祝 根津さん逆転勝訴確定 都側の上告棄却2016.5.31
平成19年、(2007年)鶴川二中での君が代不起立に、停職6ヶ月に対し、高裁は個人の思想や良心の自由の実質的侵害だとして取り消す判決。
処分を機械的に重くしていくと最後は免職になり、自分の思想を捨てるか教員の身分を捨てるかの選択を迫られる。憲法の保証する思想信条の自由の実質的侵害。として処分を取り消し10万円の支払いを命じた。
根津さんは「都教委の累積荷重処分にストップをかけざるをえなくなるだろう。そこが一番嬉しい」と語った。
第12次被処分(2009・3)……あきるの学園 職務命令違反 ……停職6ヶ月 ボーナス0 2017年 係争中
第11次被処分(2008・3)……南大沢学園 職務命令違反 ……停職6ヶ月 ボーナス0 上告棄却
第10次被処分(2007・3)……町田市立鶴川第二中学校 職務命令違反 ……停職6ヶ月 ボーナス0 逆転勝訴確定 都側の上告棄却2016.5.31
第9次被処分(2006・3)……立川市立第二中学校 職務命令違反 ……停職3ヶ月 ボーナス0 上告棄却
2006年の立川二中の卒業式で、根津公子さんは、権力の介入から子どもの人権を守ることが、憲法で義務付けられている教員の責務であると判断し、「君が代斉唱時に起立して歌え」という職務命令に不服従の不起立。2メートル後ろで、立川市教委の浅野指導主事が監視。累積処分をやめろという全国からの署名にもかかわらず、3月31日、都教委は、不服従教員33名を処分した。根津公子さんは、累積処分の結果、停職3ヶ月。
根津さんは、6月30日、3ヶ月の停職出勤を貫き通し、7月から鶴川二中の校門の中へ出勤しています
7月3日 根津公子さん 停職あけの月曜日 鶴川二中の生徒朝会 生徒への自己紹介で
……意見があったら、言ってきてください。100人いたら100人考えは違うものです。人間はお互いに話を交わし、考えを深めることができます。それは自分を成長させると思います。いつでも言ってきてくださいね。1年間どうぞよろしくお願いします」
第8次被処分(2005・12)……立川市立第二中学校 職務専念義務違反 ……減給1ヶ月 上告棄却
「日の丸・君が代」強制での処分が不当であるところに、都教委は、不服従教員に対して思想転向を迫る「再発防止研修」なるものを強行。そのことに異議申し立てをした教員に対し、「職務専念義務違反」という名目で、言いがかり的な処分を出した。質問を繰り返したという根津さんは減給1ヶ月、他の教員も減給、戒告などの処分を受けた。
第7次被処分(2005・4)……立川市立立川第二中学校 入学式 職務命令違反 ……停職1ヶ月・ボーナス0 上告棄却
その2週間後の入学式では、根津さんは、「憲法違反の10・23通達には従わない。公務員の憲法擁護の義務を全する」と決断し、「日の丸・君が代強制」不服従を実践し「着席」した。これに対し、都教委は、停職1ヶ月・ボーナス0という処分の暴挙に出た。が周知のとおり、根津公子さんはその処分を認めず停職出勤という意思表示をし、立川二中の生徒や私たちにも大きなものを残した。2005年5月31日、都人事委員会に提訴。
第6次被処分と第7次被処分の人事委員会審理は……
根津さんの第6次と第7次被処分の人事委員会審理は、2005年の東京教組の被処分者4人と共に、2004年の被処分者と併合審理となった。全部で10人、13件の審理。2006年4月23日、はじめて第1回の審理が開かれ、10人の意見陳述が行われた。
第6次被処分(2005・3)……立川市立立川第二中学校
卒業式 職務命令違反……減給10%・6ヶ月
2005年3月卒業式当日、「君が代・日の丸」が強行された際、途中から座った根津公子さんに対し、都教委は減給10%・6ケ月の不当処分を出した。根津さんは処分を受けた他の教員と共に、都人事委員会に提訴。
第5次処分(2003・3)……調布市立調布中学校
都教委は自ら定めていた教員異動要綱を破り、2003年4月、根津公子さんを通勤往復約4時間かかる調布中へ異動させた。
しかも調布中には既に家庭科の教員がおり、根津さんは最初から見せしめ過員配置。報復処分である事は明らか。
その後、都教委は、異動要綱を一方的に破棄、「10・23通達」を出してからは、逆らう教員に対する脅迫的異動攻撃が始まった。
翌2004年4月、 根津さんは、通勤往復約3時間の立川二中に異動になり人事委員会は「不利益は解消されたから審理請求を却下する」という不当裁決。
東京地裁に提訴。2004年11月8日以来8回の法廷が開かれたが、2005年10月31日、難波裁判長は事実を事実として認定するという裁判の基本を踏み外し、「路線バスが 空(そら)を飛んで行けば、成立つような、ありもしない時刻表のバスに乗れば、成立つような、都教委が禁止している車通勤をすれば、成立つような空(そら)バス判決」を出した!
多摩中異動裁判
人事委員会 裁決 2004年 5月25日
東京地裁判決 2005年10月31日、
高裁不当判決 2006年6月21日
第4次処分(2002・3)……多摩市立多摩中学校 減給処分
指導力不足教員でっち上げ攻撃
2001年2月当時、根津公子さんは勤務していた多摩市多摩中学校の卒業を迎えた3年生に対し、家庭科の「男女共生社会を生きる」というテーマの授業をしたがそれが狙われた。
「一通の苦情」という証拠として提出もされない「苦情」があったと市教委側は言うが、生徒たちの真剣な感想文を見れば、その授業が非常に感銘的であったことは、容易に推察される。
都教委が直接関わったこの権力犯罪は、東京人事委員会の8回の審理と東京地裁の今までの7回の法廷で、その犯罪事実が白日のもとにさらされてきている。
例えば、
その@、2001年3月、当時の多摩市教育長であった石川武氏(現在東京都総務局勤務)は、当時の多摩市議吉田千佳子さんに「…根津さんを多摩で採ったのは現場から外すためだった。尻尾を掴みたいと網を張ってきたがなかなか掴めない。何とか早く掴みたい。……現状では処分の決め手となるものがない。指導力不足教員に持っていきたいものだが、できない。困ったものだ。…」と話していること、
そのA、当時の多摩中校長・前島俊寛氏(現在八王子市宮上中学校勤務)に至っては、根津さんを指導力不足教員として都教委の指示通り申請し、終わった後には、いみじくも「私の役割は終った」などと放言し、根津さんの授業にまったく関心を払わなくなったこと、
そのB、同じく当時の多摩市教育委員会指導主事の野中繁氏(現在都研技術教育課勤務)は、卒業した多摩中生徒の家を、4月になって訪問し、根津さん追い落としのための証拠となるノート集めをするという、公安刑事のようなことをした、
そのC、都教委の中で、根津さんを指導力不足等教員にでっち上げようとした「指導力不足等教員判定会」と、減給処分にしたにした「懲戒分限審査会」なるものが、ほぼ同時並行的に開催され、しかも都教委の職員である中村正彦氏らは、両方の会議に出席していたことから、根津さんをどちらかで処分をしようと組織的に動いていたことは明白であること、などなど。
今後の証人尋問で、さらにどのような事実が暴露されるのでしょうか?
多摩中減給裁判
1999年 8月 国旗国歌法成立
1998年 2月 広島で卒業式の前日校長が自殺
第3次処分(1999・3)……八王子市立石川中学校 訓告処分
根津公子さんの授業内容そのものを問題にし、処分し、教育基本法第1条『教育行政の教育現場への不当介入禁止』を公然と踏みにじった教育行政の姿勢に対し、日本の裁判所は、一審から一度も法に則った判断をせず、2005年6月16日をもって最高裁は「上告棄却」通知を送付してきた。
なぜ日本の司法は法に照らして物を言わず「授業が不適当であることは明らかである」というような表現に逃げ、教育行政を擁護したのか? それは根津公子さんの教育活動が、全く、憲法・教育基本法に沿うものであったからである。そういうことが立証された裁判であった。
2001年4月12日以来20回近くに及ぶ裁判から、私たちは、教育基本法を犯し、憲法を犯しているものは、何者なのかを、学ぶことができた。それは、同時に私たちの課題をはっきりと認識できた裁判でもあった。
石川中裁判東京高裁に控訴2004.10.5 控訴趣意書
高裁不当判決 2005. 2.10 (判決文 一審判決の参照部分は青字 高裁で付加した部分は赤字で表示)
2005年6月16日最高裁 上告棄却
第2次処分(1995・3)……八王子市立石川中学校
職員会議の決定を踏みにじって揚がった「日の丸」について学級通信で触れて、訓告処分
第1次処分(1994・3)……八王子市立石川中学校
校長は職員会議の決定を破り卒業式に日の丸を揚げた。生徒が「下ろして」と叫ぶ混乱の中で根津さんは下ろし、減給処分