・12集会実行委員からの呼びかけ
お願い 多摩市立多摩中学校の教員である根津公子さんに対する「指導力不足教員」認定処分を認めないという要請ハガキを出して下さい。又TEL・FAXによる要請行動もお願いします。ご協力よろしくお願いします。
● 新宿区西新宿2―8―1 都庁第二庁舎 東京都教育庁 〒163-8001
教育長 横山洋吉 人事部長 中村正彦 TEL03-5320-6721 FAX03-5388-1725
メッセージ例 都教委は、多摩市立多摩中学校教諭 根津公子さんを「指導力不足教員 に認定することが決してないよう強く要請します。
● 多摩市関戸6―12―1 多摩市役所内 多摩市教育委員会 〒206−0011
教育長 香川善平 指導室長 原田美知子 TEL042-375-8111 FAX042-337-7620
メッセージ例 多摩市立多摩中学校教諭 根津公子さんを「指導力不足教員」に認定することは教育の良心に反することです。
● 多摩市関戸3―19―1 多摩市立多摩中学校 〒206-0011
校長 前島俊寛 TEL042-375-7023 FAX042-337-7646
メッセージ例 多摩市立多摩中学校校長である前島俊寛校長は、ただちに根津公子さんを「指導力不足教員」として申請したことを撤回してください。
A教育塔を考える会の中村さんより大阪の集会(講演 根津さん)のお知らせがきています。
●憲法違反だ! 日の丸・君が代の強制、小泉首相の靖国参拝
2/11「建国記念の日」反対関西集会
2月11日(月)13:30〜16;00 16時からデモ
エルおおさか(地下鉄、京阪「天満橋」)参加費 800円
主催挨拶 「建国記念の日」反対! 黒田 伊彦
報告 首相靖国参拝違憲訴訟の意義と報告 弁護団
講演 教委による「指導力不足教員」作りのねらいと実態 根津 公子
主催 「日の丸・君が代」強制反対ホットライン・大阪
090-6377-7331 http://member.nifty.ne.jp/eduosk/
小泉首相靖国参拝違憲訴訟アジア訴訟団
06-6565-6905
http://www3.justnet.ne.jp/~HAL9000/noyasukuni.htm
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B 「日の丸・君が代」強制反対ホットライン ホームページから 野田正彰さんの講演を、会の了解のうえ数回に分け転載します。後半で根津さんについても触れられています。
12月16日、私たちは精神病理学者の野田正彰さんを迎えて、講演学習会を行いました。会場には、年末の忙しい時期にもかかわらず約100名の参加者があり、とても活気のある学習会となりました。
野田さんは、国旗国歌法制化以後、精神病理学者の立場から、「日の丸・君が代」が集中的に強制された広島や北九州、東京、大阪などで、教職員の職場環境とその精神状態を取材され、教職員の心がいかに抑圧によってむしばまれているのかを明らかにされてきました。野田さんは、文部科学省、教育委員会、校長による「日の丸・君が代」強制システムのもとでの教職員の精神的破壊のプロセスを「君が代神経症」として表に暴き出されてきました。自分の良心に反することを強制され、精神疾患等の身体上の不具合でしか表現できなかった教職員の苦悩を代弁されてきました。私たちは、講演を聴いて学校がいかに抑圧的な場所となっているのか、あらためて実感させられました。
私たちは、これまで主として「日の丸・君が代」強制に対して、「思想・良心の自由」の保障の観点から反対してきました。憲法を武器とした闘いでした。この闘いの方向は、これからも変わりませんが、今回の野田さんの講演は、私たちに新たな確信を呼び起こすものでした。精神疾患に陥らざるを得ないほど教職員の心をずたずたにする「日の丸・君が代」と職務命令によって無理矢理従わせるその強制システムが、どれほど教育現場にふさわしくないものかということがわかりました。
野田さんの講演内容は、抑圧にさらされる教職員が、自分自身のおかれている状況を客観的に捉え、そこからの脱却を模索するための貴重な材料となります。そこで、私たちは、卒業式での「日の丸・君が代」が問題になり始めるこの時期に、野田さんの講演録を発行することとしました。今年の闘いの武器として、活用してくだされば幸いです。
なお、野田さんの研究の内容は、雑誌『世界』(2001年11月から)に「させられる教育、途絶する教師」と題して連載されています。
野田正彰さん講演録
「君が代神経症」に押しつぶされる教職員と子どもたち
2001年12月16日
「満州事変」から70年−−−被害の側と加害の側の記憶の隔たり
最初私は、日本の植民地政策の話から始めたいと思います。今年は、歴史教科書と公民教科書が問題になった年です。しかし、公民教科書はあまり問題にならず、歴史教科書だけでした。しかも、韓国と中国からの抗議があったという面が大きかったわけです。そして、採決が終わると、この問題は潮が引くように消えていきました。
今年の秋は、1931年9月18日の「満州事変」から70年目であります。そのことがほとんど忘れられたまま、私たちはこの秋を過ごしました。私は、この9月北京の社会科学院に呼ばれて講演に行きました。北京の郊外には、日中開戦のきっかけとなった廬溝橋事件の起こった廬溝橋があります。そのたもとには、日本の侵略記念館ができています。私は、そこからずっとさかのぼったところの村を訪ねていきました。100何qも離れているところです。そこは、川底下村という非常に貧しい村があり、今年は、雨があまり降らなかったので、トウモロコシが実っているようには見えませんでした。去年もそうだったと言っていました。「何で食べているのか」と聞くと、わずかなトウモロコシと蜂蜜、そして山クルミを採取して、山羊を飼って生活していると言っていました。高台にあがるとはっきりわかりますが、その村には屋根瓦が少し白っぽいのと黒ずんでいるのとがありました。白っぽい屋根は、50年前に張り替えた家であります。つまり、この村は、三光作戦の対象だった所だったのです。貧しい村にも、廬溝橋事件から1年ほどが立って、日本軍が入ってきて、ベトナム戦争でやったことの先駆けとなったことですが、下の村に移住することを強制するわけです。村人をおいておくと、八路軍に協力するので、排除しようとしたわけです。男たちは、連れ出されて、何人かは嫌疑のために殺されました。ある村では、日本軍が包囲して、42人を全部焼き殺しました。そういった村々が中国にはあちらこちらにありました。
ただ、これは遠い過去の話ではないんです。最初、私はあたかも遠い過去の話かと思いながら村人と話していました。若い人に「皆さんは、おじいさん、おばあさんからどんな風に聞きましたか。」と聞くと、非常に当惑されながら「見てくださいよ。」と言われました。家の柱は焦げていました。天井の張りも焦げていました。下の村に追いやられても生きていくことができないことがわかっているので、夜明けに脱走して、村に帰ると家屋は燃えていたのです。何軒かは、叩いて火を消すことができましたが、貧しいので立て替えることもできず、今もそこを改修して住んでいるということでした。私の行ったある村は108世帯の内80人が八路軍に入隊して、わかっているだけで84人が戦死しています。そういう状況の中で、50年前とか60年前とか言うのは、私たちにとっての60年、つまり中国人はいつまでそんなことを言っているのだと考えている60年とは、全く違って、今もつい昨日のように、焼き払われた家の中で生きているわけです。そういったことをこの9月18日に私たちは、深く考える時でありました。
私は、北京から21日に帰ってきて、日本の大新聞を見ました。しかし、どの新聞も70年目の「満州事変」の特集をやっている新聞を見ませんでした。9月18日の夜には、中国東北部の列車は汽笛を鳴らしていました。大連の港でも、全ての船が汽笛を鳴らしていました。そして、数日前からテレビのゴールデンアワーで、日本の侵略についての映像がずっと流れていました。18日のテレビでは「9月18日を忘れるなかれ」というテロップがずっと流れていました。私たちは、被害の人々の思いとこれほど離れたところに生きているわけです。
今に引き継がれる戦前の植民地教育と全体主義文化
そのことは、国旗国歌についても同じことを強く感じます。というのは、日本の国家政策は、植民地において締め付けを徹底的に行ったあと、それを日本国内に持ってくるということを、近代でずっとやっているからです。たとえば、関東大震災における戒厳令下の弾圧を行った水野蓮太郎は朝鮮の弾圧から帰ってきたばかりの男でした。彼によって、戒厳令下の東京での弾圧が行われたわけです。そういう意味では、国旗国歌の強制の問題を考えるときには、植民地の中で何が行われたか思い出してみる必要があります。現在の文部科学省や教育委員会の役人が、戦前の植民地教育を勉強したとは、とても思えません。しかし、文化は、継承されています。
どういうことか、ちょっとだけ紹介をしておきます。興味のある方は、「日韓キリスト教関係資料」という本をお読み下さい。ここには1920年代より、朝鮮で公立学校生徒への神社参拝が強制されてきたことが書かれています。その後、キリスト教系の学校での神社参拝の有無が調べられました。参拝に反対した教師の免職、生徒の退学が強要されていきます。そしてキリスト教の偶像崇拝の禁止、万の神々の崇拝の禁止に基づいて、神社参拝を拒んだものに対して朝鮮総督府の学務局(現在の日本の文部科学省にあたります)は、「神社は宗教でなく、神社参拝は国家思想の中枢であり、これに反対する児童は、とうていそのままおくことはできないとして、退学その他を行っていった」わけです。
ここにあるのは、1938年「京城日報」に載った記事です。「三橋警務局長は、28日の定例局長会議においてキリスト教徒指導の結果に基づく具体的数字をあげて報告を行った。これによると、教会堂で国旗を掲揚しているところ88%、教会の各種催しに際し国旗に対して敬礼をなしているもの93%、同じく催しの際国歌を奉唱するもの79%、同じく催しの際東方礼拝をなすもの95%、同じく皇国臣民の誓詞を唱和するもの93%、西暦年号を使用せぬもの90%、教徒で神社に参拝するもの53%」として、数字を地域ごとにあげています。このやり方を聞くと皆さん思い出すでしょう。80年代の終わりから文部省が「強制していません」といいながら、数字をあげて、暗に何々県はいかに少ないかということを示していきました。そして、数字をあげて最初にターゲットになったのが、沖縄であったわけです。沖縄においては、国旗国歌の実施率がいかに少ないかと言うことを執拗にあげていったわけです。周辺から数字をあげて追いつめていくやり方は、1930年代の朝鮮で行ったことと全く同じやり方です。現在の文部科学省や教育委員会は、とりわけて書物で学習しなくても文化として継承しているわけです。彼らはというよりも私たちの社会は、戦争の反省を自らしてきたわけではありませんから、ほっとけば必ずもとの文化に、根を下ろしてしまうということを物語っています。
これを聞けば今も同じことが進んでいることに気づかれるだろうと思います。植民地化の朝鮮では、数字をあげて強制した上に、すでに国旗の掲揚が90%以上進んでいる中で、最後に神社の参拝が53%であることに注目させて、キリスト教徒に神社に行かせることを強要していったわけです。そして、これについては、神社は宗教にあらずということを強調していったわけです。その後日本でも、これはもちろん強調されていきます。日本のキリスト教も他の仏教も含めて神社への参拝が強要されていきます。プロテスタントの代表には、伊勢神宮へみずごおりに行くことが要求されました。そして、教会に伊勢神宮のお札を張ることが要求されました。これは、シンボルによって人の精神を蹂躙していくやり方です。
このもとに、どんなことが行われたかです。朝鮮総督府の警務局の文書には、こんな風に書いてあります。「朝鮮総督府によるキリスト教に対する指導対策」の中で「1,教会にはできるかぎり国旗掲揚塔を建設せしむること。建設せざる場合といえども、祝祭日またはかどある場合は、国旗を掲揚せしむること。2,キリスト教徒の国旗に対する敬礼、東方遙拝、国歌奉唱、皇国臣民の誓詞等を実施せしむると共に戦勝祝賀日、出征皇軍の歓迎・歓送迎等国家的行事には一般民衆と同様積極的に参加をすること。学校生徒の神社参拝は、国民教育上絶対必要なるも一般キリスト教徒の神社参拝に対しては、地方の実情を斟酌し、まず教徒の神社に対する観念を是正理解せしめ、強制にわたることなく実行あぐるよう指導すること。西暦年号は、歴史的事実の証明をする場合の他、なるべく使用せざるよう習慣づけること。賛美歌、祈祷文、説教等にして内容不穏なるものに対しては、出版物の検閲並びに臨観等により厳重取り締まりを行うこと。」と書いてあります。
今、進行している事態と較べても、文体は少し古いですが何にも変わらないと、皆さんは思われないでしょうか。しかも、ここにきちっと「強制にわたることなく実行あぐるよう指導すること」と書いてあります。私は、公教育について調べていますが、何と「指導」という言葉が好きな人たちかと思いました。教育委員会には指導主事だとか主席指導主事だとか、全部「指導」があふれています。そして、「君が代」斉唱時に起立しなかったことについては、校長は各先生に外では「(起立するよう)校長に指導されたと言ってくれ」と言っています。教育委員会は校長を「指導」したと言います。文部科学省は各都道府県の教育委員会の教育長を「指導」しているだけだと言います。そして「指導力不足教員」だとか、何と「指導」と言う言葉があふれていることかと思います。しかし、「指導」というのは、、もともとは一つの範を示して、それとなく人がそれに習おうとすることを言います。言うことを聞かないと処分するぞと言うのは、指導とは言いません。言葉がこれほどまでに下劣に使われているのを他に聞いたことがありません。
いずれにしても、歴史はこれほどまでにきちっと繰り返しているわけです。数字をあげて完成を期す。しかも、それは90%ではだめなんです。一人残らずさせなければ気が済まないという文化の中に私たちはいるんだと言うことです。そして100%ということで、全体が一つになったと思いたがる文化に生きているのです。私たちは今、そういった状況に直面し、闘っているわけです。
☆亀子新聞次号につづく