人間関係 204 権力へ

亀井静香 かめいしずか

1936年広島県庄原生まれ。衆議院議員。60年東京大学経済学部卒業後、製鉄化学会社に勤務する。62年心機一転、警視庁に入庁し鳥取県警察本部警務部長、埼玉県警察本部捜査二課長などを歴任。71年警視庁警備局の極左事件に関する初代総括責任者になり成田空港事件、連合赤軍あさま山荘事件、日本赤軍テルアビブ空港事件で陣頭指揮を執る。77年長官官房調査官を経て、警視庁を退官。79年衆議院議員選挙に初出馬、初当選を飾る。94年村山内閣の運輸大臣就任。96年第2次橋本内閣の建設大臣。98年自民党・三塚派を離脱し亀井グループを結成する。99年旧渡辺派を合併し政策集団・志師会を旗揚げ、会長代行となる。99年小渕内閣で政務調査会長就任、2000年森内閣で政務調査会長再任。

「私が田中さんに感銘を受けているのは思想の中身というよりも、生きる姿勢。権力や組織に飲み込まれないで自分の意志を敢然と表明していくこと。今みたいな享楽主義じゃなくてさ。駒場時代に水爆実験に反対した自治会委員長が退学処分になってね、それで私はハンガーストライキを一週間やりました。私も自分の考えにできるだけ忠実に生きようとしてきました。それだけ風当たりは強いけれどね、常に」

田中哲朗  たなかてつろう

948年福岡県遠賀郡水巻町生まれ。闘士。69年国立宇部工業高等専門学校卒業。同年沖電気工業株式会社に入社、LSI設計部に勤務する。マンドリンクラブ部長としても活動。75年結婚。「78年1350名の指名解雇の後、争議を支援する者や、会社に服従する意思の踏み絵としてのラジオ体操を拒否する者にいじめが始まりました。私も、組合役員の選挙に立候補してから仕事がこなくなって・・・・・」81年営業への異動辞令が。拒否した氏は解雇され、翌日から毎朝沖電気正門前に立ち、自作の歌で「長いものに巻かれるな、いじめをなくせ」と訴え現在に至る。自宅でギター教室を開業。同年八王子地裁に提訴。87年指名解雇争議和解。氏にも金銭解決案が示されるが「会社が非を認めたことにならない」と拒否。95年最高裁上告棄却、敗訴。「僕の新聞記事を読んだ亀井さんが昼飯食べようと電話くれて。亀井さんも学生時代に通学証明書有料化反対のビラを配って退学になったり、友達の退学に抗議し座り込みをやったりした。日の丸問題など思想的に相容れない私のような者からは厳しい批判を受けるかもしれないのに会った。他の政治家とは姿勢が違うと思いました」

撮影は沖電気前(東京都八王子市)にて。

写真・篠山紀信