右翼の方と公開討論 日の丸君が代問題を語り合う会の記録



2000年7月27日 第1回日の丸君が代問題を語り合う会 日本世論の会会長 三輪和雄氏 

2000年月日 第2回日の丸君が代問題を語り合う会

2001年4月10日 第3回日の丸君が代問題を語り合う会 東京都議会議員 土屋たかゆき氏


 1989年2月の「大喪の礼」の際私は「自粛」批判デモの呼びかけ人の一人だった。八王子駅頭情宣の際、右翼団体「立憲養正會」の宣伝カーと鉢合わせになった。両方の団体の大音量での街宣合戦になったが立憲養正會は「双方が喋ったのでは市民に意向が伝わらない。交代で喋ろうと提案したが断られた。それが民主主義を標榜するものの態度か。我々は移動する」と言い放って去って行った。

 帰りがけ彼らが京王八王子前で街宣をしているのに遭遇した。私はビラを受け取り彼らの事務所に詫びの手紙を書いた。すると達筆な毛筆の返書と何冊かの書籍が贈られてきた。私は立憲養正會の事務所(調布だったと思う)に出かけ、代表の小川力という人に会った。この会は戦前から存在し、大政翼賛会に反対して弾圧された平和的団体だと聞かされた。この後会費を払わない私に長い間機関紙がとどいた。 私は右翼=好戦主義者と考えるべきでないと思った。

 当時私は「日の丸君が代強制問題」は民主主義の根幹に関わる問題だと考え、その問題の先頭に立つ根津公子さんの戦いを支援、ビラ配りなどに参加していた。日の君の集会には右翼の妨害があり、根津さんの集会にも右翼宣伝カーが度々来ていた。

 私は右翼と公開討論をすべきだと考えていた。小川力氏の後も何人かの右翼と交流する機会があった。その一人から日本世論の会会長 三輪和雄氏 を紹介されこの公開討論が実現した。

 2001年4月10日 まで、3回目には東京都議会議員 土屋たかゆき氏 が参加した。さらに継続する約束ではあったが2002年9月小泉総理総理の訪朝、拉致問題進展があり、右翼の皆さんには「それどころではない」状況になりそれ以降は立ち消えになっている。


 主張は咬み合わない部分は当然としてあるが、お互いがわめき合う不毛の議論ではなかったことに関しては記録を見ていて頂きたい。この討論会の後、根津さんの集会には街宣車が一度も来ていない。



2016.4.18