ポリティカ日本 早野透 朝日新聞コラムニスト
日の丸掲揚の波紋は今も
暮れになって、教育改革国民会議の最終報告が出た。
小中高の全員に奉仕活動をさせよ、教育基本法を見直せなど会議の提言をテーマに、来年の国会も参院選も争われることになるだろう。コトは大切な教育の問題だから、あまり頭をカッカとさせずに議論したいものだ。
◎国立二小のでき事
というのは、今年のできごとでひとつ気になっていることがあるからである。東京都国立(くにたち)市の国立第二小学校の3月24日の卒業式の日の丸掲揚問題である。
国立二小の卒業式は、これまで子供たちが自分たちでシナリオをつくるのが特色だった。日の丸を揚げたことはなかった。だが今年、校長が屋上に日の丸を揚げた。
卒業式の後、子供たち約30人が校長を囲み、「どうして日の丸を揚げたんですか」「どうして説明してくれなかったのですか」などと質問した。校長は「話さなくていいと思った」「国会で決まったから」など説明したという。「卒業式が終わったのだから日の丸を降ろして」という求めには応じた。さらに子供たちは校長に説明しなかったことへの謝罪を求めた。
それを4月5日の産経新聞が「児童30人、国旗降ろさせる。校長に土下座要求。一部教員も参加」との見出しで大々的に報道したところから騒ぎが始まる。ナニ、子供が校長先生に土下座しろだと、不届きな、教師が扇動したのか、などと議論を盛り上げていったわけである。
4月26日、国立市内を右翼街宣車約60台がデモして「教師は即刻処分せよ」などと大音量で流した。5月、「子供を誘拐して殺す」という脅迫状騒ぎが起こる。国会では東京都出身議員が質問、8月10日には東京都教育委員会などが教師らを戒告、訓告の処分をするに至った。
日の丸君が代の問題は、ずっと文部省と日教組が対立してきたテーマであり、広島の県立高校校長が板挟みで自殺したのが国旗国歌法制定のひとつのきっかけだった。そのときの国会審議では「強制はしない」という政府答弁があったのだが、実際には学校の式での日の丸掲揚、君が代斉唱のお墨付きのごとくなったのも確かである。
で、土下座問題である。校長は「児童が『土下座しろ』と迫った」と国立市教委に報告した。これはほんとにそうだったのか。結局、都教委は「確認していない」としている(8月11日付本紙)。
保護者の依頼を受けて青年法律家協会の弁護士たちが詳しい聞き取り調査をした。校長を囲んだ子供や立ち会った教師の多数は「土下座という言葉は聞いていない」と答えた。が、少数は「一人の子供が土下座してもいいくらいだよというのを聞いた」とする。1時間を超えるやりとりの中でそういう発言もあったのかもしれない。
そこでわからないのは、校長である。「土下座」なんて校長先生に言うのはむろんよくない。しかしそれを聞きとがめたなら、なぜ、その場で「キミそんな失礼なことを言ってはいけないよ」とたしなめることをせずに、市教委にご注進に及んだりするのだろう。そこから「土下座要求」というオーバーな話になっていくのである。
◎教育問題の扱いは
9月25日、この問題の地元の集会を聞きにいってみた。国立二小卒業生の担任の先生が「子供の一人が『ぼくたち悪者のまま大人になっていくの』と悲しんでいる」と発言していた。
そうだ、国立二小の問題は大人たちがやたら政治的思惑で走ったのであって、どう考えても子供たちに気を配ったやり方とは思えない。子供たちに行きすぎがあったとすれば、教育問題はそれらしい扱い方があるのであって、居丈高に騒げばいいというものではない。子供たちに無用な心の傷を与える。
12月18日、国立市教委は来春の卒業、入学式で国旗の掲揚、国歌の斉唱をするよう通達した。従わなければ処分される。また騒ぎになってはたまらないという校長たちの要望でそうするらしいから、これは情けない。とにかくお上が命令して下さい、従いやすいですからというのだったら、教育者の気概はどこにあるのだろうか。
2000.12.26