闘争の経過 及び 田中の経歴


1948年 3月9日福岡県遠賀郡水巻町生まれ

1969年  国立宇部工業高等専門学校卒業



沖電気工業株式会社株式会社入社 LSI設計技術部勤務

マンドリンクラブ部長  剣道部(3段) 囲碁部(2段) 所属 

1975年  結婚。

1978年  11月 1350名の指名解雇強行される。

1979年 1月  「ラジオ体操」が会社に服従する意志の踏み絵として始められる。




6月  組合職場委員(各職場単位の下部役員)の選挙が行われ「会社派」が大勝する。

この頃から争議支援者ラジオ体操の拒否者が激減する。自主退職者が増加する。争議の支援者やラジオ体操の拒否者に対する差別が始まる。




         
            
係長、課長、部長から体操についての干渉を受けるが、着席したまま体操の不参加を貫く。

 このころから設計の仕事が与えられず他人の補助的な仕事をさせられる。



12月  年末一時金 マイナス査定50%を受ける。



1980年 4月   本給査定マイナス50%を受ける。 



6月   組合役員選挙立候補(2年に一度の役員選挙)

「会社の中でも人にはやっていいことと悪いことがある」と 会社の労務政策を徹底批判する。

(組合役員選挙立ち会い演説会の録音)709KB mp3


        
12月  年末一時金 マイナス査定100%を受ける。


1981年 4月  本給査定マイナス100%を受ける。


6月  営業への転勤命令が出されこれを拒否して解 雇される。

翌日より毎朝門前に立つ行動を開始、現在にいたる。



11月  自宅でギター教室開業

12月  八王子地裁へ提訴。



1982年6月  第1回支援コンサート「この門をひらけ」 250名参加。以後9回まで継続。


1987年3月  沖電気争議団和解


70名の内35名が職場復帰。

解決金12億3千万円

争議団は田中の事件解決も会社に要求するが、会社が金銭解決案のみを示したため、田中は 「会社が非を認めたことにはならない。」 としてこれを拒否。



6月  沖電気株主総会に株主として出席、発言。

以後現在まで毎年継続。



1990年3月  一審判決敗訴。 東京高裁へ控訴。

             このころより各地でミニコンサートを行う

1992年7月   参議院議員選挙に東京2区より出馬 6000票獲得。

1993年6月   控訴審判決 敗訴 上告。

1995年3月   最高裁判決 上告棄却 敗訴。

1996年8月   ニュージーランドにおいて初の海外コンサート。「CH1、ニュージーランドテレ ビ」に出演。

(出演前のメイク。残念ながらスタジオ内の写真はない) 

1999年 

8月 国旗国歌法成立

 
10月 朝日新聞「この人が読みたい」に記事

11月 亀井静香氏と「うなぎや会談」

2000年 8月   フィリピンにてコンサート

12月 沖電気 大分県湯布院町で公共無線工事に伴う入札で談合を行い、町長に贈賄を行う。


      

2001年 6月 亀井静香氏 座り込みに参加

7月 第一回「日の丸君が代問題を語り合う会」開催 (ゲスト 日本世論の会会長 三輪和雄氏)

以後 第3回まで開催(ゲスト 三輪和雄氏 都議会議員土屋たかゆき氏)

9月 「ブルータス」に亀井氏座り込み参加の写真と記事

10月 沖電気 私が20年続けて来た座り込みの場所にフェンスを設置、暴力排除を始める


2003年 7月 サンフランシスコ市でコンサート

10月 沖縄でコンサートツアー

10月 建国義勇軍、多摩教組へ銃弾を撃ち込む

11月 「建国義勇軍の皆さんへ」掲載

11月 前年の株主総会の対応を不当として沖電気と都を提訴

この年のコンサート45回

2004年 3月 沖電気贈賄事件、社員2名に執行猶予付き懲役刑の有罪判決。(会社の責任は不問に付される)

8月 大分検察庁から贈賄事件の供述調書、押収書類(約2000頁)を入手。沖電気が東芝などと談合を行っていることを知る。

大分検察庁に電話でなぜ起訴しないか問い合わせるが検察官が電話に出てこない。

9月 警視庁に談合を告発

10月 裁判所から株主総会裁判に和解案提示。上田さんは受け入れ、田中は拒否。

10月 和解案提示の日、沖電気は 座り込み場所への立ち入り禁止を求める裁判を起こす。

2005年 1月 大分市民オンブズマン、湯布院町監査委員会に沖電気の談合により、湯布院町が損害を被ったことの監査請求

3月 湯布院町監査委員会 沖電気の談合の事実を認める。

4月 警視庁より談合告発却下

4月 マリーデフォロスキー来日 田中の記録映画の撮影を始める

4月 大分市民オンブズマン、沖電気の談合により、湯布院町が被った損害を請求することを求める裁判を大分地方裁判所に提訴

11月 対警察裁判 最高裁で敗訴確定

11月 株主総会裁判の裁判官忌避申し立て

12月 立ち入り禁止裁判 最高裁で敗訴確定

12月 多田瑶子反権力人権賞受賞

2006年 1月 東京新聞に記事

2月 裁判官忌避裁判 最高裁で特別抗告棄却 敗訴確定 忌避裁判の記録

4月 ジャパンタイムスに記事

6月 ドイツの週刊誌 デルシュピーゲルに記事

6月 東京新聞に株主総会暴力排除の記事

6月 対沖電気裁判 一審敗訴

7月 シドニーモーニングヘラルドに記事

8月 対沖裁判 控訴理由書 提出

9月 湯布院町(現 由布市) 沖電気談合裁判 結審 12月21日 判決予定

9月 「国旗掲揚時の起立強制は違憲」

12月  沖電気談合裁判 大分地裁 沖電気の談合を認める判決 沖電気控訴

2007年 3月 株主総会暴力排除裁判 上告棄却

現在に至るまで、毎日の門前の行動を中心とした闘争を継続中。