沖電気の差別やいじめを批判していたために解雇され闘っています田中です。
私の闘いのテーマは企業の中の人権侵害です。これは会社で差別されている人がかわいそうだから救済するべきだというという問題だけではありません。
多くの人が会社の為だという理由で、いじめに協力する人間に変えられてしまい、人間らしい価値観を壊されてしまっています。子供の無気力や学校のいじめや中高年の自殺など、現在の多くの社会問題の原因の一になっている解決しなければならない問題だと思います。
今日は私が体験した沖電気の事件についての話と、毎朝沖電気の門前で歌っている下手な歌を聞いて頂きます。(私の声)
今から21年前に沖電気という会社で、首切り合理化がありました。人が多すぎるという理由で1350人が首にされました。私がいました八王子支部以外の支部労働組合と中央はすでに御用組合になっていたので闘争を放棄してしまいました。
解雇された人の内70人が独自に裁判を起こしてたたかいはじめました。
当初、職場の人は会社のやり方に怒りを持って、個人的に支援しようとしました。
解雇された人が門の前で配るビラは皆が受け取って職場で読みました。職場からはカンパが集められ門の前にとどけられました。
ところが会社は誰がビラを受け取っているかをテレビカメラまで使って監視し始めました。
そして仕事中に直属の上司が一人づつ呼び出しては。脅かしをくわえました。これからの沖電気で生き残りたければ仕事をするだけでは駄目だ。会社に忠誠心を示せ、それにはビラの受け取りをやめろというのです。
職場の雰囲気が急激に変わって行きました。支援をする人が減ってゆきビラの受け取りをやめる人が増えていきました。
踏み絵を拒否する人には、仕事を取り上げなどの差別が行われました。
長い物には巻かれろという言葉が聞かれるようになりました。そしてあいつと口をきくなといった働く者同士の苛めがはじまりました。
職場の多くの人は目の前で行われるいじめに見て見ぬふりをしたり或いはいじめにまわることで会社から良く思われようとするひとまで出てきました。
実際にあったいじめの歌です。
ビラを配っている人たちはかって自分を励ましてくれた人までがビラを取ってくれない。そこでテレビカメラに写らないようにビラを小さく畳んで渡そうとするのですが。職場の人は差別されるのが怖くて冷たい後ろ姿で通り過ぎるようになってしまいました。
首切りから半年後には、ビラを受け取る人の数は2000人の工場で数人にまで減ってしまいました。
門の前で誰がビラを配っても誰も受け取らない状況は現在でも続いています。この状況こそが、沖電気の職場が今でも恐怖で支配されていることを物語り続けているのだと思います。
ビラを配る人の気持ちを歌った歌を歌います。このとき私はビラを受け取る立場でした。
沖電気の事件の特徴は、短い期間に人が変えられた事だと思います。いじめなど、とてもしそうになかった温厚な人までもが会社人間に変わってしまった。そして人が変えられるのに威力が示されたのが、ビラとかラジオ体操とかの踏絵でした。
社会のレベルでの踏み絵で見過ごしてはならないものが日の丸君が代の強制です。
1999年11月21日の朝日新聞に八王子の中学の教師が教育委員会から処分を受けたという記事が載りました。
「 上からの指示に従うだけの人間になって欲しくない」という内容の授業の中で、オウム事件の被告の言葉をプリントに書きました。
「オウムでは上からの指示は自分で判断するべきでない、 無条件に従うべきもの、という思考が徹底していた」そして、この言葉は、日の丸を掲揚せよと教育委員会から指導された全国の校長の言葉と同じに聞こえませんか、と問題を投げかけた授業を行ったというのが処分の理由です。
私は11月24日八王子の教育委員会に一人で出かけて、この処分に直接手を下した参事を処分をした具体的な理由は何かと追求しました。
彼が私の問いに言を左右にしながら答えている内容は
@ オウム真理教の例を引き合いに出したことが不当である。
A すでに学習指導要領や法律で決まっていることを生徒達に考えさせる事は公務員たる教師には許されない。
B 国旗国歌については特別である。
といったことの繰り返しでした。
いったいどれが処分しなければならないほどの問題なのかと問いつめていくとAだと言うので、憲法改正の動きがあるがそういう事を考えさせることも悪いと言うのか、と言うと返事に窮していました。
私は、「このような教師こそ今必要とされている教師だ。今後この教師を隔離職場に不利益な取り扱いをする事があれば、わたしは一人の市民の責任において、教育委員会ではなくあなた個人を訴えて争う」と警告して引き上げました。
私は日の丸の問題にどういう姿勢で臨んでいるかで、その人の民主主義に対する姿勢、人権に対する姿勢を見極めることにしています。
市民が取り組むべき社会問題はいろいろありますが、日の丸の問題は、日本の民主主義をどうしますかという根幹の精神の問題です。これに負けて、他の闘いに勝てるわけがないと思う。悪い法案も通過するし、権力と闘う市民運動も潰されるだろうと思います。
沖電気の場合ビラの受け取りをやめた人は、組合の選挙で会社側の運動員になるという踏絵を拒めなかった。そしてさらに職場の親睦会から会社にたてつく人間を除名しようという文書が回され、その職場では当人以外全員が署名をするという踏絵を踏んでしまったのです。
沖電気の話に戻ります。 労働組合が大きく変えられました。
首切の後に行なわれた組合役員選挙のとき八王子の現役役員は首切に反対したので全員立候補出来ないようにされて、会社がわの候補者だけが立候補するという状況が作られました。そこで私はこの選挙に立候補して会社のやりかたを批判することにしました。
選挙戦が始まると、会社側は大量の運動員を動員しました。
朝、運動員を二列に並ばせ、出社してくる社員にそのなかを通らせ、「おはようございます。おねがいします」と声をかけながら、候補者や運動員と握手させるのです。
また、職場のほとんどの人が運動員として動員されました。踏み絵です。
選挙の間は職場中が異様な雰囲気になり、密告が行われ電話の盗聴までされました。
立合演説会には広場に千人近い聴衆が集まり、最初に会社側の候補者がかわるがわるしゃべり、熱狂的な声援を受けていました。
私たちがステージに立った瞬間、突然会場が静かになり、聴衆がいっせいに帰ってしまうということまで演出されました。
そのとき私の職場の友人はいちばんうしろにいたそうです。彼には会社から事前の話がなかったので、なにが起きたか理解できなかったそうです。まだ演説会は終わっていないはずなのに、みんなが急に自分の振り返った。
そして一斉に自分の方に迫ってくる。そのときのみんなの顔は青白くて死人のようだった。膝がふるえて立っていれなくなった。その場をはなれてしまって演説は聞けなかったと、あとで私にあやまっていました。
私はこの選挙のあと、仕事の取り上げなどの差別をうけ、見せしめとしての
転勤命令が出され、これを拒否したという理由だけで解雇されました。
職場の人達は、長いものに巻かれなくては生きていけないと言い訳しながら変わって行きました。
私には、何も力はないけれど、長いものに巻かれなくても生きていけること、会社のやったことを悪いことだと言い続けうることを示してみようと考えて、以来19年沖電気の門の前で、毎日歌ったり祈ったりのアピール行動を続けています。
今、戦争への道が準備されているように感じることが多くなっています。
普段は誰しも戦争はいやだ、平和が大切だと口ではいいます。
しかし社会情勢が変わって、現実に戦争が起きそうなときというのは、国家権力世論や社会多数がそれを支持しており、その状況で反対すれば、何らかの不利益が自分の身に降りかかる状況が作り出されているはずです。
このときに戦争反対と言えるかということです。
沖電気のように、自分の立場を守るために会社の言いなりになっていじめに加わっているような人が、あるいは日の丸の強制に現時点においてさえ反対出来ない人が、戦争を目前にした国家の非を指摘して闘えるわけがないと思います。
忘れてはいないかという歌をうたいます。
最後の歌です。処分を受けながらも日の丸の強制に反対して闘う先生達に捧げる歌です。
今日本は、社会問題に良心に基づいて取り組んでいる人から見れば。絶望的に思えることが多いと思います。
しかし、今からわずか100年前の人権の状態を振り返れば遥に良くなっているわけです。
今のこの瞬間には無力に思えたとしても、社会のなりゆきに自分なりの責任を持とうとする人達は常にいます
その一人一人の行動の積み重ねが、100年後の世界をより良いほうこうに変えていくことを信じて、私は私の持ち場の沖電気の門前で闘い続けます。
皆さんもそれぞれの運動や生活の中で頑張っていただきたいと思います。
ご静聴ありがとうございました。