感想ブログ等
http://coco.to/movie/14050/all
映画『田中さんはラジオ体操をしない』が上映拡大、田中哲朗さんのトークイベントも
http://npn.co.jp/article/detail/62913643/
同作品は、現在、9月の大阪、京都に加え、名古屋、札幌、広島、那覇での上映が決定している。ほか各地での上映も調整中という。(竹内みちまろ)
ワクワクSINEMA PARADAISE
http://wcinemaparadise.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/07/post_a9d3.html
オーストラリア人の女性監督、マリー・デロフスキーが手がけた「田中さんはラジオ体操をしない」(7月2日から公開中)は、ドキュメンタリー映画の傑作です。彼女と、夫であるプロデューサーのマーク・グレゴリーは、インターネットで日本の田中哲朗さんのウェブサイトを偶然見つけたという。そして、企業の不条理に抗議する田中さんの粘り強い、長期に及ぶ闘争に関心を持った彼らは、田中さんが闘いを始めてから25周年の記念日に合わせて、本人に会いに日本にやって来たといいます。 ※ 田中哲朗さん、63歳。1981年、東京の大手電気会社に勤めていた彼は、突然解雇される。彼は、会社のマンドリンクラブの部長として活躍するかたわら、整理合理化で大量解雇された元従業員を支援。新社長を迎えた会社は、大規模なリストラを行ったのち、社員の意識改革のため朝礼の一環としてラジオ体操を導入する。それは始業時間前に行われ、従業員の忠誠心を試すものだった。田中さんは、このラジオ体操を断固拒否。その結果、給料は減額、同僚からは無視され、遠隔地への移動命令を断ると、解雇された。 ※ 以来、田中さんは解雇された翌日から勤務先の工場(沖電気八王子工場)の正門前に立って抗議活動を始め、それは現在に至るまで30年間も続いているという。ミュージシャンでもある彼が、テンガロンハットをかぶり、ギターを弾きながら自作のプロテストソングをうたうくだりが強い印象を残す。そんな彼の抗議行動に賛同した人々‐たとえば「君が代」の起立斉唱に反対する元教師・根津公子さんらもカメラに収められる。感傷を排した客観的な映像が、田中さんの行動を通して日本の企業の暗部を、みごとに照射しています。 ※ 異色なのは、田中さんのキャラクターです。監督とブロークンな英語でやりとりし、時にはぶつかり合う。それでも、映像のなかで堂々とした姿勢を保ち、木刀で鍛錬し、ミュージシャンとしての気概をあふれさせる。解雇後、彼はどんな生活をしていたのか。たとえば、ギター教室を開いて、いじめを恐れて不登校の少年を教えたりしている。そして、ロック・ミュージシャンになった息子が作ってくれた賛歌に涙ぐむくだりも心に残る。長期間に及ぶ、たったひとりの解雇闘争が、日本が抱える矛盾に斬りこみ、いつしか広範な人権擁護運動とつながっていく。それが、田中さんの行動の意味だと思います。
http://taicava.blog.so-net.ne.jp/2011-07-01
ネコまみれの日常と映画に関する覚え書きなど、種々雑多な随想録
毎朝欠かさず、某有名メーカーの工場正門前でギターをかき鳴らし歌う、テンガロンハットの男がいる。かつてこの工場に勤務していた田中哲朗さん、63歳。1981年6月29日に彼は解雇されたのだが、その理由は、朝の恒例行事であるラジオ体操を拒否し、左遷に応じなかったから。当時の田中さんは、会社のマンドリン部の部長として仲間と楽しい時間を過ごす一方で、リストラされた元従業員たちの支援をしていた。始業前のラジオ体操に参加することが従業員の忠誠心をはかる踏み絵だと感じ、田中さんはそれを断固拒否。減給され、仕事を干され、ほかの社員が話しかけてくれなくなり、社内を歩き回ることが禁止され、次第に会社にいづらくなるような雰囲気が作られていったという。最終的には、遠隔地への人事異動を承諾しなかったことで解雇された。その後30年間にわたり正門前で毎朝30分間、たった1人で不当解雇を訴え、抗議行動としてプロテストソングを歌い続けている。
この事実をたまたまネットで知ったオーストラリア人の映画監督マリー・デロフスキーが夫でプロデューサーのマーク・グレゴリーと取材に訪れ、田中さんを追ったドキュメンタリーが完成した。外国人目線で浮かび上がる実像は、極めて一方的なルールに縛られたおかしな国ニッポン社会の理不尽さと滑稽さ。おそらく多くの日本人にとって田中さんの活動は「なんでそこまで?」と思えるようなものだが、「おかしいことにおかしいと言い続ける田中さん、素敵だな」と彼に共鳴する人もいる。
田中さんは解雇されて無職なのではなく、小学校から高校までの生徒を対象とした学習塾を経営し、ギターも教えている。そういうことと無関係に、彼は納得できない理不尽なことに対して執拗に果敢に闘い続ける。茶道を習っていたが、決まりごとに反対して破門になったというから、彼にとって無意味と思われるルールに盲目的に従うことはポリシーに反するのでしょう。
感動的なのは、この人の闘う姿そのものもあるけれど、彼の妻と息子たちがちゃんと活動を理解し、「いつまでやってるのかしら。早く止めてほしい」と言いつつも、応援してくれているということ。息子たちは2人とも音楽の道を進み、長男は「すごいことやってる。でも体には気をつけてほしい」と言い、「怒りをもって立ち向かっていかなければいけないことがある。誰にでもできることではないし、かっこいい」と言う次男は父に捧げる歌を作った。工場の門前での闘いは1人でも、彼は孤独ではない。
理由を考えさせずに従わせるという、極めて日本的な体制と闘う田中さんは、自分自身を「頑固だと思う。日本人はもっと頑固になるべき」だと語る。そう、ほんとにもう私たちは公権力にとって扱いやすい羊ではいられない。揺るぎない信念に突き動かされてたゆまぬアクションを続ける田中さん。今こそ彼に学ぶべきことがたくさんありそうだ。
本田監督の今日はこんな日でした。
http://www.fune-yama.com/diary/archives/1312.html
Hoga
Holic
http://www.holic-mag.com/hogablog?itemid=2688
記事の裏だって伝えたい
http://shuzaikoara.blog39.fc2.com/blog-entry-53.html
ウーマンエキサイトシネマ
http://woman.excite.co.jp/cinema/movie/mov18789/
映画がはねたら、都バスに乗って
http://blog.goo.ne.jp/ereninotabi/e/a29084129001202954fdca717a7cdf86
八王子市議会議員 陣内やすこのブログ&プロフィール
http://www.jinnai.ne.jp/blog/index.php?itemid=1318
千恵子@詠む
http://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama/e/e2d4aa3c0356f2208e8ebd79a09d8c24
社 畜 を 拒 否 す る 田 中 さ ん の 映 画
沖電気に解雇された田中哲朗さんの名前を意識したのは九二年の参議院議員選挙の時だった。選挙のたびに主張をしていた東郷健さんが、何千万円も使って全国区に立候補するのに協力したときだ。テレビ、ラジオ、無料の選挙葉書、ポスター掲示板。せっかくの意見表明の機会だったので、わたしは「警察国家はいやだ」を主張するため、東京地方区に立候補したのだった。
世間様からは泡沫候補と笑われても、主張型の立候補のうち真摯なひとは何人かいる。そのひとりに田中さんがいた。会社から解雇されたのに、200万円もの供託金を払った決意に驚く。八王子に住む共通の知人を介して連絡をもらい、ほんの少しだが掲示板へのポスター貼りを協力しあった記憶がある。電話で話したさいの、なんと純なひとだろうという印象を鮮明に覚えている。
彼のウェブサイトを見ると、選挙で大きなストレスがかかり、眼底出血から網膜剥離、ついに左眼を失明したそうだ。また果敢に闘っているさまは、彼からの頻繁なメールで知る。
その田中さんの映画『田中さんはラジオ体操をしない』。現在63歳。30年前に毎朝のラジオ体操を拒否したために沖電気を解雇され、以来、工場の門前で毎朝30分、企業ファシズムを批判する歌を歌い続ける。当時自民党の亀井静香代議士も激励にきたくらいだ。そして毎月29日には、一日中座り込みを実行。そこには椅子もあり、サロンと化している。
会社の株主総会には、毎回出席して意見を陳述する。田中さんを支援したことから社内でいじめに遭っていた友人を救うため、社長に直談判したこともあるという。学習塾とギター教室で生計を立てているが、その広告を毎朝抗議行動する会社門前の電柱に出している。この発想は、すばらしい。
木刀で鍛錬する田中さんの姿から始まる映画は、オーストラリアの女性監督の作品。端正な顔立ちでバイクに跨り疾走する田中さん、トレードマークはテンガロンハット姿のシンガーソング・ファイター、不屈の民だ。
いじめられっ子に、ケンカのノウハウを伝授する場面。株主総会の前夜に泊まり込みで、仲間たちと会社側の人間に抑え付けられた時の対抗方法を練習する場面。妻や子ども、親との関わりも含めて、田中さんの人柄が伝わってくる。
一見の価値のある映画だ。
記事の裏だって伝えたい 「田中さんはラジオ体操をしない」は面白い
http://ceron.jp/person/tw/the_BL nihongo39 tw 2011-10-14
15:35 木曜日はメンズデーだったんでジャック&ベティで「田中さんはラジオ体操をしない」を鑑賞 百人行けど我行かず
自分の信念を貫き通している田中さんが純粋にカッコいいと感じた 自分が同じような境遇に立たされたらどう行動するのだろうか 2011年10月15日http://blog.livedoor.jp/mary_anne/
検査と『田中さんはラジオ体操をしない』
雨ときどき曇り
外では風が唸りを上げています。 ジメジメして、まるで梅雨みたい。
先日、呼吸器科というところに行ってきました。 実は私、いびきをかくらしいのです(恥)。 レコ助によると、時々呼吸が止まっていたり、苦しくてガバッと起きることもありました。 知人が同じ症状で病院に行ったら「睡眠時無呼吸症候群」だったということで、私も行ってきました。
医師曰く、私はあごが小さくて(下の歯並びも確かによくない)、なりやすいタイプなんだそうです。 加齢で喉の筋肉も弱り、舌の行き場がなくなって落ちて気道を塞ぎ、なるのだそうです。 でも、軽症だろうということで、検査入院の必要はなく、簡易キットで自宅で検査をすることになりました。 今度また行って機械を借りてきます。
加齢による・・って言われるようになりました、あちこち(^^; 仕方ないですが、筋肉をホントに鍛えないと、ますますいろいろ出てきそう。
さて、今週は映画を1本観に行きました。 『田中さんはラジオ体操をしない』 ラジオ体操を拒んで会社を解雇され、その後30年間会社の前で抗議の歌を歌っている田中さんのドキュメンタリーです。 続ける気力もすごいし、支える家族もすごい。 おかしいことにはおかしいと言うこと。 デモが続いていることや、この映画が上映されていることを思うと、 少しはそういう機運が高まっているのかな。 ただ、この映画を作ったのが外国人だということを思うと、なんだか複雑な気持ちになる。
田中さんもすごいが、支援者のキミコさんという女性にも魅かれた。 「君が代」斉唱で起立せず、停職処分を受けている教師。 生徒たちに君が代の歌詞の内容を説明せず、なぜこれを卒業式で歌うのかの説明もなく、 ただ従えというのは違うと思うという話に納得。
ただただ、まっとうな事を言っているだけなのに、なぜこんなことになるのかとても不思議に思う。 こういうことが積み重なって閉塞感が強まり、息苦しい世の中になるのではないか。
小学4年生の時、知人の家に泊まりに行き、朝一緒に会社に行ったことがあった。 多分、誰かが迎えに来てくれるまで、一緒にいたのだと思う。 その時、社内でラジオ体操があった。 一緒にやらないといけないと思い、周りを伺いながら体操したが、 なんとも言えないイヤ〜な気持ちになったことを思い出した。 大人になったらこういうことを強制されるのかとか、イヤと言えない、抵抗できないことへの恐怖感とか、管理される、縛られる、ことへの嫌悪感とか、そういう気持ちだったと思う。
しばらく忘れていたけど、小学4年生ですでに感じていたのだから、 その後の人生でそういうことにいちいち躓いたのもむべなるかな、だ。 軍隊を連想させるのも嫌だった。
田中さんは、とてもまっとうな人だと思う。 まぁ、だからといってみんなが竹刀をふらなくてもいいわけだし、それぞれのやり方で戦えばいい。
映画を観ながら、昔、佐野元春が「僕には街のあちこちで戦っているのが見える」と言っていたことを思い出した。
ゲンジツヤドシ 京都で芝居をしてます。内容はその活動の発信とか駄文とか映画の駄文とか。自慢とか・・・主に駄文。
http://89351.blog.fc2.com/
空気に戦いを挑む いつしか小さな疑問は空気の様に周囲を覆ってしまうのです。
映画「田中さんはラジオ体操をしない」を見てきた。
この映画はラジオ体操をしなかった為に会社を解雇された一人の男性の四半世紀に及ぶ、そして今も続く戦いを映したドキュメンタリーである。
田中哲郎氏は朝のラジオ体操を拒否し、遠隔地へ異動になるも、それさえも拒否したため首となった。 減給や、ほかの社員からシカトを決め込まれる事もあったそうだ。それから25年、彼は会社への抗議活動として、解雇された電気会社の正門の前で歌を歌っている。
さてこの映画では、勤務時間外にラジオ体操を強制する会社が悪いか、田中さんが正しいかはまったくどうでもいい事だ。当の電気会社からの視点が無いのもその為だとおもう。 この映画で重要なのは田中さんその人だ。
ハッキリ言うと、最初見て思ったのは
何だこのおやじ?
長髪にテンガロンハットという出で立ちや、毎朝家で木刀を振り回している姿。 きっと見た人は抵抗を覚えると思う。けど同時に興味を持つと思う。
そして、彼の生き方を見せられるわけだが・・・
抗議活動、周囲の人間との関係、過去。
彼の生き方が必ずしも正しいかは分からないんだけど。 家族に好かれている。友達がいる。
別に危険な思想もなければ、別に他の人に戦いを強要したりもしないのに、 彼の生き方は一部の人間に何かを感じさせている。
それって・・・かっこよくね?ってことなんですよ。
嫌な事に嫌だという、自分で戦う。
これはカッコいいですよ。この人には後ろめたい部分は何にもないんだし。
この人に会社への憎しみが有るか無いかもは分かりませんが。 別にあってもいいし、なくたっていい。
取りあえず、生きている田中さん。
ごく平凡だけど戦ってる田中さん。
世の中そこらじゅうに蔓延る、抑圧に誰も気づかず従っている。 それは怖い事だと思った。世間や、会社の小さな取り決め一つ一つにどんな意味があったのだろうか? ほんとに必要があったのだろうか?そう思うと分からない所がたくさんあった。
今自分の働いてる場所でも、「何故?」と思うルールがたくさんある。 それらに気付いて、「何でやらなきゃいけないんですか?」と聞いてる人。
それが田中さんだ。
どうだカッコいいだろう。
http://www.fune-yama.com/diary/archives/1312.html
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる 映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
≪ 『デンデラ』 新・港村 ≫
2011/7/2 土曜日
今日は午前中、『田中さんはラジオ体操をしない』 という奇妙な(?)題名のドキュメンタリー映画の初日に行ってきた。僕はこの作品、2年前の山形国際ドキュメンタリー映画祭で見ている。監督はオーストラリア人のマリー・デロフスキー監督だが、日本人の田中哲朗さんが主人公ということもあって、”ニュー・ドックス・ジャパン”で上映された、と記憶している。僕自身は、別の映画で田中さんのことを知っていたし、短いながらも演奏を聞いたことがあったので興味しんしんで見に行ったのだが、会場は異様に盛り上がっていた。とにかく、田中さんのパワフルでしかもファニーなキャラクターに圧倒されている雰囲気だった。その熱気が肩を押したこともあって、本日、映画館での公開がついに始まった。上映前には田中さんの挨拶(というよりアジテーション?)と2曲の生演奏。僕は田中さんの話を聞きながら、「原発事故を起こした東電でも沈黙させられた社員がいたのだろうなあ」と思っていたら、田中さんが同じことを語られていた。社員をハッピーに出来ない企業が社会をハッピーに出来るわけがない、という田中さんの考えはシンプルだけどつい忘れられやすいことだと思う。前置きが長くなったが、本作はオーストラリア人の監督がなぜ田中さんに興味を持ったかから始まり、沖電気に解雇されてから25年(撮影時、今年で30年!)毎日門前で抗議の歌を歌い続ける姿を映し出していく。タイトルにある、「ラジオ体操をしない」というのは、本当に職場でラジオ体操を拒否したことが遠因になって解雇されたことを指している。解雇されてから、田中さんはギター教室を開いている。僕がこの映画を見てジーンときたのは、2人の息子が登場するシーン。お二人とも音楽の仕事をしているのが素晴らしい。そう、田中さんはご自身で”シンガーソングファイター”という通り、音楽家なのだ。特に、二男が父へ捧ぐために作った曲を聞かせ、思わず涙ぐむ田中さんがいい。お二人とも子どもの頃は父のことがよく分からなかったけど、大人になって分かった、尊敬している、と語っている。僕はふと自分のことを思う。僕の父は田中さんとは随分違うけど、会社の組合活動で随分社内でいじめられていた。母はそういう父に批判的だった。結果、随分、ぎすぎすした家庭だった、と思う。僕も大人になってから、やっと父のことも母のことも理解できた、気がした。だから、『ニュータウン物語』を撮った。『ニュータウン〜』撮影中に父とはいろんな話をしたけど、いつまで経っても照れくさいもので、何かを本音で話すことは出来なかった、と思う。だから、田中さんの息子さんがストレートに父のことを歌にしていていいなぁ、と思ったのだ。そして、その歌が本作の主題歌になっている。えらく脱線した話を書いてしまったが、とにかく本作の田中さんを見ると元気が出ること請け合い。残念ながら、今日の会場には若い人が少なかったけど、僕はぜひ、将来を迷っている高校生・大学生・新入社員に見てほしいと思う。田中さんのように間違ったことを間違っていると言い続けるのは難しいと思うかもしれないけれど、少なくともこの映画を見ると、そういう勇気の握りこぶしを心の中で持ち続けることを少し後押ししてくれると思うから。
未分類 ? text by 本田孝義 @ 22:47:54
http://www.holic-mag.com/hogablog.php?itemid=2688
30年に渡り、プロテストソングを一人歌い続ける田中さん
現在公開となっている『田中さんはラジオ体操をしない』は、日本人に大きな問いを投げかける 1本だ。オーストラリアで製作されたドキュメンタリーではあるけれど、ここに映し出されるのは妙なオリエンタリズムの色眼鏡が入った不思議の国・日本ではなく、どこからどう見ても否定できない日本という国であり、まぎれもない日本人の姿。高度成長期から現在に至るまでの日本社会の遍歴をたどるどころか、今回の震災で今を生きる我々がよく考えなくてはいけないことも数多く見えてくる。そういう意味で、現在の日本をとらえた映画であり、ある意味、“日本映画”と言っていいだろう。被写体となった田中哲朗さんは大手電気会社である沖電気に就職するも、合理化によるリストラ後、まるで忠誠を誓わすように始まった朝のラジオ体操を断固として拒否。その後、会社から一方的な嫌がらせを受けながら、最終的に解雇を通達される。以来30年、田中さんは勤務先の工場の正門に立ち、たったひとりでプロテストソングを歌い、抗議活動をしている。この事実がつきつける現実は日本人必見といっていい。世界中で喝采を浴び、ようやく日本でも公開されることになった本作の主人公・田中哲朗氏の声を届ける。
――取材のお話はどういった経緯で来たのでしょう?
田中:この映画のプロデューサーのマーク(・グレゴリー)と、監督のマリー(・デロフスキー)は夫婦なんだけど、まず旦那のマークからメールが来たのがこの映画の始まりで。彼は世界の労働者の歌をまとめたサイトを作っていたんだ。それで僕の歌を取り上げたいと打診してきてね。まあ“いいですよ”といってたら、今度は“オレの妻が映画を作っていてお前に関心がある”と言ってきて。僕は“ああ別に構わないよ”といったらほんとうにオーストラリアから取材に来たんだよね。
――今のお話を聞くと二つ返事で取材のOKを出したと感じるのですが、相手への警戒心みたいなものは何もなかったのですか?
田中:30年も抗議活動しているからか、僕はすごく近づき難い危ない人と勘違いされているんですけど、そんなことはなくて、取材も打診されれば基本的にすべてウェルカムなんですよ。だって、僕の最大の使命は、企業がこんな人権を踏みにじる行為をしていることをみなさんに伝えること。それをメディアが嘘をつかないで正確なことをちょっとでも伝えて、みなさんが関心をもってくれれば、これに勝ることはない。だから、国内だろうと海外だろうと取材は常にOKなんです。
――そうなんですか。今回のような海外の監督が日本人を取り上げるドキュメンタリーを見ると毎回思うんです。日本のマスメディアはなぜ取り上げられなかったのかと。では、取材拒否とかは一切なかったんですね。
田中:ええ、一切ないです。これはいろいろあるんでしょうけど、実は日本の新聞、テレビなど、これまでにいろいろと取材を受けているんですよ。でも、結果的に記事にならない、番組にならないという経験を何度もしてきました。少し前にも、某TV局から取材をうけていたのだけれど、直前になって放送が見送られてしまった。だから、僕はいつも自分に言い聞かせているんですよ、取材を受けても“期待はするけど当てにはしない”と(笑)。
――じゃあ、今回の『田中さんはラジオ体操をしない』も出来上がるまでは半信半疑だった?
田中:ただ、彼らは合計5回も取材に来たんですよ。オーストラリアからはるばる。しかも最初に来たときは、2週間ぐらい滞在したんだけど、下取材で。その次が40日間ぐらいいたんだけど、これが僕のメイン取材。そのあとが、裁判とか株主総会とかポイントになるところで取材に来た。それから僕の問題なのに僕以上に怒るときがあってね。ほんとうに僕の価値観や社会や人権、会社に対する意識をよく理解してくれて。だから、これは信頼度が高かった(笑)。
――映画を拝見してやはり思うのは、ここ数年、企業のリストラや合理化、それに関係があると思われる中年男性の自殺や心の病を抱えた人の増加などの問題が、実はもう田中さんが会社から解雇を通達され、抗議活動を始めた30年前からすでに始まっていた。ここ数年、特に大きく叫ばれるようになった無縁社会、家族崩壊の予兆が実は、もう30年前にあったように思いました。
田中:安保闘争が終息してしまった途端に、例え正しいことであっても声を上げることが非常にはばかられる社会になってしまった。僕が抗議活動を始めた1980年代、当初は同意してくれる人がいなかったわけではない。ただ、彼らも最終的には声を上げない方を選択した。会社の理不尽な要求があっても、それに従う方を選ぶ。豊かになるには“きれいごとでは生きられない”とみんな思っちゃった。それから社会がどこか“正義”を軽視する方向に行ってしまった気がする。“人間はしていいことと悪いことがある”とか言うと、正論なんだけど“それだけじゃ生きていけないよ”とどこか笑うような風潮が生まれてしまった。で、結局、長いものに巻かれろにみんななってしまって。権力や力を持った者にほど、ほんとうは目を光らせなくてはいけないのに、そこの中で守られる方が得策と思うようになってしまった。で今どうなっているかというと、信じていたはずの企業や会社はさらに獰猛になって、長年勤続していようがいまいが関係なく簡単にクビを切る。企業はそこで働く人のためにあるというのはもう甘ったれた考えで。企業はもはや企業のためにあるものになっている。
――経済優先で、利益を出すためにならば働く人はまったく無視されるということですよね。
田中:そんなところで働いてもハッピーになるはずがない。神様が喜ばないことすると、やはり歪みが出るんだよね。それが今になって、ようやくみんな解ってきた。社会全体が幸せについてすごく考えるようになって。少なくとも“物質的な豊かさ=幸せ”という意見には否定的になってきている。少しずつだけど声を上げる人も出てきたし、それを支持する風潮も出てきた。“人間は紆余曲折しながら少しずつよくなっていく”というのが僕の持論。100年前に比べれば人権問題だって、相当向上している。だから、日本の社会がよくなると今も信じています。
――オーストラリアでは国営TVで放送されたそうですが?
田中:すごく反響があったみたいで、僕のところにも“感動した”というメールがいっぱいきました。自分の境遇や経験と照らしあわす人もいっぱいいてね。ぜひ、そういう人たちには泣き寝入りしないで“立ち上がれ”とエールを送りたい。“立ち上がれ、日本人”ですよ(笑)。あと、映画祭では中国の留学生やバングラディッシュの人から激励されたり。ベトナムからは人権用の教材として使いたいなんて打診があったりしましたね。小さな映画ですけど、観ていただいて、日本はもとより世界各国で自らの社会や人権、生き方について考えるきっかけになってくれたらうれしい。
個人的な意見だが、この映画が国外の映画祭で大反響を呼んだ要因のひとつは、思想が統一されてしまうことや市井の人々の声が抹殺されてしまうことの危なさを海外の人々の方がより切実に感じとっているからだと思う。同時にこの映画は、ひとりの人間が巨大権力に立ち向かうことが無ではないことも教えてくれる。ここに露にされた“日本”を、とにかくみてほしい。
(取材・文 水上賢治)
「田中さんはラジオ体操をしない」
友人からの強い勧めによって、映画『
田中さんはラジオ体操をしない 』を鑑賞する。
オーストラリアの監督の作品だが、日本の「沖電気」で30年前、始業前に「ラジオ体操をする」ことを拒否して会社を解雇された「田中さん」のドキュメンタリー。
会社の経営者が替わり、1350人の従業員が解雇されることになる。そんな彼らを支えようとした田中さんたち社員に対して、次第に差別やいじめが始まる。「彼らのビラを受け取るな」「口をきくな」「仕事をさせるな」「親睦会に呼ぶな」「お土産をあげるな」・・・。ラジオ体操は言わば会社側の「踏み絵」。そんなどうでもいいことに「黙って従う」ことで、会社への忠誠心を示させるようなことに抗議して、田中さんは席に着席したまま、ラジオ体操には参加しなかった。結局、遠隔地への異動を命じられ、それを拒否したという理由で解雇。その翌日から彼は、今日までずっと、会社の門の前に立ち続け、たった一人でも抗議行動を続けている。毎日、歌を歌い、月に一度は座り込みをし、会社の株主総会には毎年参加しては暴力的に排除され、それを不当だとして裁判に訴える。そんな彼を追った映画だ。
この日の上映会では、上映後に田中さんご本人が登場して、ライブとお話つきだった。
彼の活動には、国歌斉唱で起立しなかったという理由で停職処分を受けた、東京都の高校の先生なんかが加わようになるのだけれど、田中さんも彼女も繰り返し訴えていることは、「ラジオ体操が嫌いなわけでも、国歌が嫌いなわけでもない。そうではなく、『やらない、歌わない』という選択をした人が差別を受けるのは、おかしいと思うからやらないし立たない。『何も考えずに黙って従え』ということの踏み絵だし、それは民主主義ではない」ということ。それは、とても小さな「闘い」のようで、「どうでもいいこと」のようだけれど、その最初の小さな「どうでもいいこと」をやり過ごしてしまうことが、次の「踏み絵」を生む。目の前の理不尽に、徹底してこだわり続ける彼の姿勢は、なんていうか、すごく、本質的に感じた。
「もっと頑固になるべきだ」と、田中さん。例え「偏屈」と言われようとも。
そして、その当の田中さんはと言うと、30年の間にはまわりに素敵な人たちが集まってきていて、映画中でもライブでも、やたら生き生きして楽しそうなのだ。
私はこの映画、自分の周囲で2年ほど前に起こったことをどうしても思い出してしまいながら観たのだけれど、あのとき自分は、「やられる側」であって良かったと、つくづく思った。
この3連休は毎日、誰かと遊んで過ごした。幸せな休日であった。
あのとき、「踏み絵」を踏まなくて良かった。それとこれとは、あんまり関係のないことのようだけれど、すごく関係していることのようにも思う。
上映後、パンフレットにサインをいただいたところ、「自分にやさしく」と書いてもらった。
私は、田中さんの自作の歌詞にあった、
「人らしく生きよう。
あなたはもっとやさしくて、あなたはもっと強い」
って言葉が、好きだったな。
リクエストすればよかった(笑)。
http://eiganotubo.blog31.fc2.com/blog-entry-309.html
映写室「田中さんはラジオ体操をしない」上映案内 ―主演の田中哲郎さんに伺う、ハッピーになる方法―
不思議な題名のこの映画、主人公は反骨精神旺盛な団塊世代の男性です。御年63歳の田中哲郎さんは、30年前に就業前のラジオ体操を拒否して、大手電気メーカーを解雇されました。ラジオ体操位妥協してすればいいと思うけれど、この話には前段があります。81年はまだバブルの前で、石油ショックの尾を引いて会社の経営は厳しいものがありました。大量の指名解雇があり、外部から社長を招いて、おっとりした社風だった会社の建て直しが始まる。ラジオ体操は健康の為にやるのではなく、新しい社長と共に、会社が生まれ変わるのに協力する意志を、体操をすることで伝えようとしたのだそうです。
<労働争議は、いろいろなセクトがあり> 、会社側に上手くそれを利用して潰されました。最初は田中さんと同じように、体操を拒否した人も、会社のあの手この手の圧力に屈し、体操を始めます。拒否し続けて、会社を止めざるを得ない人も出てきました。最後には、田中さんに話しかけることすら、会社の圧力で出来なくなっていくのです。何時までも体操を拒否する田中さんは、遠隔地への転勤を命じられ、それに従わないと解雇されました。それ以来、30年間会社の前でギターを弾きながら抗議の唄を歌い続けているのです。
<組織に残って> 、戦うことも出来たのではと質問すると、「会社の嫌がらせはそんな生易しいものではなかった。結局何も出来ないで自分で辞めていっただろう」と。 <体操をしないことが自分であり続けること>だったと話す田中さん。長い物に巻かれることで自分を守り、幸せをつかもうとした人に比べ、自分の心に忠実に生きて解雇されたけれど、人がどう思おうとも、自分はこんなに幸せだよと歌い続け、そういう情報を発信し続けたのでした。
<そういう姿に心を捕まれ> 、このドキュメンタリーを作ったのは、マリー・デロフスキーさん。オーストラリアの女性監督で、インターネットで偶然に田中さんを知り、映画を作る為に、はるばる東京までやって来ました。
<30年という長い地道な活動が> 、ここにいたり、インターネットで海の向こうの監督に届いたというのにも、時代の流れを感じます。そう言うと、「やっと僕の時代になってきた。マスコミは正しいことを報道しない。すぐに権力に巻き込まれて、差しさわりの無いことしか書かないものだ」と、そんなものに頼らず、自分で情報発信のツールを持てる今の時代の幸運を話されました。
<田中さんや監督の行動を知ると> 、同じネット時代を生きながら、生かしきれていない自分たちの不甲斐無さも感じるのです。伝えるべき事のある時は、例え見えない相手に向けてであっても、伝え続ける事が大事だと。自分の見つけたい情報は、ネットを上手く使えば辿り着けるという事実も教えられました。
<一方で> 、この作品から浮かび上がるのが、生き方が人を作るという事実です。若い頃は優しい普通の青年。ところが、年と共に戦う体つきになって、まるで武士のような風貌になって行く。そう言うと、何よりの褒め言葉だと喜んで、自分は平家の落ち武者の血を引くのだと誇らしげ。勿論大変だったでしょうが、こういう風貌の変化を目のあたりにすると、こういう事があって、ある意味でお幸せだったと実感できます。苦しい日々が、田中さんの中の、育ちたがっていた、戦うDNAを大きく育てていったのではないでしょうか。
<この間4人の社長が亡くなり> 、中には虐めの手段を発案して社長にまで上り詰めなりながら、自死した方もいるそうです。管理する方も又、もっと大きな組織の中の一歯車。皆、体制側について自分を守ろうとしながら、最後はその体制の論理に飲み込まれ、命までも落とすという事実。田中さんは力説します。「皆自分の守り方を間違えている。自分を守るとは、自分らしく生きること。幸せになりたかったら、そう出来る強さを持たないといけない。人についていっても自分は守れない。長いものに巻かれても結局はハッピーになれない。奇麗事を言うのが一番ハッピーなのだと、僕は今の幸せな姿を皆に見せて、訴え続けるのが自分の仕事だと思っている」と。
<会社を辞めて> 、収入の道を捜す時も、とにかく会社の前に行ける仕事をしようと思ったのだそうです。確かにその通りで、素晴らしいけれど、ご自身はともかく、奥様が大変だったでしょうねと言うと、「女性からは必ず言われますね。そうですねと言うしかありません。私一人で頑張ったとはとても言えません」ときっぱり。
<作品からは> 、日本人との視点の違いも感じます。そもそもこのローカルな事実の中に、普遍的なものを見つけて映画にしたのは、はるか遠くの監督。冒頭のシーン等、監督も、田中さんの姿にきわめて日本的な何か、武士道のようなものを感じられたようにも思いました。(犬塚芳美)
この作品は、第七藝術劇場で上映 10月1日(土)〜10月7日(金) 10:30〜 8日(土)以降も続映予定。 詳しくは劇場まで(06―6302―2073)
http://d.hatena.ne.jp/KAYUKAWA/20110511
午後、新橋 のTCC 試写室で、『田中さんはラジオ体操をしない』
というドキュメンタリー 映画の試写を観る。「田中さん」というのは30年前に、勤めていた会社から解雇 されて以来、毎日、その会社の前でギター弾き語りによる抗議を続けている人の名前である。
僕はかなり前からこの人の存在を知っているはずだが、正確な時期と媒体は覚えていない。『朝日新聞 』で紹介されたのを読んだ記憶もあるが、その時点ですでに知っていたと思う。映像制作グループ「ビデオプレス」 の作品『人らしく生きよう国労 冬物語 』のエンディングテーマ を歌っていたのはこの人だ。
この映画は、インターネット を通じて田中氏の活動を知ったオーストラリア の女性映画監督 が日本にやってきて、田中氏やその仲間の活動を記録したもの。各国の映画祭で高く評価されたほか、テレビでも放映されたらしい。この作品が日本の劇場で公開されるのは、なんだか“逆輸入 ”みたいだ。もちろん面白かった。不服従を示す人間は素晴らしいし、映画はその素晴らしさを明晰に、かつユーモア豊かに伝えている。ただ自分があのように生きられるか、と自問してみると、正直いってキツい。
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http://mini-theater.com/2011/07/02/16765/
― 解雇されてから25年間、田中さんは毎日、元勤務先の前で抗議活動をおこなっている。
自分を解雇した会社の正門前で、25年間、毎日、抗議活動を続ける人がいる。
1981年6月29日、田中哲朗さんは突然、勤務先に解雇された。多くの人が企業名を知っている、東京の某大手電機会社である。
以来、25年に渡って毎朝、田中さんは元勤務先の正門前で、ギターを手にして歌い続けている。たったひとりでおこなっている、不当解雇に対する抗議活動だ。解雇された日にちなんで、毎月29日には座りこみ行動をする。これらの活動は現在も続いている。
オーストラリア人のマリー・デロフスキー監督は、インターネットで偶然知った田中さんに興味を持って、彼の活動と人となりに迫ったドキュメンタリー映画を撮ろうと決意。本作『田中さんはラジオ体操をしない』は、原題を”TANAKA-SAN WILL NOT DO CALLISTHENICS”というオーストラリア映画なのである。
― 田中さんが解雇された理由は、「ラジオ体操をしなかったから」?
田中さんが解雇された理由。それは、「始業時間前に行われるラジオ体操を拒否したこと」がきっかけである。給料が支払われない自由時間にラジオ体操を強要されることに疑問をいだいた田中さんは、連日、着席し続けて抗議の意志を表明した。その結果、左遷を命じられたが、断固、拒否。最終的に、解雇通告を受けた。
「ラジオ体操の強要は、企業による従業員への人権侵害のひとつ」と、田中さんは解釈した。現在は塾の経営と音楽活動で生計を立てている彼は、元勤務先への抗議活動を続ける傍ら、人権侵害に苦しむ人々の支援や、いわゆる「いじめられっ子」のサポートなどを、積極的におこなっている。
― 「今の日本人は頑固じゃなさすぎる」と、田中さんは言う。
「人権侵害がテーマのドキュメンタリー」と聞くと、難解で重苦しそうな印象を受けるが、田中さんが社会に対して示す行動の数々は、多くの人にとって身近な問題が源になっている。突然の解雇はもちろん、「わが子が学校でいじめを受けている」、「旅行のお土産を、職場で自分だけが配られなくなった」、「組織の方針に抑圧されて、精神的にダメージを被った」 ― これらの言葉から、周囲の誰かや自分自身の状況を連想する人も多いだろう。田中さんが協力する人たち、田中さんを支援する人たちは、こういった近しい問題に向きあっている人々である。
「今の日本人は頑固じゃなさすぎる」と、頑固を自認する田中さんは言う。奥ゆかしくて協調性があることは、一般的な日本人の美徳のひとつだが、場合によっては、自分の意見や意志を抑制する枷にもなりうる。田中さんの活動や思想に共鳴するかどうかは、人それぞれだ。ただ、「正当な環境で、健全に生きるため」に、現代の日本人は、自身が暮らす状況をじっくりと見つめて、ときには、自分の考えを声高に述べる必要があるのかもしれない。その意義と重要性を、田中さんの行動は教えてくれる。
※当サイトでは、田中哲朗さんが登壇する『田中さんはラジオ体操をしない』の初日舞台挨拶を取材し、同日、田中さんにインタビューをおこなう予定です。その模様は後日、掲載致しますので、どうぞご期待ください。
▼『田中さんはラジオ体操をしない』作品・公開情報 2008年/オーストラリア/75分 原題:”TANAKA-SAN WILL NOT DO CALLISTHENICS” 監督・撮影:マリー・デロフスキー 編集:モーガン・グレゴリー 録音:グレッグ・フィッツジェラルド 音楽:田中広幸 田中哲朗 デイヴィッド・ミッチェル プロダクション・コンサルタント:マーク・グレゴリー 製作:ブルー・ルーム・プロダクション 配給・宣伝:浦安ドキュメンタリー・オフィス+スリーピン 出演:田中哲朗 田中かおる 田中 剣 田中広幸 北野好人 根津公子 長橋美保 上田恵弘 ほか ●『田中さんはラジオ体操をしない』公式サイト ※2011年7月2日(土)より、新宿K’s cinemaにてモーニング・ショー。
文:香ん乃
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2011年11月07日(月)
テーマ:映画エンタch.
おそくなりましたが、先々週に観に行った映画レビューです。
なんと意味深で、過激なタイトル!
会社の労働時間前のラジオ体操を拒否したことから会社をくびになり、それから30年にわたって抗議活動をしている人の映画という触れ込みで、(実際にうちも朝礼で慣例でラジオ体操をしている身であること、そしてこの人にも何か考えのあることだろうと思って)観ることにしました。おそらく、かなりの人はふざけるなとか、会社をくびになっても当たり前だとか、こういう人は反日サヨク勢力だとかいうでしょう。現に、今の世の中、なにか変わったことをするとすぐに叩かれますから。
箸の上げ下げに厳しくなった世の中、世間、世知辛いじゃないですか。だからこそ、この映画を観た意味があるし、この映画があるんだということを知らしめるべく、一筆エントリーします。
この映画の驚いたことは、日本の出来事なのに、なんと
オーストラリア 制作のドキュメンタリー映画であること!(じっさいに、この模様がオーストラリアのSBSテレビで放映された。)
主言語は英語で、現場の様子はさすがに日本語だったが、田中さんも日本語のなまった英語を流ちょうに操って、取材のカメラマンとやりとりしていた。
あとで調べたことなんですが、たぶん批判的な言論をしそうな
産經新聞ですらこの映画を好意的に取り上げていた のには驚いた。ネットでも、上の動画サイトで批判的なコメントがあったものの、ブログではむしろ田中さんの勇気ある行動への賞賛、日本人が飼い慣らされすぎて、自分の意見を持たなくなり、奴隷根性を身につけてしまったことを反省/指摘する意見が多かった。やっぱり、みんな本当はおかしいと思っていたんだ。だけど、口に出したり、行動に出すと何かが怖い…そこなんだと思う。
みんなにあわせて行動することは、日本人の美徳であり、戦後の日本の経済成長に大きく向上したのはまぎれもない事実ではある。
しかし、一方で自分を殺すことで、周りにあわせることが無難な人生と思ってしまったことと、経営者側、財界側が労働者を都合のよいように操ったこと、特に教育の面で学校を単なる社会への人材育成機関としか考えないような施策をしてきたことがあわさって、いつの間にか、
みんながやっているから、これは常識だとか、こんなこともできないのか、 少しでも疑問に思えば頭ごなしに否定 される雰囲気ができてしまっていること、それこそがとても危険なことだと思う。
この作品中、日の丸君が代演奏時に起立しなかったとして、免職(解雇)になったある元教諭も紹介される。彼女も、また同じくその次の日から「登校」して抗議活動をしている。それにも通じる。
私的には、
「日の丸」「君が代」の取扱については、以前ブログでかいたように、大切に扱ってほしいし、それに対しては敬意をしてしてほしいし、先生こそそれを率先してほしいとは思っている。 しかし、最近の施策は上から前にならえ、有無を言わさずに理由も示さず、議論も経ずに、処罰ありきで形から入らせようとする。(I原知事、H下元知事がかなり過激なようだ)反対する人が出た場合、どうやって説明し納得してもらうかの戦略が見えてこないところに、やはり私は何らかの違和感を感じるのである。
みんながやっているから、昔からこうだったからというのは、きょうび理由にならない。それを教えることもまた教師の仕事であり、政治の責任じゃないかなと思う。それを放棄して教師や現場の側ばかり責任を丸投げして、従わなければくび、上は責任をとらないというのは、教育と言わずして何と言うのか。
結局、なぜラジオ体操をするのですかという理由は、会社側からは示されなかった。おそらく、新社長側の意識改革の道具、そして会社への忠誠心を示したものだろう。というのは、あたらずも遠からずというところが、悲しいけどやっぱりそうなのかなというところである。
意味もなく続けている習慣、行事、本当に必要ですか。一度考えてみましょう。話し合ってみましょう(但し、ブレーンストーミング形式で。)。
田中さんは、父親という一面も持っていた。不登校の子供を受け入れて、音楽や英語などの面倒もみていた。護身術的なこともしていた。
自分の息子も妻も、父親(夫)が変なことをしているような目では見ていたようだ。
やがて息子が成人してある一つの曲を書き上げた。それは、父親の生き様そのものを見事に描写していた。思わず、田中さんも感涙していた。
批判だけでなく、そこからどうするかを行動に示した田中さん。 もちろん、多くの支援者あってのことだと思うけど、これほど筋の通った男を私はみたことがない。すばらしい。
すみません、なんか変な方向を行ったり来たりして。言いたいことは1%でもわかりましたでしょうか。
「田中さんはラジオ体操をしない」
沖電気による不当解雇を闘いつづけている田中哲郎さんを描いた映画。オーストラリアの
マリー・デロフスキー監督 2009年作品。
<映画のチラシから>
どうして田中さんは解雇されたのか? NTT民営化したころ、NTT関連企業であった沖電気にもその影響は及び、NTTから社長を迎え大幅な合理化・人員整理をおこなった。その経営方針を強引に進めるため、社員すべてに有無を言わさず会社に従わせる職場に変えてしまった。ラジオ体操もその踏み絵の一つで、始業時間前のラジオ体操に全員参加を強要する。時間外だから何の義務もない。にもかかわらず、ラジオ体操を拒否する者は会社の意向に従わない奴として、差別しいじめて、仕事から会社から排除する。このような人権侵害、不当労働行為を沖電気は堂々はやってきたのだ。しかもいまだに反省さえしていない。
田中さんは解雇された。それ以来毎朝、門前で抗議行動をしている。
日常を淡々と描く そんな背景があるのだけれど、映画はむしろ淡々とした描写を重ねている。描き出しているのは、門前での抗議行動を含めた田中哲郎さんの毎日の生活であり、家族であり、まわりの人たちとの日常である。田中さんの家族も映し出す、「テッちゃんは頑固だからぁー」という田中さんへの信頼が読みとれるお母さん(義母)の表情がいい、一見して実直なことかわかる。奥さんもどちらかというと楽天的な感じ。田中さんが引っ張っているところはあるようだけれど、描かれている家族のつながりがいい。
要するに、映画は田中哲郎とはどんな人かを周りの人たちとのつながりを通して描き出そうとしている。そうして彼が、おおいに頑固だけれど、いかに人間的で思いやりのある魅力的な日本人の一人であるかを描き出しているのである。
映画のよさは、こんな田中さんの描写を通じて、日本の民主主義が毎日どのように支えられ守られているか、奮闘しているかを、生きた姿で描き出しているところにある。
よく見てくれ!こんな日本人もいるんだぞ! 世界の人々に向かって叫びたい気持になる。
民主主義にも命がある! 民主主義だって命があるのであって、毎日エネルギーを得なければ生き続けることはできない。多くのいろんな人の継続した努力によって生命をつないでいることを、この映画は教えてくれる。
田中哲郎さんは言う。「僕は難しいことは何もやっていない、僕の主張し行動しているのは簡単な当たり前のこと。おかしいことをおかしいと言いつづけてきただけ。」もちろんそんな簡単なことではないけれど、こんなふうにいう田中さんがいい、本当に魅力的だ。高尾の地で日本の民主主義に新しいエネルギーを毎日注いでいる。
いつしか日本の民主主義は、会社の門の前で眠り込んでしまうようになった。門の中では民主主義はなかなか棲息できない。会社は、個々の労働者に「全人格的なコミットメントを要求し続ける」(田畑稔)。全人格をもって会社業務に関与することを求め続ける。そうすると、一つ一つの行動を通じて、一段階一段階、その人の考えが変わり会社人間ができあがってきて、その分だけ民主主義が居場所をなくすのだ。
高尾の沖電気正門前の電柱に、田中哲郎さんはお金を払って広告看板を取りつけている。「いじめなどよろず相談に応じます」。それを指さし田中さんは言う。「ここは僕の暮らしている場です。ここで暮らしているんです。」これも美しいいいシーンだ。
田中哲郎さんの民主主義は、まっすぐな電柱よりもまっすぐに立っている。門をはいるときに沖電気の社員一人一人の民主主義が、萎縮しないように、眠りこまないように、毎朝背中を押しているのだ。
人らしく生きよう! 田中さんのまわりにはいろんな人が集まってくる。根津公子さんもその一人だそうで、「君が代」斉唱で起立を拒否した先生である。最近は学校でも校門を過ぎると民主主義が眠らされることになった。根津さんは、出勤停止処分とされた時、田中さんにならって門前に立つことにしたと言う。田中さんの民主主義はスクっと立っているので「伝染する」人もいると、これまたスクっと立っている(卒業式では立ち上がらない)根津さんが言うのだ。このような人のつながりがいい、その描写がいい。
。 (文責;児玉繁信)
『田中さんはラジオ体操をしない』のあらすじと感想
『田中さんはラジオ体操をしない』 監督:マリー・デロフスキー 出演:田中哲朗、田中かおる、田中
剣、田中広幸、北野好人、根津公子、長橋美保、上田恵弘ほか 製作年:2008 製作国・地域:オーストラリア 上映時間:1時間15分
『田中さんはラジオ体操をしない』のあらすじ
1981年6月29日、勤務先の電気会社で解雇通知を受けた田中哲朗さん。78年に行われた大量解雇に抗議し、導入された始業前のラジオ体操への参加を拒否、遠地への異動命令に従わなかった結果で、田中さんにとっては、ラジオ体操は「踏み絵(=忠誠心のテスト)」以外の何ものでもなかったという。以来、会社の前で抗議の歌を歌い続け、2011年6月29日で30年を超えた。
『田中さんはラジオ体操をしない』は、田中さんが英語でアップしたページを見たオーストラリア人のマリー・デロフスキー監督と夫が田中さんへ連絡し、撮影が実現した。解雇から25年を迎える段階の田中さんの、会社の前での抗議行動、株主総会の様子、田中さんの家族や支援者たちの活動や触れ合いを記録している。
田中さんが解雇された時は小学校入学前だった息子さんも、映画には成人男性として登場する。(ものごころがついてから)父親の姿を見てどう思っていたのか、今現在、何を考えているのかなどを語っている。ほか、田中さんのもとに集まってきた、「君が代」不起立で停職処分を受けた教諭らが登場する。
『田中さんはラジオ体操をしない』の感想
映画は、国内では、田中さんが解雇されてから30年以上たった2011年7月2日に、劇場での一般公開が始まった。山形国際ドキュメンタリー映画祭2009に正式出品され、カナダ国際労働者映画祭2009でグランプリを受賞、オーストラリアではテレビで全国放映されてもいるそうだ。
映画の中では、解雇当時、あるいは、解雇前かもしれないが、会社を糾弾し、団結と抗議などを訴える田中さんの姿も映し出される。青年だった田中さんは、悔し涙かどうかはわからないが、歯を食いしばり、時々うつむきながら、言葉を絞り出していた。家族の葛藤も描かれている。
映画では若いころの田中さんは記録映像や回想として登場し、還暦まであと数年という段階の田中さんが現在進行形で登場する。“よく変人だと言われます。なぜ続けることができるのだと言う人がいるが、空を飛ぶわけではなく、ただ会社の前に行ってギターを弾くだけ、誰にでもできる”という内容を言い切るし、“会社から追われても私はここで生きている”と会社の前の場所を指し示したりもする。もちろん、誰にでもできることではない。しかし、田中さんは、田中さんだから言えることだが、“誰にでもできる”と言い切る。映画は、そんな田中さんや周りの人たちを淡々と映し出す。
映画が進むにつれて、この監督はいったい何がしたいのだろう、と思った。言葉を換えれば、監督の目的はなんなのか。田中さんに興味を持ったらしいが、それだけなら、田中さんに会って話を聞けばよい。わざわざ映画を作る必要はない。もしかして、田中さんを支援したいのか、あるいは、労働運動の一環として映画を作りたいのか、あるいは、単なる自己満足か、などと思いながら、見ていた。
田中さんが解雇された会社の株主総会に出席する場面があった(日時は、6月29日か)。田中さんや支援者たちは、入念なリハーサルを行う。立って演説をする者、やじを飛ばす者、退席させようと近寄ってくる警備員、その警備員を抑えるように左右の椅子の背を掴み演説者を守る人、その人へさらにのしかかり団子状態を作って警備員の行動を制御する役割を負う者、議長など、現場での行動をことこまかにシミュレーションしている。また、株主総会当日の様子も記録される。退場させられたが再び突入を試みて会社の前で右へ走ったり左へ走ったりする田中さん、その田中さんの動きを田中さんと同じように右へいったり左へいったりしながら妨げる警備員(社員だっかかも)。映画のなかでは、みんな、真面目な顔をして真剣にやっているだけに、劇場では大爆笑だった。
腹が痛くなったほど笑ったが、ようやく爆笑から快復して、スクリーンを確認すると、株主総会で疲れ果てた田中さんが電車(バスだったかも)のシートから立ち上がり、隣に座っていた支援者から、シートの上に財布を忘れていると指摘されていた。
ああ、この監督は描きたいのだな、と思った。
『田中さんはラジオ体操をしない』という作品にとって、もしくは監督にとって、田中さんは目的ではなくて、手段なのだ。もちろん、田中さんには田中さん自身の目的があって活動をしているので、田中さんの目的とは別個に自分自身の目的を持っている監督とは衝突したと思う。撮影した時間は200時間を超えるというが、それを、75分に編集したわけで、そこには監督の取捨選択が介在している。記録映画というが、厳密にいえば、記録という言葉は適切ではないように思われ、というか無人の24時間監視カメラでもない限り記録という言葉はあてはまらないと思うが、編集映画、もしくはドキュメンタリー映画、あるいは、作品、として成立しているのだと思った。
『田中さんはラジオ体操をしない』という作品は世に解き放たれた。作品は完成された段階では半製品で、受け手の中に何かが生まれて初めて完成品になるのだとすれば、『田中さんはラジオ体操をしない』という映画は、見る人間たちにゆだねられた。
エンドロールで流れる、ロックミュージシャンになった息子さんの歌声が心に響く。
(2011年7月19日)
清水雅彦 の憲法・鉄道・バイクetc
http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/29018087.html
「田中さんはラジオ体操をしない」 2011/7/7(木) 午前 0:50映画映画レビュー
沖電気では、大量の整理解雇に続いて、従順な労働者を作るために始業時間前にラジオ体操を始めた。それを拒否したことで遠隔地への人事異動が発令され、それにも従わなかったことで1981年に解雇された田中哲朗さん。田中さんは、解雇された翌日から毎朝、勤務先工場の前で歌を歌いながら抗議活動を続け……。本作品は、この田中さんの闘いを追ったドキュメンタリー映画で、オーストラリア人のマリー・デロフスキー監督による2008年オーストラリア映画。カナダ国際労働者映画祭2009ベストインフェスティバル賞(グランプリ)受賞作品。
田中哲朗さんの闘いは知っていましたが、映像で見るのは初めてで、とても興味深い内容でした。解雇後30年間も闘い続けていることは本当にすごいことで、田中さんは筋を通すべきところは通します。私も頑固な部分があるので(祖母からの隔世遺伝だと言われていますが・笑)、日本人はもっと頑固になるべきだという考えもいいですね。一方で、イメージとは異なり、よく笑い、楽しく闘争している「シンガーソングファイター」(特に、支援者らと株主総会前日に合宿まで行い、株主総会での質問や退去措置の練習をしているシーンや、総会会場から追い出された後の社員とのやりとりが面白い)。2人の息子が音楽の世界に進み、特に次男が父親の「応援歌」を作ったというシーンもいいです。映画には、君が代を拒み続けた根津公子さんも登場します。
監督は、偶然、インターネットで田中さんのことを知り、映画にすることにしたそうですが、世界に発信するインターネットにはこういった可能性があるのですね。資金不足で通訳をつけられなかったため、監督と田中さんは英語でやりとりをしますが、田中さんの口から直接世界の人々に向けて英語でメッセージを発しているのも素晴らしいことです。監督には沖電気糾弾の意図はないとのことですが(訴訟対策で、そう言っているだけかもしれませんが)、もう少し沖電気とはどのような会社かを説明した方がいいし、私は日本には沖電気という労働者の権利を踏みにじる会社があることを世界の人々に知ってもらった方がいいと思いました。
それにしても、田中さんと視線を合わさずに黙々と工場に入っていく従業員の姿がなんと暗いことか。もちろん、中には田中さんに共感したり、内部で闘っている人もいるでしょうが、無言の「群れ」といった感じです。日本全体でも、組合組織率がわずか18%ですからね。とはいえ、この映画を多くの人に見てもらって(時間も75分とよくまとめられているので、大学の授業や組合の学習会教材として使えそうです)、田中さんから元気をもらい、各職場・地域などで田中さんに続く人が一人でも多く出てきてほしいですね。私も授業などで、田中さんの闘いを紹介していきたいと思います(と同時に、沖電気という会社の存在も)。
7月25日
八王子市議会議員 陣内やすこのブログ&プロフィール
http://www.jinnai.ne.jp/blog/index.php?itemid=1318
"田中さんはラジオ体操をしない"
オーストラリアの女性監督が、田中哲朗さん工場前抗議行動25周年を記念して、つくったドキュメンタリー映画です。新宿k’sシネマに見に行ってきました。
ラジオ体操。なんとも日本の横並び大好きを象徴して、面白いです。
ラジオ体操の想いでは、夏休みの公園で6時30分から、音楽をならして、みなで、やっていました。
参加すると、はんこがもらえて、それはうれしかったのですが、
ある意味、集団主義の最たるものともいえますね。
田中さんは、ラジオ体操をやらないだけでなく、じっとやっている仲間たちを見ている。
「俺はまかれないぞ」という強い意志でその時間をすごしていたというのです。
会社にとっては、ほんと、いやな存在だったんでしょうね。
だから、遠くに転勤命令。
それを拒否したことから解雇。ここから、今日に至るまで、毎朝、工場前に出勤して、
プロテストソングを歌う、田中さんの姿が見られました。
ここ八王子、高尾駅近くの工場です。
なんともユーモラスです。
登場人物、みんなあったかくて、人間味があります。
不登校の子どもに、ギターをおしえるとともに、けんかの仕方を教えます。
大きなこえで、【暴力はやめろ。先生の言うぞ」
これを繰り返すのです。
こういった実践プログラムはとっても役にたちますね。
株主総会予行演習も行うのです。
田中さんをはじめ、仲間たちにとっては、とっても、真剣なことなのですが、
とっても実践的な、なるほど、と思いました。
ラジオ体操をしないがために、こんな仕打ちを受けるなんて、この国は、野蛮国なのでしょうか。
オーストラリア人にとって、とっても、奇妙なことばかりだったでしょう。
ある意味、外人の監督だからこそ、照れることなく、田中さんをしっかりと映し出せたのではないでしょうか。
jinnaiyasuko さんの投稿 - 23:22:00 - カテゴリー:
映画
「田中さんはラジオ体操をしない」
というドキュメンタリー映画が7月2日から公開されます。これが滅茶苦茶面白いです。
簡単なストーリーで書くと、毎朝、沖電気で全社員でやられているラジオ体操を拒んだために解雇された田中哲郎さん(63歳)の25年間に及ぶ闘いを描いたものです。
少しだけ、詳しく書きましょう。
田中さんは、1969年、沖電気工業株式会社に入社します。勤務地は八王子工場。その沖電気が、78年11月、1350名を指名解雇。
そのうち70名が裁判を起こします。そして、毎朝、門前で不当解雇を訴えるビラまきを実施するのですが、会社はいつのまにか設置したテレビカメラで、社員の誰がビラを受け取ったかをチェック。それらの人たちを直属の上司が一人ひとり呼び出し「これからの沖電気は、仕事するかどうかではない。会社に忠誠心を示せるかで生き残れる」と「説得」。以後、ビラを受け取る人は激減します。
そして、次に沖電気が忠誠心を試すために始めたのが「ラジオ体操」でした。
1979年1月、ラジオ体操が、労働時間ではない始業前に始まります。
しかし、当初は田中さんたち技術職の社員たちは不参加が多かったそうです。田中さんは最後まで参加拒否を貫き、自分の机に座り、ラジオ体操を見ているだけでした。
そして6月、労働組合の役員選挙が行われるのですが、これに立候補した田中さんが演壇に立ったとたん、それまで候補者たちの話を聞いていた社員がサーと波が引くように会場からいなくなったそうです。結果、「会社派」の社員が当選します。
この頃から、門前でがんばる元社員への支援活動やラジオ体操拒否者が激減するのですが、「支援活動」や「拒否者」への差別が始まります。
当初、田中さんを含めた技術者たちはラジオ体操不参加をしていましたが、じき、一人また一人と懐柔され、あるいは脅され、課長クラスの人間も「これで会社に忠誠を誓うんだ」と社員をけしかけ、ほぼ全員がラジオ体操に参加することになります。
そして起こった差別とは、仕事を干されることでした。田中さんは、それまでのLSI設計の仕事が与えられなくなり、他社員の補助業務ばかりをやらされることになります。
そして、徐々に給与が減額され、ついに1981年6月、田中さんに、遠隔地への異動命令が下ります。田中さんはこれを拒否。そして6月29日に解雇されたのです。その翌日からです。田中さんが沖電気八王子工場の前で抗議活動を始めたのは。
初めの一年間は、仏教徒であることから、社員のなかでも宗教者ならこのおかしさをわかってくれるはずとお題目「南無妙法蓮華経」を唱えるだけでしたが、「全く効果がないことが分かりました(笑)」と本人が言うように、反応はゼロでした。
そして2年目から、得意としていたギターで歌うことを始めます。初めはオリジナルソングはなかったのですが、今では数十曲のオリジナルの何曲かを雨の日も台風の日でも沖電気正門前で歌い続けています。
歌はすべて実体験に基づいたもので、なかにはウーンと考えさせられるものもあります。
私は、数年前に田中さんのCDを購入していたのですが、このなかで印象深い歌があります。おそらく、これが沖電気で何が起きたのかを知ることができる歌だと思います。
歌詞の全文紹介は著作権侵害になるので、一部抜粋で紹介します。
●K君の選択
「俺は田中の同僚だった。
仕事には自信があった。プライドも持っていた。
首切りには反対した。踏み絵は嫌だった。ラジオ体操はしなかった。
着席したまま体操を拒み続ける 田中が励みになっていた。
選挙の応援しろと係長に言われた。俺は断った。
仕事を教えて面倒見た後輩に、その日から皆の前で悪態をつかれた。
(中略)
課長に酒飲みに誘われた。係長にしてやろうかといわれた。
あとは世間話とまた体操の話だった。
親からは結婚せかされていた。給料は安すぎた。残業さえ許されていなかった。
田中の家に酒飲みに行った。明日から体操すると言った。
自分で決める事だと言われた。言葉は優しかった。かえって辛かった。
時は流れた。
人並みが信号を渡ると「歌声」が聞こえ始める。
俺は歌声に耐えながら門をくぐり、今日も会社の人になる」
●いじめ
「なおやま君はテニスの選手
昼休み会社のコートでボールを打つ
ある昼休み 彼のサーブは誰も打ち返さなくなった
打ち返してくれよ 打ち返してくれよ
打ち返してくれよ 俺のサーブ(後略)」
この歌詞は会社内部だけではなく、日本の社会全体を歌ったものです。会社の方針に従わないだけで何十年たっても係長にすらなれず、与えられる仕事も机の前に座るだけの閑職だけ。数人の社員から同時に行われるイジメ行為、そして、誰からも話しかけられない。
田中さんが去った後も会社に残りラジオ体操を拒否していた人も、昇格もなくイジメられる生活に不安をもち、いつしか「オレ、ラジオ体操やるよ…」と田中さんに打ち明けに来る。人を人として扱わず、人が人としての心をなくしていく労働現場。
「これで幸せになれるわけがない!」
そして今日、2011年6月29日、田中さんは歌い続けて30周年を迎えました。
たまたま本日は、沖電気の株主総会でもあり、株主でもある田中さんは、いつものように会社側に「ここがおかしいではないか」と質問をし(詳しい質問や会社からの回答は田中哲郎さんのホームページを見てください)、午後4時から八王子工場正門前で、30周年の集いを催したのでした。
取材に来ていたのは、朝日新聞、東京新聞、そして私(週刊金曜日に掲載予定です)です。
面白い話があります。
田中さんは解雇された後、これは日本国内だけではなく、人権意識の強い欧米の人にも知ってもらいたいと、英会話教室に通います。その努力もあり、田中さんのHPは、日本語と英語の両方で管理されているのですが、数年前に、これをオーストラリア人の映画監督マリー=デロフスキーと、夫のマーク=グレゴリーがインターネットで読み、「撮影したい」と来日したのです。2006年のことです。
そして約3ヶ月の滞在で撮影した膨大なフィルムを75分にまとめて完成
したのが「田中さんはラジオ体操をしない」です。
この映画では、田中さんの証言を軸に、人を人として扱わない企業の実態、会社側に変節する友人、沖電気でいまもいじめを受けている友人たちのこと、昔は理解していなかったけど二十歳を過ぎてから父親の抗う姿に尊敬の念を示すようになった息子たち、そして、株主総会で暴力を受ける田中さんの様子などがリアルに描かれ、「果たして企業は人を幸せにしてくれるのか」との問いかけを私たちに投げかけ、同時に、「嫌なものには嫌と言っていい」「抗ってもいい」メッセージを発してくれています。
ちなみに、今回の映画のエンディング曲は田中さんの息子が歌っています。いい!です。
じつは私は、田中さんのことはもう10年以上も前の朝日新聞の連載コーナー「この人が読みたい」(読者が街のなかで気になった人を、朝日の記者が代わって取材するコーナー)で読んでいました。すぐに、いくつかの雑誌にこの人のことを掲載できないかを打診しましたが、反応はだいたいが「この人、ただの偏屈者じゃない?」といったもので、取材はかなわぬものとなりました。
だからこそ、この映画を日本人ではなく、外国人が作ったという点が、いかにも皮肉です。
映画は、7月2日、東京都新宿区の「新宿K's
cinema」でロードショーが始まります。
問い合わせは「浦安ドキュメンタリーオフィス中山」 電話070-5454-1980 FAX
047-355-8455
「スリーピン」 電話 03-5327-3771 FAX
03-5327-3772
今日、田中さんは3曲ほどを歌いました。次にあるのがそのうちの一曲です。
●人らしく
「きれいごとでは生きてはゆけないと いじめる側にまわったあなた
会社のなかに あなたの心の友はいますか
オレには関わりのないことだと 見て見ぬふりをしているあなた
会社のなかのあなたを子どもに見せることができますか
人らしく生きよう 人らしく生きよう
あなたはもっと優しくて あなたはもっと強い」
映画は海外では大絶賛で、カナダ国際労働者映画祭2009グランプリを受賞しています。
映画の予告編を置きます。
VIDEO
また、じつは日本でも10年ほど前に、「ビデオプレス」という映像製作会社が田中さんについてのビデオを撮っています。以下、そのダイジェスト版です。
『田中さんはラジオ体操をしない』への想いのこもったコメントありがとうございます!また、このたびは上映素材の件でも大変お世話になりました。
おっしゃるとおり、この映画「家族」も感じられる作品ですよね。田中さんご自身が家族を愛し、家族に支えられてきたからこそ、現在まで続けてこれたのでしょうね。その家族愛は、いまや息子たちを通り過ぎ、お孫さんに向けられているようです・・・。
コメント by ナカヤマ ? 2011/7/3 日曜日 @ 13:59:05