「国」についての私の構想
 
 日本は何百年前までは多くの「国」に分かれて、権力を持った者同士が「国」同士の利害を巡って戦争を行った時代がありました。幕末から明治にかけては藩閥が利権を争い、出身藩による差別がありました。

 現在の「先進国」の殆ども、わずか数十年前まで露骨に侵略戦争、勢力争いで殺し合っていました。

 今は日本の県同士が戦争をすることはあり得ませんし、出身県による差別も私は知りません。
 私には「九州人」としての誇り(郷土愛?)のようなものがかすかに残っています。しかしそれは他県人と争うようなものではありません。

 将来的には世界が、日本の国と県のような関係になっていくだろうと思っています。(もちろんすぐには無理で、どれくらい将来かは予測出来ませんが)

 すなわち、世界政府が作られ、選挙を全体で行い、今のそれぞれの国が県のようになり、「地方自治」は維持したまま、全部に共通する憲法、法律が決められ、人間の移動を自由にする。各「地方」は軍隊は持たず、統一された警察組織が世界の治安を守る。
 EUを世界中に広げ、現在の国連にもっと政府としての機能を持たせ、人の移動を妨げる意味での国境をなくす、と考えてもらってよいと思います。

 この体制の維持は「地方」間の経済格差が現在のように大きいと不可能だと思います。しかし、これも人の移動を自由にすることで、経済格差を小さくすることが可能で、これにより地方間の対立が武力紛争に発展することを防ぎうると思います。

 日本は単一民族だから統一出来たが、世界レベルでは無理だと思われるかとも思います。
 現在でも外国人が移住する事は多くの国が認めています。移住したい人はするし、昔から住んでいる地域から動きたくないと思う人はもっと多くいるのです。少しずつ「民族」は混じり合い続けています。経済の格差が小さくなれば人の移動はそれほど急激なものにはならないと思います。「民族」は地方の「特徴」として維持されることになると思います。

 貧しいアフリカのような国から豊かな国に人が流れ込むことを嫌う人がいると思いますが、この「自分たちが豊かで有れば他の人は貧しくてもよい」という発想を克服出来ないことが、戦争、紛争を克服出来ない所以だと思います。

 現在でもイギリスやスペインでさえ暴力を伴う独立運動があります。それはその地域に対し、差別があるからだと思います。それが解消されれば、紛争は解消されると思います。

 言語はそれぞれの「地方」の言葉は残しつつ、共通語を決めて使うことになると思います。(現在のままでも良いとも思う)現在のフィリピンのタガログ語と、その共通語である英語のような関係になると思います。

 日本の場合「参勤交代」で共通語が通用するようになりましたが、さらに昔は地方の言葉同士は、現在の英語とフランス語、ドイツ語の間の違い以上に違っていました。相手の地方の言葉を知らないと殆どなにを言っているかお互いに理解出来なかったと思います。(現在でも純粋な鹿児島弁、青森弁を聞かれるとおわかりだと思います)

2001年11月7日


 尖閣諸島の漁業権などをめぐって中国ともめている。
私は地下資源、海洋資源なども国連が一括管理し、ルールを作り、それを採掘、使用するものが国連に税金を払うようなしくみにすべきだと思う。資源の争奪の為の紛争はなくなる。

 「この世の資源は人類全員の為にある」と考えを変えるべきだと考える。


2010年10月28日


「優しい世界」の構想

私の主張

田中哲朗