踏み絵について
- それまでのどかだった沖電気八王子工場千数百人の職場が、なぜわずか半年の間に変貌したか。
- 会社の思惑に強烈な効果を上げたのは「踏み絵」でした。
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(1)ビラの受け取り
首切の直後は、解雇の対象にならなかった職場の多くの人も会社のやった事に怒りを持っており、組合が闘争を放棄した後も、争議を個人的に支援しました。
解雇者された人が門前で配るビラは皆が受け取って読みました。職場ではカンパが集められ門前で闘う人に届けられました。
ところが会社は、誰がビラを受け取っているかを、テレビカメラまで使って監視し、上司が一人づつ呼び出しては繰り返し、繰り返し脅かしを行いました。
「これから沖電気で生き残りたいなら、仕事をするだけではだめだ、会社に忠誠心を示せ、ビラを受け取るな。」というのです。
ビラを受け取るかどうかが忠誠心の踏絵として使われたわけです。
- 当時、解雇された人達は毎日門前のビラ配りをしていました。
- 私はビラを受け取るがわの人だったわけです。ビラを配る人はテレビカメラに映らないように小さく畳んで渡そうとするのですが、しばらくするとまた取らなくなる。
- そこで、門から離れて配るけれど、またしばらくすると取らなくなる。
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- みんなは差別されるのが恐くて受け取れないわけです。
- ある時解雇された人が職場で仲の善かった人に町で会ったときにこう言われたそうです。
- 「テレビカメラに映らなくても周りの目が恐い、周りが見てないとしても、受け取ったことを自分自身が知っているわけでそれが恐くて職場に入れない。悪いとは思うが自分には家族もあることだし、許してほしい。」
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- 二千人が働く工場でビラを受け取る人はわずか半年の間に十人足らずになってしまい、友人だった人までもが冷たい後ろ姿で通り過ぎるようになってしまいました。今でもこの状況は続いています。
- 門のすぐ内側で御用組合が配るビラは全員受け取るのに、わずか数メートル離れた門の外で配るビラは誰が配りに来てもほとんど受け取りません。
- あるとき不動産屋が中古の住宅の宣伝ビラを配ろうとしたのですが、誰も受け取らないので怒っ
- て帰ったことがありました。
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(2)ラジオ体操
首切のあと「ラジオ体操」が始められました。始業時間一〇分まえなので、たてまえは自由参加です。しかしこれも踏絵でした。
- 最初、私たちの職場で体操に参加する人はごくわずかでした。
- しかし職制が「体操をやることで、我々の職場が、会社に協力する意志のあることを示そうではないか」と言い、まず職制がやり、職場の有力者がやり、やらずにがんばる人に仕事中や飲み会の席などで説得が行なわれました。
当初は体操の音楽が流れても新聞やビラを読んだり雑談していた人がいたのですが、机のうえに物をおいてはいけないということになり、座っている人が目立つようになりました、いつのまにか、体操しないで席にいるのは私一人になってしまいました。(体操が終わってから職場に入る人はいた。)
- 最初の頃は冷汗が出る思いでしたが、落ち着いて見ると、みんなわたしのほうを見ないようにして、もくもくと手足を動かしていました。
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- 私は仕事中に係長、課長、さらには部長にまでよばれ、「君には体操しろとは言わないが体操の時間になんとかよそに行っててくれ。」と何回も言われました。
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- 私は、友達が解雇されて闘っているときに、踏絵の協力をするのも認めることもいやだと考え、着席したまま体操を拒否する行動を続けました。
- 「長いものに巻かれろ、バスには乗り遅れるな。」ということばが聞かれるようになりました。
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(3)組合役員選挙
- 労働組合が大きく変えられました。
- 首切の後に行なわれた組合役員選挙のとき八王子の現役役員は首切に反対したので全員降ろされ、選挙に会社がわの人間が立候補するという情報が流れてきました。
選挙戦の幕があいてみると、会社のやりかたははうわさどおりすさまじいものでした。
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- 会社側候補者運動員は我々よりもはるかに大勢の人が動員されていました。
- 会社は多数の運動員を二列に並ばせ、出社してくる社員にそのなかを通らせ、「おはようございます。おねがいします」と声をかけながら、候補者や運動員と握手させるのです。
- さらには、職場のほとんどの人に動員をかけ、運動員をやらせることによって、各自の「身のあかし」をたてさせました。
- 会社の候補者の名を書いたボードをもたせ、私たちのまえで「おねがいします」をやらせるのです。
- そのなかには、私の目を見ることができずに、下をむいたまま「おねがいします」をくりかえす私の古い友人の姿もありました。
私の職場では私以外に会社の運動員をしなかったのは一人しかいませんでした。他の人は少なくとも一回は動員をうけました。
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- 選挙の間は密告が横行し電話の盗聴までされるといった恐怖が職場を支配しました。
- 圧巻は立合演説会でした。
- 広場に千人近い聴衆が集まり、候補者が高いところから演説するのです。
- 最初に会社側の候補者がかわるがわるしゃべり、さかんな声援を受けていました。私たちの番になり、せいぜいやじられるのを覚悟してステージに立ったのですが、
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- そのとき突然会場が静かになり、聴衆がいっせいに帰りはじめたのです。
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- 写真
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- そのとき私の職場の友人はいちばんうしろにいたそうです。
- 彼には会社から事前の話がなかったので、なにが起きたか理解できなかったそうです。
- まだ演説会は終わっていないはずなのに、みんなが急にこちらをむいて能面のような無表情な顔でせまってくる、その迫力におされて、ついその場をはなれてしまったと、あとで私にあやまっていました。
- まさに企業ファシズムという言葉がふさわしい状況でした。
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- 組合役員立候補者と動員された「運動員」
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(4)親睦会除名の署名
- 被解雇者のビラ配りを手伝っていた人が、職場の親睦会から除名されました。
- その際「Kとは一緒に酒を飲みたいとは思わないので、Kの親睦会からの除名を希望します。」という内容の署名用紙が職場に回されました。
- そして本人以外の全員がこれに署名しました。
- 職場の幹事がこれを見せながら「これがみんなの気持ちだ」と親睦会を抜けることをせまったそうです。
- 本人と仲の良かった人の名前もそこにあったそうです。苦しみながら書いたのか、字がふるえていたそうです。
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- この詩K君の選択は葛藤しながら踏み絵を踏んでいった友人の話をもとに作ったものです。
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このように、踏み絵は一度踏むと次からより強烈なものを突きつけられます。
最初は「ビラの受け取りくらいやめても人間としての良心を捨てたわけではない。」と言っていた人がいつか友人親睦会から除名することに同意せざるをえなくなるのです。