憲法を改正しようという動きが強くなっている。
焦点となるのは九条である。
憲法9条は戦争を放棄し、軍事力を持つことすら放棄すると謳っている。
「自分の国は自分で守るべきだ」との考え方は国際的には普通の考え方である。
「日本は戦争に負けたからアメリカから憲法を押しつけられた」
これも事実だと思う。
しかし、ではこの憲法の持つ思想は改めるべきものであるのか?
欠陥を持った劣ったものであるか否か?
冷静な評価が求められている。
憲法前文には国と国との信頼関係を築くことで平和を維持しようとすると書かれている。
そのためには自分の国のことだけを考えるのでなく、世界中の人が不幸な目にあわないように国民みんなで努力すると書かれている。
およそ戦争というものは、どのような「正義の戦争」であっても、理不尽がまかり通り、多くの人を悲惨な死に追いやる。
どのような「正義の戦争」であっても人々は飢えで苦しみ、婦女子は強姦され、肉親は引き裂かれ、あとには強い憎しみが残る。
日本国憲法の精神はそのことを深く認識した崇高な考え方だと思う。
しかし、日本が、他国の侵略がないと安心出来るほどの信頼関係をこれまで築いてきたとはとうてい言えない。
現在地球上に存在する殆どの国家は、基本的には他国を信用せず、武力によって自国を守ろうとしている。
実力で自分を守り、強いものが生き残る。これはすべての生き物に共通する本能でもある。
しかし、核兵器の開発などにより人間は破壊力を持ちすぎた。
武力によって相手を屈服させるやり方、戦争は、多くの人を悲惨な目にあわせるだけではなく、いつか人類の滅亡に繋がりかねないのである。
もし日本国憲法の精神を実践するならば、すなわち他国からの侵略があり得ない国際状況を作るためには、まず世界の貧富の差をなくそうとしなければならない。
世界中の貧しさで苦しむ人を助けようとしなければならない。
紛争など、苦しむ人が作り出される原因を取り除かなければならない。
その努力、実践をしなければならない。
侵略しても利益がなければ、あるいは相手の国にダメージを与えればかえって自国の損になるのであれば、侵略する意味がないのだから侵略は起きない。
自分の国の人々を親身になって助けようとする国を侵略する国があり得ようか。
そのような関係をすべての国との間で作ることは大変な事である。たいへんな決意が国民全体に求められる。
現在、自衛隊やアメリカとの軍事協力に使っている金をより貧しい国の援助に当てる。それだけでは不十分だろう。貧しい国が、技術的に、経済的に自立する為のあらゆる援助を行い、その姿勢を世界に示し続けることが求められる。
もし、そのような姿勢を世界が認めてくれるなら、武力で自国を守る必要はなくなる。
日本国憲法の精神は、そこまでの努力をして初めて現実のものとして貫かれるのである。
たしかに「ならずものの国」がとんでもないことをする危険は皆無にはならない。
そのためには、独裁者が支配する国の民主化を進める必要がある。
往々にして権力を持った者は戦争をしたくなる。
人間は必ず過ちを犯す。どんな優れた人物でも個人は過ちを犯す。権力を持った者が、世界を支配したいという欲望を持つ例は繰り返されている。
それを防ぐのが民主主義なのである。
すべての国民が正確な情報を得ることによって、権力者に扇動され、全体主義や集団ヒステリーに陥って国が暴走するする事を防がねばならない。
危険な思想を持った人物には権力を与えない、政府が危険な方向に進もうとすると国民がそれを阻止できる、そのような、正常な民主主義がすべての国で機能するならば戦争は回避できるのである。
これを実現する事は容易ではない。
しかし、世界中の人が苦しみから救われ、新たに苦しむ人を生み出さないためには実現の努力をしなければならない。
日本国憲法の崇高な精神を貫くためには、人間の持つエゴイズムを認識した上で、それを克服していく高い知性と強い勇気が求めらている。
日本国憲法の精神は世界に広めるべき精神である。
2000年12月6日
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