悪を旗印にいくさを起こす者はいない。

この言葉は深い意味を持っていると思います。

まず、戦争をする者は誰でも自分たちが正義であり、相手の国が悪いと主張するものであるという意味。

どちらも自分達が正義であると主張するということは、言い換えれば「正義の戦争」などというものはあり得ないということです。

権力を持った者は自分の国が強いと思うと戦争をしてみたくなる。この戦争は「正義の戦争」だから勇んで闘えと駆り立てる。その結果悲惨な思いをするのはいつの時代も庶民である。

もう一つ私がこの言葉からまなぶものは

どんなに「悪」だと見える集団でも真剣に運動を行っている人たちは、その人たちなりの「正義」を持っているということです。

左翼と右翼はお互いに相手を悪だと決めつける。

宗教においても他宗を邪宗だと決めつける。

政党に同士でも相手を相手を悪だと決めつける。

だから相手の主張はすべて否定する。

団結して敵と闘うことは快感をともないますし、敵の主張は全部否定する方が楽です。

しかしこれからの時代は、そのような姿勢からは社会にとって良い結果は得られないと知るべきだと思います。

もちろん、相手に非がある場合はそれをとがめなくてはならない。

しかし、非がある者が味方であっても、とがめなければ、「正義」は保てなくなります。

敵だと思っている相手の主張していることであってもそれを理解しようとする姿勢が大切だと思います。

理解した上で、批判をすることは当然です。

理解しようとせずに批判だけしても相手を納得させることはできません。

力で相手を抑えようとすれば「いくさ」が起きます。

相手がなぜそう言うのか、相手の主張の中に自分の知らない事実はないか、それを知ろうとする姿勢と、自分の主張を相手に解らせようとする姿勢から、より建設的な結果が生まれると思います。

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