「優しい世界」の構想
人が競い合うことで高まり合うことは良いことだと思う。しかし、その競争がフェアでなかったり、人間としての優しさ(正義と呼んでよいだろう)を忘れたものである場合、短期にはよく見えてもやがて弊害が生じる。
「自分さえ良ければ」という考えはやがて自分の首を絞める。
現在の国際間のトラブルはもとより、国内外の景気の悪さ、自殺、いじめなどの問題も多くはここに起因していると私は考える。
今、日本が、世界が優しくなさ過ぎる。
相手を敵とみなし、闘いの準備をするのではなく、友と見なし、友好、信頼関係を強固なものにすることを模索する。
他人を踏み台にして自分だけのし上がろうとするのではなく、人様に喜んで頂ける生き方、仕事のありかたを模索する。
私は、今それがなさ過ぎるために摩擦が起き、人が苦しむことになっていると思う。
優しさを、軟弱さ、あまさ、と誤解するものがいる。
相手の国や団体、人がしたたかでずる賢い場合、(優しさにつけこむ)不公平や不正義を押しつけてきた場合、それを見抜き的確に指摘し改めさせなければならない。それは相手の為でもあるとの信念を持って。
優しく在り続けるため為には、強さ、賢さ、厳しさ、他人の為に困難に立ち向かう力が求められるのである。
世界征服を力ずくで目論むような国は破滅する。
消費者を金儲けのカモと考える企業、労働者をその道具と考える企業は破綻する。
(現在は多くがこれであるから失業問題が起き、結局景気が悪化する)
これらは人間の理にそむく不合理を内在させているからだ。
根底に「共に幸せであろう」とする哲学、信念、これを持つものは強い。なぜなら創造的であり合理的であり得るからだ。
具体的事象に対する判断のとき、この考えに基づくか基づかないかで行動の選択が異なってくる場合が多いだろう。
短期にみれば「損」に見えることがあるだろう。しかし長期には必ず良い方向に向く。
「みんなが笑ってくらせる世界」(龍馬伝より)を作ろうとすれば、この方向に進まなければならない。それを受け入れ実行しようとする民衆の賢さ、強さが求められる。
そして、それを自分から始める勇気が求められる。
私が政治家だったら、今国民に、そして世界にこの意識の変革を呼びかける。
2010年11月9日
「国」についての私の構想
私の主張
田中哲朗