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30年に渡り、プロテストソングを一人歌い続ける田中さん


 現在公開となっている『田中さんはラジオ体操をしない』は、日本人に大きな問いを投げかける1本だ。オーストラリアで製作されたドキュメンタリーではあるけれど、ここに映し出されるのは妙なオリエンタリズムの色眼鏡が入った不思議の国・日本ではなく、どこからどう見ても否定できない日本という国であり、まぎれもない日本人の姿。高度成長期から現在に至るまでの日本社会の遍歴をたどるどころか、今回の震災で今を生きる我々がよく考えなくてはいけないことも数多く見えてくる。そういう意味で、現在の日本をとらえた映画であり、ある意味、“日本映画”と言っていいだろう。被写体となった田中哲朗さんは大手電気会社である沖電気に就職するも、合理化によるリストラ後、まるで忠誠を誓わすように始まった朝のラジオ体操を断固として拒否。その後、会社から一方的な嫌がらせを受けながら、最終的に解雇を通達される。以来30年、田中さんは勤務先の工場の正門に立ち、たったひとりでプロテストソングを歌い、抗議活動をしている。この事実がつきつける現実は日本人必見といっていい。世界中で喝采を浴び、ようやく日本でも公開されることになった本作の主人公・田中哲朗氏の声を届ける。

――取材のお話はどういった経緯で来たのでしょう?

田中:この映画のプロデューサーのマーク(・グレゴリー)と、監督のマリー(・デロフスキー)は夫婦なんだけど、まず旦那のマークからメールが来たのがこの映画の始まりで。彼は世界の労働者の歌をまとめたサイトを作っていたんだ。それで僕の歌を取り上げたいと打診してきてね。まあ“いいですよ”といってたら、今度は“オレの妻が映画を作っていてお前に関心がある”と言ってきて。僕は“ああ別に構わないよ”といったらほんとうにオーストラリアから取材に来たんだよね。

――今のお話を聞くと二つ返事で取材のOKを出したと感じるのですが、相手への警戒心みたいなものは何もなかったのですか?

田中:30年も抗議活動しているからか、僕はすごく近づき難い危ない人と勘違いされているんですけど、そんなことはなくて、取材も打診されれば基本的にすべてウェルカムなんですよ。だって、僕の最大の使命は、企業がこんな人権を踏みにじる行為をしていることをみなさんに伝えること。それをメディアが嘘をつかないで正確なことをちょっとでも伝えて、みなさんが関心をもってくれれば、これに勝ることはない。だから、国内だろうと海外だろうと取材は常にOKなんです。

――そうなんですか。今回のような海外の監督が日本人を取り上げるドキュメンタリーを見ると毎回思うんです。日本のマスメディアはなぜ取り上げられなかったのかと。では、取材拒否とかは一切なかったんですね。

田中:ええ、一切ないです。これはいろいろあるんでしょうけど、実は日本の新聞、テレビなど、これまでにいろいろと取材を受けているんですよ。でも、結果的に記事にならない、番組にならないという経験を何度もしてきました。少し前にも、某TV局から取材をうけていたのだけれど、直前になって放送が見送られてしまった。だから、僕はいつも自分に言い聞かせているんですよ、取材を受けても“期待はするけど当てにはしない”と(笑)。

――じゃあ、今回の『田中さんはラジオ体操をしない』も出来上がるまでは半信半疑だった?

田中:ただ、彼らは合計5回も取材に来たんですよ。オーストラリアからはるばる。しかも最初に来たときは、2週間ぐらい滞在したんだけど、下取材で。その次が40日間ぐらいいたんだけど、これが僕のメイン取材。そのあとが、裁判とか株主総会とかポイントになるところで取材に来た。それから僕の問題なのに僕以上に怒るときがあってね。ほんとうに僕の価値観や社会や人権、会社に対する意識をよく理解してくれて。だから、これは信頼度が高かった(笑)。

――映画を拝見してやはり思うのは、ここ数年、企業のリストラや合理化、それに関係があると思われる中年男性の自殺や心の病を抱えた人の増加などの問題が、実はもう田中さんが会社から解雇を通達され、抗議活動を始めた30年前からすでに始まっていた。ここ数年、特に大きく叫ばれるようになった無縁社会、家族崩壊の予兆が実は、もう30年前にあったように思いました。

田中:安保闘争が終息してしまった途端に、例え正しいことであっても声を上げることが非常にはばかられる社会になってしまった。僕が抗議活動を始めた1980年代、当初は同意してくれる人がいなかったわけではない。ただ、彼らも最終的には声を上げない方を選択した。会社の理不尽な要求があっても、それに従う方を選ぶ。豊かになるには“きれいごとでは生きられない”とみんな思っちゃった。それから社会がどこか“正義”を軽視する方向に行ってしまった気がする。“人間はしていいことと悪いことがある”とか言うと、正論なんだけど“それだけじゃ生きていけないよ”とどこか笑うような風潮が生まれてしまった。で、結局、長いものに巻かれろにみんななってしまって。権力や力を持った者にほど、ほんとうは目を光らせなくてはいけないのに、そこの中で守られる方が得策と思うようになってしまった。で今どうなっているかというと、信じていたはずの企業や会社はさらに獰猛になって、長年勤続していようがいまいが関係なく簡単にクビを切る。企業はそこで働く人のためにあるというのはもう甘ったれた考えで。企業はもはや企業のためにあるものになっている。

――経済優先で、利益を出すためにならば働く人はまったく無視されるということですよね。

田中:そんなところで働いてもハッピーになるはずがない。神様が喜ばないことすると、やはり歪みが出るんだよね。それが今になって、ようやくみんな解ってきた。社会全体が幸せについてすごく考えるようになって。少なくとも“物質的な豊かさ=幸せ”という意見には否定的になってきている。少しずつだけど声を上げる人も出てきたし、それを支持する風潮も出てきた。“人間は紆余曲折しながら少しずつよくなっていく”というのが僕の持論。100年前に比べれば人権問題だって、相当向上している。だから、日本の社会がよくなると今も信じています。

――オーストラリアでは国営TVで放送されたそうですが?

田中:すごく反響があったみたいで、僕のところにも“感動した”というメールがいっぱいきました。自分の境遇や経験と照らしあわす人もいっぱいいてね。ぜひ、そういう人たちには泣き寝入りしないで“立ち上がれ”とエールを送りたい。“立ち上がれ、日本人”ですよ(笑)。あと、映画祭では中国の留学生やバングラディッシュの人から激励されたり。ベトナムからは人権用の教材として使いたいなんて打診があったりしましたね。小さな映画ですけど、観ていただいて、日本はもとより世界各国で自らの社会や人権、生き方について考えるきっかけになってくれたらうれしい。

 個人的な意見だが、この映画が国外の映画祭で大反響を呼んだ要因のひとつは、思想が統一されてしまうことや市井の人々の声が抹殺されてしまうことの危なさを海外の人々の方がより切実に感じとっているからだと思う。同時にこの映画は、ひとりの人間が巨大権力に立ち向かうことが無ではないことも教えてくれる。ここに露にされた“日本”を、とにかくみてほしい。

(取材・文 水上賢治)