差別の実例 

以下は、私の友人知人が体験したとと私自身が体験したこと、また私の裁判で証人が証言したことなどによっています。

控訴審で裁判所に提出された証言、陳述書、差別の体験が複数の人により語られている

証人尋問調書

 武原多恵子さん  新江隆さん  北野好人さん

陳述書

山崎氏の陳述書  大宮氏の陳述書  今井氏の陳述書  K氏の陳述書 H氏の陳述書 


熊谷地裁仮処分裁判 沖電気の仕事差別事件 真喜志さん



新たないじめの手口 集団ストーカー行為

ノイズキャンペーン


2010.10.24


 作業服を支給しない。
 
 昇給、昇格させない。

 
 1999年現在46歳 入社22年 大学院卒技術者 年収350万円(税込み)という例もある。
 このような人は何年勤務しても係長にすらなれない。

 分かりやすい例として、沖電気全体で日本共産党に加盟している人(私はそうではない)
の中で年齢、学歴がいくら高い人でも係長にすらなった例はない。

 私に対する賃金差別の顕著な例は1980年、組合役員選挙に立候補した後の年末一時金の査定は
マイナス100%だった。もちろん1969年入社以来初めての経験である。当時の私の上司はこの
査定の理由は、私が組合役員選挙に立候補したことであると述べた。


業務内容での差別

 仕事のとりあげ、売れている半導体の設計をしていた者が全然売れない物の設計をあてがわれた。

 

 現場(半導体製造)で主任をしていた者が廊下に机を置かれて「おまえは掃除以外何もする必要がないここに座っていろ」と言われた。

 信頼性技術の技術者が英語の文献を与えられ訳すように言われたが出来た訳を上司は見ようともせず他の仕事もさせない。

 私はLSIのパターン設計を行っていたが、他人の設計した物のチェックに回された。

 机が一番端に置かれる。

 

 一人一台ずつ与えられるパソコンが与えられない。(最近の例)

 

 私の友人は弁理士の資格を持っている。(特許を出願するための資格)

 沖電気のような企業にとってはのどから手が出るほど欲しい資格のはずである。現に沖電気全体でもこの資格を持っているものは私の知る限りでは他に一人しかいない。この友人は1999年現在も完全に仕事を干された状態にある。


いじめの実例
職場で

あいつと口をきくなといわれ無視される。

挨拶しても返事がない。

旅行に 行った者が買ってきたおみやげの菓子が一人だけ貰えない。

香典を返される。

ミーティングや会議の時間を知らせない。

ミーティングの中で発言の順番を飛ばし発言させない。

親睦会から除名される。

 私の友人の職場では、彼を親睦会から除名する為の署名が回された。30人ほどの職場で本人以外全員が署名した。「会社を批判する者とは酒を飲みたくないとみんなが言っている。」とその署名を見せられた。彼と仲の良かったものまでも署名をしていた。字が震えていた。

飲み会の席でつるし上げに会う。

設計した製品を実験室に置いていたらゴミ箱に捨てられた、捨てた者に抗議すると

残りの製品も目の前で捨てられた。

設計した製品を現場で製造して貰えない。

実験器具やコンピューターなどを貸して貰えない。

一人一台ずつ与えられているパソコンが貰えない(最近の例)

机の上に不要な段ボール箱などが置かれ、物置状態になっている。

(1999年現在、机の上の状況)



2002年4月東京新聞電機工場でネギこん包


クラブ活動などで

 テニス部のナンバー2だった者が昼休みボールを打つが誰も打ち返さない。

 陸上部の者が「お前がいるとクラブ全体が悪く言われる」と退部を迫られた。

 私は八王子工場の剣道部で一番高段者だったが、私に練習などの連絡をせず試合に参加させなくなった。

 私が部長をしていたマンドリンクラブでは部員が「田中が部長をしているクラブにいるのは好ましくない。」と上司に説得されて一人また一人とクラブを去っていった。

 その中の一人が私に言ったこと

「ある時自分以外の寮生が全員集められてマンドリンクラブについての話しがなされた。それを後で知ってぞっとした。これ以上クラブを続けられない。」


人間関係

     

 被解雇者のビラ配りを手伝っていた者の友人が上司に呼ばれ、「あいつとはどの程度のつき合いか、自分の将来を考えればつきあわない方が良い」と説得された。

 争議の支援を積極的に行っていた者の後輩が結婚することになった。     

 その結婚式に出席してスピーチをすることになっていたが、後輩は式の何日か前にウイスキーを持って家にきた「出席して欲しいのはやまやまだが、私の将来がなくなる、申し訳ない申し訳ない」と泣きながらあやまった。


私自身のこと

 1980年私が立候補した組合役員選挙の何週間か後の事だったと思う。私と同期に入社した大卒高専卒の者が数名集まって会議室に私を呼びだした。

 1969年入社の大、高専卒の中で八王子に配属になった者は20人ほどだった。入社2年ほどは昼休みなどよく集まって遊んだり給料の明細書を見せ会うような事もやった。
共産党として組合運動をやっている者もいたし、新左翼のセクトに属している者もいた。開放的な雰囲気があった。指名解雇の直前まで飲み会を毎年行っていた。
 
 それから11年。係長になった者や課長になろうとしている者もいた。指名解雇では新左翼の運動をしていた村山が解雇されていた。橋本は共産党として争議の支援を行っていた。「同期」の雰囲気は急に変わって行った。

 私の行いが悪いと非難することが私を呼びだした目的の様であった。
 鵜野辺。櫛引。新田。野呂。等5人か6人だった。
 具体的に私の行動の何が気に入らないのかと言っても、自分で分かるはずだとか、はっきりとは答えられない。
 私は会社がもうけるためでも人間にはやって良いことと悪いことがあるはずだと差別やいじめの労務政策を批判し反論した。
 多勢に無勢ではあったが、相手に有効な反論も出来るはずもなく、終始私の方が押し気味だったと思う。

 その時私を懸命に非難したのは、新田ともう一人いたと思う。新田は私が部長をしていたマンドリンクラブに所属していて指名解雇の少し前くらいに退部したのだったと思う。いわば遅く会社人間になったものだった。もう一人も同様の者だった。それらのものが必死になって私を非難していた。元から会社派だった鵜野辺などはあまり発言せず、ニヤニヤして新田らを見ていた。
 新田等は会社に反抗していないとの身の証を立てさせられているなと思った。かわいそうだった。


会社の外

 会社から監視されているという恐怖は会社の中だけではない。私が電車の中などでかっての同僚と出会うとたいてい相手は目をそらすか別の車両に移動する者もいる。

 車やバイクの故障などで徒歩で門前の行動に行くことがある。帰るときは木の多い所とか公園とかを選んで通って帰る。そんな時フレックスタイムで出勤してくる同僚とすれ違う事がある。あたりに人気が無いと親しげに話をしてくる者もいる。

私の住むマンションは300世帯ほどで沖電気の者も何人かいる。私の妻のかつての友人がいる。彼女の夫は沖電気の社員で彼らは社内結婚。私の妻とその夫人がマンションの中で出会っても夫人は口をきかない。しかしエレベーターの中で出会った時だけは別で突然親しげに話をするそうだ。ドアが開くとまた知らん顔で行ってしまうという。