善悪の基準について
ブッシュがイラクを「悪の枢軸」と呼ぶ。悪とは何か、善とは何か。
しっかりと考えなければならない時期だと思う。
原生動物には善悪はない。
目的は、自分が生き残り、自分の遺伝子を残すこと。
そのためには、自分が他の生物を摂取する事が善で、自分が他の生物に摂取されることが悪である。
弱肉強食が摂理である。
単独で生きていた生物は集団、群れを作り生きることを始める。
単独で生きるよりも効率がよいと分かったから。
そうなると、群れを維持することが自分の遺伝子を(自分に近い遺伝子を)残すことになる。
自分という個が生き残るよりも、群れの維持を優先した方が自分と同じ遺伝子を残しやすいと理解する。
そこで善悪の基準が生まれる。
個の生存の為には良くても群れの存続に都合の悪いことが悪とされる。
群れとは社会である。
すなわち、社会が維持されることが善でそれに反することが悪である。
群れと群れとの争いが生じる。
原生動物のとき相手を摂取したように、相手の群れを摂取することで生き残りを図る。
やがて群れ同士の社会が生まれ、その社会を維持した方が生き残りやすいと判断する。
人間の場合は、小集団から村、国家、そして国際関係と発達してゆく。
自分たちだけが生き残ろうとするよりも、全体で生き残ろうとした方が都合がよいと判断した。
「自分たちだけが」という判断が悪とされる。
ここで忘れてならないのは、これらどの時点でも、個は他を「摂取」しようとすることが原点であるという事である。
その争いによって進化して来た。
すなわち、自分が他に勝って生き残るということ。
「自分たちが」他に勝って生き残るということ。
この「闘い」によって進化して来た。強くなってきた。生きる力を得てきた。
(私はこの「闘い」を無くす方向への「闘い」を続けているが、遠い将来、もし人間社会に闘いが全くなければ人の持つ生命の力が弱くなるかも知れないという危惧は抱いている。しかし、今はその危惧よりも現実に「闘い」によって生じる悲惨さを回避解決することが目標とされなければならない)
その上で、「自分たち」の枠を大きく広げ続け、今その枠が人類全体にまで広がった。
その枠を小さくして判断し「自分たち」の利益「自分の」利益の為に「社会」を犠牲にしようとすることが、悪である。
しかしこの悪は「自分たち」の中では善とされる。
それは「自分たち」を構成する個が「枠」をどこまでの大きさで考えるか、による。
「自分だけ」、から「家族を守る」へそして、「会社の為」、「組織を守るため」さらに、「この地域の利益のため」さらには「この国の為」と広がってゆく。
広がりが大きいほど善に近づく。
「自分たち」が「全ての人類」の意味で使われたときに、真の善となるのであろう。
アメリカは自分たちを善としている。イラクも善としている。それぞれ「自分たち」の中では善なのだ。
イラクは化学兵器などを、自国内のクルド人に対して使ったから、いつか他国に対して大量破壊兵器を使う可能性が高い。だから「人類全体」から見ればイラクは悪だ、との見方が多数だと思う。
それに対してアメリカは石油の利権という目的が含まれているにせよ、アメリカ自身は武力で他国を侵略してその国をアメリカに従わせようとしているのではないのだから(経済で支配しようとしたり、脅かしたり、介入したりはするが)武力行使も悪とは言い切れないはずだ、というのが武力行使容認派の主張だと思う。
しかし武力行使をすると多数のイラク市民に犠牲が出ることはこれまでに明らかになっている。それでも行使するとなれば、これは「自分たち」が良ければよい、という考えに基づくものと考えざるを得ない。
自分がしようとしていることが善か悪かを考える際、相手が自分にそれをしてきてもそれを良しと出来るかと考えるべきである。アメリカのしようとしていることを他国がアメリカにした場合、アメリカがそれを受け入れるとはとうてい考えられない。
したがって現在のアメリカの武力行使は善とは言い難いものである。2003.3.15