@「日の丸・君が代」強制反対
ホットラインホームページから
野田正彰さんの講演録転載 その3
A 野田さん講演録の感想
@ 野田正彰さん講演録 その3
「君が代神経症」が教職員の心を壊している
私は、大阪府の教育委員会に行きました。いかに、大阪府の中に病気で休む教師が増えているかということです。それも、精神疾患で休む人が非常に増えています。本当は、各地の教師に緻密にやってほしいのだが、「日の丸・君が代」で抑圧が激しくなり処分が出始めると、1年後か1年半後に精神疾患の休職者が増えているのではないかというデータを出してほしい。処分の前には、盛んに配置転換も行います。逆らう教師を壊すために、あるいは組合潰しのためにやります。各教育委員会の地域単位で、通勤手当がいかにあがっているか、というのを出してほしいと思っています。もし、1年後に一気に通勤手当があがっていることになれば、教育委員会が何をやっているかということが数字ででてくるだろうと思われます。
大阪の教育委員会にデータをもらい、知事部局のデータと比較したものを発表しました。大阪を見ると、96年ぐらいから、一気に教師の精神疾患での休職者の割合があがっています。そして、知事部局のデータでは、一般には90年代に入り精神疾患での休職者の割合が平行線をたどっていたのですが、学校の教師は96年から急速に増えていきます。4倍の数字にあがっていきます。抑圧は様々な形がありますが、症状を伴いながら追いつめられるというのがでていると思います。いかなる職場でも、休職者の40%、あるいは50%が精神疾患です。基本的にはうつ状態でしょう。これらは、想像を超えたことですが、現状では進んでいます。
私は、こういったことを必ずしも悪いことだとは思っていません。抑圧された中で人が耐えかねてうつ状態になったり神経症状を呈していることは、せめてもの救いであります。しかし、身体化する中でしか、私たちの社会が苦痛を感じることができないのは、困ったことです。是非、苦痛の中で、自分の身体が不都合になったことをきちっといろいろな形で言葉にしてほしいと思います。それは、「日の丸・君が代」に反対するという言葉は出せなくても、自分の抑圧された環境が人間としてギリギリの環境であることを言葉にして伝えていってほしいと思います。私の仕事も、その言葉を拾う仕事であります。「君が代神経症」と私が呼んだものは、望ましいことではありません。しかし、そういう形でも自己を表現することができるということが、私たちの最後のよりどころであります。同時に、周りの教師や保護者は、このような傷ついた人々の声を聞き取らなければいけないと思います。いかにゆがんだ環境を強いているかということを考えていくべきだと思います。
「指導力不足教員」対策は、校長に従順な教職員作り
最後に「指導力不足教員」の問題に入っていきます。「日の丸・君が代」の強制と現在進行している「指導力不足教員」の問題は、直接結びついています。広島では、昨年度の処分は千数百人にのぼっています。5月に教育委員会は、処分された教師に対して、1年間の「自己改造の計画書」をだせと要求しました。校長には、それぞれの教師の指導プランをだせと要求しました。「指導力不足教員」のチェック項目のトップには、「校長の命令をよく聞いているか」です。「日の丸・君が代」に反対する教師は、ここにばっちりとバツがつくようになっているのです。いくつかの新聞に書いてありましたが、雨の日に学校に行かない教師が、あたかも「指導力不足教員」であるかのようにイメージが作られています。現実に行っていることは、従順ででない教師を追い出して、高齢の教職員が多い今の人員構造を少しスリムにして、若い人を採っていこうとする全体的な政策の中で、「指導力不足教員」対策が進行しているのです。
一体どういう項目があがっているか、丹念に見てほしいと思います。今私が持っているのは、高知県の例です。ここには、「指導力、学校の方針、児童生徒の理解力、事務能力、勤務意欲、ものの見方考え方、人間関係、衣服、言葉使い、私生活」などの項目があがっています。例えば、「私生活」の項目がありますが、そこには「家庭生活や子育てなどの悩みで職務に支障が生じているか」「家庭の不和につながり勤務に支障が生じているか」「近所付き合いのトラブルから苦情があるか」などがあります。これは何でしょう。これが「指導力不足教員」のチェック項目の実態です。まさしく日常の私的な生活がチェックの項目です。
さらに「衣服」の項目では「目的に応じた服装ができない」「いつもジャージなどを着ている」「異常に華美な印象を受ける」「誰に対しても乱暴な言葉使いで不快感を与える」などがあがっています。
「学校の方針」については「学校の教育方針に反対する」「和を乱す」「職員会議で異を唱える」です。「指導力」の項目には、「指導がきつく高圧的である」「作成された文章の内容が貧弱である」。「組織方針」の項目では「昔は、今は、という考えに固執し、自分の考えを代えず柔軟性に欠ける」「人権擁護の配慮に欠ける」「自分の考えのみを押しつけ、それに従わなければ厳しく叱責する」「屁理屈を言って不信感をもたれる」「誤りを率直に認めようとしない」。ほとんど教育委員会や文部大臣に該当しています。この調子で「指導力不足教員」についていわれていることを、私たちはきちっと知らなければいけないと思います。
私はいくつかの県で「指導力不足教員」になった人のリストを持っていますが、まったく1985年に国鉄精算事業団でやられたことと同じことが行われています。対象になった人たちは、組合にも誰にも言ってはならないと言われて、密かに「指導力不足教員」としていろいろな仕事が押しつけられています。レストランに皿洗いに行かされたりしているのです。東京都の「指導力不足教員」のリストを持っていますが、もはや何人かの人はリストにあげられた時点で屈辱に耐えられなくて退職していっています。非常にファショ的なやり方が進行しています。
最後にまとめると、私は教育の場というのは、日々問題が起こることごとに職員と子どもたちが一緒になって学んでいく場に代えなければいけないと思います。私は、つくづく日本の教育の異質性を感じます。例えば、アメリカでもイタリア、イギリスでも校長にあって「どうして校長になったんですか。」と尋ねると、きちっとした意見を言わなかった人に会ったことがありません。しかし、私は日本の校長にあって「なぜ校長になったんですか。」と質問したとき、まともに応えてくれた人はいません。「そろそろ年だから・・・」「上から成れと言われたから・・・」ばかりです。近年、民間から校長になるというのがありますが、とんでもないことです。私は、資格があるかないかの問題ではないと思います。しかし、近年の民営化の動きは、単なる競争原理の導入であります。80年代の後半からほとんどの競争で敗北した日本の民間企業の、その二流三流の経営者の末端が、学校にいって何のまともな経営ができるのでしょうか。やはり、学校はいろいろな問題が起こる中で、その問題を一番の教材にしながら、子どもたちと社会を認識していく場でないといけないと思います。そういう空間に換えていくことができないかぎり、私たちの社会が子供たちに伝えるメッセージは、抑圧された社会に適応する訓練をしなさいということでしかありません。そしてその適応の訓練は、いじめといじめられのゲームでしかないのです。
(文章及び小見出しの責任は事務局にあります)
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A 日の丸・君が代」強制反対ホットラインの了解を得て、3回にわたり野田正彰さんの講演録をホームページより転載しました。感想が寄せられていますのでご紹介します。
●野田正彰さんの原稿は、的を得ている文章だと思います。異質なこと、少数派排除の考え方が、おそろしいです。ひとりひとりのこころの中から、平和のこころを育てていかないといけないと考えています。 戦争協力にNO!葛飾ネットワーク 井上悦子
●講演の記録を読みながら、感じたこと。
今、私がかかわっている中学生。 とてもいらつき、すぐにきれる子が多い。
それは、なぜなのか。私に力量がないからかと、 自分をせめるけれど、そればかりではない。 学校が、教育がおかしいのだ。その変だと思うことを野田さんは、言っていて共感、納得することが多い。
でも、今の私がどうすればいいのかは、わからない。自分で考え、行動せよということだろう。 お上の言うとおり、皆と同じに行動するのが、楽なのかもしれないが、 それでは私が私でなくなる そうなったら、いやそうなる前に、やめてやる そんな夢を見ている私です。
磯部
●もし私が空飛ぶ亀であったら、上空から地上を眺め多摩市多摩中学校でおきている根津さんの問題は「日本という国」の問題なのだと、体感するだろう。小森陽一さんの講演は、思考の飛行だ。私は地上にいるが空を飛び、その視点を明確に示してもらった。もし私がロケットに乗っている宇宙飛行亀であったら、根津さんの問題が、根津さんという点から線(日本)、線から立体(アジア)へとつながっている事をロケットの窓から見るだろう。野田正彰さんの講演は、いまだに満州事変の焼け跡に住む中国の人々の声をリポートしながら、その立体像を自分自身で結び、頭に叩き込み行動しろと静かに迫る。私は地上にいる。が想像せよ!そして飛べ! 亀子