友人が集団ストーカー行為のターゲットにされたわけ

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 そもそもは1978年の沖電気の大首切り合理化にさかのぼる。このとき始まった労働争議を友人は支援した。彼はセクトに属さず、共産党、新左翼、どちらのグループをも支援した。そして会社が突きつけた踏み絵は拒否した。
 被解雇者が配るビラは受け取り続け、「ラジオ体操」は拒否し続けた。 すなわち解雇される前の私と同じ行動をとっていた。

 これは沖電気では差別を受ける理由を満たしているので、ご多分にもれず、職場で孤立させられ、まともな仕事から外され、賃金差別を受けていた。1981年、私が解雇されてからは私をも支援した。特に彼はパソコンに詳しく私のホームページの存在は彼のお陰である。

 彼は勉強して特許出願の資格、弁理士の試験に合格する。沖電気のような企業にとっては弁理士は喉から手が出るほど欲しい資格である。彼が資格を得た当時沖電気の社員で資格のあるものは1,2,人しかいなかった。会社は特許の申請を外部の特許事務所に外注していたのだ。会社は被差別者に仕事を与えない理由を「無能だから与える仕事がない」と言う。しかし彼が資格を得たことによりこの主張は通用しなくなったのだ。
 

 会社は彼に弁理士としてのしごとをさせるべきなのに長年にわたってまともな仕事をさせなかった。私は1997年頃からこの理不尽を株主総会で指摘し続けた。総会が毎回大混乱になる中、会社は形だけではあるが彼に特許関係の仕事を与え始めた。しかし職場の中では孤立させられ、賃金も異常に低い状況は続いていた。

 そして2004年からノイズキャンペーンが始まったのである。共産党に属する他の私の友人も彼より少し前の時期に同じことをされたと言っている。
すなわち、社畜になることを拒否する者への、30年以上にわたって続いてきた差別、いじめが、おぞましく進化した形態なのである。

 40年前、沖電気はヒューマニズム経営と言われていた。穏やかな職場だった。オイルショック以降経営が悪化したのはこのぬるま湯体質のせいだと誤解された。社員達は人間としての心を捨てることを要求され、皆はそれに従ってしまったのだ。