月刊『オルタ』2001年2月号アジア太平洋資料センター刊より転載
原発製造企業・東芝を内側から問う

東芝働く者ネットワーク・松野哲二さん/上野仁さん

★原発製造の現実

――アジア諸国への原発輸出の問題を考える時に、日本の大企業が原発製造にかかわっているという現実があると思います。そして、当然のことながらその労働現場にはたくさんの労働者がいる。上野さんと松野さんは、東芝府中工場で働きながら労働運動の一環として東芝に原発の製造中止を訴え続けてきたわけですが、まずは、お二人のかかわる「東芝府中働く者ネットワーク」がこれまでどのような運動をしてきたのかを教えていただけますか?

上野●一九七九年の市議選で、会社と組合が一緒になって自分たちの代表を当選させようとする企業ぐるみ選挙が行なわれました。そこで松野さんたち数人が中心となって、「こんなでたらめは許せない」ということを書いたビラを撒き始めたんです。私自身は入社して四年目くらいの時期だったのですが、興味を持ったので一緒に活動するようになりました。それが今のネットワークにつながる始まりですね。その後、ひどい職場を少しでもよくしていくために、ビラを撒いたりいろいろと発言をしたり組合と議論したりしてきました。

――その中で皆さんは「原発製造の中止」を企業側に訴えてきたわけですが、そもそも働いている人たちは自分が原発をつくっているということをどうやって知るのですか?

上野●現場に流れてくる図面に、「原子力」という朱印が押されているんです。一つの原発をつくるのには何千、何万という数の図面があるんですが、その一枚一枚に押してあるので、それを見ればすぐにわかります。東芝府中では原子炉そのものはつくっていなくて、僕らがつくったさまざまなものが最終的に現地で組み立てられて原発ができるわけです。

松野●原子力発電であれ、火力・水力発電であれ、一つのシステムをつくるにはおびただしい数の部品やパーツが必要なわけです。例えばただの配電盤も、原子力発電所のシステムに組み込まれてはじめて「原子力発電所用の配電盤」になる。その時に、「これは原子力発電所で使われる部品ですよ」ということを生産者が知るために印がつけられているんです。

――朱印が押されているかどうかで、つくる側の意識は変わるのですか?

松野●実際には、原子力のハンコが押してあるから丁寧にやるかと言えばそんなことはないですよ。みんな「お釈迦」をつくらないように一生懸命やるだけです。結局は東芝にとってのお客さんである電力会社に対して、「私たちはきちんと製造管理・安全管理を徹底していますから品質は保証できますよ」というポーズだと思います。

★台湾原発中止で企業が儲かる!?

――企業側からは、原発そのものの危険性などについての情報や説明はなされるんですか?
松野●会社側は、原発についてのPRを盛んにしているんです。それはもう、おびただしい量のパンフレット類を発行してみんなに配っています。今、世界の流れは脱原発なのにもかかわらず、「原発の見通しは明るい」「これからも国内外、特に中国・台湾の需要がもっと伸びます」と。つまり国内はだめでも国外があるからいい、とにかく儲かればいいという発想なんです。

上野●そういったパンフレットも、結局は労働者向けではなくて、東京電力や社会見学に来る子どもたちなど、外側の人たちに向けたパフォーマンスなんですよ。会社はなるべく、「会社からもらった印刷物は家庭に持ち帰って家族に見せるように」と言っていますけど、たいていの人は捨てていると思います。要するに会社から与えられた仕事をこなさなければ給料がもらえないわけですから、それが原子力であろうが水力であろうが兵器であろうがそんなことは考えない。

松野●大企業の現場では、自分たちがつくるものが原発であるか兵器であるかと考える以前に、「成果をあげろ」ということを強制されている。だからいちいち仕事の意味を問うている暇はなくて、量をとにかくこなさなければならないんです。危険な仕事や社会悪の仕事を労働者に従順にやらせるには、中身を政治的に理解させるよりは、毎日毎日労働漬けにしていく方がよっぽど効果があるんだなと思います。

――自分たちのつくる原発のシステムがアジア諸国へ輸出されるということを皆さんが知る機会はあるのですか?

上野●仕事表に押されたハンコには地名も書かれてあるんですよ。だから例えば台湾へ持っていかれるものには「台湾○号機」という記載が必ずされてきますからわかります。

――昨年、台湾では原発製造が中止されるということが決まりましたが、その影響はあるのですか?

上野●うちは昨年、台湾に持って行く予定のものをかなりつくりましたが、途中でストップされました。それを台湾が引き取るのかどうかはわかりませんが、とにかくすべてを梱包してどこかに送っています。解体する方が費用がかかりますから、当面は捨てずに取っておいて、別の国からの引き合いを待っているのかもしれない。同規模の同型であればそのまま使えますからね。

松野●主要には中国に転売したいと思っていると思います。あとはアメリカの圧力が、台湾の政治を変えてくれるんじゃないかという期待を持っていると思うんですよ。

――台湾の原発中止も、企業にとっては大したダメージではない。

上野●たとえ中止になっても企業はもとは取れるんですよ。中止になったら、当然その保証は台湾から出るでしょうし、出してこなければ東芝は要求するだろうし、日本政府もアメリカのGEだって要求するでしょうしね。むしろ、台湾からは補償金をもらって、どこか別の国へつくったものを転用すればまたお金が入ってくるわけですから、東芝にとってはおいしい話ですよ。多少は困ったポーズもするでしょうけど、痛くも痒くもないと思います。

松野●結局、台湾やドイツの例を学ぼうとはしていなくて、「AがだめならBがある」という発想なんです。根本的にやめようという発想にはならない。だから残念ながら台湾の結果は、日本の住民運動を勇気づけても、原発製造企業や電力会社に反省を促すことにはなっていないでしょうね。

★原発製造企業の傲慢さ

――そうした企業の姿勢に対して、皆さんはずっと「原発製造中止」を求めて運動してこられました。そこにはどんな思いがあったのですか?

上野●ほとんどの人は東芝が原発をつくっているなんて知らずに入社するんですよ。私自身も知らなかったし、知った直後も別に悪いと思ったわけではないんです。でも、働きながらいろいろと勉強して見たり聞いたりする中で、自分たちが危険なものをつくっていることがわかり、「これはやばいんじゃないか」と思った。それで原発をつくらされている立場の者として黙っていない方がいいんじゃないかという結論に達したわけです。

松野●やはり、一つは反戦・平和の意識ですよね。労働組合の運動方針には「平和運動」という課題が必ずあって、「反核・核兵器反対運動に取り組みます」とある。しかし実は、東芝の労働組合は原発推進の立場を取っているんです。すると当然のことですが、僕たちの反戦・平和の意識と、仕事として原子力発電をつくるということは矛盾しますよね。それから、僕らが徹底的に怒ったのは、組合が発行していた東芝の『理論誌』というものに対してなんです。当時、会社は自分たちが言えないような政治的なことや労務管理上のことをその『理論誌』上で言わせていたんです。その中で、東芝が組合を通じて自分たちの正当性を主張するために、第二次大戦を肯定的にとらえるような記述を載せていたんです。それは、「第二次世界大戦は帝国主義の列強による資源争奪の争いで、日本はそれに巻き込まれた。このまま原発を推進していかないと、石油資源が少なくなってきて再び戦争に向かう」という荒唐無稽な論理で、日本の侵略についての反省などまったく欠落した視点で貫かれていた。原発を推進するという論理が、日本の歴史までつくり変えているということに非常に恐ろしさを感じました。だから、僕らは絶対に反原発の姿勢でいかないといけないと思ったんです。実際、東芝の経営全体から言うと原子力の利益は三%くらいで、そんなに高くない。それでもなぜやるのかというと、「国策」といういう意気込みと傲慢さがあると思うんです。

★内側から、声を挙げ続ける

――皆さんの活動に対して、会社はどんな反応を示しているんですか?

上野●まずは、「原発は安全だ、推進しよう」という大量情報を日常的に流し、労働組合を通じてさらに徹底している。僕らが一枚二枚ビラを撒こうが、どこかの集会で反対の声を挙げようが、そんなものは虫ケラみたいなものだと思っているんでしょうね。また、職生以上は全員原子力発電所を見学させて、感想文を書かせているんです。それは一種の踏み絵で、同意書のようなものを会社が回収することになるわけですよね。さらに、僕らのような人間が増えないように僕らをいじめるわけです。例えば新入社員に対して、「松野は大変危険だから口を聞くな」というようにして、まず人間の鎖を断ち切る。他にも、絶えず監視や尾行をされたり、トイレの回数が多いと注意されたり、始末書、反省文をたくさん書かせられたり、飲み会やレクリエーションに誘われなかったり。

――上野さんは、会社を相手に裁判を起こされたそうですが、その内容はどんなものだったんですか?

上野●職場でビラの入った封筒を同僚に渡したのが見つかったことがきっかけで、いじめられ始めたんです。とにかくいろいろと難癖をつけられたり、始末書を書かされたり。その後に、上司と同僚から暴行を受けて病院に運ばれたんですが、そのせいで仕事を休んでいた間の扱いが、「欠勤」とされていて、その年のボーナスも欠勤分が引かれていた。その間の慰謝料と賃金を求める裁判でした。結果としては会社が控訴を取り下げで決着しました。

松野●上野くんが裁判で勝って、公然といじめられることは減りましたが、今だに陰ではいじめは続いています。

――そうした陰湿ないじめを受けながらも運動を続ける中で、会社を辞めてしまおうという判断はしなかったわけですか?

上野●確かに、毎日毎日「原子力」っていうハンコが押された仕事をするわけですから、矛盾は感じたし悩むことも当然ありました。でも、辞めても問題を先送りするだけで何も変えられない、たとえ東芝を辞めて別の会社に行っても、結局は無関係ではいられないと思ったんです。人間も動植物も食物連鎖でつながっていると言うけど、すべての労働や産業も連鎖していて、自分一人が転職したから安全な暮らしができるかというとそんなことはないんだと。だとしたら、顔見知りの仲間がいるところで一緒に反対運動をした方が効率がいいし近道じゃないかと。

松野●確かに、企業の中にいて批判の声をあげ続けるのは大変ではあるんです。企業や御用組合にとっては労働者に社会問題なんて知ってほしくないわけですからね。ただ、僕らは常に、「自分たちの労働の意味を問う」という議題を組合なりに提起してきたつもりなんです。つまり、組合は賃金を多く取ればいいというのではなくて、自分たちの労働の意味や意義をきちんと問うべきで、そこで兵器や原発をつくっていいのかということを問題にしてきた。例えばアジアの国ぐにの貧困も、先進国の大量消費社会とつながっているわけで、僕らが自分たちの社会を変えなければその貧困は解決しない。まずは自分がつくり出す生産物を通して「労働の意味」を問うていけば、もっと人にやさしい、社会にやさしい生産物や働き方へと変わっていくはずなんです。そのためにも労働現場で声を出すことが大事だと思う。企業だけでなくて行政も、原子力発電や兵器という、巨大で、しかもひとたび手を離れてしまえば大変な惨禍を生み出してしまうような製品をつくることから脱却しないと、結局は人間性も失われると感じるんです。そういう僕らの言い分に、会社も組合も恐怖感と怒りを感じたんでしょう。それが激しい弾圧につながったんだと思います。

――会社側からすると皆さんのような人たちは辞めてほしいと思っているのではないですか?

上野●それは思っていますよ。向こうは向こうで辞めさせるためのチャンスを狙っているし、我々は我々で、いかに辞めさせられないように楽しくやるかというチャンスを狙って、毎日会社の落ち度を探しているわけですよ(笑)。その意味では、僕らは会社にとっての「癌」なんです。企業側は「やっかいな癌なんて切ってしまえばいい」と思っているだろうけど、そういう癌が増えることで、企業はもっと変わっていくはずです。だから、何とか切られてしまわないように、内部から訴え続けていきたいと思っています。

(まつの・てつじ/うえの・ひとし)
(二〇〇一年一月一〇日談 聞き手/内田聖子)