拝啓 梅雨時とは言え、時折さわやかな風が山の緑を吹き抜けるこのごろです。お変りありませんか。お忙しい中にもご自分の為の時間は持たれていますでしょうか。
この度はブルータスの企画に私を使って頂き、また沖電気の門前までお越しいただけるそうで、恐縮です。亀井さんとさらに篠山紀信氏にも会えるそうで、私の妻などはしゃいでいます。
前回お会いしたことで私はずいぶん得をしました。インターネットで日の丸問題のディスカッションをする際、「亀井先生と会われた方だ」という理由で、右翼の人などからのぞんざいな書き込みがなくなりました。
お礼の手紙を書こうかと思いましたが、かえってお忙しいのにご迷惑と思い控えました。改めてお礼申し上げたいと思います。
今回はお会いしても話をする時間がないかもしれないと考え、この手紙を書いています。
同封しましたのは、6月1日発行の「週間金曜日」の記事です。ここに書かれている多摩市教育委員会から処分を受けそうになっている教員、根津公子さんは私が尊敬する友人です。
根津さんは日の丸君が代の「強制に」反対の行動を取られて来た方です。念のために申せばどこかの政治セクトに属してその指示で活動している人ではありません。出来れば会って頂けると嬉しいのですが、物静かで理知的な人です。
また、「日の丸反対」を押しつけるのではなく、多様な考え方がある事を子どもたちに示し、比較させ考えさせる教育を続けている人です。
私は、彼女の生徒に会った事があります。その一人は脳性麻痺の障害を持った子どもですが、自分の体験から夢のある、しかしいじめの存在をするどく批判する詩を書いていました。それまで、いじめが横行し荒れていた学年が根津さんが担当した後、すっかり変わったという事を他の教員に聞きました。
根津さんは、多くの子どもに信頼されています。前任校の石川中学の時、生徒達が日の丸問題で処分されそうになった根津さんをかばって行動を起こしたことがありました。
根津さんは昨年四月に多摩中学に転勤になりました。ところが事前に根津さんを誹謗した情報が地域に流され、当初は生徒達の多くも根津さんに反発したそうです。
一人のつっぱり君は「多摩の不良をなめるなよ」と根津さんにすごんだということです。
ところが、一年経った今、石川中学と同じ変化が起き、多くの生徒が根津さんに理解を示し、そのつっぱりくんは根津さんをかばって、「根津先生を辞めさせたらおれは二度と学校に来ない」と、校長にくってかかったと言うことです。
このような状況は、「教員が生徒を扇動している」と見えるかもしれません。
たしかに、自分の担任をかばって校長と対立する生徒達は「反体制的」であり、「体制側」から見れば、好ましくないことかも知れません。しかしそのようなクラスや学年の生徒達はいじめをしなくなるであろうし、自殺をしたくもならないだろうし、社会に無関心であったり、自分の人生にすら無関心ではなくなるであろうということは想像して頂けるのではないかと思います。
私は以前から学校には教員に向かない人が教員であることによる問題が存在し、改善すべきだと思っています。しかし根津さんの件は、逆に優れた教員を、日の丸の強制に反対する行動への政治的な偏見から排除しようとしている例です。
国旗国歌法成立のとき、当時の小渕総理大臣はこの法律を理由に強制することはないと国民に約束しました。多くの国民が日の丸君が代を国旗国歌として受け入れている現在も、心ある人は、それを罰則で強制する現状には心を痛めています。私には理不尽が力によってまかり通る例を「国家の威信」で子どもたちに示しているように見えます。
これは日本の民主主義の本質が問われている問題です。今からでも「推進の理由」「反対する人の理由」「強制に反対する人の理由」を国民に示し、議論すべきです。
「罰則によって日の丸君が代を強制することで、子どもたちや日本の社会にどのような良いことが期待できるのか」この問いに、どのような適切な答えがあるのでしょうか。
根津さんの問題に限って亀井さんの力で、なんとかして欲しいとお願いしているのではありません。同様の問題の中の顕著な例として、ご認識をお願いしたいと思います。
亀井さんがおっしゃったように、このままでは日本は将来ダメになるという危機感は多くの心ある人が持っています。
世界で最も経済的に豊かになったはずの人々の多くは、さらに経済的な理由でいらだち、自殺し、社会に対し無責任、無関心、あるいは権利のみを主張しています。子どもたちはその様な大人達を尊敬出来ず、生きる目的や人間の尊厳を学ぶことも出来ず、凶悪事件を起こしています。
日の丸を推進している人達は、これらの問題を解決する方法として「日本人の誇り」を取り戻そうとしているのでしょうか。民族主義的気風を社会に醸し出そうとしているのでしょうか。
歴史教科書が国際問題になっています。
どこの国の軍隊も残虐な行為をしてきました。それを認識した上で自国の過去を反省することは国を愛する事と矛盾しません。軍隊慰安婦や南京大虐殺の事実を正確に調査し認識することは、日本を批判する他の国が残虐なことをしなかったと認め卑屈になる事ではないと思います。かえって、日本が他国の暴挙を世界平和の為に説得力を持って批判出来る基盤になるのだと思います。
憲法改正が叫ばれています。
自国を親身になって助ける他国を攻撃する国はない。これが現憲法9条の理念だと思います。この理念を実現する事は、本当に自分、自分たちを犠牲にしてでも他国を助けたいと国民が思える、その方が、争うより皆が幸せであり得るのだと、自分の利己心を認識しコントロール出来る、民度の高まりが必要だと思います。この理念は未だどこの国でも(確かにこの憲法を起案したアメリカでさえ)実現されてはいません。それでも、世界が核戦争などによる破滅を免れるためには目指すべき方向であると認識し、日本は名誉ある先駆の役を負っているのだと考えるべきだと思います。
権力を掴んだものが「権威」により国民を指導、支配することがこれまでの政治であり、自分、自分たち、自国の利益を他より得ることがその目的になっていたと思います。
これからは「みんな」で政治を行い、世界中が仲良く助け合うことを目的にすべきだと思います。(子どもの作文のようなフレーズですが)
現在の日の丸推進の考えは前者であると思うのです。また後者は、「みんな」が「賢い」事が求められます。
為政者が国民を賢い者として扱えば、国民はより賢くあれるし、愚かな者として扱えばより愚かになっていくと思います。具体的には、国民に正確で十分な情報を与え、その解釈、考え方をも他と比較して示し続ける。
そうすれば国民は総体として、政治家や官僚の真実と嘘を見抜き「どちらが自分に得か」を考えるのではなく、「どうすれば皆が幸せであり得るか」を考え(これを正義と呼びたい)選択する力を着ける事が出来ると思います。
私の述べていることは、人間の利己的な本質を無視した理想主義だとの批判があると思います。現実としてディスカッションによる民主主義を徹底しようとすれば、非常に効率が悪いことは私も市民運動の中で体験しています。それでも、人類の英知を信じて実現を目指すべきものだと思っています。
これを実現できる政治家が亀井さんであってくれれば、嬉しいと思います。私は、沖電気の門前から社会の理不尽を指摘し続けることで、私なりの「正義の闘い」を続けて行きます。
お目にかかれる日を楽しみにしています。
亀井静香様
2001年6月12日 田中哲朗