建国義勇軍の皆様へ


日本刀愛好家団体「刀剣友の会」の会長、村上 一郎 容疑者が逮捕され、事件が一応解決したように見えますが、同様のことはこれからも起きる可能性があり、このページは引き続き掲示します。

これら過激な行動に走る人の中には、ある意味純粋な部分を持っている人もいます。

(だからといって、私はその行動をわずかでも容認するものではなく、強く否定します)

 オウム真理教の中にも、右翼の中にも、左翼過激派の中にも、イスラム過激派の中にも、「世のため人のため」と信じて暴力を使う人がいると思います。

 多分その人達は自分のことしか考えない者よりも「魅力的な」人だろうと思います。

この人達の特徴は、憎しみを持っていることだと思います。

「あいつ等がいるから世の中が悪くなっている」

そう考え、「あいつ等を殺せば、世の中が良くなる」と行動を起こします。

報道によると村上一郎氏も北朝鮮、日教組など「左」に対し憎しみを持っていたようです。

自分たちの暴力を肯定したくなったときには

自分がしようとしていることと同じことを、他の誰かが自分にしても、それを受け入れられるか。

多くの人が自分と同じことをした場合世の中がどうなるか。

これを考えて見るべきです。

多くの場合、これらのテロは本人も、自分や、自分の家族に対しては受け入れられない。

みんながそれをすれば、社会は大混乱になり、テロを起こす本人にとっても決して住みよい社会にはならない。


中には、その行動によって利益を得る人から利用され、扇動されることも起きると考えるべきだと思います。

暴力をそそのかされた人は、自分は扇動されているのではないか、「敵」に対する自分の持っている情報、知識は十分か、正しいのかと考えて見るべきだと思います。

他方から考えるならば、テロが起きたとき、単に「テロは悪い」と考えてすませるのではなく、なぜ起きたのか、それが起きた背景を見るべきだと思います。

特に自爆テロの場合、「あいつらはマインドコントロールされているからそんなことが出来る」と納得すべきではない。

誰が好きこのんで自分の体を爆弾で吹き飛ばしたいか。

命をかけるからにはそれだけの理由があります。

相手を悪と決めつけるのではなく、その理由を見極めようとし、相手と理解し合おうとしないかぎり、いつまでも「憎しみの連鎖」は続き、問題は解決しないと思います。



 多摩教組に銃弾が撃ち込まれた事件がありました。私の友人も多摩教組におりますので、このメッセージを書いております。

 「建国義勇軍」という名称は、「よりよい国を実現する為に、自らを犠牲にしてでも行動を起こす」という意味が感じられます。

 私も、私なりの方法で、よりよい国を、よりよい社会を実現するために、役に立ちたいと思っているものです。

 では、皆様にとってよい国とはどのような国でしょうか。

 「義」の重んじられる国ではないのでしょうか。

 「義」とは力で相手をねじ伏せることでも、恐怖で相手を支配することでもないと思います。

 「自分たちは正義の為、民の為に闘っている」と信じている人達が、自分の主張を実現する為にお互いに暴力を使えばどうなるか。

 それはパレスチナの現状をはじめ、現在でも続いていることですが、不幸せな人を沢山作ってしまいます。

 言論で自分の主張を社会に広めるのは骨が折れます。「力」を示した方が、手っ取り早く効果がある場合があります。

 しかし、それを皆がしたらどうなるか。

 それは無法の社会であり、「義」の存在しない社会です。

 皆様が言論によって社会の変革を目指されることを希望します。

                                   2003年11月8日  田中哲朗