アンソニー・ファイオラ
ワシントン・ポスト海外特派員
2005年8月30日(火)
今年、東京の立川第二中学校の式典で国歌が演奏された時、家庭科教師根津公子さんは、周りの人が起立し国歌を斉唱する中、起立を拒否し口をつぐんでいた。穏やかに、しかし確固たる信念を持って根津さんは語る。
根津さんは自他共に認める平和主義者だ。第二次世界大戦中に歌われた讃歌「君が代」を議会が1999年に国歌に制定して以来、ずっと同じことをしているのだと根津さんは話す。君が代は元々大日本帝国陸軍が天皇の「永遠の治世」を称える歌として公布したものであるため、根津さんは反対している。
以前は、反対しても生徒や保護者の一部から白い眼で見られるだけだった。しかし、東京都教育委員会は、2003年10月に国歌に対して敬意を払うようにという通達を出した。それ以来、根津さん(54)は度重なる異動や一定期間の減給などの処分を受け続けている。立川での事件の直後、5月には1か月の停職処分を受けた。教育委員会からは、これ以上抵抗すると34年間続けてきた教職を失うことになると警告を受けた。
教育委員会の歴史に逆行する動きは、日本人としての新たな誇りを強制する取り組みの一環で、その取り組みは東京やその他の学区で行われている。強硬派の国家主義者である石原慎太郎東京都知事は、学校における愛国主義を強化する方法だとしてこの政策を強力に支持している。
教育委員会の強制政策は、目に見えた効果を発揮している。2004年の卒業式では198人の教師が起立を拒否したが、一連の減給や懲戒処分の後、今年起立を拒否したのは根津さん他9人の教師だけだった。
「教育委員会は私達を排除しようとしているのです。日本の国家主義に反対する人達は、だんだんものを言えなくなってきています。」と根津さんは言う。
教育委員会の動きは日本の国家主義の台頭だとして、東アジア中の非難の的になっている。しかし同時にそれは、日本での愛国主義の役割をめぐるイデオロギー戦争の一部でもあるのだ。日本では、若者が自分達の国をどう展望するかに特に関心が集まる。
「今こそ、子供たちが日本という国に誇りを持てるようにする時です。」と中山ひとみ立川市議会議員(48)は言う。立川第二中学校を今年卒業した息子を持つ中山さんは、根津さんの授業監査を要求した。
「自国の国旗・国歌に敬意を払ったり、国家や伝統に誇りを持ったりすることはおかしなことではありません。世界中のほとんどの人達がこの権利を享受しているのに、なぜ私達にはそれができないのでしょうか。」と中山さんは言う。
声高に愛国心を主張することは、第二次世界大戦後の日本で何十年間も議論されてきた。しかし、世論は変化しつつある。議会で「君が代」が公認された時、同時に日本に昔からある白地に赤い円を描いた日章旗も国旗として公認された。それまでは、国旗や国歌を国が法的に公認したことはなかった。
今月、日本が太平洋戦争集結60周年記念を迎えた際、政治の主導権を握っている国家主義の政治家達が日本の更なる国際貢献を主張する姿が目立った。1990年代の不況の余波の中、世界第2位の経済大国として、日本はそれに見合う影響力を持つに値するという世論が高まっているのだ。
第1党である自由民主党の党員は、国際的なテロの脅威や、北朝鮮の核兵器保有の可能性に対する懸念を挙げ、国際国家として、これからの日本には軍事力の配備も必要になると言う。自民党は日本国憲法の改正を主張している。日本国憲法は第二次世界大戦後アメリカによって起草され、これにより日本は戦力を保持する権利と交戦権を放棄した。改憲が行われれば、自衛隊が日本の軍隊として認められることになる。
しかし日本では平和主義者の勢力は次第に衰退しており、高まるナショナリズムのみならず、歴史を見直し軍国主義を賛美する気運が懸念されている。
終戦記念日の8月15日、東京の靖国神社への参拝者は205,000人を記録した。靖国神社は、太平洋戦争の戦犯を含めた日本の戦没者を祀っているナショナリズムのシンボルだ。その週末、第二次世界大戦中の日本の行為は「明らかに間違っていた」と思う人は、日本人1,058人中43%に過ぎず、その他の人は「戦争は避けられなかった」、あるいは「分からない」と回答したというアンケート結果を毎日新聞が発表した。「明らかに間違っていた」という回答は若い世代では更に少なく、20〜30代の回答者のうち36%が第二次世界大戦中の日本の行為は明らかに間違っていたと答えた。
こうした意見は、戦時中に日本が犯した罪を若者にあまり教えなくなっている教育の結果でもあると専門家は言う。今でも歴史の授業でホロコーストについて力を入れて取り組んでいるドイツとは違い、日本の中学校で最もよく使用されている教科書では近代以前の歴史に重点が置かれ、207ページ中戦時中の侵略については15ページ、日本の戦犯に有罪判決を下した東京裁判については1段落しか割かれていない。
今年、日本の戦争犯罪を賛美した教科書の改訂版が文部科学省の検定に合格したことによって、中国・韓国から激しい反発の声が湧き起こった。この教科書は戦争についての記述に24ページを割いているが、日本の立場を糊塗し、東京裁判の「見直し」を求めている。国外からの激しい批判も功を奏さなかったようだ。今年4月に北京・上海・ソウルの街頭で反日暴動が勃発する前に、この歴史を見直そうという教科書を採択したのは全国でわずか14校に過ぎなかったが、それ以降少なくとも更に30校が来年度この教科書を使用することを決定した。
「長い年月が過ぎたんです。日本は謝罪し、補償金も支給しました。」と、戦時中の首相であった東条英機元帥の孫、東条由布子(66)さんは言う。「今こそ、子供達が自分の国を誇りに思えるようにすべきです。」
4月、東京西部の立川第二中学校で桜が咲く中、根津さんはただ着席することによって教育委員会への抗議の意思を表そうと決意していた。学校で愛国心を教える新しい規則に違反した結果どのようなことが起こるか、上司から直接警告を受けたそうだ。
高校卒業後、朝鮮と中国での日本の残虐行為について生々しく詳細に書かれている本を読んだ時に愛国心に対して自分の考えを持つようになった、と根津さんは語る。学校では見たこともないような本だった。このことについて父親に訊いてみた。父親は日本が中国に出征した際に帝国陸軍にいたが、子供達と戦争について詳しく話したことはなかった。父親に訊いた時のことを根津さんは回想する。「お父さんも陸軍の一員だったんでしょ?」10代だった根津さんが父親の目を見つめると、父親は黙り込んで答えようとはしなかった。
明らかに、根津さんは生徒達に影響を与えている。1999年から2000年にかけて石川中学校で根津さんのクラスだった田島夏樹さん(19)は、根津さんのクラスの生徒の多くが、根津さんの話を聞いてから起立して国歌を斉唱することを拒否するようになったと話す。2000年に教育委員会が根津さんを石川中学校から異動させると、根津さんの影響は薄れていった、と田島さんは言う。「私は卒業するまで着席し続けた数少ない生徒の一人でした。」
権力者達はこうした影響を抑え込もうと躍起になっている。「歴史教育とは、子供達が自分の国家と国土を愛し、祖先の業績や過ちを学び、更なる発展を遂げるためにはどうしたらよいのか考えるために行われるものである。」1997年に出版された日本における愛国心教育について述べた本で、石原知事はそう書いている。
根津さんの闘いは全国に知れ渡っている。根津さんは保守派から悪魔のように嫌われていると同時に、平和団体や教職員組合の支持を集めている。東京都教育委員会は、都教委が根津さんの人権を踏みにじっているという主張を退けている。
しかし、根津さんと教育委員会の闘争は続く。5年間で4つの学校に異動させられた。多くが通勤に2時間かかる距離だった。根津さんは裁判を起こして抵抗している。1件は敗訴し、少なくとも更に4件が現在も係争中である。減給と異動に加え、現在根津さんは他の教師が出席する中でしか授業 をすることを認められていない。それでも、自分の姿勢が揺らぐことはないと根津さんは言う。
「まるで戦時中のように、権力者に対して疑問を投げかける自由が抑圧されている気がします。」落ち着いて、言葉を選びながら根津さんは語る。「でも、私は決して日本がアジアを侵略する時に演奏された歌のために起立することはしません。絶対に。」