亀井静香 門前に 篠山紀信が激写  ブルータス記事  亀井静香への手紙


亀井氏との会談の詳細

(発言の順序など実際と異なる部分があるかも知れないが、記憶に基づいて出来るだけ正確に記録した。)

経過

1999年10月26日朝日新聞政治部、小沢記者から電話。

「私は亀井静香付きの記者だ。亀井氏が先の新聞記事を見て会いたいと言っている。変なことしたら我々が責任を持つ。会ってくれるか」

「面白そうだから会いたいが、こっちから出かけて行くのか。門前に来てくれた方が亀井氏もいろんな物が見えるからそっちが来て欲しいと伝えてくれ。」と答える。

27日亀井氏の秘書から電話。

秘書「11月1日に来て貰えるか」、

田中「料亭とかは好きでない。10月29日は座り込みだ。門前に来て貰った方が面白いと亀井氏に伝えたか。」

秘書「どうしても時間がとれない。料亭じゃない。ただの鰻やだ」

1999年11月1日午前11時15分地下鉄丸の内線国会議事堂前駅着

亀井事務所に電話。若い男の秘書?が「田中先生でいらっしゃいますか」と迎えに来る。

ギター教室の生徒さんでもない者に「先生」と呼ばれるのは参議院選挙の時以来。

雨の中、徒歩5分ほどで「山の茶屋」に着く。離れは6畳ほど、床の間とトイレが付いている。座椅子が二人分セットされている。

「ここでお待ち下さい、代議士はすぐ参ります。」と秘書がいなくなって一分ほどで亀井氏が現れる。

11時28分

亀井 ご苦労さんです。新聞で記事を見て凄いことだと思ってご足労願った。(握手、名刺を二枚くれる)

田中 お会いできて光栄です。今まで自民党は「自由民主党」という名前しか好きでなかった。これから  亀井さんが好きになれれば良いなと思って来た。

(床の間を背にする席を勧められ、座る。切りごたつになっていて、足下は暖房)

田中  左眼が失明していて、摘出するかという状態だ。つぶったままの見苦しい状況で失礼する。

亀井 どうしてそうなったか。

田中 眼底出血から、網膜剥離に至った。目は見える間見れば良いし、命はある間生きればよいと思うことにしている。

亀井 私もこっちの目が殆ど見えない。(左眼を指す)あなたが一人で頑張っているのを知って感銘をうけた。(以後、話しの脈略に関係なく、何回か同様のほめかたをされた)

 私は高校は私立だった。在学証明書の発行が有料化されたとき反対してビラを配った。「赤い学生がいる。」と言われて退学になった。(ビールをついでくれる、自分は手酌でつぎ乾杯する。)

 子供さんはどうしている。

田中 三男は高一だ。長男はギター教室をやりながら、音楽で売りだそうとしているが売れない。

亀井 ああいうのは実力があっても機会がないと難しい。どこか音楽プロダクションに連絡してあげる。

田中 いやけっこうです。

田中 6分ほど時間をもらって歌を聴いてもらってよいか。

亀井 どうぞ、おれは音痴だ。電気とかいらないのか。

田中 アコースティックだからいらない。(ギターを出し、立って「いじめ」を歌う、歌い終わると亀井   氏は神妙な表情で黙っている。)

田中 いじめを受けた者は二通りあった。争議を支援していた者と、ラジオ体操や、ビラの受け取り   などの踏み絵を拒否した者だった。仕事への態度とか能力とかは関係なかった。

田中 門の前で歌うのは、職場の人を激励する意味もある。(「人らしく」を歌う。「おかみ」らしい人   が料理を運びながらニコニコしている。)

亀井  派閥から除名された事がある。亀井の除名に賛成の者立てと言われてみんな立った。無記名じゃ   ないから立たずにいられない。

田中  みんな国会議員か。

亀井  そうだ。派閥を除名になるということは、自民党を除名になるのと同じくらいつらい。選挙の時さんざん嫌がらせをされた。やっと再選をはたした。(誰か名前を聞いたが忘れた)に戻ってこいと言われて今がある。

亀井  連合とかの組合の者に、スト権の確立も出来ないとはだらしがないとハッパをかけている。日産は工場を閉鎖したり、首切り専門の外人を雇ったりけしからん。

田中 私は沖電気の株主総会で毎年発言している。社長を怒鳴りつけることもある。今年は、社長や役員の皆さんは沖電気にいて幸せですかと聞いた。社員はみんな沖電気にいて幸せだと感じていると思うかと聞いた。そうではないとすればおかしいではないか、会社の為の人間ではなく、人間の為、社員のための会社のはずだといった。簡単に人を切り捨てるなと言った。

亀井 そのとおりだ。

田中  人は組織を作ると最初の目的を忘れてしまう。目的があって組織を作ったはずなのに、組織を維持する事が目的になってしまう。労働組合にしても、政党にしても、宗教にしても、人が幸せである為という崇高な目的があったはずなのに、組織を維持するということで、本来の目的と逆のことをする。

亀井  あんたの言うことは核心を突いている。

田中  亀井さんに言いたいことは山ほどあるがこれだけは聞きたいと思っていることがある。

亀井  どうぞ。 

田中 学校では、いじめや学級崩壊が問題になっている。文部省は個性豊かな、自分の考えをしっかり持った子供を育てようとしていると言っている。日の丸の強制はそれに逆行している。

亀井  おれも、日の丸の法制化には反対だった。(議員会館?)の入り口に公示が出された。日の丸が国旗として法制化されたから日の丸を掲揚する事になった。と書いてある。公示を出した者を叱りつけた。法制化されたから、国旗国歌になったんじゃなく、国民の間に日の丸に対する敬愛の念があって、自然に広く浸透しているから国旗なんだ、と言った。 

田中  そうじゃない人もいますよね。

 

亀井  そうじゃない人もいる。

田中  日の丸に反対している人は良心的な動機から、その理由を明確にして反対している。しかしそれを推進しようとする、文部省や教育委員会は議論で解決するのではなく、罰則で強制している。これは民主主義ではない。

亀井  歴史に対する認識に問題がある。アジアは殆ど欧米の植民地にされていた。そういう中で日本は経済封鎖を受け闘った。侵略戦争だという認識に問題がある。君が代の歌詞が問題だというが、イギリスの国歌は神様に国王を守れというものだし、フランスは他の国をやっつけろというものだ。

田中  議論をしないで上からの命令で強制されることを問題にしている。私の子供が小学校の時校長に話しに言った。校長は文部省の命令だというだけで私とまともに議論が出来なかった。

亀井  私の選挙区は広島だ。校長が自殺した件で選挙区民に法制化すべきだと言われた。では皆さんは祝日に自分の家に日の丸を出してますかと言った。

亀井  私の娘が中学の時「私の学校は鳩の巣だ」と言った。学校に行くと鳩の絵ばかりそこら中に貼ってあった。鳩が平和のシンボルで平和教育のつもりだ。 

亀井  私が言いだして先生と保護者の対話集会を持つことになった。ところが日教組と部落解放同盟が大挙して押しかけ、亀井の糾弾集会のようになった。親たちはこわがって私の味方の発言する者はなく、黙ったままだった。ああいう組織が日の丸に反対している。

田中  亀井さんは現状を認識していない。いま、日教組とか政党とか組織は以前ほど反対しなくなって来ている。私の友人にも日の丸で処分を受けて頑張っている教師がいる。人間的に素晴らしい人だ。生徒にも信頼が厚い。そういう人は組合からも孤立させられながら命がけで頑張っている。

亀井  小学生とか中学生とか、まだ物を判断する力がない者に特定の考えを与えるべきではない。高校とか大学に行ってから考えさせればよい。  

田中  いろんな子供がいる。亀井さんが高校の時ビラを配ったのは、高校で突然目覚めたのではなく、小学校や中学のときの積み重ねで、人格が形成されていたからではないのか。

亀井  そうだ。

田中  私は小学生の頃運動会の国旗掲揚が好きだった。自分ならちょうど君が代が終わるときに旗が一番上に着くように揚げれるのにと思って見ていた。

田中  日本人に愛国心がなくなっている。愛国心とは体制の言いなりになることではない。他の人や他の国を尊重し大切にすることだ。場合によっては命がけで社会の成り行きに責任を持つことだ。

亀井  そうだ。このままでは日本は六四でだめになる。二千何年かには日本の人口は半分になる。男が男の、女が女の役目を果たして子供を増やさねばならない。体制の言いなりが多い。新聞記者も官僚の顔色を伺って記事を書いている。機嫌を損ねると情報が貰えなくなるからだ。 

田中  ネズミもえさをやりすぎると繁殖しない。物質的に豊かになりすぎている。しかし幸せだと思っていない。もっと欲しがる。不況で食えないと言って自殺者が出ている。アフリカで食えないと言うのと日本で食えないというのは意味が違う。日本の場合生活水準が下がるだけだ。価値観がおかしくなっている。

亀井  そうだ。

田中  日の丸を推進している人の心がどうしても理解出来ない。ピラミッド型の社会の上部に優秀な人達がいて、下の方の意見を汲み上げながら、秩序を保つということか。それなら分かる気もするが。

亀井  そうではない。

(日の丸の問題については、もっとやりとりがあったと思うが記憶にあるのはこれだけ、時間がなくなってきたので話題を変えた。) 

田中  今日は亀井さんの誕生日ですね。亀井さんは昭和十一年十一月一日生まれなんですね。

亀井  そうなんだ、今日は平成十一年十一月一日だ。こんな日に会うのは運命的な出会いかも知れんな。(また握手する)

田中   私のCDです。暇な時に聞いて下さい。(CDを渡す。) 

亀井   あとで聞かせてもらいます。

田中  (風船を渡す。)沖電気の隣が小学校なので座り込みの時子供に配っている風船です。「差別やいじめをやめさせる勇気を持とう」と書いてあります。知り合いで子供のいる人に渡して下さい。

亀井  わかった。 

田中  (「処方箋の受け渡しについて。」のビラを渡す。)これは私が通っている病院の眼科が患者に配った物だ、読んで意味が分かりますか。私はこれを貰って病院に抗議した。インフォームドコンセントと言うがこれが現状だ。

亀井  (眼鏡を外してしばらく読んでいるが)わからんな。どういう事か。

田中  通院している患者で薬だけ欲しい人に向けた物だ。

 

亀井  その説明を聞いてもまだ分からない。

田中  (くわしく説明する。)

亀井  ようするに、こう書いてあればいいんだな。お薬だけ欲しい人はなるべく月木金に来て下さい。他の日に来ても渡しますが待たされますよ。

田中  そのとおりです。眼科には年寄りも多い、子供もいる。こんな分かりづらい文章を理解できると思えない。遠いところを薬をもらいに来たら今日は薬は渡さない日だと言われる。なぜだと言えば、この間ビラを渡したじゃないかと言われる。

 一事が万事、病院が患者に分かるように物事を説明しようとする姿勢がどの程度のものか、このビラが物語っている。

亀井  言い逃れの為のものだなこれは。間違って行けば一時間も待たされる。

田中  一時間どころではない。薬だけでももっと待たされる。亀井さんは優先的に見て貰えるから待つことはないのでしょう。

亀井  うん。

田中  我々が病院に行くのは一日仕事だ。

亀井  分かった。これは厚生省に渡しておく。

田中  もう一つお願いしたい。亀井さんは警察庁出身ということだが、先日40qの道を自動二輪で60qで走っていて捕まった。四車線の見通しの良い道で普段60q以上で車が流れている。捕まったとき「私は危険な運転をしましたか。」と聞いた。警官は危険ではないが、とにかく20qオーバーだから切符を切るという。わたしは「警察官の職務の目的は国民の生命身体財産を守ることが目的だ、」と警察官職務執行法をだして結局撃退した。取締りの姿勢が間違っている。

亀井  こまったもんだ。そういうのがいる。

  

田中  駐車違反だといって、交通の妨害にも危険もない車をレッカー移動する。仕事に来ている畳屋の車がもって行かれたり、小児科に来た親の車ももって行かれる。危なくもないのにレッカー移動しなくてもいいじゃないか。

亀井  (警官の職務執行が)仕事の為の仕事になっている。分かった。

田中  政治家はどうすれば自分が当選するかではなく、こうあるべきだという考えを明確にして国民をもっと説得しようとすべきだ。国民も当面自分にはどっちが得かではなく、社会の成り行きに責任を持った目でそれを見るべきだ。そうしないと結局自分の首を絞める。

亀井  そうだ

田中  これから亀井氏を注目する。

亀井  おれには失う物は何もない。闘う。

亀井  あなたも頑張って下さい。

田中  写真写して貰って良いか。

亀井  (「おかみ」を呼ぶ)

田中  (亀井氏にギターを持たせ、帽子をかぶせ、おかみにデジカメで写して貰う。)

これををホームページにのせて良いですか。

亀井  いいよ。また会いたいですな。

田中  そうですね。私は毎日の行動の他に毎月29日が首を切られた記念日なので座り込みをやっている。車は通るが人通りは少ない、会社の守衛は見ているが落ち着ける。私の特別応接室だ、雪でも台風でもいるから、いつか思い出したら遊びに来て欲しい。

亀井  分かった。(菓子折の入った袋を渡そうとする)

田中  なんだこれは、金とか入っていないだろうな。

亀井  なんでおれがそんなことせにゃならんのだ。

田中  交通費は貰うことになっている。これに振り込んで欲しい。(「沖電気不当解雇撤回を闘う田中哲朗」の振込用紙を渡す。)

亀井  分かった。電車賃だな。(部屋を出ていく)

田中  (ギターを仕舞って外に出る)12時35分


鰻やというから鰻重でも出るのかと思っていたら、大きな皿に鰻を開いたのが2匹乗って出た。私は一匹しか食べれらなかった。亀井氏は最初にぶつぶつに切って全部食べた。ぎんなんとかオードブル風の物がいくつか出ていた。デザートに出た柿はおいしかった。亀井氏はおしぼりを取るとき、毎回肩ぐらいの高さに持ち上げてから手元に引き寄せる癖があった。


私とは相容れない部分が多いが、亀井氏も彼なりに「正義の味方」であろうとしている事は感じられた。将来、彼が私の納得のいく「正義の味方」である瞬間があれば、そのとき彼の為に、私の出来る限りの力を尽くすことはやぶさかではない。