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月光仮面物語: 米国大陸上陸 投稿者:名古屋の月光仮面    
ロスアンゼルス近くのサンピエドロ港に船は接岸:
ここで75人が下船の予定でした。

健康上の理由から青年月光仮面は特別室に連れて行かれて
厳重な検査をしなければいけないと告げられました。

そのことは日本からでる前にレントゲン写真から
血液検査によって検査がありますと告げられておりました。

サンペドロ陸軍病院に連れて行かれて身体検査でした。
あれこれやられて生きた心地がしなかったことを覚えております。
滑った転んだの挙句にようやく検疫が合格ということでした。
そこで船に連れ戻されて荷物と一緒に入国手続きでした。
皆さん今でこそ日本人はパスポートを見せればアッと
言っている内に許可のゴム印が押されますが、 
当時はなんだかんだで時間がかかりました。

ようやく全て完了で表に出てもいいといわれてゲートの外に出ましたら
大きい日の丸の旗を持っている私の姉がニコニコして待っていてくれました。  
人の顔よりも日の丸の旗が目に飛び込んできました。
ここから日の丸の運命が始まったのでした。

米国で見る日の丸と、 日本で見る日の丸では雲泥の差があるということです。

姉と姉の主人と私の3人でロスアンゼルス空港から義兄のセスナ機でアイダホ州に向けて飛び立ちましたのにはびっくりです。  生まれて初めて乗った飛行機というものです。

神経をすり減らしてしまった青年月光仮面はぐっすりと
寝込んでしまいました。

途中数回給油のために地上におりたことも知らないで眠ってしまったようでした。

アイダホ州のマルマル市に着いたのが夜遅くになってからでした。

こうして無事に米国大陸に降り立ったのでした。

これから先物語が進むにつれてわかってしまうと思いますが
今は市の名前を伏せておきます。

義兄はアイダホポテトの生産業そしてその親戚縁者も農業でした。

新潟県からの米国の開拓移民でした。 義兄は米国で生まれた2世です。  2世部隊の中尉でした。

つづく
2007/07/28(Sat) 00:34:05 [ No.777 ]
Re: 月光仮面物語: 米国大陸上... 投稿者:田中哲朗    

アイダホがどこか知りませんでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%9B%E5%B7%9E
ロスから1000kmくらいですか?

> 義兄はアイダホポテトの生産業そしてその親戚縁者も農業でした。
>
> 新潟県からの米国の開拓移民でした。 義兄は米国で生まれた2世です。  2世部隊の中尉でした。

セスナ持つくらい成功した人たちだったんですね。あるいは農業で使うのかしら。ニュージーランドで泊まった農家に飛行場があった。(羊の見回りのため)


 義兄様の人物描写お願いできますか?「開拓移民」「成功者」「二世」「中尉」ゆえの考え方とか。
2007/07/28(Sat) 09:46:47 [ No.778 ]
Re: 月光仮面物語: 米国大陸上... 投稿者:名古屋の月光仮面    

自宅に戻りました。
続きを書きます。
2007/08/01(Wed) 19:18:08 [ No.781 ]
Re: 月光仮面物語: 米国大陸上... 投稿者:名古屋の月光仮面    

義兄の家族は新潟県からの移民
新潟県で農家でした。  着の身着のままでの米国移住だそうでした。
両親と義兄と弟・妹で家族は5人だったようです。
アイダホに来てずーとアイダホでの農業でした。
太平洋戦争が起こりましてカリフォルニアの日系人収容所に
入れられたようです。
ドイツ人部隊は日本軍と日系人部隊はヨーロッパ戦線へ
駆り出されたようですが日系2世部隊の活躍は見事なものであったと記録されているようです。
米国のために戦ったと義兄は言っておりました。
戦争が終わって義兄はFBIに就職したようでした。
19歳の私はFBIとは何なのか分かりませんでした。
やがて私の姉と結婚するときは少し貧乏からの抜け出た頃だったようです。
写真を見ますと、 家がなく、 トレーラーハウスという車の家だったようです。
机もりんご箱での生活が見て取れました。
貧乏はほんとうにびんぼうです。 
金持ちと貧乏の差が大きいのが米国ですね?
義兄は勇敢に戦ったのですが幸いなことに何処も怪我がありませんでした。
米軍除隊後にFBIに雇われそして農業に戻り農業の傍らに
生命保険を売る外交員になったようです。
農業は冬は仕事が無いので保険の外交員をやったようです。
1990年は100パーセント保険で生計を立てていたようで、
家もようやく買ったところでした。
家が持てたので私を面倒見ることの父・母の了解をとった
ようでした。
セスナの飛行機は義兄の趣味と仕事での移動の為であったようです。
一番近い都市はソルトレーク市300キロ離れたところです。
こんな大きい国と良く戦争が出来たと子供の私ですら
感じたのですから、 日本軍は覚悟の上での戦争であったということですね。  良識ある日本人が戦争回避を願っての
働きを読んで見ますと良く分かります。

今の国会議員が目先のことでこそこそやっていたり、
厚生年金をずたずたにしても皆が良く怒らないものだと不思議な事案とおなじようなものです。

私はすでにそこそこに年金を頂いておりますので、 このように好き勝手な街宣活動で憂さ晴らしが出来ますが。
ゲートボールで遊んでいる老人とかはいいのですが、 年金がもらえない
お年よりは大変な人生を過ごしております。

義兄はすでに年金生活、 子供も大きくなり元気に育っております。
現在はソルトレーク市におります。

そんな家庭に入りましたが当時は子供が2人でした。
女の子と男の子です。  小学校前で自宅にいつもいました。
私の英語はこの姪と甥からのものでした。
子供は何回聞いても教えてくれたし上達が早かったのも姪・甥のおかげでした。

英語は子供から習うのが一番です。

続く
2007/08/01(Wed) 22:39:20 [ No.782 ]
Re: 月光仮面物語: 米国大陸上... 投稿者:田中哲朗    


> 太平洋戦争が起こりましてカリフォルニアの日系人収容所に
> 入れられたようです。
> 日系人部隊はヨーロッパ戦線へ駆り出された

> 米国のために戦ったと義兄は言っておりました。


> 机もりんご箱での生活が見て取れました。


苦労して働いて、収容所に入れられ(確か同じ敵国でもドイツ人、イタリア人は収容所に入れられなかったと聞いてますが)そのような国のため、直接ではないにせよ祖国(日本)と闘うことに 誰しも葛藤があったと思うのですが、その事に関して言われていたこととかありますか。

 そのような経験から体得された考え方などは聞かれたことがありますか。
 
座り込み報告です。まさん来てくれないかなーとおもっていたのですが。
http://www.okidentt.com/monzen/07729/07729.html
ライブ報告
http://www.okidentt.com/live/2004con.htm
2007/08/02(Thu) 00:02:09 [ No.783 ]
Re: 月光仮面物語: 米国大陸上... 投稿者:名古屋の月光仮面    

とりあえず質問にお答えいたします。

1. カリフォルニアの収容所にはいれられましたが国民性でしょうか、 そんなに日本人は騒がなかったようです。
ドイツ人やイタリア人は騒ぐので反対に始末が終えないし、 又肌の色が同じだったとかで免れたようです。
つまり所詮は人種差別ですね?

親たちが騒ぐなというので2世たちは皆静かにしていたようです。

2.  従ってそのような親を見ているので2世たちは
祖国日本に対して米国忠誠心を駆り立てて敵国ドイツで
勇敢に戦ったということです。
国旗・国歌に対しての愛国心は人一倍大きいものです。

根津公子先生には現在の日の丸・国家・国旗については
別な意味の思いがあるので比較検討はできませんが
私の義兄は国のために命をささげていった一人です。
日本の若者で特別攻撃隊も同じ気持ち・心であったようですね?

企業のために体を張って戦う。
同じものですね。
経験したものでないといくら説明しても理解が出来ないでしょうね?
理解できなくても批判はしません、 そういった場面の経験をさせて
あげればいいのです。
そこから初めて考えを聞けばいいのです。

ドイツ戦線に行って、 沢山の仲間の戦死を見て帰国した義兄はそれこそ残りの人生を教会にささげたのでしょうね?
宣教師となってもっとも2年間ですが日本に来ました。

その後輩たちが現在田中さんのホームページにいつも
写真が載っておりますね!

世の中は狭いね!

50年前の宣教師です。
一度この教会の事を特集してみたらどうですか?

義兄は2年間の日本での宣教師の間に私の姉を好きになったようです。

ある人から見ればたるんでいるということになりますね?

私はいろいろな批判批評があると思いますが、 結果オーライ主義です。

何しろ明治38年生まれの父と母の学生結婚ですからね。
日本医科歯科大学の学生ですから驚きですよ。
父が新潟県・母が山口県でした。

父が新潟県人だったのが義兄の姉に対しての求婚にスムーズ

にそして娘の幸福を考えた父の気持ちは大きいものだったと

私は考えております。

義兄は何でも自分でやってみなさいということでした。
失敗に恐れてはいけないといつも言っておりました。
これから米国生活の中で義兄の信念を垣間見ることが
出来ます。

続く
2007/08/05(Sun) 01:25:32 [ No.787 ]
Re: 月光仮面物語: 米国大陸上... 投稿者:名古屋の月光仮面    

義兄の口癖の言葉であり私の今の信念の源の言葉!

ゴーフォーブローク。

当たって砕けろ!

いい言葉です。
2007/08/06(Mon) 18:18:33 [ No.791 ]
Re: 月光仮面物語: 米国大陸上... 投稿者:田中哲朗    

> 2.  従ってそのような親を見ているので2世たちは
> 祖国日本に対して米国忠誠心を駆り立てて敵国ドイツで
> 勇敢に戦ったということです。

そうせざるを得ないと思いますが、葛藤ですよね。

> 宣教師となってもっとも2年間ですが日本に来ました。
>
> その後輩たちが現在田中さんのホームページにいつも
> 写真が載っておりますね!
> 50年前の宣教師です。
> 一度この教会の事を特集してみたらどうですか?

そうですね。モルモン宣教師は若いので本当にみんな性格がいい。(ちょっと良すぎて、みんな似ているのが気にはなるが)
彼らに、「自分の中にいる神の言葉に従へ、神の名をかたった指導者の欲望を見抜き行動する力を持って欲しい」と語っています。

彼らがあまり言うので5日の日曜日に教会のミサに参加してきました。昨日彼らが我が家に来たので義兄さまの話をしたら感激していました。
 

>
> 義兄は2年間の日本での宣教師の間に私の姉を好きになったようです。
> ある人から見ればたるんでいるということになりますね?

しごく健全であります。

> ゴーフォーブローク。

Go fo broke.
なぜ過去形なんでしょうかね?
2007/08/07(Tue) 09:39:46 [ No.797 ]

- Joyful Note -
Modified by isso