「日の丸・君が代」強制反対ホットラインホームページから
@ 野田正彰さんの講演録転載 その2
@ 亀子新聞1.18号からつづく
「日の丸・君が代」に反対する教職員をいじめるシステム
私は、この「日の丸・君が代」の強制問題を、周辺にいる人たち、私の場合は大学の研究者が多いのですが、そういう人たちと話をして、非常に危機感と不愉快な思いをしています。教育学者の多くは、このように言います。確かに「日の丸・君が代」の強制は行われています。しかし、教育全体は、総合的な学習の推進や偏差値教育の追放などで、教師たちの自由度は少しづつ高くなっているはずですと。というのは、教育の現在の方向は、規制緩和だというのです。よくこんなことを言っているなと思いますが、教育学者の多くはそういう言い方をします。中には、現在の指導力不足教員の体制作りの委員会に入っている人たちもたくさんいます。各都道府県の教育委員会に入って、それを推進している人もいます。学校の自己評価なども進めている人たちもいます。こういった自己評価、指導力不足のトップに校長の命令に従っているかという項目があります。彼らは、「日の丸・君が代」に従ってるかどうかがチェックされる仕組みになってることをはっきり知っておきながら、平然とこういう形で言っているわけです。
この15年間、教育の現場がいかに荒廃しているかと言うことは、『世界』の連載に書いてあるとおりであります。一例だけお話をしておきましょう。ある中学校の音楽の先生のことですが、彼女は10年前から卒業式・入学式で「君が代」をピアノ演奏しろと校長に命じられてきました。早いところでは15年前から進行している地域がかなりあります。この地域では、彼女が演奏を断ると、校長は前日まで何回となく彼女を呼び出して脅迫をしていきます。一方では、拒否することができない弱い立場の非常勤講師に、「君が代」演奏の準備をさせておいて、最終的に当日拒否されて実行できなかった場合には、非常勤講師に演奏させるという手だてを取って、脅迫を続けていくわけです。だんだん抑圧は厳しくなっていきます。彼女を校長室に呼んで「ピアノ演奏するように職務命令をだす。」とか、「職務命令に従わなければ、あなたは処分されるが、私も職場を混乱させたことで処分される。だから黙ってピアノを弾いてくれ。」と泣き言を言ったりとか、様々な脅しと泣きで対応するわけです。
さらに、盛んに「通勤困難な地域に配置転換させることができる。」「そうなった場合は、家庭生活ができないんではないか。」「(右よりの)保護者などに囲まれて脅される学校もあるぞ。」「処分が続いたら、分限免職になるので、結局一緒だぞ。」など、言い続けられるわけです。こういった状況でも、かつてのように組合員が多かった時には、「そんなのは受ける必要はない」と周りが守ってくれる状況もあって、それなりにがんばってこれたわけですが、現在では組合潰しが進行し、組合の組織率は各地で非常に落ちていきます。そして、こういった人たちは学校を移されて、孤立させられていきます。
多摩の根津先生のように、一旦「日の丸・君が代」の問題で処分しておいて、次に右派の校長のいるところに配置転換するというやり方もあります。しかもその先生が来る前に「今度来るのは偏向先生だ。」と子どもたちや親にふれておくわけです。いかに攻撃されようと子どもたちとふれ合ってる人は、子どもたちと親に支持されています。しかし、前もってデマが流されているところに追いやられてしまうと子どもたちとの関係がなかなかうまくいきません。そういう状況に追い込んでおいて、校長は授業中に教室に入ってきてチェックをしていくわけです。
私は、ここにいくつかの地域で校長がポケットに持っているチェック表を持っています。例えば、このチェック表はABCのランクで、学級の雰囲気はどうか、学習のしつけはどうか、子どもの発言はどうか、教師の声量はどうか、発問は精選されているかどうか、発問のタイミングはどうか、板書の仕方はどうか、机の間の巡視の仕方はどうか、など30項目あります。こういったことをやっている地域がたくさんあります。この調子で、一人一人の教師をいじめていくという手だてが、微にいり際にいり進行しているわけです。
京都の場合ですが、不起立の教師をこんな風にいじめた例があります。紋切り型の文化を持つ日本の原型を指し示しているような気がします。不起立だった教師を教育委員会は呼び出しをします。6人から8人の指導主事が、集団で2時間近くいじめをやるわけです。まず、上席の指導主事が「なぜ不起立なのか。」と聞きます。この教師が「部落差別の対極にあるこの歌を」と言いかけると、いきなり怒鳴りつけられました。「部落のことなんか聞いていない。どうして校長の指示に従わないのか。」周りの指導主事からも一斉に「何年学校に勤めているのか。職務命令違反だ。」と罵倒されました。1対6〜8ですから、多勢に無勢です。そして、「そんな勝手なことを言うなら、私学に行け。」「今強い指導を受けていることがわからないのか。」と言われる。指導主事の中に一人教師出身者がいて、「先生は熱心に授業をしている。あなたは、今日のぼくらの話を理解してほしい。」と言ったそうです。すると、攻撃の対象は一旦この指導主事に移って「何を言っているか。おまえは甘い。」と発言を訂正させられました。これは、どういうことでしょうか。
もう一人の教師の場合はこうです。教育委員会から「校長と二人で来い。」と呼び出されました。その時、成績一覧表を持ってくるように言われました。ここでは、8人の指導主事たちに2時間にわたって査問されました。いろいろと教師に脅しが続き、提出した成績一覧表について「こんなの昨夜一晩で作ったのだろう。」と嫌みを言われたあと、突然隣にいた校長に攻撃が移ります。指導主事が、成績一覧表に校長印がないと言い出しました。「成績一覧表は、通知票に書く前に担任が印を押し、校長に提出し、校長がそれを見てよいと思ったら印を押して担任にかえし、そして担任が通知票に写すものだ。校長の印が押していないのは、どういうことだ。常識じゃないか。こんなことだから学校の常識は世間の非常識だといわれるんだ。」とどなり散らされました。
この場面を想像してください。人間を幼児化して退行させる装置を私たちの文化が持っているということです。子どもを呼びつけるだけではありません。親と同行させるわけです。この場合、校長は親であります。呼びつけられた教師は、子どもの役割になっているわけです。そして、子どもを散々いたぶった後、目の前で別の人、この場合校長をいたぶるわけです。つまり、舞台の中で、もう一つ舞台が設定されるわけです。そこで、人は逆らうとどうなるかという劇が行われるわけです。日々人間を幼児化して自分の意志がきちっと持てないような舞台装置が私たちの社会に組み込まれていることを物語っています。文部科学省の役人の中でも、課長が課長補佐に対してやっていることですし、そして彼らが出向していった先でやっていることですし、そして各都道府県の教育委員会の中でもやっていることですし、それが学校の場でも使われているでしょう。しかも私が言ったことは、私の分析です。されている本人もしている本人も気づいていないと思います。自分たちがいかに退行の文化、人間として責任をとらないように、幼児的反応を強いることが望ましいということを強いる文化に、私たちがいかに親しく生きているかを物語っているわけです。
広島県世羅高校の校長を自殺に追い込んだもの
『世界』での私の2回目の連載では、広島の取材をたくさんしましたが、世羅高校の校長の自殺のことに限って書きました。世羅高校の校長の自殺は、「日の丸・君が代」を国旗国歌に代えるための契機に使われました。以前から、何らかの事件が起こるたびに、そういう方向に使おうとする動きはありましたが、それを徹底して行ったのが世羅高校の事件だったわけです。広島では、それ以前から数字をあげての抑圧がありました。地方の議員が議会でこの問題を採り上げ始めて、文部科学省段階では、数字をあげて提示する。その動きの中に、右派の教師たちが学校内の情報を集約して伝える。それに産経新聞が乗っかかって、集めた情報を頃合いを見て出す。それに基づいて、右翼が校長や教育委員会に脅迫を行っていく。こういった動きが一体として動いていき、広島の状況が作られていったのです。作られた問題を一気に法案に代えていったのは、広島における部落解放同盟の動きに対して強いコンプレックスと反感を持っていた野中広務の衝動力でした。
しかし、広島県教育委員会の辰野教育長は、亡くなった2ヶ月後に個人の日記を引用しながら「広島県立高等学校の自殺について」という長文の報告書を発表しています。この文章に対して教職員組合や部落解放同盟から反論が行われています。私は、教育委員会の文章を丹念に分析をするという手法をとりました。「報告書」の中では、教育委員会が部落解放同盟と教職員組合の圧力によって国旗国歌が実施できなかったので追いつめられたことが報告されています。しかし、私は全ての私的な日記まで持ってると思われる教育委員会側が、校長が国旗を掲揚し国歌を斉唱したかったという一つの文章も拾うことができなかったということにつきると思います。逆に、「報告書」が明らかにしているのは、亡くなった校長が「日の丸・君が代」の実施が今まで自分のやってきた教育に反するんだということをいろいろな形で表現し続けていたことです。
最後に石川校長が亡くなる前に書いた文章でPTA新聞に寄稿したものを読みます。「卒業生の皆さんへ、今まさに人を大切にし、お互いの人格を認め合う中で、よりよい社会を築くことが要求されている。そのために、自分を大切にした生き方を身につけてほしい。」そして、寄稿文の最後は、若山牧水の文章でしめくくられていました。「人生は長い道なり 平だといいのに登りもあればくだりもある 広いところもあればせまいところもある ただひたすらに己の道をいく」
高等学校の3年生の子どもたちに、この石川校長の死を選んだ行動とこのメッセージを読み解く力がないはずがありません。子どもたちは、次のことを読みとったでしょう。日本の社会は、有無を言わさない力が働いてきたときには、自分の思いがこんなにいとも簡単に踏みにじられる社会であるんだと言うことを。
これほど愚劣な教育が、私たちの目の前で行われているわけです。しかし、この校長がなくなっていくプロセスを精神病理学者として見ていくと、まさにきちっとした判断力を持っていた人間が判断力を奪うための手法がとられていることがわかります。まず教育委員会は、校長に全ての経過を毎日毎日報告するようにという職務命令をだしていきます。『世界』の中で「報・連・相」のことを紹介しています。「報・連・相」はスパイで使われる言葉です。一番盛んに使われるのは、統一教会です。報告、連絡、相談です。略して「報・連・相」といいます。常に自分の主体的な判断を停止させる手法です。自分が何をしているか、全部上に連絡しろ、そしてその指示のもとに動け、ということです。こうすれば、自分の内面はなくなっていきます。
人はそれに耐えられないので、この校長は盛んにウソをついていきます。職員会議の時間も長くかかったといってウソをついて教育委員会の電話にもでない。夜中に起き出してきて、今終わったと教育委員会に連絡を入れる。ウソを言いながら教育委員会と対応をしているわけです。にもかかわらず、教育委員会は、夜中に校長宅に出かけていったり、亡くなった当日には、早朝から自宅に出かけていきました。こういうことをすれば、人はものごとを判断する力を順々に失っていきます。もうこれ以上自分がなくなることに耐えられなくなり、もしこれを乗り切ったとしても、教育者として自分が生きている姿をイメージできなくなったときに、彼は死を選んだと思われます。こういったことを、私たちの社会は想像する力を失ってきています。判断力の非常にすぐれた中年の社会的役割を果たしている人間を追い込んでいく典型的な手法であります。私も遅かったんですが、広島の学者たちはそういったことをきちっと指摘していないことを非常に残念に思います。
亀子新聞次号に続く
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● 1月18日に「支える会」は二度目の請願を提出しました。
〔いきさつ〕10月定例会に「多摩の会」が提出した「根津さんの申請の取り下げを求める請願」が、10月定例会で継続。11月に不採択。あまりにも一方的な情報に基づく議論の結果の不採択だったのを見て「支える会」は12月定例会に「教育委員との話し合いを求める請願」を提出し、不採択。その理由は、、話す必要ない、全国からの要請などが沢山きているので一々対応できない、などというもので理解できません。一方教育委員会も私たちの請願を理解していないと思われるので、再度「請願」を提出しています。